ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『不吉な暗示?』 ルカによる福音書2:21〜40

元旦礼拝 2023年1月1日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、感染症の拡大を受け、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、配信と並行して礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

                         

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。(イザヤ書43:18〜19a)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌83番「めぐみのひかりは」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(差し支えない方は、お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆全てを新しくする、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。2022年も最初から最後まで、私たちを守り、導いてくださったことを感謝致します。どうか今、去年から続いている課題、新しく出てきた課題に対し、真摯に取り組むことができるよう、今年も私たちを導いてください。

◆私たちの神様。新しい年を迎えた今、怪我をした人、病気のある人、障害のある人たちに、新しい希望と支えをもたらしてください。そばで支えている人を助け、守り、癒してください。どうか今、全ての人を孤立と不安から救ってください。

◆私たちの神様。戦争に、貧困に、災害に、いじめに、差別に苦しんでいる人たちを、あなたは見捨てられません。どうか今、苦しさと悔しさに押しつぶされた人を励まし、助けと解放をもたらしてください。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書2:21〜40(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

www.bible.or.jp

交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編84:6〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の268番「朝日は昇りて」を歌います。(お立ちください)

 

HendrikによるPixabayからの画像

メッセージ

新年を迎えて、最初に聞く聖書の言葉は、素直に喜んで受け取っていいのか、ちょっと戸惑う内容でした。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています」……生まれて間もない赤ちゃんを、神殿へ連れて来た母親に、不吉な預言が語られます。

 

私たちは、クリスマスに、神の子である救い主イエス・キリストの誕生を記念しました。先ほど読んだ聖書の記事は、イエス様が生まれて間もないときの話です。イスラエルでは、息子を産んだ母親は、40日後に神殿へ来て、神様に献げ物をするよう定められていました。マリアも、ヨセフと一緒に赤ちゃんを連れて、献げ物をしに神殿へやって来ます。

 

実は、12月頭に、私の弟夫婦に生まれた赤ちゃんも、教会で幼児祝福式を受けました。赤ちゃんが無事に生まれたことを感謝して、子どもが健やかに育っていくよう祈りつつ、神の祝福を宣言する……そんな微笑ましいシーンです。一年の始まりにふさわしい、希望と喜びに満ちたシーンです。

 

ところが、そんな微笑ましいシーンで、ある老人からとんでもない言葉が語られます。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます」……生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて、「私はもう死ぬ」と宣言する。周りにいる人は、どう反応したらいいか分からないでしょう。続けて語られる言葉も不吉です。

 

「この子は多くの人を倒したり立ち上がらせたりする」「この子は反対を受けるしるしとして定められている」……明らかに、争いや対立を示唆する言葉、良くない未来を暗示する言葉です。これが、気が狂っていると思われていた人物なら、「失礼な」とか「あらあら……」という苦笑いで済みますが、厄介なことに、「この人は正しい人で信仰に熱く」「聖霊がとどまっている」人でした。

 

赤ちゃんの誕生を祝い、みんなで幸せを願うところで、信頼のおける人物から、その子の不吉な未来が語られる。母親にも鋭い言葉が告げられます。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」……誰だって、こんな言葉を聞いたら、赤ちゃんの将来に、死の影が迫っていることをイメージするでしょう。

 

えっ、これから人生が始まっていくのに、みんなで祝福するところなのに、何でそんなこと言うの?……ショックを受けてしまいます。一方で、この老人は、不吉なことなど言っているつもりはないかのように、神をたたえて賛美します。「わたしはこの目であなたの救いを見た」「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」

 

赤ちゃんの誕生を祝っているのか、呪っているのか分からなくて、お母さんの情緒はグチャグチャです。そうかと思えば、今度は別の年老いた女性がやってきて、神を賛美しながら、幼子のことを「みんなが待ち望んでいる救い主だ」と話し始めます。彼女も、神殿を離れず、夜も昼も神に仕えた預言者です。みんなからよく知られています。簡単に聞き流せる言葉じゃありません。

 

さあ、困りました。エルサレムで「正しい人」として知られたシメオンと「女預言者」として知られたアンナから、マリアとヨセフの赤ちゃんが、みんなの待ち望む救い主だと声高らかに宣言されました。当然、騒ぎになるでしょう。祭司や律法学者が聞いたら、「どういうことだ?」「何を言っている?」と詰め寄ってくることでしょう。

 

マタイによる福音書で言及されているように、ヘロデ王が噂の赤ちゃんを殺そうとしているときであれば、余計にありがたくない話です。騒ぎを起こしたくないし、目立ちたくないし、もう少しまともなスタートが切りたい。だけど、そうは問屋が卸さない。マリアとヨセフの周りには、奇妙な言動をする、だけど聞き流せない人たちの声が飛び交います。

 

いったい、この子の人生はどうなるんだろう? 私たちは今後どうなるんだろう? 何を期待し、何に警戒し、何を目指せばいいんだろう?……新婚で、赤ちゃんが生まれたばかりのマリアとヨセフは、希望に満ちたスタートというより、何が何だか分からないスタートを切らされます。

 

シメオンの言葉を、アンナの言葉を、どう受け取ったらいいんだろう? 将来に希望を持ったらいいのか、むしろ不安に思ったらいいのか、どっちなんだろう? 厳しい未来が語られているのに、救いが来たとはどういうことだろう? 聖書には、マリアとヨセフの反応も、エルサレムの人々の反応も記されません。反応できなかったのかもしれません。

 

新年を迎えて、私たちも、何が何だか分からないスタートに立たされています。ロシアとウクライナの戦争は続いています。新型コロナも収束していません。カルト問題の決着はまだ先で、防衛費や税金の増額が検討されています。

 

教会に来たら、何か良い知らせが聞けるかもしれない。希望を持てることが告げられるかもしれない。そう期待しても、牧師から、戦争の終結や感染症の収束という予言は聞かせてもらえません。むしろ、今年もコロナと付き合っていくことを覚悟させたり、私たちも戦争に加担しかねないことを告げられたり、少々手に余るメッセージを受け取らされるかもしれません。

 

喜びに満ちてスタートするって難しいですよね? クリスマスを迎えて間もない私たちに、新年を迎えてすぐの私たちに、先行き不安な情報や知らせが入ってきます。喜んだらいいのか、怖がったらいいのか、どう受けとめたらいいか分からない現実を見ながら、スタートを切らなければなりません。

 

マリアとヨセフもそうでした。神殿に連れてこられた赤ちゃんを囲んだ人たちもそうでした。自分たちがどうやって救われるか、どうやって苦難から解放されるか、はっきり悟れませんでした。確信に満ちた、まともなスタートを切った覚えは、救い主の家族にも、エルサレムに集まった人たちにも、なかったと思います。混乱の戸惑いのスタートです。

 

しかし、救いは確かに訪れていました。死を暗示された赤ん坊は、復活する救い主でもありました。剣で心を刺し貫かれる母親は、死を超えて再会する息子の家族でもありました。復活したキリストに倒され、手を引かれる人間は、新しく立ち上がらされ、生き方を変えられていく弟子でもありました。

 

今日、未来に希望を持ちたくて、喜びに満ちたスタートを切りたくて、それができない自分に悩んでいる者は、シメオンの言葉を聞きなさい。戸惑い、恐れ、困っているあなたの腕に、救い主は抱かれています。臆病で、緊張し、失敗を恐れるあなたと共に、救い主は歩み始めます。

 

今日、不吉な予感に煩わされ、将来に期待が持てないことに苦しむ者は、アンナの知らせを聞きなさい。あなたが待ち望んでいる救いは、あなたの胸に抱かれています。将来はあなたの恐れる結果で終わりません。あなたが信じられない、期待できない出来事をも、イエス様はもたらします。

 

さあ、新しい歌を主に向かって歌いましょう。私たちは、これからどうやって救われるのか、どうやって導かれるのか知りません。知恵も、力も、自信もありません。しかし、神の子を腕に抱いています。なぜか、救い主に私が必要とされ、私が用いられています。救い主は、あなたを通って、あなたと一緒に、救いをもたらしに来ています。

 

見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている……アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌14番「奮い立て 貧しい人よ」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。(お立ちください)

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください)

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください)

 

 

食卓を囲めない日の祈り

本日は、飲食による感染リスクを避けるため、パンと水をいただく愛餐式を休止し「食卓を囲めない日の祈り」を行います。共に「命のパン」「命の水」である神の言葉を受け取りましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。

 

招 き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:57)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」

 

主は、荒れ野で悪魔の誘惑を受け、空腹の中「石がパンになるよう命じたらどうだ」と言われたとき、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と答えました。そうして悪魔は離れ去り、主はガリラヤに帰られて、人々に神の言葉を与えました。

 

今、様々な事情で食卓を囲めない私たちに、主は「命のパン」「命の水」である神の言葉を与えます。食事が喉を通らず水も飲めない人々に、みんなと一緒に食事を味わえない人々に、神様は新しい糧をもたらします。

 

共に、聖書を通して与えられた「神の恵み」「神の祝福」を分かち合う、見えない食卓を囲みましょう。

 

感謝の祈り

恵みと祝福の源である私たちの神様、あなたは私たちの欠乏を満たす「命のパン」「命の水」をお与えになります。孤独に共感を、対立に連帯を、恐怖に信頼をもたらします。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、共に渇き、共に飢え、共に痛みを負われました。

 

ご自分が渇いているときに、孤立した女性に水を求め、新しいつながりを与えました。ご自分が飢えているときに、神の言葉に信頼し、人々に希望を示しました。パンがなく、水がなく、共に食卓を囲めないとき、あなたの言葉一つ一つは、私たちに見えない糧をもたらします。

 

どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和がこの世界を満たしますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神の祝福を宣言しましょう。

皆さんの隣に、前に、後ろにいる人、あるいは離れている人へ、イエス様から与えられた良い知らせを伝えましょう。

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23:43)」

司式者:私たちも知らせましょう。

一 同:「主があなたと共におられます」

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたがたに平和があるように(ヨハネ20:19)」

司式者:私たちも答えましょう。

一 同:「わたしの主、わたしの神よ(ヨハネ20:28)」

 

応答の祈り

感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。

 

信仰と希望と愛をもたらす私たちの神様、今ここで、食卓を囲めない日に、「命のパン」「命の水」であるあなたの言葉を分かち合えたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を共に分け合う者として、送り出してください。

 

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌います。(お立ちください)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』の93-6-6)

 

祝 福

主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週のクリスマスは、教会に集まった15名、同時に視聴された18名、計33名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、23日に新型コロナ警戒体制におけるレベル3相当の「対策強化宣言」が出されたことを受け、先週から奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、配信と並行して礼拝を行う「調整型小規模礼拝」に切り替えています。

 

教会員の方は、1月〜2月の日曜日で、自分が出席できる日曜日を牧師までハガキ、メール、電話、LINEなどでお伝えいただき、こちらから人数を調整して参加できる日を連絡いたします。

 

初めて来る方や2ヶ月以上教会へ来られてない方は、枠を用意してあるので問い合わせなしでお越しいただけます。何か分からないことや相談したいことがある方は、牧師までご連絡ください。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。