日曜礼拝 2023年1月15日
案 内
華陽教会では、感染症の拡大を受け、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、配信と並行して礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。(ヨシュア記1:5)
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌83番「めぐみのひかりは」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(差し支えない方は、お立ちください)
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆全てを新しくする、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。先週は、薬物依存症からの回復支援を行う施設、岐阜ダルクのスタッフによる証を聞くことができ、感謝致します。どうか今、引き続き、ダルクをはじめとする全国の当事者と仲間を守り、みんなで生活を回復させてください。
◆私たちの神様。この一週間も、新型コロナやインフルエンザ、熱、体調不良から、私たちの姉妹兄弟を癒してくださり、感謝致します。どうか今、新たに健康を崩してしまった人を癒し、後遺症からの回復も導いてください。
◆私たちの神様。怪我をしている人、障害のある人、生活に困っている人を覚えます。特に、今後のことが心配で、不安が押し寄せてくる人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、必要な癒しと支え、あなたの希望をもたらしてください。
◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書5:1〜11、使徒言行録16:11〜15(新共同訳より抜粋)
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編101:1〜8(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の17番「聖なる主の美しさと」を歌います。(お立ちください)
メッセージ
もし、自分がすごいと思った人、尊敬した人、特別さを感じた人に向かって、「わたしから離れてください」と言うとしたら、どんな場面でしょうか? それも、今の今まで一緒にいた、目と鼻の先にいた相手に、です。相手が目上だと分かったとき、自分よりずっと偉いと気づいたときでしょうか? 確かに、一旦距離を取ろうと思うかもしれません。
でも、多くの人は、相手に離れてもらおうとするのではなく、自分から離れようとするでしょう。「すみません、近づきすぎました……今離れます!」「近くにいるのは恐れ多いので、あっちにいきます!」というふうに、自分が動こうとするでしょう。だって、「あなたがわたしから離れてください」とお願いしたら、相手を煩わせるじゃないですか?
よく、教会で記念撮影するときも、さっきまで牧師の傍で談笑していた人たちが、サッと牧師と距離をとって、「どうぞ、どうぞ」と近くの席を譲り合う光景が見られます。いやいや、さっきまですぐ傍にいたじゃないですか?……と半分笑いながら、なかなか埋まらない牧師の傍へ、あの人やこの人に来てもらおうと呼びかけます。
けれど、どうしても皆さん、近くの席には座らないので、「それなら私がそっちへ行きますね」と席を変えようとすると、初めてこの言葉が出てきます。「いえいえ、先生。私から離れてください。私が先生の隣に写っちゃダメなんです」……そう、「わたしから離れてください」という言葉は、「相手が自分へ近づいてきたから」出る言葉です。
あるとき、漁師のペトロは、湖の岸で、舟から上がって網を洗っていました。少し離れたところで、神の言葉を聞こうとして集まってきた群衆に、イエス様が教えを語っていました。ペトロが作業しながら、その様子を伺っていると、唐突に、イエス様の方からやって来て、「あなたの舟に乗せてほしい」「岸から少し漕ぎ出してほしい」と頼まれます。
押し寄せるほどの群衆が、この人の話を聞きに来ていたので、ペトロもすぐに「ああ、この人は、きっと特別な人なんだろう」「失礼を働いちゃいけない人だ」と分かったでしょう。というか、それ以前に、ペトロはイエス様と初対面ではありません。少し前に、彼の姑が熱を出したとき、イエス様が癒してくれたからです。
もう既に、奇跡を体験していました。イエス様が病気を癒したり、悪霊を追い出したり、神の国について教えることのできる、特別な方だと知っていました。指示通りにしたら大量の魚が獲れて、初めて、すごい人だと分かったのではありません。前から知っていたんです。
だからこそ、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」という急な指示にも、「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と丁寧に答えました。「あなたが言うなら、特別なことが起きるかもしれません」……そんな期待を感じさせます。この返事は、イエス様を侮った言葉のように捉えられますが、むしろ、期待して出た言葉じゃないかと思うんです。
高い熱に苦しんでいた私の姑を癒し、私の家へ連れてこられた多くの病人たちも癒し、悪霊につかれた人たちも助けてこられた、あなたの言うことであるのなら、やってみる価値があるでしょう……ペトロはイエス様の指示に続いて網を投げ、まもなく、期待通りのことが……いえ、期待以上のことが起きました。
網が破れそうになるほど、二そうの舟が沈みそうになるほど、おびただしい魚がかかります。やっぱり、イエス様の言葉は特別でした。やっぱり、従って正解でした。けれどもペトロは気がつきます。岸にいる群衆が、小さな舟の上でイエス様の隣にいる自分のことを見ていると。群衆の目に、イエス様の横で網を持った、自分の姿が写っていると。
「先生、私から離れてください。私が先生の隣に写っちゃダメなんです!」……先ほども触れた、教会でもよくある光景が展開されます。多くの視線が集まると、普段近くで話している先生の隣にいるのも怖くなります。ペトロも、ものすごい数の人から注目を浴び、急に恐ろしく感じます。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」
私があなたを舟に乗せ、あなたの隣で網を打っていることに、「何であいつが……」と思う人がいるかもしれません。もっと信仰深い、もっと敬虔な、もっと思慮に富んだ人の方が、あなたの隣にふさわしいと言われるでしょう。私があなたにずうずうしく近づいて、身の程も知らずに、あなたの隣に座っていると思われるのが怖いんです。
ところが、自分から離れようにも、イエス様の指示で沖へ漕ぎ出したペトロには、狭い舟の上で離れる場所がありません。沈みそうな舟にイエス様を残して、湖へ飛び込むわけにもいきません。途方に暮れたペトロには、ひれ伏して頼むことしかできません。「主よ、わたしから離れてください」
けれども、イエス様から帰ってきた言葉はこうでした。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」……あなたは、あなたが恐れる大勢の人たちを神の国へ招く者となる。あなたは、あなたを侮る人たちを私と出会わせる者となる。あなたは、あなたが離れようとする私と一緒にいる者となる……。
ペトロがイエス様から離れようとしたのは、この一度ではありません。イエス様が十字架につけられる前、敵に捕まったときも逃げ出して、離れてしまいました。その後、捕まったイエス様を追いかけて、付いていこうとしたときも、自分の身が危うくなったとき、三度イエス様を否定して、離れてしまいました。
しかし、イエス様はペトロから離れません。ペトロが自分を見捨てたあとも、自分を知らないと否定したあとも、「わたしに従いなさい」「わたしの羊を飼いなさい」と近づいてきます。かつて、彼の舟に乗り込んで、沖へ漕ぎ出したときのように、離れようとするペトロを繋ぎ留めます。
やがて、「わたしから離れてください」と叫んでいたペトロは、自分からイエス様に駆け寄る者へ変わっていきます。「わたしは罪深い者なのです」とひれ伏していたペトロは、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答える者へ変わっていきます。イエス様と出会った者は、自分を「罪人」というだけじゃ済まなくなります。
私はイエス様の弟子であり、友であり、兄弟で、そのようにイエス様も呼んでくれる……そう信頼する者へ変わっていきます。ペトロをはじめとする使徒たちの周りにも、そのような変化が広がっていきました。「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」……そんな言葉が人々の間で交わされていきます。
皆さんも、イエス様に離れてもらおうとする者から、自分の家へ迎える者に変えられます。さあ、今週もイエス様がやって来ました。あなたの舟に乗り込んで、あなたの家に訪れて、あなたを頼っておられます。一緒に、沖へ漕ぎ出そうとしています。さあ、奮い立ちなさい。あなたは必要とされています。あなたがイエス様の隣に必要なんです。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌14番「奮い立て 貧しい人よ」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。(お立ちください)
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください)
紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください)
聖句と主題
今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。使徒言行録26:16。
年間聖句
起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。
年間主題
華陽教会では、今年度、「これからの教会を考える」というテーマを掲げています。今週は、病気や怪我、障害や衰えによって、礼拝へ行けなくなった人たちと、教会の一員として、教会全体として、何ができるか、一緒に向き合う一週間でありたいと思います。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)
献金の祈り(例)
変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌10番「祝福」を歌います。(A)のところは牧師が、(B)のところは会衆が、(全員)のところは一同で歌いましょう。(お立ちください)
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わします。(『讃美歌21』の93-6-2 ヨハネによる福音書17:18より)
祝 福
見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。わたしは決して見捨てない。(『讃美歌21』の93-7-6 創世記28:15より)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週のクリスマスは、教会に集まった11名、同時に視聴された13名、計24名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
来週も、奉仕者6〜7名、教会員1〜4名、新来者1〜4名の10名前後に調整し、配信と並行して行う「調整型小規模礼拝」を行います。教会員の方は、1月から2月まで、出席できる日曜日を牧師へご連絡いただき、参加日を調整しています。
諸事情で当日キャンセルする可能性がある教会員、客員、求道者の方も、それを見越して調整するので、遠慮なく、希望日を牧師までお伝えください。始めてくる方や2ヶ月以上礼拝へ来ていない方は、問い合わせなしで参加できます。
また、教会学校こども礼拝、聖書研究祈祷会、キリスト教ABC講座については、平均5名前後の集会なので、感染症対策をして誰でも集まれるようにしています。体調と相談してお越しください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。