ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『排除と献金と終末預言』 ルカによる福音書21:1〜9、コリントの信徒への手紙二6:14〜7:1

日曜礼拝 2023年1月29日


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案 内

華陽教会では、感染症の拡大を受け、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、配信と並行して礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

                         

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

まことに、万軍の主はこう言われる。わたしは、間もなくもう一度/天と地を、海と陸地を揺り動かす。(ハガイ書2:6)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌83番「めぐみのひかりは」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(差し支えない方は、お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆全てを新しくされる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間も、私たち一人一人を守り、支え、導いてくださったことを感謝致します。どうか今、恐れ、傷つき、苦しんでいる全ての人を、癒し、慰め、希望をもたらしてください。そのために私自身も用いてください。

◆私たちの神様。この一週間も、私たち一人一人が犯してしまった過ちや失敗をお赦しください。どうか今、私たちが無視して、排除し、追いやってしまった人を回復させてください。そのために私自身に気づきと勇気をもたらしてください。

◆私たちの神様。この一週間も、様々な出会いや発見を与えてくださり、感謝致します。どうか今、あなたから受ける恵みと力を、離れている人、身近な人にも分かち合わせてください。そのために私自身も新しくしてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書21:1〜9、コリントの信徒への手紙二6:14〜7:1(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編111:1〜10(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の400番「たとえ塔は崩れ」を歌います。(お立ちください)

 

Sergii KoviarovによるPixabayからの画像

メッセージ

「排除」と「献金」と「終末預言」……この3つを聞いて頭に思い浮かぶのは、おそらく「カルト」という3文字ではないかと思います。安倍元首相の銃撃事件以降、色々な問い合わせが、カルト問題連絡会の窓口にも届いています。「○○という教会に身内が通っているけれど、カルトじゃないか?」「私に接触してきたところも、カルトだろうか?」

 

もちろん、そういった問い合わせの中には、実際に、カルト化していると言えるような教会もあれば、カルトとそうでない団体の区別がついてないだけのときもあります。しかし、多かれ少なかれ、教会に通っている人たちは悩んだことがあるでしょう。教会の中でも、カルトっぽい教えに聞こえるものが「ない」とは言えないじゃないか……と。

 

実際、今日の聖書日課で読むよう指定されている箇所は、先に挙げた「排除」と「献金」と「終末預言」3つ全てに関わる言葉が出てきます。ルカによる福音書21章では、貧しいやもめが生活費を全部ささげた話に続き、世の終わりに偽メシアがたくさん現れ、戦争や暴動の噂を聞くことになる……という終末預言がされています。

 

コリントの信徒への手紙二6章後半では、信仰者は不信仰な人々の中から出て行って、遠ざかるように教えられています。「汚れたものに触れるのをやめよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる」……神の言葉として語られる台詞は、何だか排他的に聞こえます。

 

いわゆる宗教カルトでも、こういう話がよく出てくると聞いた気がする……貧しくても生活が苦しくても、全てをささげるような信仰が称えられ、世の終わり、終末が近いことを強調され、救われて天国へ入れるように、信仰を邪魔するような人たちから遠ざかりなさいと、何度も、何度も、聞かされるらしい。じゃあ、私たちの教会ではどうなのか?

 

カルトと認識されてない教会でも、献金は集めます。「献金は、救いの条件ではありません」と言いつつも、献金の仕方に、それぞれの信仰が現れるとも語ります。献金の多い、少ないで、信仰が判断されるのか? 神への信頼を測られるのか? 悩んでしまう人もいるでしょう。

 

貧しいやもめは、レプトン銅貨2枚しかささげなかった。しかし、それは彼女の全財産だった。金持ちが有り余る中から献金するよりも、貧しい人が全財産をささげる方が、神様に喜ばれると、イエス様は言ったんだろうか? 金額そのものではなく、収入に対する献金の割合で、信仰が判断されたんだろうか?

 

少なくても大丈夫! それがあなたにできる精一杯の献げ物なら、神様は喜ばれます! そう言われて、ホッとする人もいるかもしれませんが、逆に言うと、とにかく精一杯ささげなければ、生活が苦しくなるくらい頑張らなければ、神様を信頼していると認めてもらえない、神の恵みにあずかれない……そんな不安に襲われるかもしれません。

 

しかし、イエス様がやもめの献金を見て、「この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた」と言ったのは、私たちへ同じように献金することを求めたからなんでしょうか? 「この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである」と教えたのは、私たちにも同じように全てをささげるよう求めたからなんでしょうか?

 

おそらく、このとき周りにいた人々は、イエス様の言葉を聞いて、咄嗟に反応できなかったでしょう。自分たちより貧しいやもめが、持っている生活費を全部入れたと聞いて、「じゃあ、私も」と財布を開けた人はいなかったでしょう。やもめに向かって「すごいですね」「あなたの信仰は立派です」と言う人もいなかったでしょう。

 

それどころじゃないからです。持っている生活費を全部ささげるって、ほとんど自殺行為です。しかも、レプトン銅貨たった2枚で全財産……今の日本円の価値でいったら100円くらいです。その100円も献金するって、もう神様以外に頼れるところがないってことです。今までどれだけ苦しい生活を送ってきたか、その光景が頭に駆け巡ります。

 

ちょっと待ってください。レプトン銅貨2枚だけを献金したように見えたけど、それが全財産だったんですか? 生活費を全部入れたんですか? 明日からどうやって水や食べ物を買うんですか? 夫もいないんですよね? 帰ったら一人なんですよね? つまり、全てをささげた今、飢え死にするのを待つと言うことなんですよね?

 

それまで、個々に献金をささげていた人たちは、イエス様の言葉をきっかけに、今必要なものは何か、足りていないものは何か、彼女に聞き始めるでしょう。「ちゃんと寝泊まりするところはありますか?」「家族はあなただけですか? シングルマザーで子どももいたりはしませんか?」「私にできることはありますか?」

 

有り余る中から献金していた人たちは、一銭も手元に残っていないやもめを囲んで、彼女を支え励ます共同体に変わっていきます。自分の救い、自分の信仰のために集まっていた人たちは、今出会った隣人のために救いを願い、信仰をささげ、祈りを合わせる者へと変わっていきます。それこそが、神様の喜ぶ献げ物、自分の生き方を献げるしるしでした。

 

皆さんは、自分のささげる献金が、何のために使われるか、意識しているでしょうか? 誰のために、どんなふうに用いられるか、考えたことはあるでしょうか? 今、教会へ集まっている人、礼拝へ来ようとしている人たちが、何に困っていて、何を必要としているか、自分自身が、誰に何を分かち合えばいいか、意識してささげているでしょうか?

 

この数ヶ月の間に、感染症にかかった方、腕を骨折された方、心身の調子を崩された方々がおられます。教会として、この人たちのためにできたことは、まだあまりありません。この数ヶ月の間に、受洗のために勉強を始めた方、引っ越してここへ通い始めた方、家族を連れて来たいと願っている方がいます。教会として、この人たちにできることは、まだいっぱいありそうです。

 

この数ヶ月の間に、ご遺族の方が訪れる教会の墓地は、十字架が一部崩れかかり、みんなが集まる礼拝堂の天井は、一部水漏れが見られます。誰が、何に困っていて、何を必要としているか、私たちが誰に、何を分かち合えばいいか、考えなければならないときが来ています。

 

ある人たちは、神殿が見事な石と奉納物で飾られているのを見て、教会が立派で綺麗な建物としてあるのを見て、その外見に見惚れます。しかし、そこに入れない人たちのことは見えません。かつて、立派に飾られた神殿に、女性や子ども、外国の人々は入れませんでした。教会も、そこへたどり着くことのできない、入って来られない人たちがいます。

 

イエス様は、それらが崩れ去る日のことを語ります。「一つの石も崩されずに、他の石の上に残ることのない日が来る」と語ります。あなたが見つめなければならないのは、立派に飾られた建物ではなく、その中にいる人、その中へ入れない人ではないか……?

 

ある人たちは、世の終わりがいつ来るか、終末にはどんな予兆が見られるか、イエス様に尋ねます。誰についていったらいいか、誰の言うことを聞けば救われるかを聞こうとします。しかし、恐怖や不安に煽られて、誰かの言うことに聞き従おうとする危険性は見えません。

 

そこで、イエス様は語ります。「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない」「戦争とか暴動のことを聞いてもおびえてはならない」「世の終わりはすぐには来ない」……あなたが知るべきなのは、あなたが無批判についていって、無批判に従ってしまうことで、傷つく人、苦しむ人の存在ではないか?

 

かつて、コリントの教会では、多くの偽教師や誤った教えを語る者に、惑わされている人たちがいました。センセーショナルな言葉を語り、感情を動かして、会衆を支配しようとする者に、従ってしまう人もいました。それによって、生活が破綻し、独善的な教えに傷つき、苦しんでいる隣人がいても、離れられない人たちがいました。

 

だからこそ、宣教者は語ります。不釣り合いな軛につながれないよう、不法に関わらないよう、惑わす者たちから出てくるように呼びかけます。何も考えずに言うことを聞いて、従って、ささげることが、神様の教えではありません。あなたの隣人を覚え、あなた自身を覚え、支え合う生き方になることが、私たちに求められている応答であり、献げ物です。

 

目を覚まして、共にイエス様の言葉を思い起こしましょう。目を上げて、私たちの隣に、前に、後ろにいる人に目を留めましょう。教会に入れない人、離れたところにいる人たちを思い出しましょう。今日、私が誰に、何を分かち合えるか、共に向き合わせてください。信仰と、希望と、愛をもたらす聖霊が、私たち一同と共にありますように。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌14番「奮い立て 貧しい人よ」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。(お立ちください)

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください)

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください)

聖句と主題

今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。使徒言行録26:16。

 

年間聖句

起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。

 

年間主題

華陽教会では、今年度「これからの教会を考える」というテーマで、使徒言行録26:16を年間聖句にしています。

 

今週は、クリスチャン2世をカルト2世にしないために、一人一人を犠牲にしないで教会財政を支えるために、健全な伝道をしていくために、共に向き合っていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌います。(A)のところは牧師が、(B)のところは会衆が、(全員)のところは一同で歌いましょう。(お立ちください)

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』の93-6-6)

 

祝 福

平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟(姉妹)たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(エフェソの信徒への手紙6:23〜24)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった12名、同時に視聴された名、24計36名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週も、奉仕者6〜7名、教会員1〜4名、新来者1〜4名の10名前後に調整し、配信と並行して行う「調整型小規模礼拝」を行います。教会員の方は、1月から2月まで、出席できる日曜日を牧師へご連絡いただき、参加日を調整しています。

 

諸事情で当日キャンセルする可能性がある教会員、客員、求道者の方も、それを見越して調整するので、遠慮なく、希望日を牧師までお伝えください。始めてくる方や2ヶ月以上礼拝へ来ていない方は、問い合わせなしで参加できます。

 

また、教会学校、聖書研究祈祷会、キリスト教ABC講座については、平均5名前後の集会なので、感染症対策をして、誰でも集まれるようにしています。体調と相談してお越しください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。