ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『非難は賛美に変わるのか?』 使徒言行録11:1〜18

聖書研究祈祷会 2023年2月1日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の559番「見よ、世はすべて」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆思いと言葉と行いを導く私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。新型コロナ感染症の第8波も、徐々に感染が落ち着き始め、医療ひっ迫警戒宣言の解除もだんだん見えてくるようになりました。どうか今、感染症対策の緩みによって、再びリバウンドしないように、私たちの日常を回復させてください。

◆私たちの神様。来週は、調整型小規模礼拝の中で、パンと水を一緒にいただく、神の祝福を分かち合う食事「愛餐式」を予定しています。教会に集まる人と配信を通して参加する人が、共に祝福を分かち合えるよう、私たち一人一人を整えてください。

◆私たちの神様。100周年が近づいている芽含幼稚園へ、新しく来た子どもたち、入ろうとしている子どもたちに、あなたの祝福がありますように。これから巣立つ子どもたちにも、それぞれ新しいスタートを迎える希望と準備をもたらしてください。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録11:1〜18の新共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Ralf RuppertによるPixabayからの画像

メッセージ

ユダヤ人でない外国人、もともとイスラエルの神を信じていなかった異邦人も、神様から聖霊を受け、イエス様の命じた洗礼を受け、使徒や弟子たちと同様、教会の一員になった話……それが、先ほど読んだ聖書の箇所の直前の記事に書かれていました。前回まで読んできた、コルネリウスの家の者たちが、教会の群れに加わった出来事です。

 

ところが、コルネリウスの家に遣わされ、洗礼を授けた使徒ペトロは、エルサレムにいる仲間のもとへ帰っていくと、非難轟々の嵐に逢います。「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」……どうやら、割礼を受けている者たちは、割礼を受けていない者に、自分たちの仲間が接触したことを怒っているようでした。

 

面白いのは、彼らはペトロが異邦人に対して洗礼を授けたことではなく、食事を共にしたことを理由に、非難しているところです。不思議じゃないでしょうか? 「異邦人に洗礼を授けること」と「異邦人と食事を共にすること」……明らかに前者の方が重大な出来事なのに、そっちは無視して、後者の方を責め始める。

 

しかも、異邦人と食事をしたこと、接触したことがあるのは、ペトロに限った話じゃありません。エルサレムの教会にいる人たちが、救い主と信じるようになったイエス様こそ「罪人」や「汚れた者」とみなされた、多くの人と食事を共にした方でした。イエス様が異邦人の家にも訪れたこと、食事を共にしたこと、病を癒やされたことは、みんなが知っていたはずです。

 

にもかかわらず、彼らはイエス様と同じ行動をしたペトロに対し、なぜそんなことをしたのかと、責めるような態度を取っています。関わっちゃいけない相手と関わった、受け入れてはならない相手を受け入れた、そんな評価をしているように見えてきます。ペトロも最初は、異邦人であるコルネリウスの使いの者が訪ねて来たとき、表に出ないで無視を決め込んでいたので、あまり人のことは言えません。

 

自分の部屋へ、異邦人を入れること、同じ部屋で、食事をすることをためらったので、割礼を受けている者たちが非難してくる気持ちも、痛いほどよく分かりました。ペトロもイエス様の最も近くで過ごしていたにもかかわらず、異邦人と関わり合うことは、すぐには受け入れられませんでした。

 

なにせ、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、旧約聖書で禁じられていました。神の言葉として禁じられていました。その言葉を守るように、親から子どもへ、子どもから孫へ、言い付けてきたのがユダヤ人です。長年、キリスト教会が同性愛者を罪人として、汚れた者として扱ってきたように、割礼を受けているユダヤ人にとっては、そのレベルで刷り込まれているものでした。

 

非難を受けたペトロはとても困ったと思います。異邦人と食事を共にしたことへの非難が、異邦人も聖霊を受けて洗礼にあずかったことへの賛美に、そう簡単に変わるとは思えません。異邦人が割礼を受けずに洗礼を受けることは、LGBTQの人がそのままのセクシュアリティで教会に受け入れられるくらい、議論を巻き起こすものでした。非難していた者たちが受け入れ、変わり、賛美するようになるか、かなり厳しいものがあります。

 

ここで、ペトロの弁明が始まります。ここまで読んできた人は、不思議に思ったことでしょう。4節で「ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた」と記されてから、本当にここまで書かれていることを順序正しく繰り返し始めるからです。特に、ハッとするような論理が展開されるわけでも、非難する人たちをバシッと論破するわけでもありません。

 

ただ、自分に起きたことを順序正しく語っただけです。そう、ペトロは異邦人を訪問したことを非難する人たちに対し、「汚れた者」「罪人」であった異邦人がいかに変えられ、清められ、受け入れるに値する者になったのかを説明したわけじゃありませんでした。彼が説明したのは、「いかに自分が変えられたか」でした。

 

初めに、神様が自分へ幻を見せ、神様が「屠って食べなさい」と命じたものを拒絶してしまったこと。自分は「汚れている」「口にしてはならない」と思っていたものが、神によって清められ、「清くないなどと言ってはならない」と諭されたこと。それでも三度、受け入れることを拒絶してしまったこと。

 

かつて、イエス様を三度「知らない」と否定してしまった自分が、再び神様の言うことを三度拒絶してしまったことを告白しながら、ペトロはそんな自分のところへ、カイサリアから3人の異邦人が、コルネリウスの家の者が使わされたことを語ります。神の使いとして使徒をしている自分のところへ、反対に異邦人が神から遣わされて、神の言葉を伝えに来たことを語ります。

 

神様は、自分の言うことを三度拒絶した私のもとへ、この異邦人たちを遣わし、神様の言葉を受け入れるよう変えてくださった。私が彼らに変えられて、彼らの家へ案内してもらい、部屋の中へ招いてもらった。そこで、あの日、ペンテコステの日に私たちが聖霊を受けたのと同じように、異邦人の上にも聖霊が降って、異なる言葉で話し始めた。彼らの口を通して、私の耳に神を賛美する言葉が届いた。

 

私はこのようにして、異邦人に触れることを拒む者から、異邦人と共に神を賛美する者へ変えられました。あなたがたはどうでしょうか? 私が「神の言葉を拒む者」から「受け入れられる者」へ変えられたように、「異邦人との接触を非難する者」から「喜ぶ者」へ変えられたように、あなたがたも共に賛美する者へ変わってくれるでしょうか?

 

ペトロの呼びかけは、現代の教会でなお、神が清めた物を「清くない」などと言ってしまう、私たちの耳へ届きます。受け入れたくない人の変化を求めながら、自分自身の変化を拒む私たちの胸へ刺さってきます。ペトロは自分の変化を順序正しく告白しました。それは恥ではなく、信仰の証となりました。

 

彼の言葉を聞いたエルサレムの教会の人たちは、静まりかえって言いました。「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」……私たちも悔い改めなければならない。私たちも変わらなければならない。それに気づいて、彼らは新たに口を開いて、神への賛美を始めます。新たな仲間を加えられたことに、新たな仲間が遣わされたことに、驚き、喜び、感謝をします。

 

私たちはどうでしょうか? これからの教会はどうでしょうか? 共に、非難する口が賛美する口へ変えられるよう、必要な変化を受けられるよう、聖霊を求めて、祈りを合わせましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(茨城県土浦市の土浦教会)のために、感染症にかかった人のために、怪我をした人のために、調子の悪い人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆茨城県土浦市の土浦教会のために祈ります。敷地内に納骨堂を建てる計画が、御心にかなった形で進められますように。教会に集まる会衆と、そのご家族、牧師の健康が支えられ、豊かなつながりが広がりますように。

◆感染症にかかった人のために祈ります。新型コロナやインフルエンザにかかった園児、保護者、家族の上に、教会の会衆とその身内に、あなたの癒しと回復がありますように。特に、後遺症が残っている人に、あなたの御手が差し伸べられますように。

◆怪我をした人のために祈ります。様々な理由で怪我をして、治療に当たっている人に、あなたの憐れみがありますように。焦らず、適切な形でリハビリが進められ、回復の喜びを得ることができますように。

◆調子の悪い人のために祈ります。外見では気づかれにくい心身の不調や障害などで、苦しんでいる人たちに、あなたの慈しみがありますように。しんどい波が緩やかになり、回復のための環境が整うように、周囲と本人に良いきっかけがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌3番「閉じこもる私たちに」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった4名、同時に視聴された4名、計8名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

聖書研究祈祷会が終わった後、受洗志願者と一緒に受洗勉強会も15:30まで行っています。受洗する気はないけど興味のある人、既に受洗したけど出てみたい人も、自由に参加できるようにしています。どうぞ気軽にお越しください。

 

なお、華陽教会では、水曜日13時半からの聖書研究祈祷会、日曜日9時15分からの教会学校こども礼拝、第3金曜日14:30からのキリスト教ABC講座は、平均5名前後の出席であるため、感染症対策をした上で、誰でも集まれるようにしています。

 

日曜日10時半からの主日礼拝は、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、10名前後で集まれるようにしています。普段、華陽教会に来ている信徒、客員、求道者の方は、2月までの出席希望日をお伝えいただき、牧師が調整しています。

 

初めて礼拝に来る方や、2ヶ月以上出席できなかった方は、問い合わせなしで参加できるようにしています。配信も続けて行っているので、オンラインでも、どうぞよろしくお願いします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。