ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『預言と迫害』 使徒言行録11:27〜12:5

聖書研究祈祷会 2023年2月15日

 


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の577番「聞けよ、主の民」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。トルコ・シリアで起きた大地震から、人々を守り、回復させてください。今も救助を待っている人たちや、必死に助けようとしている人たちに、あなたの力を注いでください。どうか今、それぞれに必要な助けが届きますように。

◆私たちの神様。今も混乱が続くミャンマーの人たちに、あなたのお守りがありますように。現地の家族や友人と離れ離れになっている人たちに、あなたの励ましがありますように。どうか今、一刻も早く平和的な解決がもたらされますように。

◆私たちの神様。ウクライナとロシアの戦争によって苦しんでいる人たちに、あなたの癒しがありますように。これ以上犠牲者が出ないように、不条理な関係ができないように、各国の知恵と良心を導いてください。どうか今、全ての人を救ってください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録11:27〜12:5の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Ichigo121212によるPixabayからの画像

メッセージ

使徒言行録には、初代教会に起きた様々な事件や奇跡が綴られています。その中には、自分に降りかかったら困るショッキングな事件もあれば、本当に起きたらワクワクするような奇跡もあります。中でも、よく思い出されるのは、誰かの語った預言が本当になったり、信仰を貫いた人が殉教してしまったりするシーンです。

 

預言と迫害……この2つは、初めて教会に来た人や、初めて聖書を読む人には、怪しげに映ります。もちろん、長年教会に通っている人でも、何となくゾワゾワする気持ちになることがあるでしょう。なぜなら、預言が本当になったり、信じた人が迫害を受けたりする話は、破壊的カルトの中でも、よく強調されるからです。

 

実際、カルト問題の支援者に寄せられる相談には、預言と称して、聖書にはない指示や命令を信徒に向かって強要したり、組織に対する家族からの批判を迫害として受け取るよう教え込むリーダーが度々出てきます。そういった、問題ある指導者に、よく取り上げられるのが、今日読んだような聖書箇所です。

 

「そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった」……サラッと「預言する人々」が出てきましたが、今でも、世界中で似たような行動をとる集団は大勢います。

 

「もうすぐどこどこで地震が起こる」「まもなく洪水によって大勢の人が死んでしまう」そういった恐怖や不安を煽る預言を語ることで、悲惨な未来を回避して助かりたい人たちを取り込み、信者にしてしまうグループが容易に頭へ浮かぶでしょう。ですが、実際に、初代教会にも、飢饉を予告した人たちはいたし、その預言が的中したことも書かれている。

 

もしかしたら、現在でも本当に預言する人がいるかもしれないし、初代教会と同じことをしているなら、安易に嘘だと決めつけるのも、やめさせるのも、よくないのではないだろうか?……けっこう悩ましいところですよね? ただ、今回出てきた預言の成就は、単なる信仰的なエピソードというより、むしろ教会の体制を変える話でもあるんです。

 

先ほども、唐突に「預言する人々」が出てきたことを話しましたが、面白いことに、初代教会の預言者はほとんど名前が記されません。28節に出てきた名前はアガボ一人で、彼についてのエピソードはここだけと言っていいくらいです。彼がこの後、みんなを率いて新しい教会を建てたり、組織を動かしたりした様子もありません。

 

不思議ですよね? 考えてみたら、アンティオキアにはバルナバもいたし、パウロもいました。既に教会で多くの人を教え導き、弟子たちを率いている指導者がいました。にもかかわらず、彼ら指導者ではなく、名前の記されない、ほとんど記憶されない人たちが、世界中の大飢饉を預言します。

 

しかも、預言した人々は、その後、組織の指導者や監督になることもなく、預言だけして終わります。普通、預言を的中させたら、たくさんの人が進んで従いそうなものですが、初代教会では、預言した人を指導者に祭り上げたり、彼らの預言によって人集めをしたりする行動はほとんど見られません。

 

既に、各地の教会の指導者として人々を教えていた使徒たちも、その支配力を強化するような預言の賜物は、これ以降あまり出てきません。面白いことに、イエス様に選ばれた12使徒が「預言する」というシーンはそんなに出てきません。使徒に預言を語らせた方が、言うことを聞く人も、信じる人も増えることは確実なのに、そうはならないんです。

 

さらに、この箇所では、「アガボが預言したことによって教会が飢饉による被害を免れた」

という話にはなっていませんでした。むしろ、ユダヤに住む兄弟たちにアンティオキアの信徒たちから援助を送ったことが強調されています。「預言によって、あらかじめ備えることができました」「信じた人たちは皆助かりました」という話ではないんです。

 

今まで宣教の対象にもならなかった人たちが、ユダヤの人たちを助けたこと、両者が本当の仲間になったことを強調している話なんです。考えてみてください。エルサレムにいた信仰者が、異邦人の住むアンティオキアへ身を寄せるって、けっこうショッキングなことです。しかも、律法を、神の言葉を蔑ろにする適当なユダヤ人じゃなくて、神の言葉を預かった、預言する人々が、できたばかりの異邦人の教会へ身を寄せたんです。

 

これまで「清くない」「汚れたもの」「宣教の対象にもならなかったもの」を信じて、頼って、仲間として、ユダヤにいる兄弟たちに援助を送った……「預言が当たりました!」という単純な話ではなく、受け入れなかったものを受け入れ合い、助け合う関係になっていく大転換が、この出来事の中心なんです。

 

さらに、12章には使徒ヤコブの殉教が記されています。気づいたでしょうか? イエス様に選ばれた12人の中で、教会の指導者として遣わされていた使徒たちの中で、最初に殉教した人であるにもかかわらず、その様子はたった三行しか記さていなかったことに。使徒でない、食事の世話をする者に過ぎなかったステファノのときは、彼が殺されるまでに語ったこと、訴えたこと、どうして息絶えたかまで細かく記されていたのに。

 

通常、信仰者の殉教は、とてもドラマティックに書かれます。教会の中心的なメンバーであれば、12弟子の中でもペトロ、ヤコブ、ヨハネは特に有名な3人でしたから、その死は多くの人に語り継がれる内容だったに違いありません。ところが、最初に殺された使徒ヤコブは、たった三行です。剣で殺されたというたった三行。

 

死を前にした語った最後のメッセージも、信仰を捨てさせよとする誰かと闘った様子も記されません。最初の使徒の殉教は、美しく語られることも、英雄の最後のように飾られることもありません。むしろ、ヤコブの死によって絶望し、歩みを止めるはずの教会が、なお神様に助けられ、支えられ、みんなで祈り続けた様子が強調されています。

 

預言も、迫害も、信じる人をコントロールするのによく使われます。しかし、初代教会は単なる人集めのために、信者のコントロールのために、殊更に預言を強調したり、迫害を美化したりすることを安易に支持しませんでした。そんなことしなくても、ちゃんと信仰共同体は守られて、伝道していくことができました。必要な変化をもたらされ、新しく立ち続けることができました。

 

私たちも問われています。飛びつきたい言葉、飛びつきたい出来事、色々ある中で、信仰者であるとは、信仰生活を支え合うとはどういうことか、問われ続けています。誠実で健全な信仰を保ち、築き、重ねていくために、聖霊の導きを求めて、祈りを合わせていきましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(埼玉県さいたま市の久美愛教会)のために、災害に苦しむ人のために、戦争に苦しむ人のために、病気に苦しむ人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆埼玉県さいたま市の久美愛教会のために祈ります。コロナ禍で自粛を続けている半数の人たち、教会に来ている人たち、それぞれに、あなたの支えがありますように。隣接する施設がクラスターから守られ、地域の人たちが豊かな恵みを受けられますように。

◆災害に苦しむ人のために祈ります。各地で自然災害の被害に遭った人、復旧がなかなか進まず困っている人、復興が滞って苦しんでいる人に、あなたの助けと励ましがありますように。止まった時間が動き出し、新しい希望と生活を築くことができますように。

◆戦争に苦しむ人のために祈ります。各地で戦争の被害に遭った人、加害者になってしまった人、解決のために動けない人へ、あなたの癒しと支えがありますように。それぞれのコミュニティに、変化と回復がもたらされますように。

◆病気に苦しむ人のために祈ります。各地で病気の治療を受けている人、治療をなかなか受けられない人、治療法さえ見つからない人に、あなたの救いがありますように。適切なケアとサポートがもたらされ、みんなに希望が芽生えますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった4名、同時に視聴された2名、計6名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

聖書研究祈祷会が終わった後、受洗志願者と一緒に受洗勉強会も15:30まで行っています。受洗する気はないけど興味のある人、既に受洗したけど出てみたい人も、自由に参加できるようにしています。どうぞ気軽にお越しください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。