ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『この世と戦う?』ヨハネによる福音書7:1〜7、ヨハネの手紙一5:1〜5

日曜礼拝 2024年8月4日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を、配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。(ヨハネによる福音書7:18)

 

讃美歌

讃美歌二編の188番「きみのたまものと」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は、平和聖日です。第二次世界大戦が終わってから79年が経ちました。どうか今、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、各地で起きている戦争が終わり、平和が訪れるように、全ての者を導いてください。

◆私たちの神様。日本でも、貧困・格差・差別など、平和とは言い難い状況が各地に見られます。どうか今、必要な知恵と力がもたらされ、単に争いがないだけでなく、互いを支え合う温かいつながりができますように。

◆私たちの神様。先日の日曜日には、リードオルガンミニコンサートが無事に開かれ、多くの方が来場してくださいました。どうか今、新たに出会った人たちと、久しぶりにつながった人たちに、あなたの恵みと慈しみが、豊かにありますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書7:1〜7、ヨハネの手紙一5:1〜5(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編146:1〜10(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の422番「主よ、この時代に」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

Gregor RitterによるPixabayからの画像

メッセージ

 ヨハネの手紙一5章の冒頭で、「世に打ち勝つ」という言葉が3回出てきました。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ」「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」……どうやらイエス様を信じる信仰は、この世と対立するようです。

 ちょっと穏やかじゃありません。信仰を持てば、慈愛に満ちた心になって、世の人々と平和に暮らせるようになる……そのように期待していたら、むしろ、世の中との戦いが待っている、世の中が敵になっていく……「神は愛です」という言葉が語られてから、わずか10節の間に、「愛」とは程遠い「対立」の話が出てきました。

 実際、神の子であるイエス様は、度々、世の中と衝突しました。安息日に働いてはならないという掟を破って、体の麻痺した人を癒したことで、イエス様への迫害が始まります。当時、病気の人、障害のある人は、神から罰を受けた人、罪に汚れている人と見なされたので、神を礼拝する日にその人々を治療することは、ユダヤ人の反感を買いました。

 さらに、イエス様は「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」と言って、神をご自分の父と呼んだため、「自分を神に等しい者とした」と非難され、ますますユダヤ人から敵意を持たれます。ユダヤ人の多くは、イエスを神の子と信じておらず、「人間が神の子を装っている」と思われたからです。

 神でないものを神のように扱うこと、それは「偶像礼拝」と呼ばれ、神から与えられた掟「律法」によって、厳しく禁じられていることでした。そのため、偶像礼拝に当たること、偶像礼拝に関わることは、できる限り排除することが、神の前に正しいこと、神に対して誠実なことと捉えられ、ユダヤ人は一生懸命、その掟を守っていました。

 だからこそ、「神の子を装っている」と思われたイエス様は、ユダヤ人から命を狙われるほど憎まれました。ユダヤ人の多くは、偶像礼拝を避けるため、異教の神を信じている、外国の人々を忌み嫌い、関係を持たないようにしていました。しかし、イエス様は異邦人のためにも救いを語り、病を癒し、食事を共にしていたため、余計に嫌われます。

 一方で、イエス様が多くの病人を癒し、食べ物に困っている人たちへ、わずかなパンを増やして、空腹を満たす奇跡を起こすと、大勢の群衆が後を追うようになりました。彼らは、様々な奇跡を起こすイエス様が、軍事的な指導者となって、自分たちを支配するローマ帝国を打ち倒してくれることを期待していました。

 そのため、イエス様を独立国の王にしようと、連れて行こうとしたんです。けれども、イエス様は多くの人々が集まってくると、度々姿を消して、一人山に退かれました。自分が神の子であると、信じてもらう絶好のチャンスだったのに、武力行使を期待する人々へそれは間違った期待であると姿を隠し、敵を愛するように教えていきました。

 イエス様が、自分たちの期待に応えてくれないことが分かると、大勢の弟子たちが離れていきました。心が離れていったのは、弟子たちだけではありません。ヨハネによる福音書7章には、イエス様の兄弟も「イエスを信じていなかった」と書かれています。彼らは苛立ちを露わにして言いました。

 「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい」……それはちょうど、多くの弟子たちが離れ去った後のことでした。

 もしかしたら、イエス様が群衆の期待に応えず、民を率いる王となるため、エルサレムに上っていかないことを責めていたのかも知れません。ユダヤに行って、多くの人たちに奇跡を見せれば、ローマ帝国を打ち倒す力があると証明すれば、世の人々も認めてくれるし、再びついて来てくれる……そういうふうに、促したかったのかも知れません。

 しかし、イエス様は、自分の兄弟たちにも、その期待は間違っていると諭しました。世の中は、あなたがたと同じように、敵を打ち倒すリーダーを望んでいるけれど、そのこと自体が、神の思いから離れている。共に救われること、和解すること、回復することではなく、一方を倒すこと、破滅させること、支配することに心が向いてしまっている。

 ロシアとウクライナの戦争が始まったとき、「この敵を打ち倒すことが、神の望んでいることだ」と、一方の勝利を期待する声がありました。イスラエルとパレスチナの戦争が激しくなったとき、「イスラエルの勝利を願うことが、神の命じていることだ」と、一方の勝利を期待する声がありました。

 しかし、本当に私たちが願うべき勝利は、ユダヤ人がローマ帝国に打ち勝つことでも、同じ信仰の国が異なる信仰の国に打ち勝つことでもありません。むしろ、敵を愛することを拒絶し、剣を持とうとする姿勢、拳を振るおうとする姿勢に、抵抗し、反対し、打ち勝つことが求められます。

 軍馬ではなく、小ロバに乗って、エルサレムへ入城したイエス様は、自分を捕まえようとした敵に、剣を向けた弟子を叱り、切り落とされた相手の耳を癒しました。自分を嘲り侮辱して、「十字架につけろ」と叫んだ群衆のため、「この人たちをおゆるしください」と神様に願い、とりなしました。

 この方を神の子と信じる人の信仰は、世に打ち勝つ信仰です。対立を煽り、憎しみを煽り、愛を失わせる世の中に新しい生き方をもたらします。今日読んだ手紙の直前には、こんな言葉もありました。「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」

 皆さんの目に見える兄弟には、誰が居るでしょうか? イエス様の兄弟たちは、イエス様を信じないで、他の人々と同じように、間違った期待を持っていました。けれども、その兄弟が祭りに上って行ったとき、イエス様は人目を避けて、同じ祭りに出向いていきました。信じてくれない、理解してくれない兄弟たちから離れませんでした。

 また、何度も自分を殺そうとする同胞のユダヤ人からも離れませんでした。危険を顧みず、会堂へ行っては彼らに教え、神の国に迎えられるよう促しました。自分を陥れようとするファリサイ派とも、食卓を囲んで話をしました。彼らが倒され、滅ぼされることではなく、みんなが新しくされ、救われることを願いました。

 敵に憎まれているにもかかわらず、敵との対話は拒まないどころか、自ら話しに行きました。イエス様の勝利は、敵を打ち倒すことではなく、敵を愛し、仲間になり、互いに愛し合う関係になることでした。実は、ヨハネの手紙一は、「互いに愛し合いなさい」という教えを最も強調している手紙です。

 その前提には「神がまずわたしたちを愛してくださった」という事実があります。すぐには敵を愛せない、イエス様を信じられない私たちから、神様は離れることなく付き合い続けてくださいました。この方は、これからも必ずあなたと共に居てくださいます。私たちが新しい生き方に変わるまで、新しい命を得られるまで、付き合い続けてくださいます。

 だから、今もなお、敵対している人たちと、この方が招いた食卓につく日を想像しましょう。今はまだ、期待できないことが、期待できる日を待ち望みましょう。主は、自分を裏切る者のため、自分を見捨てる者のため、パンを取り、杯を回し、感謝の祈りを唱えました。復活した自分に会っても気がつかない弟子のため、同じようにパンを裂きました。

 そのパンが、あなたの手にも渡されています。あなたの手から、さらに分けられることが期待されています。互いに愛し合う掟は、まず、いただいたパンを分け合うことから始まります。だから、想像してください。憎んでいる者とパンを分け、対立している者と杯を回す日が来ることを。

 憎しみが、対立が、消え去って、共に感謝の祈りをささげる日々が来ることを……そう、神の国は近づいています。キリストはあなたの内におり、私たちの間におられます。あなたと新しく出会われて、あなたをこの世に送り出します。さあ、キリストの平和の使者として行きなさい。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖 餐[1]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。パンとグラスを取る際は、必ず自分の手で触れたものだけを手に取って、他の人の分は触らないようにお願い致します。

 

讃美歌

最初に、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、食事の席で、主は約束されました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」

 

主は、弱っている者を励まし、閉じこもっている者を力づけ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯を配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

ご着席のまま、讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

私たちの神様。ここにささげた献金を、あなたの心に適う形で用いることができますように。教会の働きと私たち一人一人の良心をこれからも導いてください。そして、あなたの栄光が、ますます豊かに現され、神の国の平和が告げ知らされますように。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の92番「主よ、わたしたちの主よ」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。差し支えない方はお立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。(ヨハネの手紙一5:5)

 

祝 福

永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(ヘブライ人への手紙13:20〜21)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった23名、同時に視聴された25名、計48名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

また、礼拝後のリードオルガンミニコンサートには、53名の方が来場してくださいました。ご奉仕くださった方々や、お越しくださった方々に、心から感謝申し上げます。また来年の春頃、第2回目を開催したいと考えているので、楽しみにお待ちください。

 

来週の日曜日は、『霊によって判断できる?』と題して、コリントの信徒への手紙一2:11〜3:9のお話をします。また、8月のキリスト教ABC講座と聖書の学びと祈りの会は、第3金曜日が牧師の夏期休暇と重なるため、第2金曜日に移動します。

 

8月9日(金)の午後2時半からキリスト教ABC講座が、午後7時半から聖書の学びと祈りの会が開かれるので、お間違えのないようお越しください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。