日曜礼拝 2024年9月22日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を、配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
地の果てまで、戦いを断ち/弓を砕き、槍を折り、盾を焼き払われる。(詩編46:10)
讃美歌
讃美歌二編の150番「あめなるよろこび」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆知恵と知識をもたらす神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。先日の日曜日には、洗礼式と聖餐式が行われ、新たな仲間が加えられたことを感謝致します。どうか今、クリスマスに向けて、洗礼を考えている方々にも、あなたの恵みと導きが、豊かにありますように。
◆私たちの神様。残暑が続き、体調がすぐれない方々に、あなたの憐れみがありますように。どうか今、十分な休息と療養がもたらされ、焦らず力を養うことができるよう、それぞれの隣に居てください。
◆私たちの神様。来週の日曜日には、前奏から後奏まで、一つ一つの要素を説明するオープン礼拝と礼拝研修会が行われます。どうか今、この教会の礼拝が、喜びに満ちたものとなるよう、奉仕者、会衆、一人一人を導いてください。
◆愛と平和の源である、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。箴言3:13~20、ローマの信徒への手紙11:33~36(新共同訳より抜粋)
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編139:1~10(新共同訳交読詩編より抜粋)
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『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の355番「主をほめよ わが心」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
聖書には様々な教えが出てきます。色んなたとえも出てきます。ある箇所で語られていることが、別の箇所で語られていることと、矛盾したり、ぶつかったりしてしまうことも出てきます。中には、そもそも何を言いたいのか、よく分からない話も出てきます。つながりが、文脈が、背景が見えない不思議な言葉……それらを前に、私たちは悩みます。
「先生、どうしてここには、こんな言葉が書いてあるんでしょう?」「この話は、いったい何を意味しているんでしょう?」「私には、とても酷いことが書かれているように見えるのですが、どう受けとめたらいいでしょう?」……聖書を読み始めたばかりの方も、何年も礼拝へ来ている方も、洗礼を受けた信徒の方も、度々、そうやって聞いてくれます。
聞いたら馬鹿にされないか? 不信仰だと責められないか? 失礼なことだと怒られないか?……そういうふうに、強張らないで、信頼して、問いを発してくれることは、牧師にとって、たいへん幸せなことでしょう。同時に、牧師自身も、自分の信仰を試される、知恵や知識を試される、ドキッとするような問いかけです。
イエス様が残された、たとえ話一つを取っても、キリスト教会で一致した、共通の読み方が、正しい解釈が、一つの答えが、存在するわけじゃありません。3階の集会室にあるズラッと並んだ分厚い注解書を見ても、テストの答案のように、聖書の読み方が決まっているわけではないと分かるでしょう。
これってなかなか厄介です。聖書の教えをもとに、どのように物事を捉え、どのように道を選択し、どのように生きていけばいいか、決めていきたいと思ったのに、神の言葉、神の教えは、「これが正解」というものを、すんなり出してはくれません。むしろ、どれが正解か分からない、何が答えか分からない、問いかけばかりが出てきます。
コロナ禍で会堂に集まることが困難になったとき、どうすればいいか、聖書から答えを知ろうとしても、正直、最後まで分かりませんでした。換気とマスクを徹底して、集まり続けようとしたり、人数を分けて集まったり、配信を通して、在宅で礼拝を行ったこともありました。しかし、聖書はどれを正しいと言っているのか、結局今でも分かりません。
神の聖別された日曜日に、教会に集まって礼拝しないのは間違っている! いやいや、安息日は人のために定められたのだから、安息日のために病気のリスクを強いることこそ間違っている!……聖書とにらめっこしていたら、どちらも言えてしまいます。このパンデミックをどう受けとめたら正解か、どう乗り越えたら正しいか、疑問はさらに続きます。
各教会の判断も、対応も、受けとめ方も、一致した見解はなかったですよね? みんな手探りで、神様に問いかけ続けながら、聖書の言葉を読んでいました。実は、初期のキリスト教会も、イエス様の教えについて、信仰者の生き方について、一致した見解を持っていたわけではありませんでした。
宣教者パウロが手紙を送ったローマの教会では、ユダヤ人のキリスト者と、ユダヤ人でない異邦人のキリスト者が、一緒に礼拝していましたが、両者は度々衝突しました。ユダヤ人のキリスト者は、古くからユダヤ人に授けられた、神の掟である律法を守っていましたが、異邦人のキリスト者は、律法を守っていませんでした。
何を食べてはならないか、どんな暦を基準にするか、神様が命じてきたことの捉え方に幅が生まれていきました。ユダヤ人が守ってきた律法を、異邦人はどこまで守るべきか、守らせることに意味はあるか、様々な議論がありました。使徒言行録に出てくるエルサレムの会議で決めたことと、その後、手紙で指示される内容も、多少のブレがありました。
かつて言われていたことと、今言われていることと、どちらが正解なのだろう? どれに従ったらいいだろう? 神様が求めていることを、正しく受け取りたいけれど、神様が教えていることは今も理解し切れない。日曜日、礼拝でメッセージを聞く度に、水曜日、聖研でメッセージを聞く度に、まだまだ理解していないことが多いんだなと思わされる。
実は、皆さんがそう思うとき、牧師も同じことを思っています。けっこうギリギリまでメッセージができなくて、何とか語る言葉が出てきたとき、「この話にこんな意味があったのか……」「こんな呼びかけがあったのか……」と、冷や汗をかきながら気づかされます。そのきっかけに、会衆の皆さんからの問いがあります。
自分一人では向き合えなかった厄介な問いに、皆さんが向き合わせてくれる度、私が一人では聞けなかった、神様の知恵と知識に照らされます。神学校に6年行ったくらいで、牧師を7年続けたくらいで、神様の道を理解して、迷わず教えられるわけないんです。いつも迷っています。いつも途方に暮れています。そしてびっくりしています。
「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」……パウロから漏れ出たこの言葉は、まさに、私たちが体験することです。理解しようと思っていたけど、分かったつもりになっていたけど、神様がもたらす気づきと発見は、これからも終わることがない。
もし、教会へ通うようになって、礼拝へ参加するようになって、もうけっこう経っているのに、神様のことを、今も理解し切れない、まだまだ知らないことだらけ……と、情けなく感じている人は、私もその一人であることを知ってください。ここにいる、あなたの隣に、前に、後ろにいる人も、日々、神の知識に驚かされていることを知ってください。
神の定めを究めること、神の道を理解することが、途方もなく遠いことのように感じたら、それは、あなたが神様に、選ばれ、招かれ、賜物を受けている証です。あなたは紛れもなく、神に向かっているんです。キリストに向かっているんです。この方が、あなたに神の民へ加わる思いを起こしたなら、どうか、その招きに応えてください。
「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」
讃美歌
オンライン賛美歌20番「すべてを売り払い」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題
御着席ください。新年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。
年間聖句
「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。」
年間主題
華陽教会では、「ここをみんなに知らせよう」というテーマで、ヨハネによる福音書17章18節を今年度の年間聖句にしています。
今週は、新しく洗礼を受けた仲間を覚え、信仰生活を支えつつ、新たに洗礼を受ける方々のために、祈りを合わせていきましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
私たちの神様。今日の御言葉を感謝します。私たちの生き方をささげるしるしとして献金をささげます。あなたの御用のために用いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」4節を歌いましょう。
讃美歌
讃美歌21の24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。(ローマの信徒への手紙11:33)
祝 福
神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2~3)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった23名、同時に視聴された14名、計37名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
また、洗礼式も共に祝えたことを嬉しく思います。来週の日曜日は、前奏〜後奏まで、一つ一つの要素を説明しながらオープン礼拝を行います。礼拝後、2階集会室で軽食をいただき、礼拝研修会を行います。時間のある方はぜひ、ご参加ください。
それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。