聖書研究祈祷会 2024年11月13日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の43-3番「主よ、おいでください」を歌いしょう。最後の「アーメン」は、つけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆慈しみ深い、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。
◆私たちの神様。今日は、芽含幼稚園で収穫感謝礼拝が行われ、秋の実りに感謝しつつ、みんなで作った豚汁をいただきました。どうか今、子どもたち一人一人に、あなたの愛が豊かに注がれ、これからも、成長の喜びを一緒に受けることができますように。
◆私たちの神様。今週の土曜日には、芽含幼稚園と華陽教会で協力して、在園生や教会学校の生徒に向けて、お楽しみ会が開かれます。どうか今、子どもたちと保護者、先生と教会員との交流が豊かに導かれ、共に、楽しいときを味わうことができますように。
◆私たちの神様。今度の日曜日は、山梨英和大学宗教主任の永井英司先生がメッセージをしてくださいます。どうか今、永井先生とご家族、学校の学生や先生、職員の上に、あなたの恵みが豊かにあって、共に御言葉を分かち合うことができますように。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。テモテへの手紙二4:9~22の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
メッセージ
テモテへの手紙二の最後には、たくさんの名前が出てきます。デマス、クレスケンス、テトス、ルカ、マルコ、ティキコ、カルポ、アレクサンドロに続き、プリスカ、アキラ、オネシフォロ、エラスト、トロフィモ、エウブロ、プデンス、リノス、クラウディア……というふうに、並べると舌を噛みそうです。
たった13節の間に17名……しかも、やたらと個人的な話が続きます。メッセージのタイトルにもなっているように、これらの名前が出てくる文章は「ぜひ、急いでわたしのところへ来てください」という書き手のお願いから始まっています。名前を挙げられる人々は、必ずしも良い評価ばかりではありません。
「この人は私に良くしてくれた」という感謝の言葉があるかと思えば、「この人は私を見捨てていった」という恨み言も出てきます。名指しで誰かが批判されているのを見せられると、自分もこの人に良くしなければ、こんなふうに、名指しでさらされてしまうのか……と恐ろしくなってしまいます。
ただし、この手紙は、宣教者パウロの名前で書かれているものの、実際には、パウロの教えを受け継いだ2〜3世代あとの弟子たちが、彼の名前で書き残した手紙と言われています。名前の出てくる人たちは、既に亡くなっていたでしょう。よく知れ渡っている名前もあれば、もう忘れられている名前も含まれていたと思います。
たとえば、「デマス」という名前は「デメトリオ」の短縮系とも考えられ、新約聖書の他の箇所にも、同時代か、少し後に書かれた外典の文書にも出てきます。しかし、デマスやデメトリオは、かなりありふれた名前でもあったので、全員が同一人物とは限らず、良い評価もあれば、悪い評価も出てきました。
一方、「クレスケンス」という名前は、新約聖書中、ここにしか書かれていないため、どんな人物であったかは、ほとんど知ることができません。しかし、一緒に挙げられたテトスの名前は、この後の「テトスへの手紙」にも出てくるように、パウロの忠実な同労者として知られていました。
けれども、この世を愛し、パウロを見捨て、テサロニケに行ってしまったデマスに続き「クレスケンスがガラテヤに、テトスはダルマティアに行っている……」と出てくるためこの2人も、パウロを見捨ててしまったのか、パウロの指示に従って出かけたのか、よく分からなくなっています。
続く11節で、「ルカだけがわたしのところにいます」と語られるため、パウロを置いて行ったクレスケンスとテトスについても、あまり良く思っていない印象を与えられます。しかし、後にテトスを忠実な仲間として評価している文書を見ると、教会は、名指しで批判されるような人々も、再び仲間として受け入れられる共同体だったのかもしれません。
パウロと一緒に居たルカに関しては、使徒言行録にも出てくる、パウロの愛する医者であり、同労者の一人であったこと以外に、聖書から知ることはできません。伝統的な解釈では、このルカをルカによる福音書と、使徒言行録の著者というふうに考えますが、確証があるわけではなく、聖書学においては、おそらく違う人だろうと言われています。
また、「ここへ連れてくるように」と頼まれている「マルコ」の名前は、使徒言行録でしばしば言及されているヨハネ・マルコと同一人物だろうと言われています。これはなかなか衝撃です。実は、使徒言行録において、マルコは一時パウロから離れ、彼を再び仲間として迎えることに、パウロが激しく反対した出来事が残されているからです。
それは、パウロとバルナバが、意見を激しく衝突させ、ついには別行動を取るようになった原因でもありました。ところが、テモテへの手紙では、「彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです」とパウロの名前で評価され、マルコとの間に、信頼の回復と、和解がもたらされたことを想像させます。
実は、名指しで批判されている人たちも、このように関係が回復し、和解に至り、名指しで感謝される道が備えられていることを、聖書は証ししています。一部の聖書箇所だけを切り取って、糾弾の言葉だけに目を止めて、「この人のようになってはいけません」と、単純な脅しのように捉えることは、もったいない読み方です。
実際、16節には「わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。彼らにその責めが負わされませんように」というとりなしの言葉が語られています。それは十字架につけられたイエス様が自分を磔にした人々のため「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と語った言葉と重なります。
また、パウロが処刑に賛成していた殉教者ステファノの最後の言葉「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」という叫びとも、そっくりそのまま重なります。この2人はもともとパウロが敵対していた、激しく非難していた存在でしたが、そのパウロが間違っていたことを認め、逆に、仲間として受け入れられる、迎えてもらう出来事がありました。
パウロの身に起こったことが、彼の名前で批判されている人々の身にも起こることを、聖書は否定しないんです。だからこそ、手紙の著者はパウロの名前でこう言います。「主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます」それは、パウロをはじめとする、宣教者の仲間を助けなかった、見捨ててしまった、と名指しで批判される者にも、向けられていく言葉です。
パウロを置いて行ったテトスが、忠実な同労者となったように……パウロから離れていったマルコが、彼の務めをよく助ける者となったように……パウロの弁明のとき、助けないで見捨てた者たちが、その責めを負わされない者となったように……今、教会から離れている者、信仰から離れてさまよっている人たちにも、救いは必ず訪れます。
だから、聖書の言葉を単なる脅しとして受け取らず、関係の回復を、和解に至る道を、指し示したものとして、私たちに絶望ではなく、希望をもたらす言葉として、豊かなメッセージを、受け取っていきたいと思います。主があなたの霊と共にいてくださるように。恵みがあなたがたと共にあるように。アーメン。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている広島県広島市の広島主城教会のために、新来者のために、受洗志願者のために、会衆の家族のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆広島県広島市の広島主城教会のために祈ります。1945年の原爆によって爆死された、中上悟先生に続き、後に牧師となった節枝先生、当時の会衆によって継承されたこの教会が、これからも、平和を求める教会として、祈りを合わせていくことができますように。
◆新来者のために祈ります。華陽教会をはじめ、岐阜地区の教会へ新しく来られた新来者の方々に、あなたの恵みがありますように。ここでの出会い、気づき、励ましが、新しく生きていく力となるように、私たち一人一人を用いてください。
◆受洗志願者のために祈ります。12月22日のクリスマス礼拝で、洗礼を予定しておられる、受洗志願者の方々に、あなたの慈しみがありますように。新しく仲間を迎える会衆も、一緒に新しく変わっていけるよう、必要な準備をさせてください。
◆会衆の家族のために祈ります。教会へ来て、配信を通して、礼拝に参加している方々とその家族に、あなたの祝福がありますように。事故や事件、病気や怪我から守られて、弱っている心身が回復し、たくさんの喜びを分かち合うことができますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」(©️柳本和良)を歌います。
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『非難される点』と題して、テトスへの手紙1:1~9のお話しをします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。