聖書研究祈祷会 2024年11月20日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の390番「主は教会の基となり」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけて歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆世界を創造し、愛される神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。
◆私たちの神様。今週も、週の半ばまで、あなたに守られ、導かれてきたことを感謝致します。新しい出会いや、新しい気づきにも感謝致します。どうか今、引き続き、私たちの生き方が、新しくされていくように、心と体と魂を整えさせてください。
◆私たちの神様。来週の日曜日は、収穫感謝礼拝です。それぞれの家から、野菜や果物を持ち寄って、講壇の上に飾ります。どうか今、あなたから与えられた実りと恵みに感謝しつつ、新しく生きる力を得られるように、互いに分かち合う力をもたらしてください。
◆私たちの神様。病気の人や怪我をした人、障害のある人や衰えを感じている人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、それぞれに必要なケアと治療がもたらされ、希望と励ましが与えられるよう、私たちを互いに遣わしてください。
◆一人一人を新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。テトスへの手紙1:1~9の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
メッセージ
テトスへの手紙は、テモテへの手紙一・二に続く「牧会書簡」の一つです。牧会書簡というのは、会衆を導く教会の指導者「牧会者」に向けて書かれた手紙で、指導者の資格や指導の仕方が記されています。また、会衆に対しても、指導者をどのように選び、どのように受け入れるべきかが示されます。
ただし、テトスへの手紙も、テモテへの手紙一・二と同じく、宣教者パウロからテトスへ向けて書かれた形を取っていますが、実際には、パウロの死後、2〜3世代を経て、彼の弟子たちが、パウロの名前で書いた手紙と言われています。尊敬する有名な人物の名前で手紙を書くのは、その人の教えと生涯を称える方法として、当時では普通のことでした。
もちろん、2〜3世代の間に、パウロの教えの受け取り方もいくらか変わってしまうので、彼が直接書いた手紙と思われるものと、だいぶ様子が違います。パウロは通常、自分のことを「キリスト・イエスの僕」というふうに表現しましたが、この手紙では「神の僕」というふうに表現しています。
その表現は、神様から直接「わたしの僕」と呼ばれたモーセや預言者を思い起こさせ、パウロとパウロの弟子たちも、神様に選ばれ、聖霊を受けて、それぞれの教会へ遣わされていることを強調した表現と思われます。おそらく、テモテへの手紙にもあったように、テトスへの手紙が書かれた頃も、指導者にふさわしい者が、言うことを聞いてもらえず、ふさわしくない者が、会衆に喜ばれてしまう、歪んだ現実があったのだと思います。
パウロの教えに従う弟子たちの中には、生粋のユダヤ人でない、異邦人の血を引く人間や、ユダヤ人の背景が一切ない、外国の人間が多くいました。しかし、キリスト教が生まれたイスラエルの社会では、ユダヤ人のように神様から与えられた律法を守っていない外国人、異邦人は、神の民としてふさわしくない、滅ぶべき存在と思われていました。
ところが、手紙の宛先として記されているテトスという人物は、ガラテヤの信徒への手紙で、「ギリシア人であった」ことがはっきり書き残されています。おそらく、母親がユダヤ人で、父親がギリシア人だったテモテより、さらに、ユダヤ人に受け入れてもらいにくかったでしょう。
律法を知らずに、律法を守らずに育ってきたギリシア人のくせに、我々を教えることができるのか?……という冷たい目線が向けられていたかもしれません。同じギリシア人であっても、ユダヤ人から伝わってきた神の教えを、ユダヤ人じゃない同胞から教えられても、説得力に欠けると思われていたかもしれません。
ようするに、非ユダヤ人というだけで、指導者として立つことを非難されてしまう……そんな背景があったんです。たとえるなら、女性というだけで指導者に立たれることを拒否されてしまう、女性というだけで言うことを聞いてもらえない、そんな場面といくらか重なるかもしれません。
けれども、ユダヤ人であるパウロは、異邦人であるテトスのことを「信仰を共にする」同労者として扱い、自分が直接教えた弟子として「まことの子」というふうに呼び、この手紙でも、そのことが反映されています。ユダヤ人か、異邦人か、どこで育ったかは関係なく、テトスをはじめとする弟子たちも、神様の教えと業を人々に伝える者として立てられている指導者として、ちゃんと受け入れるように、各教会へ働きかけていたんでしょう。
一方で、6節以降には、長老と監督の資格について述べられており、今度は逆に、差別的な表現が現れてきます。「長老は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であって、放蕩を責められたり、不従順であったりしてはなりません」……長老というのは、教会で指導的立場を担う役職の一つで、いくらかズレはあるものの、現代の教会の役員を思い浮かべてもらえたらいいと思います。
ただし、「役員に選ばれる人間は、一人の妻の夫でなければならない」なんて言い出したら、現代社会では炎上してしまうでしょう。また、「その子供たちも信者であって、放蕩を責められたり、不従順であったりしてはなりません」とありますが、これでは役員を選出するために、無理やり子どもたちへ洗礼を受けさせようとする「宗教二世」問題が起こってしまいかねません。
家庭を持っていなければ、子どもを信者にできなければ、品行方正に育てることができなければ、教会で指導的立場を担う資格はない……これを現代に適用すれば、独身の私も牧師になれませんし、子どもが洗礼を受けてない役員は、みんな辞めなければならなくなるでしょう。というか、そもそも役員が選出できません。2〜3世代前に、パウロが教えていたことからも離れている内容でした。
さらに、長老になる人間は、男性に限定されてしまうので、これも非常に差別的です。よく見ると、テトスへの手紙に出てくる教えのとおりに実行したら、華陽教会の役員会は誰一人、残ることができなくなってしまいます。もちろん、男性中心主義の家父長制が、当たり前だった時代の制約を受けているので、これらの記述を字義通り、現代の教会に適用するのは不適当です。
「非難される点がないように」と人々を戒める記述で、かえって、それを書いた著者の側が、非難される点を見つけてしまいました。しかし、このような時代的制約、差別や偏見を有していた人々が、神様の導きによって、異邦人に対する差別を乗り越え、共に歩む道のりが備えられてきたことにこそ、良い知らせが隠れています。
聖書の記述の中にさえ、「非難される点」は見つかります。しかしそれは、非難される者が、そのまま歪んだ状態で放置されることを意味しません。むしろ、非難される点がなくなるように、新しく変えられていくように、神様が付き合い続けて来られた歴史を、思い起こさせるものなんです。
先ほどの「長老に選ばれる資格」をもう一度思い出してみましょう。神様からイスラエルの王として用いられた、サウロやダビデやソロモンを思い出してみましょう。彼らもまた、この条件を満たせない、選ばれる資格のない人間でした。条件を満たしたから、資格があるから、王として、指導者として、座していることが許されたわけではありませんでした。
むしろ、神様は彼らに預言者を遣わし、非難される点を指摘させ、民を正しく導けるように、付き合い続けて来られました。あれだけ、非難される点があった王たちも、イエス様の弟子たちも、当時の偏見や固定概念を超える、新しい生き方を広げていく者として、送り出されていきました。
神様が、サウルを通して、ダビデを通して、ソロモンを通して、神の民イスラエルにもたらした、様々な出来事を考えると、非難される点が、あちこちにある私たちも、新しい生き方へと押し出され、共に変わっていく力が与えられることを思わされます。引き続き非難される点がないか、変化を促す神の呼びかけを聞きながら、今なお、この方が離れないで、付き合い続けてくださることを覚え、歩んでいきたいと思います。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている広島県竹原市の竹原教会のために、教育機関のために、医療機関のために、介護施設のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆広島県竹原市の竹原教会のために祈ります。広島西分区の応援に支えられたこの教会がこれからも豊かに導かれますように。世界中の戦火が一日も早く鎮まり、平和な世界が実現しますように。
◆教育機関のために祈ります。保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、専門学校、大学、フリースクールなど、各地で教育を担っている人たちに、あなたの支えがありますように。それぞれの働きが誠実に導かれ、その使命が守られますように。
◆医療機関のために祈ります。寒さと乾燥が増してくる季節に、感染症をはじめとする、様々な病気や怪我に対応されている人たちへ、あなたのお守りがありますように。医師や看護師、スタッフとその家族の健康が守られ、患者の治療が順調に進みますように。
◆介護施設のために祈ります。高齢者施設で働いている職員、ヘルパーの人たちに、あなたの慈しみがありますように。利用者の生活が守られ、家族や周りとの関係が良い形で導かれ、互いに愛し合う日々を送れますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌2番「あなたの内なる人を」(©️柳本和良)を歌います。
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『家庭を覆す教え』と題して、テトスへの手紙1:10~16のお話しをします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。