ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『無益でむなしいもの』テトスへの手紙3:8〜15

聖書研究祈祷会 2024年12月18日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の229番「いま来たりませ」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけて歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆世界を創造し、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をしつつ、キリストが再び来られるときを待ち望むアドヴェント第3週目を迎えました。どうか今、洗礼を受けようとしている人、仲間を迎えようとしている私たちを、共に整えさせてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日には、教会学校クリスマス礼拝・祝会が開かれ、子どもたちと共に、喜びを分かち合うことができました。どうか今、21日に予定している、芽含幼稚園のクリスマス会も、あなたによって、豊かに導かれますように。

◆私たちの神様。今度の日曜日には、いよいよ、クリスマス礼拝が開かれます。24日のクリスマス・イブには、クリスマス聖夜礼拝も行われます。どうか今、それぞれの礼拝が祝福され、ますます豊かに、あなたの栄光が現されますように。

◆全てのものを新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。テトスへの手紙3:8〜15の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Michal JarmolukによるPixabayからの画像

メッセージ

 テトスへの手紙の最後には、「善い行いの勧め」と共に「避けるべきこと」が列挙されていました。「愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議(論争)を避けなさい。それらは無益で、むなしいものだからです」……似たような表現が、牧会書簡のところどころに見られます。

 同じテトスへの手紙の中では、「無益な話をする者」「人を惑わす者」への批判、テモテへの手紙一の中では、「作り話や切りのない系図」「無意味な詮索」への忠告、テモテへの手紙二の中では、「俗悪な無駄話」や「愚かで無知な議論」への警告といった形で記されていました。

 実は、「律法についての論議(論争)を避けなさい」という表現は、テトスへの手紙以外にはあまり見られず、珍しい言い方ですが、律法における様々な規定や預言の言葉の解釈をめぐって、人々を振り回す者たちへの痛烈な批判が込められていたんでしょう。聖書の解釈は一歩間違えると、霊感商法や自己啓発セミナーの道具にもなってしまうため、「こうすれば正解」「これさえ守れば大丈夫」という魅惑的な偽教師が度々発生していました。

 これまでも何度か話してきたように、牧会書簡では、そのような「異なる教え」や「偽りの教え」に対抗するため、組織運営や教師の資格について、細かな注意が述べられています。テトスへの手紙の最後には、それらの締めくくりとして、改めて注意するべきこと、避けるべきことがまとめられていました。

 たとえば、「系図の詮索」というのは、「作り話や切りのない系図」という言葉で批判されていたように、旧約聖書の解釈に関係している話です。それらは、「無意味な詮索」や「無益な議論」「空論」に迷い込ませてしまうと言われているので、今でいう「陰謀論」に近かったかもしれません。

 現代でも「キリストの生まれ変わり」や「現代の使徒/預言者」を自称して、その根拠を聖書の系図や記述から、無理やりこじつけている人がいますが、初代教会でも似たようなことがあったのでしょう。キリスト教系の破壊的カルトの教祖には、度々、聖書に出てくる時代や日付、地名や名前を自分の人生に当てはめて、「私が再臨のメシアである」と主張したり、「特別な使命を持った預言者だ」と主張しているところがあります。

 また、特定の人種や民族を、聖書に出てくる民族や系統に当てはめて、自分たちを持ち上げたり、外国の人を貶めたりする人も居たでしょう。今だって、ユダヤ人を特別視したり、反対に蔑視する人たちがいるように、かつても、聖書の記述を「選民思想」の維持や強化、「排外主義」に用いてしまう人たちが居たんです。もちろん、それらは偏った教えで、健全な信仰生活からかけ離れています。

 ちなみに、「律法」というのは、広い意味で「旧約聖書全体」を指し、その中でも、「モーセ五書」と呼ばれる創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を念頭に置かれることが多いです。狭い意味では、それらに出てくる掟を指し、有名な「十戒」は、律法の中のほんの一部です。

 律法の細かな掟を書き出すと、全部で600以上に上ります。これらを要約する教えが「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と、「隣人を自分のように愛しなさい」という掟だと言われています。イエス様の生まれた時代も、この2つが最も重要な掟として考えられていました。

 ところが、「律法についての論議(論争)」の中には、「教会の教勢(信徒数)が増えないのは、神から与えられた掟を厳密に守っていないからだ」「キリストが再びこの世に訪れる世の終わりが来ないのは、私たちが掟どおりに生活できてないからだ」と極端に考え「細かな掟を字義どおり守らなければ救われない」と主張するような人もいます。

 それは、過去に限ったことでなく、現代に至るまで、何度も起こってきた運動で、「原理主義」とも言われます。キリスト教が、イスラエルから諸外国へ広がっていった初代教会の時代にも、「ユダヤ人が守ってきたのと同じように律法を守らなければ、異邦人が救われることはない」と主張してしまう人たちや、異邦人を教会の重要な役職に選ぶことをためらう人たちが多くいました。

 「○○人は、神の民イスラエルから別れてしまった敵の子孫だ」「〇○人は、聖書で批判されている民族の血が混じっている」「彼らが救われるには、一層努力しなければならないはずだ」……そんな感覚で、特定の人種、民族、出身の人たちを見てしまう人たちが居たんです。

 もしかしたら、「彼らが救われるためには、どこまで律法を守らせるべきか?」というような「愚かな議論」もあったのかもしれません。それは、信仰によって義とされる、行いによってではなく、信じることによって正しい者と受け入れられる、というパウロの教えに真っ向から反対するものでした。

 実は、今でもそういう感覚は、私たちの中に残っています。日曜日、どんな格好で教会に来るべきか? どんな理由なら礼拝を休んでいいか? 何をどこまで頑張ったら、「信仰者」として自分は胸を張れるのか? そんなふうに、自分の中でも論議・論争が続いているかもしれません。

 しかし、手紙の著者は、そのような論争に心を奪われず、救いを信じて、互いに愛し合うように勧めています。パウロの名前を冠する他の手紙と同様に、繰り返し、自分のためにとりなし、助けてくれる者たちへの感謝と、自分もあなたがたを頼りにしている、というメッセージを伝えています。

 私たちも、愚かな議論や論争に心を奪われず、「互いに愛し合いなさい」というイエス様の教えから離れないように、もう一度立ち帰れるように、改めて、自分を見つめつつ、歩みを進めていきましょう。わたしたちの救い主、キリスト・イエスからの恵みと平和が、あなたがた一同と共にあるように。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている島根県隠岐郡の隠岐教会のために、子どもたちのために、青年と壮年のために、年配の方々のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆島根県隠岐郡の隠岐教会のために祈ります。教会を通して、また、教会と関連する福祉施設の働きを通して、神様から与えられた祝福や恵みを分かち合うことができますように。教会の会衆と牧師の健康が守られますように。

◆子どもたちのために祈ります。クリスマスを楽しみに待っている子どもたちに、あなたの慈しみがありますように。クリスマスを楽しみに待つことができない子どもたちにも、あなたの憐れみと導きが豊かにありますように。

◆青年と壮年のために祈ります。将来に悩む青年や、生活に困っている壮年、心身の調子を崩している人や、その一歩手前の人たちに、あなたの助けがありますように。それぞれに新しい力と希望が与えられますように。

◆年配の方々のために祈ります。病気や障害、心身の衰えによって、弱っている人たちにあなたの癒しがありますように。新しい発見と喜びが日々もたらされ、今年もクリスマスを迎える準備ができますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、12月25日なので、24日夜7時からの聖夜礼拝に出られなかった人のために、クリスマス祈祷会を行います。『言(ことば)は神であった』と題して、ヨハネによる福音書1:1〜14のお話しをします。

 

祈祷会の中で、パンと水をいただいて、神の祝福を分かち合う食事「愛餐式」を行いますので、興味のある方はぜひ、ご参加ください。なお、22日の日曜日は、華陽教会のクリスマス礼拝と祝会が開かれます。予約や参加費は必要ありません。

 

礼拝の中で献金の時間がありますが、金額に定めはありません。手ぶらで参加できるのでぜひ、気軽にお越しください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。