クリスマス礼拝 2024年12月22日
説 明
教会に来ている方、配信を見ている方、クリスマスおめでとうございます! まもなく10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
本日は、アドヴェント第4週目の礼拝なので、クリスマスの訪れを知らせる蝋燭に、4本の火を灯します。共に今、心の中を希望で満たし、イエス様の誕生を、喜び祝う準備をしましょう。
前奏・点灯
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。(ヨハネの黙示録12:5)
讃美歌
旧讃美歌506番「たえなる愛かな」を歌いましょう。最後のアーメンはつけて歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆光を創造し、希望を与える神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。救い主が再び来られるときを待ち望む、アドヴェント第4週目を迎え、キリストの誕生を記念するクリスマスが訪れました。どうか今、あなたから受けた良い知らせ、救いの知らせを、共に分かち合うことができますように。
◆私たちの神様。今日は、礼拝の中で、2人の方の洗礼式を行います。どうか今、神の民の一員となる2人を祝し、一緒に迎える私たちを導き、互いに信仰を支え合う者として、新たに送り出してください。
◆私たちの神様。今ここに、直接参加できない人も、あなたの恵みを豊かに受け取ることができますように。どうか今、病を癒やし、痛みを和らげ、力を湧かせて、一人一人に必要な変化をもたらし、平和と和解を導いてください。
◆全ての者に救いをもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書7:10〜14、マタイによる福音書1:18〜23(新共同訳より抜粋)
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編46:1〜12(新共同訳交読詩編より抜粋)
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『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の261番「もろびとこぞりて」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
クリスマスの訪れを告げる、アドヴェント・クランツの蝋燭に4本の火が灯りました。明後日の夕方には、キリストの誕生を記念するクリスマスを迎えますが、本日は、一足先の日曜日に、その喜びを分かち合おうとしています。実は、昨日の午前中も、芽含幼稚園のクリスマス会で、救い主の訪れを祝い、子どもたちが歌やダンスをささげていました。
私たちも今日、祈りを合わせ、賛美を歌い、神様の与えてくださった、恵みと希望を、互いに告げ知らせる礼拝をしています。一方で、「2千年前のベツレヘムに、救い主の赤ちゃんが生まれてきた」という知らせが、自分にとって意味があるのか、疑問に思う気持ちも出て来るかもしれません。
実際、「クリスマスがやってきた」という知らせを聞いても、多くの人は、それによって自分たちの抱える問題が直ちに解決するとは思えないでしょう。自分や家族の病気、学校や仕事のトラブル、災害や戦争による被害など、救いを求める私たちの困難は、クリスマスが来た途端、綺麗に解消されるわけではありません。
事実、日曜日の朝、クリスマスの礼拝に出席することが叶わず、自身や家族の問題が、解決されないまま、この日を迎えた人たちがいます。お見舞いの来ない病室、復興が進まない被災地、停戦に至らない戦場……そういった場所で、「救い主の誕生をお祝いしよう」と言われても、喜ぶ気分になれない人もいるでしょう。
何なら今日、ここに来ている人の中にも、本当はお祝いする気になれないけれど、無理して賛美を歌い、祈りを合わせ、何とか取り繕っている方が、いるかもしれません。みんなで喜びを表す日に、「とてもじゃないけど喜べない」という人が、いるかもしれません。2千年前、婚約者のマリアが、妊娠していることを知った、夫ヨセフもそうでした。
普通なら、愛するパートナーとの間に、子どもができたと分かったら、新しい命の誕生を喜ぶものかもしれません。しかし、ヨセフはマリアと婚約していたものの、まだマリアと関係を持ったことはなく、彼女の妊娠にも心当たりがありませんでした。真っ先に思い浮かぶのは、「マリアが浮気をしたのではないか」という疑惑です。
かつてのイスラエル社会では、現代の日本と違って、婚約中のパートナーも、結婚した夫婦と同様の扱いでした。そのため、まだ結婚していなくても、婚約中に別の相手と関係を持ったら、律法によって裁かれることになっていました。この場合、浮気をした人物は最も重い刑罰である「石打ちの刑」にかけられます。その名のとおり、死ぬまで石を投げられるという残酷な処刑方法です。
そのため、ヨセフはマリアのことを表沙汰にするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心しました。そうすれば、自分が黙ってさえいれば、彼女は関係を持った相手と結婚し、殺されずに済むと思ったのかもしれません。しかし、本来、別れるためには、婚約を破棄する正当的な理由があることを、2人の証人を立てて証明しなければなりませんでした。
もし、正当的な理由を述べず、一方的に別れようとしたら、反対に、ヨセフが罪を問われることになるでしょう。かといって、マリアが浮気をしたという疑惑について説明すれば、彼女が処刑されてしまいます。疑惑に目をつぶって、マリアを妻として迎え入れた場合も、「結婚前に関係を持って妊娠させた」という汚名を着ることになってしまいます。
ヨセフの心中は穏やかじゃありません。マリアは、自分が聖霊によって身籠ったことを天使から聞いていましたが、ヨセフにどこまで伝わっていたかは曖昧です。もしかしたらマリアも上手く話せずにいたか、言っても信じてもらえないと思って、ろくに会話もできないまま、親戚の家にこもっていたのかもしれません。
2人の間には、気まずい空気が流れていました。もし、マリアが天使に聞いたことを、ヨセフにそのまま話していたなら、彼は、それを聞いても信じられなかったことになります。当然と言えば、当然です。苦し紛れの嘘をついたか、パニックになって、わけのわからないことを言い出した……と考える方が普通でしょう。
心のどこかで、「聖霊によって身籠ったことが事実ならいいのに……」と思っていても、それを神様に尋ねることはできませんでした。自分もマリアも、ただの人間に過ぎないのに、「神の子を授かった」なんて考えるのは、おこがましいし、恐れ多いし、怒られかねない話です。
お腹にいる子が、浮気によって妊娠したのか、聖霊によって妊娠したのか、神様に聞くなんてとてもできない……よく考えたら、そんな心境だったのかもしれません。そもそも「浮気をしたのではないか」という疑惑について、パートナー本人に面と向かって尋ねることさえ、私たちはなかなかできません。
自分の抱えている悩みを、牧師や司祭に相談するときも、この辺りは最後まで、なかなか言い出せませんよね。こんなこと、神様に頼っていいんだろうか? 自分さえ我慢すれば、綺麗に収まるんじゃないか? そんなふうに、恐れていること、恥ずかしいことを心の内に仕舞い込み、一人で苦しんでいる人がたくさんいます。
救い主が生まれてきた家、マリアの家、ヨセフの家もそうだったんです。赤ちゃんを身籠って、喜びたいのに、とても喜べる状況ではなかった家だったんです。「お腹にいる子は聖霊によって身籠ったんだ」と言われても、「そんなはずはない」「そんなことを思っちゃいけない」「良い知らせを期待しちゃいけない」と打ち消していた家だったんです。
だからこそ、今日、喜ぶ気持ちになれない人は知ってください。救い主が訪れたのは、救い主を受け入れる用意のなかったところでした。すぐには喜べない、色んなことを恐れている人たちのもとに、イエス様は生まれてきました。「良い知らせ」を受け取るのが最も困難な人たちに、最も信じがたい人たちに、生まれたばかりのイエス様は抱かれたんです。
最初に読んだ、イザヤ書7:10〜14は、神様に救いを求めることができない、ユダの王アハズに向かって言われた言葉でした。アハズ王は、同盟を組んだアラムとエフライムの王によって、自国が侵略されるという脅威を前に、「ただ、神様に信頼して祈る」ということができなかった人物でした。
預言者イザヤは、「アラムとエフライムの王の同盟に恐れることはない」「ただ神である主を信頼しなさい」と促し、「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」と言いますが、アハズはそれを拒否します。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」……それは一見、神様を都合よく頼らない、自制心のように見えますが、実際は違います。
神様の方から、「わたしを頼りなさい」「わたしに助けを求めなさい」と預言者を通して語っているのに、アハズは「本当に神様が助けてくれる」「この脅威から救ってくれる」と信じられずに、偶像の神を頼っているアッシリアの援助を求めてしまうんです。これって神様からしたら、とんだ裏切りです。
けれども、自分に助けを求めない、異教の国に頼ろうとするアハズに対し、神様は「もう知らない」「わたしはお前を救わない」と言うのではなく、「インマヌエル」という名の男の子が生まれることを告げられます。救いのしるしを「求めない」と言うアハズに、神様の方から救いのしるしを与えるんです。
インマヌエルというのは、「神われらと共にいます」という意味で、自分の助けを求めない、期待できない人々のことも、神様は見捨てず、一緒に居てくださるというメッセージが込められています。あなたが、神様の救いを信じられず、もどかしい思いをしているとき、神様も、あなたともどかしい思いを共有し、「自分はここにいる」「一緒にいる」と訴えるんです。
今日はこの後、キリスト教の入信式である「バプテスマ」(洗礼式)が行われます。おそらく、洗礼を受けたとき、多くの人が、喜びだけでなく、不安も感じたと思います。本当に今、洗礼を受けて良かったんだろうか? もし、私が洗礼を受けることを神様がゆるしていなかったらどうしよう?……と。
けれども、思い出してほしいのは、「洗礼を受けたい」という思いもまた、神様があなたと一緒に居て、芽生えさせてくださったということです。本来、不安だらけで、自信もなくて、揺れ動いてばかりの自分が、求めることさえできない思いを、あなたに抱かせてくださったのが、神様なんです。
だから、これから洗礼を受ける人、洗礼を受けてなお、不安を抱いている人も、どうぞ安心してください。神は、あなたと共におられます。もし、洗礼を受けたいのに、それを妨げる何かに悩まされている人たちも、安心してください。すぐには受け入れられない、すぐには喜べない、すぐには信じられない人たちが、受け入れ、喜び、信じるようになるまで、神様は導いてくださいました。
クリスマスは、その最初の出来事を記念するものです。赤ちゃんが生まれる知らせを聞いて、恐れを抱いた人たちが、恐れから解放されて、喜びを分かち合う者に変えられていく……その一人に、あなたもこれから加えられます。あなたも共に祝福を受けます。だから、天使の告げたこの言葉を、改めて思い出しましょう。
「恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。」
讃美歌
オンライン賛美歌42番「はじめに言があった」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

洗礼式[1]
ご着席ください。ただ今より、洗礼式を行います。共に、洗礼の意味を確認しましょう。
序 詞
主イエス・キリストは、その全生涯、とりわけ死と復活によって人類の救いを成就され、この救いに、信じるすべての人をあずからせるために洗礼を制定されました。洗礼によって、神はわたしたちに聖霊の証印を押して、ご自分の民としてくださいます。また、死んでよみがえられたイエス・キリストに結び合わせ、罪と死から解放してくださいます。さらに、水と霊とによって新たに生まれ変わらせ、キリストのからだである教会の一員としてくださいます。こうして、わたしたちはキリストの宣教のみわざを受け継ぐ者とされるのです。洗礼を受ける者は、神と教会の前に信仰を告白し、教会の一員として誠実に生きることを約束します。また、先に洗礼を受けた者も、信仰の告白を新たにしましょう。
制定語
主イエス・キリストの制定の言葉を聞きましょう。主は復活の後に弟子たちに命じて言われました。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:18〜20)
また、聖書で次のように言われています。
「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(使徒言行録2:38〜39)
教会は、今、この御言葉にしたがい、神の招きを受けた方に洗礼を施します。役員の代表の方は、洗礼志願者の紹介をお願いします。
志願者の紹介
(*役員代表が紹介する)
教会の役員会は、洗礼を願い出られたお二人について、そのこころざしを確かめ、このかたに洗礼を授けることに何の妨げもないと判断いたしました。
誓 約
ただ今より、洗礼を執り行います。受洗志願者の方は、こちらへお進みください。
(*洗礼盤の前へ洗礼志願者を案内する)
あなたがたが洗礼を受けるに当たり、次の問いに答えてください。
<新生の約束>
司式者:あなた(がた)は、これまでの罪の道から離れ、洗礼を通して、この世を支配する悪の力を退けることを望みますか?
志願者:望みます。
司式者:あなた(がた)は、イエス・キリストを自分の主また救い主として受け入れ、その恵みと愛に依り頼むことを約束しますか?
志願者:約束します。
司式者:あなた(がた)は、キリストの忠実な弟子となって、その御言葉にしたがい、生涯キリストの愛の証人になることをこころざしますか?
志願者:神の助けによってこころざします。
<信仰告白と教会員としての約束>
司式者:あなた(がた)は、日本基督教団信仰告白を告白しますか?
志願者:告白します。
司式者:あなた(がた)は、聖餐を重んじて誠実にこれにあずかり、日本基督教団の教憲・教規にしたがい、この教会の会員として忠実にその責務を果たすことを約束しますか?
志願者:約束します。
<日本基督教団信仰告白>
一同で『日本基督教団信仰告白』を告白しましょう。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。
我らは信じかつ告白す。
旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の依るべき唯一の聖典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。
主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたまふ。御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖ひとなりたまへり。
神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信じる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の実を結ばしめ、その御業を成就したまふ。
教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む。
我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す。
<使徒信条>
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。
感謝聖別祷
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
天地の造り主、全能の神よ。創造の初めに、あなたの霊は水のおもてを覆い、混沌の中から命と秩序を生み出してくださいました。ノアの時には、あなたは水によって悪を滅ぼし、水を経て救われた人々に、新しい始まりをもたらしてくださいました。イスラエルを奴隷の地から解放された時も、あなたはイスラエルを水の中を通して、約束の地へ導き出してくださいました。これらの出来事は洗礼の恵みをあらわすしるしでした。あなたの力ある働きを賛美いたします。
また、主イエスはヨルダン川の水で、ヨハネから洗礼を受け、あなたの霊の注ぎをお受けになりました。さらに主はご自身の死と復活という洗礼によって、罪と死からわたしたちを解き放ち、永遠の命の道を開いてくださいました。
神よ、今ここに洗礼の水を備えてくださったことを感謝いたします。この水の中で、洗礼を受ける者がキリストと共に死に、キリストと共に葬られ、この水の中から起き上がって、キリストと共によみがえりますように。
この洗礼の水の上にあなたの霊を送ってください。聖霊の力によって、この水が受洗者の救いと再生のみなもととなりますように。この水によって清められるすべての者に、罪の赦しを与えてください。そして、新しい命によみがえらせ、キリストのからだに結び合わせてください。ただひとりの神、父と子と聖霊に、賛美と誉れと栄光が今もとこしえまでもありますように。
一 同:アーメン。
洗 礼
受洗志願者の方は、ここへひざまずいてください。
わたしは、
父と(水を注ぐ)
子と(水を注ぐ)
聖霊の(水を注ぐ)御名によって、あなたに洗礼を授けます。
按 手
華陽教会から、一緒に手を置いていただける方は、前へお越しください。
(教会員の中から数人、本人の肩へ手を置いてもらう)
(受洗者の頭に手を置く)
主よ、この姉妹に聖霊を満たし、知恵と識別、思慮と勇気、神を知り、畏れ敬う心をお与えください。今もとこしえまでも。(イザヤ11:2〜3)
会衆の参与
司式者:教会員の皆さんは、お立ちください。会衆の皆さんにも「約束しますか?」と尋ねるので、「約束します」と答えてください。
司式者:今、この(姉妹)は、洗礼を受けて、わたしたちの群れに加えられました。あなたがたはこの(姉妹)を、祈りによって支え、愛をもってその信仰の成長を助けることを約束しますか?
教会員:約束します。
司式者:あなたがたも、自分自身の洗礼の恵みを思い起こし、このとき言い表した信仰とこころざしを新たにしてください。キリストにおいて、あなたがたが共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなりますように。(エフェソ2:22)
一 同:アーメン。
紹 介
どうぞ、会衆の方をお向きください。新しく、華陽教会に迎えられたお二人です。これから共に信仰生活を支え合う仲間として歓迎致します。お二人の信仰生活が、これからも神に支えられ、導かれるよう、会衆一同で祈りを合わせ、共に愛餐にあずかりましょう。どうぞ、席へお戻りください。
主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

愛 餐
本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。
讃美歌
マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。冊子の8頁です。御着席のままで大丈夫です。
食卓への招き
かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」
また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」
主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。
信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。
感謝の祈り
感謝の祈りをささげます。
恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。
様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。
配 餐
共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、初めて来た方も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。
本日、礼拝に来られているお子さんや学生も、一緒に受け取っていただけます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。係の方は、前へお越しください。(パンと水を配る)
分かち合い
ケースの蓋をお取りください。共に、神の恵みを味わいましょう。
主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。
主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。
感謝の祈り
感謝の祈りをささげましょう。
愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。
足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをお付けいただき、冊子の8頁、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2、3節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
私たちの神様。今日の御言葉を感謝します。私たちの生き方をささげるしるしとして献金をささげます。あなたの御用のために用いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」4節を歌いましょう。
讃美歌
讃美歌21の29番「天のみ民も」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイによる福音書1:23)
祝 福
神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった18名、同時に視聴された14名、計32名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
本日は、礼拝の中で、2名の方が洗礼を受けられました。また、初めて教会に来てくださった方も歓迎致します。改めて、感謝の拍手を送りたいと思います(拍手)……礼拝後、30分ほど、クリスマスの賛美歌を味わい、12時頃から、2階集会室で食事ができるようにしています。参加費等はありません。時間のある方はぜひ、礼拝後もご参加ください。
なお、24日の夜は7時から8時まで、クリスマス演奏礼拝も行われます。キャンドルライトの明かりを灯してメッセージを聞き、教会の有志の方々と、ピアノ、ギター、ヴァイオリンなどによる演奏と会衆賛美を行います。よかったらこちらもぜひお越しください。
それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。
[1] 以下、「洗礼式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅱ)』日本キリスト教団出版局、2009、2015を参照し、一部手を加えて載せています。