ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『迎えに行けなかった人へ』クリスマス聖夜礼拝 2024年12月24日

クリスマス聖夜礼拝 2024年12月24日 


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案 内

メリー・クリスマス! ようこそ、いらっしゃいました。キリスト教では12月24日の夕方から1月6日の公現日までをキリストの誕生を記念するクリスマスとしてお祝いしています。今年度も、教会の有志による演奏と、会衆による賛美をささげて、クリスマス聖夜礼拝を行います。

 

いわゆるコンサートではなく、自分にできる精一杯の音楽をささげて、喜びを分かち合う礼拝なので、どうぞ皆さんもご一緒に、賛美と演奏を味わいながら、祈りをささげていただけると嬉しいです。それでは、招きの言葉に耳を傾けましょう。

 

招 詞 ヨハネによる福音書1:1〜4

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

 

前 奏 O Holy Night

最初に、ピアノの奏楽による “O Holy Night” の演奏を共に味わい、喜びを分かち合う準備をしましょう。

 

祈 祷

光を創造し、希望を与える神様。救い主イエス・キリストの誕生を記念するクリスマスの夜、教会に集まって、また、配信を通して、礼拝に参与することができ、感謝致します。どうか今、離れている家族とも、遠くにいる友人とも、あなたの恵みを分かち合えるよう     に、見えないつながりを豊かにしてください。全ての人に、あなたとの、新しい出会いがありますように。飼い葉桶に眠る御子イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

*アーメンとは「本当にそうです」「そのとおりになりますように」という意味です。

 

聖 書 ルカによる福音書1:26〜38 

<マリアに訪れる>

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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説 明

かつて、天使ガブリエルは、ナザレという町にいたマリアのもとを訪れました。マリアはダビデ家のヨセフという人と婚約しており、結婚の準備をしているところでした。もうじき始まる、新しい生活のことで、頭の中は一杯でした。

 

自分自身が、いきなり母親になる準備はありませんでした。身に覚えのない妊娠を受け入れる準備もありませんでした。当然、神様が遣わす救い主を、結婚前に授かるなんて、思ってもいませんでした。むしろ、子どもができたら困るタイミングで、天使に受胎を告げられました。

 

彼女は「そんなことあり得ません」と天使の言葉を否定しましたが、天使はマリアに「親戚のエリサベトも神様によって男の子を身ごもっている」と伝えました。一緒にこの出来事を受けとめて、赤ちゃんを迎える準備をしてくれる人が、近くにいることを知らされました。

 

会衆賛美 (21)246番「天のかなたから」

共に、お腹の子どもを迎え入れた母マリアを思い起こし、讃美歌21の246番「天のかなたから」を歌いましょう。

 

聖 書 マタイによる福音書1:18〜23

<ヨセフに訪れる>

 

説 明

かつて、主の天使は、夢の中で、マリアと婚約していたヨセフに訪れました。ヨセフは、結婚前にマリアが妊娠したことを知って、ひそかに縁を切ろうとしていました。自分には、子どもができる心当たりがなかったからです。

 

誰の子か分からない赤ん坊を迎える準備はありませんでした。結婚前に、子どもができたという現実に、向き合う準備もありませんでした。聖霊によって身ごもった子を、神の子である救い主を、自分の家で育てるなんて、思ってもいませんでした。

 

ヨセフは騒ぎを起こさないように、マリアと別れるつもりでした。しかし、天使は彼に、妻マリアを迎え入れるよう促しました。彼は、困難な現実にも向き合うことができるように、神様の後押しがあることを知らされました。

 

演 奏 グローリア(旧)106番「あら野のはてに」

共に、妻マリアとお腹の子どもを迎え入れた、父ヨセフを思い起こし、トーンチャイムによる演奏を味わいましょう。グローリア 旧讃美歌106番「あら野のはてに」

 

聖 書 ルカによる福音書2:8〜15

<羊飼いに訪れる>

 

説 明

かつて、主の天使は、野宿をしている羊飼いたちを訪れました。羊飼いたちは、夜通し羊の番をしていました。屋外にいる羊たちが、獣に襲われたり、盗賊に盗まれたりしないように、目を光らせて、神経を尖らせていました。

 

羊たちを置いて、生まれたばかりの赤ん坊を探しに行く準備はありませんでした。神様が約束していた新しい王の誕生を、お祝いする準備もありませんでした。こんな夜中に、献げ物も持たないで最初に救い主を礼拝することになるなんて、思ってもいませんでした。

 

彼らは、突然現れた天使のことを非常に恐れますが、天使は彼らに「恐れることはない」「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と言いました。羊飼いたちは、飼い葉桶で寝ている乳飲み子が、自分たちの訪問を待っていると知らされました。

 

会衆賛美 (21)252番「羊はねむれり」

共に、救い主を迎えに行った、羊飼いたちを思い起こし、讃美歌21の252番「羊はねむれり」を歌いましょう。

 

聖 書 ルカによる福音書2:1〜7

<救い主が訪れる>

 

説 明

かつて、救い主イエス・キリストは、泊まる家のなかった夫婦のもとに生まれて来ました。マリアとヨセフは、ローマ皇帝の勅令による住民登録のため、身重であるにもかかわらず、故郷のベツレヘムへ帰らなければなりませんでした。

 

たどり着いた町で、まともな部屋に泊まれる準備はありませんでした。生まれてきた赤ん坊を寝かせるベッドもありませんでした。宿屋ではなく家畜小屋で、ベッドではなく飼い葉桶で、赤ん坊を寝かせるなんて、思ってもいませんでした。

 

誰にも部屋を譲られなかったこの夫婦は、この赤ちゃんの誕生も、誰かに祝ってもらえるとは思っていませんでした。ところが、そこへ羊飼いたちがやって来ました。星に導かれて、外国から来た博士たちもやって来ました。小さな家畜小屋に、大勢の人が集まりました。

 

演 奏 (旧)111番「神の御子は今宵しも」

共に、救い主を迎えるために集まった、彼らのことを思い起こし、ピアノの連弾による演奏を味わいましょう。旧讃美歌111番「神の御子は今宵しも」

 

消 灯 (沈 黙)

会堂の明かりを消して、お手元のキャンドルに光を灯し、あの日の夜に思いを馳せて、沈黙の時を持ちましょう。

 

Annette MeyerによるPixabayからの画像

メッセージ

 12月24日の夕方から、25日にかけてお祝いするクリスマスは、救い主イエス・キリストの誕生を記念する祭日です。礼拝堂の前に立てられた4本の蝋燭は、クリスマスの準備をする期間「アドヴェント」の4週間に、1本ずつ火を灯して、その日が近づいたことを知らせてくれる、暖かいしるしでもありました。

 けれども、クリスマス当日を迎えた今日、ここに訪れることのできなくなった人たちや、礼拝どころではなくなってしまった人もいます。一緒に演奏するのを楽しみにしていた方や、聖書の朗読を手伝うつもりだった方も、病気にかかり、自宅待機を命じられ、残念ながら、教会に来ることができなくなってしまいました。

 何でこんなタイミングで……ということが、それぞれ重なってしまった夜かもしれません。落ち着いて、準備万端で、教会に来てみたかったのに、途中で渋滞に捕まったり、思いもしないトラブルに遭って、遅れて来たり、礼拝の終わり頃に到着する方もいるかもしれません。救いの訪れを告げられても、良い知らせをきちんと受け取る準備ができず、元気を失っている方もいるでしょう。

 ですが、クリスマスとは、救い主を迎えに行く用意のなかった人たちに、準備のなかった人たちに、良い知らせを受け取らせるため、神様が奔走した日でもあるんです。最初に読んだ、ルカによる福音書1章の聖書箇所は、イエス様の母マリアが、自分から救い主が誕生するという知らせを天使に聞かされた話でした。

 けれども、見てのとおり、彼女はすぐにその事実を受け入れることはできません。婚約期間中に身に覚えのない妊娠が発覚し、その子を救い主として育てなければならないと言われるんですから、確かに困ります。結婚して、子育てに慣れ、夫の理解も得られるようになってから、救い主を身ごもるのならいいですが、何もかも不十分なタイミングで、彼女は妊娠を告げられます。

 マリアと婚約していたヨセフの方も、彼女が聖霊によって身ごもっていることが明らかになったとき、その子と妻を迎え入れる用意はありませんでした。結婚する前に、突然妊娠が発覚し、何が起こったのか理解もし切れないうちに、「住民登録のため故郷の町へ行くように」と勅令が出され、もう頭が追いつきません。

 「お腹にいる子は自分の子どもじゃありません」と公にすれば、許嫁のマリアは、姦通の罪を犯した者として、石打ちの刑にかけられてしまいます。黙って彼女を迎え入れても、結婚前に関係を持って、子どもができた夫婦として、人々の目に晒されます。「正しい人」として生きてきたヨセフは、故郷へ帰っても白い目で見られ、親戚の家に泊まることさえ困難になってしまうんです。

 その地方で野宿をしていた羊飼いたちも、放り出せない仕事がありました。その日は、羊たちを家畜小屋に入れられず、屋外で見張っていなければなりませんでした。もしかしたら、住民登録で他の町からやって来る人々を泊めるため、家畜小屋を空けるよう、町から追い出されていたのかもしれません。

 そんな自分たちが、救い主を探すために、再び町へ帰って来たら、「なぜ戻ってきた?」「邪魔をしないで外にいろ」と、嫌味を言われてしまうかもしれません。町の外で野宿を強いられていた羊飼いは、現代の日雇い労働者のように、度々、隅へ追いやられる存在でした。誰かのお祝いに来てほしいと願われる経験なんて、ほとんどありませんでした。

 そう、救い主の誕生を告げられた、最初の人々は、誰もが準備万端で、迎え入れられたわけではありません。何の迷いもなく、迎えに行けたわけではありません。むしろ、彼らはもともと、イエス様を迎えることができなかった、迎えに行くことができなかった人たちでした。良い知らせを受け取る前に、恐れと不安でいっぱいになって、拒んでしまう人たちでした。

 しかし、神様は彼らをそのまま、迎えに行けないまま、放置することはありません。天使はマリアに、親戚のエリサベトを頼ることができると伝え、ヨセフは夢で、マリアを妻として迎え入れるよう後押しを受け、羊飼いたちは、自分たちの子どもと同じ、飼い葉桶にいる救い主のことを告げられて、お祝いに行く準備ができていきました。

 救いの訪れを告げられて、思わず拒んでしまった者、受け入れられなかった者は、「恐れることはない」と励まされ、頼るべき相手を示されて、探すべき道を備えられます。喜びを受け取れないままではなく、喜びを豊かに分かち合えるよう、新しい気づきと力を与えられます。

 彼らが救い主を迎えた場所は、まともな家でも、柔らかいベッドでもありませんでした。しかし、イエス様が訪れることを望んだのは、紛れもなく、彼らの用意した場所でした。彼らが待っていた場所でした。何もかも不十分に見えた人たちに、神様は「わたしの独り子を迎えてほしい」と頼みました。その日、その時、救いの訪れを告げられた者に、あなたも加えられています。

 本来、クリスマスを迎えたかった場所で、迎えられない人たちに、主の天使は告げています。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」本来、用意したかったものを、用意できなかった人たちに、主の天使は伝えています。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

 あなたの前にも、救い主が訪れています。あなたの腕の中に、救い主が抱かれています。恐れることはありません。この方は、あなたの腕から落ちません。あなたがしっかり抱えていられるように、あなたにしっかりしがみつきます。あなたから離れないように、産声を上げ、指を掴み、あなたを新しく遣わします。

 マリアが、ヨセフが、羊飼いが、恐れから解放され、新たに歩み出したように、私たちもここから、新たに送り出されます。さあ、あなたの腕の中にやって来た、救い主を迎え入れ、この方が送り出す場所へ、遣わされていきましょう。「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」アーメン。

 

会衆賛美 (21)272番「おやすみなさい」

会堂の明かりをつけましょう。ピアノとギターによる伴奏で、讃美歌21の272番「おやすみなさい」を歌いましょう。

 

主の祈り (21)93―5A

共に、イエス様が教えてくださった「主の祈り」を祈りましょう。

*イエス様が弟子たちに教えた最も基本的な祈りです。

 

献 金

共に、感謝の献金をささげましょう。献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の運営や地区・教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。ご準備のない方は、式次第に挟まれた献金袋を空のまま、献金箱へお入れください。

 

演 奏 グリーンリーブス(Ⅱ)216番「みつかいうたいて」

 

派遣・祝福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。(イザヤ書52:7より)

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

後 奏 (21)261番「もろびとこぞりて」

 

報 告

以上で、クリスマス聖夜礼拝を終わります。演奏や賛美をささげてくださった方、共に祈りをささげてくださった皆さんに、心から感謝を申し上げます。

なお、本日の聖夜礼拝に出られなかった人のために、明日25日の午後1時半から、神の祝福を分かち合う、パンと水を分け合う式「愛餐式」を中心とした、クリスマス祈祷会を行います。

配信を見られている方で、明日なら出られるかな、出てみたいな、という方は、どうぞ気軽にお越しください。本日は寒い中、教会にお越しくださり、改めて感謝致します。

どうぞ、礼拝堂の左右から、外へ出られる階段につながっているので、三密を避けて、左右両方からお帰りください。賛美歌の拡大コピーが挟まれた冊子は、お帰りの際、受付へお返しください。それでは皆さん、良いクリスマスを!