日曜礼拝 2025年1月19日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を、配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
主はわたしに言われた。「人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい。(エゼキエル書3:4)
讃美歌
旧讃美歌531番「こころの緒琴に」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆平和の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。本日は信徒立証礼拝の予定でしたが、諸事情のため2月16日に延期することとなりました。今回は柳本伸良牧師のメッセージを代読して、この礼拝を守ります。どうか今、普段から直接メッセージを聞けない人と心を合わせることができますように。
◆私たちの神様。柳本伸良牧師は、2週続けて、城之橋教会へ礼拝奉仕に行かれています。どうか今、城之橋教会の信徒、会衆、牧師の上に、あなたの支えと導きが豊かにありますように。特に、治療中、療養中の方々に、あなたの癒しがありますように。
◆私たちの神様。来月、2月23日には、地域の人にもオープンにして、午後からピアノの奉献コンサートが開かれます。どうか今、この機会を通して、華陽教会をみんなに知ってもらい、あなたがもたらす良い知らせを、豊かに分かち合えますように。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書4:18〜25の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書の5頁です。
同じく、マタイによる福音書4:18〜25の聖書協会共同訳を朗読します。新約聖書の5頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編40:6〜12(新共同訳交読詩編より抜粋)
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『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の459番「飼い主わが主よ」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
本日は、「仕事と家族を捨ててきた?」と題して、城之橋教会で礼拝奉仕を行っている柳本伸良牧師のメッセージを代読させていただきます。
「私に付いて来なさい」「私に従いなさい」「私のもとに来なさい」……イエス様の呼びかけに従った最初の弟子たち、後に「十二使徒」と呼ばれるようになった者たちは、仕事と家族を捨てて、すぐイエス様に従った様子が、聖書の中に描かれています。そのうちの4人は、ガリラヤ湖で魚を獲っていた漁師でした。彼らは仕事の真最中でした。
ペトロとアンデレは、湖で網を打っているとき、それを見たイエス様から呼びかけられます。「私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」……マタイによる福音書では、このシーンがイエス様と2人の最初のやりとりです。初対面でいきなり「私に付いて来なさい」と言われます。本来なら「誰この人?」「何言っているの?」となるシーンです。
ところが、2人はすぐに網を捨てて、イエス様に従います。漁の最中に、仕事の途中で初対面の男に付いて行きます。現代でも、網は漁師にとって、貴重な道具の一つですが、数人がかりで一枚一枚、手作業で作っていた時代には、なおさら貴重な物だったでしょう。簡単に捨てていけるような、すぐ買い直せるような代物ではありません。
サラリーマンがパソコンを捨てて付いて行くような衝撃的な展開です。しかも、イエス様の誘い文句は、ことさら魅力的にも思えません。「私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう」……皆さんも「人間をとる漁師って何だ?」と疑問に思ったことでしょう。私もよく分かりません。
漁師とは、魚をとる職業です。「人間を網でとりたいか?」と言われても、誰も頷きませんよね? 魚を釣るように「人間を釣る」という表現も、あまりポジティブなイメージはありません。どちらかと言うと、「フィッシング詐欺」とか、「釣り動画」とか、誰かを騙して詐欺に引っ掛ける、ネガティブなイメージの方が強いかもしれません。
古代イスラエルでは、「人間をとる漁師」と聞いて、何かピンと来るものがあったんでしょうか? 実は、エレミヤ書16章16節に、こんな言葉が出て来ます。「今、私は多くの漁師を遣わし、漁師たちは彼らをすなどる」「その後、私は多くの狩人を遣わし、狩人たちはすべての山、すべての丘、また岩の割れ目から彼らを捕らえる」
それは、イスラエルがバビロニアの侵攻によって滅ぼされ、多くの人が外国で捕虜となっていた時代、神様が預言者を通して残された言葉です。今は、多くの者たちが国を失い外国に散っているけれども、神様は散っていった全ての者を回復するため、彼らを集める漁師や狩人を遣わして、追いやられた人々を自分の国へ迎えるときがやって来る。
ただし、神様の遣わす「漁師」や「狩人」に集められた人々は、神に背いた過ちと罪を「倍にした罰」を受けてから、自分の国へ帰ることができる、という預言なので、やはり「人間をとる漁師」には、恐ろしいイメージがついてきます。王と国民の不義や不正を告発し、悔い改めて救われるよう促してきた「神の人」「預言者」を彷彿とさせる表現です。
もし、ペトロとアンデレが「自分も預言者のようになりたい」と憧れていたなら、「人間をとる漁師にしよう」というイエス様の呼びかけは、魅力的に聞こえたかもしれません。けれども、初対面の人間が、預言者の言葉を思い起こさせる呼びかけをしても、すぐ信用できるかと言えば、そんなことはありません。まず、何者か問いかけるのが普通です。
ところが、2人はイエス様が誰なのか、尋ねることもしないまま、すぐに網を捨てて従います。まるで、宣教を開始したばかりのイエス様のことを、もとから知っていたように見えてきます。確かに、ヨハネによる福音書では、ペトロとアンデレの兄弟は、もともと洗礼者ヨハネの弟子で、彼からイエス様について聞いていたことが記されていました。
洗礼者ヨハネはイエス様に洗礼を授けた張本人で「イエス様こそ、神様がこの世に遣わすことを約束していた救い主だ」と人々に伝えていた人物です。もしかしたら「わたしに付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかけられた兄弟は「この方は、洗礼者ヨハネが『見よ、神の小羊だ』と言っていた人だ!」と気づいたのかもしれません。
洗礼者ヨハネの弟子であった2人が、イエス様に従って、そのあとに付いて行く様子を目にした人々は「ついに、ヨハネが言っていた『私より力のある方』『聖霊と火であなたがたにバプテスマをお授けになる』と予告していた方がやって来たんだ」と察する場面になったでしょう。
別の2人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとヨハネも、ペトロとアンデレを連れたイエス様がお呼びになると、すぐに舟と父を残して、イエス様に従います。彼らも察したんでしょう。ペトロとヨハネが従っているこの人こそ、洗礼者ヨハネが告げていた、あの救い主メシアなんだと。
仕事を捨てて、すぐに従う弟子たちの様子は、一見すると、イエス様が特別な方だと即座に分かり、ためらうことなく付いて行った、すごい人たちのように思えるかもしれません。私たちも、ためらうことなく、疑うことなく「すぐに従う信仰」を持たなければならないと、言われているように感じるかもしれません。
しかし、イエス様に呼びかけられ「すぐに従った」ように見えている弟子たちも、洗礼者ヨハネによって、救い主イエス・キリストを迎える準備をさせられていた者たちの一人だったのだろうと思います。実際、弟子たちはイエス様に従ってから「一体、この方はどういう人なのだろう」と改めて自問するシーンが出て来ます。
彼らも特別、信心深い目があったわけではないんです。むしろ、イエス様の言うこと、為すことを理解できなくて、混乱したり、信仰の薄さを指摘されたりする人間です。彼らが弟子として選ばれたのは、彼らの信仰が際立っていたからではありません。知恵や能力が高いからではありません。イエス様が彼らと関係を築きたかったから選ばれたんです。
一方で、ヤコブとヨハネがイエス様に従うシーンでは、別の問題が出てきます。それは父親と一緒に、舟の中で網の手入れをしていた息子たちが、父親のことも放置して、イエス様に付いて行ってしまうことです。いやいや、仕事を捨てて付いて行く覚悟は分かるけど、父親まで捨てて行くのは、あっさり家族を置いて行くのは、ちょっと違いません?
神様が人々に授けた「十の戒め」に「あなたの父と母を敬いなさい」と出てくるのに、話が違うじゃないですか? しかし、実際に、イエス様に従う弟子たちが、父親を残して置いて行く場面を目にすると、仕事を捨てて、家族を捨てて、キリストに従う信仰が試されている、要求されていると、考える人もいるかもしれません。
けれども、このシーンは、イエス様の弟子たちが、イエス様に従うため、家族と関係を切って、家族を顧みなくなって、付いて行ったという話ではありません。なぜなら、この後も、イエス様の弟子たちと、家族との関係は切れておらず、続いているからです。それどころか、イエス様は、弟子たちの家族とも、新たに関係を築いていきました。
たとえば、マタイによる福音書8:14〜17では、イエス様がペトロの家に行って、熱を出していた姑を癒された話が出てきます。「姑がいる」ということは、ペトロも結婚して、家庭を持っていたんでしょう。彼は、イエス様に従った後も、自分の家へ帰ったり、イエス様を招いたり、姑を癒してもらったりしていました。
また、マタイによる福音書20:20〜28では、父親を舟に残して、イエス様に付いて行ったヤコブとヨハネの母親が、息子たちと一緒にイエス様のところへ来て、願い事をするシーンが出てきます。どうも、息子たちは両親と関係を切らされたわけではなさそうです。むしろ、母親も息子たちと一緒に、イエス様のもとを訪れる関係ができていました。
そう言えば、網を捨てて、舟を残して、イエス様についてきた弟子たちは、湖を移動するため、度々舟を出していました。イエス様に従ってからも、自分たちの食料を得るため舟から網を下ろすシーンもありました。それらの道具は、家族や仕事仲間と共有していたものだったでしょう。
「仕事を捨てて」付いて来た弟子たちは、その後も、仕事仲間や家族から、舟を借りることができる、網を借りることができる、それぞれの絆と関係を築き続けていたわけです。そう、弟子たちが仕事を捨てて、家族を置いて、イエス様に付いて来た話は、破壊的カルトでよく見られるような、関係性の破壊をもたらす話じゃありません。
むしろ、イエス様は、弟子たちと家族の関係を蔑ろにせず、彼らの家を訪れて、家族を癒し、家族と話し、新しい関係を築いていきました。イエス様は、あなたの家族も蔑ろにはされません。日曜日、家に残してきた家族、一緒に来られなかった身内のもとにも、あなたが置いてきた仲間のもとにも、イエス様は訪れます。
教会へ来る人だけが、癒されたわけではありません。イエス様の話を聞きに来た人だけが、神の国の福音を、良い知らせを聞かされたわけではありません。イエス様は、自分を訪れる人だけでなく、自分からガリラヤ中を回って、あちこちを訪れて、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒やされました。自分から町や村へ行って、神の言葉を伝えました。
今日、あなたが置いてきた者、残してきた者のもとにも、イエス様は訪れます。あなたがここから送り出され、自分の家へ帰って行くとき、イエス様もあなたと一緒に、あなたを待っている人たちのもとへ、帰って来るんです。あなたがイエス様に付いて行くとき、その場に残してきた者は、残されたままにはされません。
だから、この方の呼びかけを聞きなさい。安心して従いなさい。イエスは言われた。「私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう」それは、あなたに向かって語られた言葉でもありました。あなたとの関係を築く呼びかけでもありました。あなたが置いてきた者をも呼び集める声でした。さあ、「平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。」
讃美歌
オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題
御着席ください。新年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。
年間聖句
「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。」
年間主題
華陽教会では、「ここをみんなに知らせよう」というテーマで、ヨハネによる福音書17章18節を今年度の年間聖句にしています。
今週は、新学期の始まった、聖愛学園、済美学院、金城学院の子どもたち、職員のために祈りを合わせ、ここにも居場所ができるよう、つながりを大事にしていきましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」4節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。(マタイによる福音書4:19)
祝 福
主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。(ヨハネの黙示録22:21)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
先週に引き続き、柳本伸良牧師は城之橋教会で礼拝奉仕のため不在です。来週の日曜日は『悔い改めと天の国』と題して、マタイによる福音書4:12〜17から柳本伸良牧師がお話ししてくださいます。
本日はこの後、ハレルヤランチを挟んで、月毎にテーマを定めて学びのときを持つ「ぶどう園の集い」と、近況を自由に分かち合う「ヒラソルの会」も開かれます。お昼をいただく方、集会に出られる方は、2階集会室へお集まりください。
なお、牧師の休暇・出張のため、休会していた聖書研究祈祷会は、22日(水)午後1時半から2階礼拝堂で再開します。こちらも興味のある方はぜひ、お越しください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。