ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『奴隷を主人に帰したら』フィレモンへの手紙8〜16

聖書研究祈祷会 2025年2月12日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の520番「真実に清く生きたい」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆希望の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、日本国際ギデオン協会岐阜支部の方々による証のときが持たれました。どうか今、ギデオン協会をはじめ、キリスト教関連団体の働きが、誠実に、豊かに導かれ、聖書の言葉に触れる機会が、これからも広がっていきますように。

◆私たちの神様。今度の日曜日には、華陽教会の信徒による信仰の証が行われます。どうか今、お話しくださる教会員が強められ、あなたから受けてきた恵みを、一緒に分かち合うことができますように。

◆私たちの神様。再来週には、華陽教会でピアノ奉献コンサートも行われます。どうか今、これら一つ一つの行事が最初から最後まで、あなたによって導かれ、ここへ訪れる人たちに豊かな祝福がありますように。

◆全ての者を招いてくださる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。フィレモンへの手紙8〜16の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書の399頁です。

 

同じく、フィレモンへの手紙8〜16の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書の390頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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AndPan614によるPixabayからの画像

メッセージ

 主人のもとから逃げた奴隷を、元の主人へ送り返そうとする聖職者……逃亡奴隷を保護するどころか、逃げ出した家へ帰してしまう宣教師……こう聞くと、優しい牧師や神父というより、聖職者の皮を被った血も涙も無い冷酷な人物に感じられます。しかも、それがキリスト教を世界に伝えたパウロであると聞かされたら、皆さんはどう感じるでしょう?

 通常、主人に背いて逃げた奴隷が、見つかったときに待っているのは、より酷い仕打ちか重い刑罰です。ローマ帝国の法律でも、奴隷の主人が逃げた奴隷を見つけた場合、厳しく罰することが許されていました。イエス様の教えと業を伝える者が、奴隷の所有に反対せず、その支配から逃れさせない……現代の私たちから見ると、素通りできない問題です。

 当時の奴隷制度が、アフリカにルーツを持つ有色人種への差別や、インドにあるカーストのような階級制度でもなかったとは言え、人を誰かの所有物として扱ったり、主人の裁量で、酷い待遇も許されたりと、容易に肯定はできません。法的・経済的な社会制度の範疇でも、人を「物」のように扱うことは「愛」から離れる態度です。

 パウロはなぜ、信徒の一人であるフィレモンへ、奴隷であったオネシモを解放するようこのまま保護させてほしいと言わなかったのでしょう? わざわざ奴隷を送り返さず、「私が引き取って自由にします」と、手紙に書かなかったのでしょう? 奴隷の所有者に強く出られない、忖度しなければならない事情が、パウロにも存在したんでしょうか?

 確かに、手紙の宛先であるフィレモンは、コロサイに住む裕福な人で、教会の集まりのために、自分の家を開放している人物でした。つまり、礼拝の会場を提供している支援者でした。教会員の中でも有力者です。もし、フィレモンが機嫌を損ね、家を開放しなくなったら、コロサイの教会は、会衆の礼拝は、立ち行かなくなります。

 けれども、その割に、パウロからフィレモンに対するご機嫌伺いはありません。フィレモンの奴隷であるオネシモに、代わりに仕えてもらおうと思っていたり、承諾なしには何もしないけど「自発的にそれを許してくれるよね?」と圧を感じさせるところ、ついでに「自分のために宿泊の用意もしてほしい」と言ってくるなど、けっこう遠慮がありません。

 何なら図々しささえ感じます。それくらい、お互いに信頼関係が築けている、親友のような間柄だったのかもしれません。どうやら、金持ちに対する忖度として、奴隷を帰したわけではなさそうです。そもそも、パウロは投獄されているため、奴隷を無理やり、送り返すことはできません。一緒についていくことができないからです。

 普通、檻の中から「主人の家へ帰ってほしい」と言われても、奴隷は家へ帰りません。「嫌です」「帰りたくありません」と言われて終わりです。むしろ、自分を主人のもとへ帰らせようとする相手から、再び逃げ出そうとするのが自然でしょう。オネシモ自身の同意がなければ、奴隷が自分の足で帰らなければ、主人の家へ、フィレモンのもとへ、向かわせることはできません。

 そう、驚くべきことに、この手紙の内容は、主人のもとから離れた奴隷が、自ら進んで帰らなければ、自分で家に向かわなければ、成り立たない話です。奴隷が主人を信頼し、和解できると信じなければ、送る意味のない手紙です。つまり、オネシモ自身が、別れた主人とやり直したい、関係を築き直したい、と思って、初めて成立するお願いです。

 どうやら、オネシモが主人のもとから離れた理由は、重労働を課せられたり、虐待をされたりしたからではなく、「役に立たない者」として見なされたことにあるようです。「オネシモ」という彼の名前は、ギリシャ語で「有益な者」という意味でしたが、その名のとおり、「役に立つ」という評価は受けていなかったようでした。

 むしろ、問題視されることが多く、主人とも、しょっちゅう揉めていたのかもしれません。なんなら、フィレモンが家を貸していた教会の人々とも、衝突していたのかもしれません。以前も少し触れたように、この手紙は、フィレモン個人へ宛てて書かれたにもかかわらず、教会の他の人々も一緒に見ることを意識していたように思われます。

 もしかしたら、パウロが願っていたのは、オネシモが関係を拗らせて出ていった、教会の人たち、みんなとの和解だったのかもしれません。主人の信仰を理解せず、家に集まる他の信徒とも上手くいかず、離れていったオネシモが、今や、同じキリスト者として、仲間として召されていると、知ってほしかったのかもしれません。

 実際、オネシモはパウロから「監禁中にもうけたわたしの子」と言われるように、投獄中のパウロから洗礼を受け、「わたしの愛する協力者」と言われるまでになりました。もはや、パウロだけでなく、フィレモンにとっても「仲間になり得ない者」から「兄弟として帰ってくる者」に変わったことが告げられます。

 「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています」「彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません」……この言葉は、おそらく、フィレモンとその家にいる教会の人、全員に向かって言われた言葉です。

 皆さんの中にも、教会に同僚を連れてきて、友人を連れてきて、他の信徒をギョッとさせるような、トラブルに見舞われた人がいるかもしれません。身内が、信徒と言い合いになって、二度と来てもらえない、二度と連れて来られない……と感じたことがあるかもしれません。

 教会につまずきをもたらした……他のみんなも巻き込んだ……正直、何回謝ってきても仲間として受け入れられる自信がない。おそらく、コロサイの教会の人々も、フィレモンから離れたオネシモが、兄弟として帰ってくることは想像できなかったんでしょう。だからこそ、パウロはしつこく、彼はもう奴隷以上の者、一人の人間としても、神を信じる者としても、愛する兄弟になっていることを伝えます。

 「分かります……期待してなかったでしょう。もう戻ってくるとは思わなかったでしょう。でも、彼は帰ってきたんです! 単なる奴隷労働の従事者ではなく、あなたがたの兄弟として、愛する仲間として、帰ってきたんです! どうか、あなたも自発的に彼を受け入れ、兄弟として迎えてください。わたしの子であるこの人を、あなたの兄弟に迎えてください!」

 そういえば、パウロ自身も、もともとイエス様の弟子たちから、仲間になり得ない者として、教会を破壊してきた人物として、受け入れ難く思われていた人物でした。迫害者として、弟子たちを捕まえ、キリスト者を処刑し、悪評を撒いていた人物でした。ところがそんな彼のために、アナニアやバルナバが全力でとりなし、教会を帰れるところにしてくれました。自分を迎える場所にしてくれました。

 そのパウロから、今度はオネシモが帰る場所を整えられます。パウロをよく知るフィレモンや教会の人々は、この信じ難い手紙の内容を、受け入れざるを得なかったでしょう。オネシモと同じく「有益な者」と言えなかった、「有害な者」と恐れられた、彼らの愛するパウロ自身が、キリストの子として、兄弟として、変化した様を見ていたからです。

 この手紙は、単に、奴隷を主人へ返す話ではありません。奴隷だった者が、愛する兄弟として、自分の家へ帰らされる話です。大勢の悪霊に取り憑かれ、墓場を住まいとしていた者が……重い病に侵されて、みんなと別居していた者が、「自分の家へ帰りなさい」と告げられて、居場所の回復を宣言されたように……オネシモも、自分の家へ帰らされます。

 私たちはどうでしょうか? 自分の帰るべき場所が分かっているでしょうか? 兄弟が帰ってこられる場所に、私たちはなっているでしょうか? フィレモンに語られた言葉はあなたにも、私にも、語られています。「そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。」……アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている兵庫県宝塚市の宝塚教会のために、諸教会のために、地域の人のために、会衆の家族のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆兵庫県宝塚市の宝塚教会のために祈ります。コロナの影響、高齢化など、会衆の交流の機会が壊されていく恐れの中で、無理のない交流を造り出していくことができますように。一人一人の祈りが聞かれ、喜びを分かち合えますように。

◆諸教会のために祈ります。岐阜地区をはじめ、全国にある教会へ、あなたの慈しみがありますように。特に、大雪や豪雨に悩んでいる地域、過疎や貧困が心配されている地域の人に、あなたの助けと励ましがありますように。

◆地域の人のために祈ります。華陽教会、芽含幼稚園の近隣をはじめ、市内、県内、県外におられる人たちに、あなたの恵みがありますように。私たちの教会を通して、新たな希望や結びつき、変化や気づきがもたらされ、新しく生きる力になりますように。

◆会衆の家族のために祈ります。病気の人、怪我をした人、障害のある人、衰えを感じている人、それぞれに、あなたの慰めと癒しがありますように。一緒に暮らしている全ての生き物に、あなたの憐れみがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌1番「枯れた谷に鹿が」(©️柳本和良)を歌います。



主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『図々しいお願い』と題して、フィレモンへの手紙17〜23のお話しをします。

 

なお、2月23日(日)午後2時から3時には、華陽教会でピアノ奉献コンサートを予定しています。コンサートは無料で、予約も必要ありません。受付に献金箱を設置しているので、お越しいただける方は、ご献金くださると嬉しいです。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。