聖書研究祈祷会 2025年2月19日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の16番「われらの主こそは」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆力の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。
◆私たちの神様。先日の日曜日は、華陽教会の信徒による信仰の証をみんなで聞くことができ、感謝致します。どうか今、一人一人に与えられる、あなたの恵みと導きが、さらに多くの人へ広がるように、私たちの思いと言葉と行いをこれからも豊かに用いてください。
◆私たちの神様。入院中の人、療養中の人、身内のケアをしている人に、あなたの助けがありますように。どうか今、離れている人、会えない人にも、あなたの癒しがもたらされ、回復が導かれますように。
◆私たちの神様。今度の日曜日には、華陽教会でピアノ奉献コンサートが開かれます。どうか今、ご奉仕くださる一人一人が支えられ、多くの人が招かれて、この教会を知ってもらえる良い機会となりますように。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。フィレモンへの手紙17〜25の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書の400頁です。
同じく、フィレモンへの手紙17〜25の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書の391頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |

メッセージ
主人のもとから逃げ出した奴隷を、もとの主人へ送り返し、その主人に、奴隷ではなく兄弟として、彼を迎えるようお願いをした宣教者……フィレモンへの手紙を書いた、使徒パウロは、信徒に対して無茶な要求を続けます。「オネシモを私と思って迎え入れてください」自分の教会の指導者から、こんなふうに言われたら、なかなか無碍にはできません。
しかも、パウロはフィレモンに「彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それは私の借りにしておいてください」とまで語ります。現在進行形で迫害を受け、牢に囚われている宣教者から、信仰のゆえに苦難を受けている大先輩から、ここまで言われてしまっては、断るわけにいきません。
パウロは14節でフィレモンに、「あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちではなく、自発的になされるようにと思うからです」と言っていましたが、もう半ば強制のようなものですよね? ものすごく断りにくい頼み方を、彼は巧みに仕掛けてきます。
ただし、破壊的カルトのリーダーによく見られるような、断った場合の「脅し」「脅迫」はありません。「もし、この願いを断ったら、あなたに悪魔が入るでしょう」とか、「私の言うことを聞いてくれなければ、神様があなたを守ってくれることもないでしょう」とか不安や恐怖を煽るような強制力の掛け方は、この手紙には見られません。
また、「私の願いを聞いてくれたら、富と健康に恵まれるでしょう」とか、「私の言うことに従えば、あらゆる困難から守られるでしょう」とか、服従と引き換えの報酬を保証することもありません。自分を助けてくれたら事故に遭わないとか、自分の言うことを聞いたら病が癒やされるとか、特別な効果効能を匂わせて、従わせることもありません。
むしろ、パウロ自ら負債を負う、借りを作る形で、お願いを受け入れてほしいと頼んできます。また、「わたしパウロが自筆で書いています」と、この手紙が、約束の証書になることも保証します。しかも、この手紙はフィレモンの「家の教会」にいるみんなの前で読み上げられることを前提に書かれた手紙です。
つまり、パウロは会衆全体を証人にして、フィレモンに約束をするんです。オネシモが作った負債や損害は「わたしが自分で支払いましょう」「私が返済します」と公に宣言するんです。教会の会衆の前で宣言する以上、信者から集めた献金を返済に充てることはできません。彼自身が担う手仕事で、逃亡奴隷の負債や損害を返すことになるわけです。
さらに、パウロはフィレモンに「わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう」「ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます」とも記します。もし、フィレモンがこの要求を断っても、一方的に彼が責められることのないように、断られても仕方のない「図々しさ」「遠慮のなさ」を押し出して、自由な選択を促します。
「そうです。兄弟よ。主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください」……これは、パウロの本心でしょう。単なる師弟関係ならできない要求を、単なる雇用関係ならあり得ない願いを、あなたたちなら受けてくれると、心から信じて、期待して、つぶやいている言葉です。
もちろん、こういったやりとりができるのは、それだけ遠慮のない間柄、信頼関係ができていたからでもあるでしょう。加えて、そのやりとりを「家の教会」にいるみんなの前でも読み上げられるわけですから、パウロと会衆全体に、しっかりと信頼関係が築かれていたのだと思います。
実際、手紙に出てくる最初の挨拶には、「協力者フィレモン」「姉妹アフィア」「戦友アルキポ」といった呼びかけが出てくるように、フィレモンの家族と、家の教会の人たちが、パウロと二人三脚で宣教に励んできた様子が垣間見えます。結びの言葉にも同様に、彼らの仲間、家の教会の身内である、親しい人々の名前が出てきました。
「私と共に捕らわれの身となっているエパフラスが、あなたによろしくと言っています」「私の協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです」……不思議ですよね? 捕らわれの身となっているのに、旅行先から送られてくる手紙のように、日常的な言葉で挨拶が綴られます。監禁されている人の台詞じゃないですよね?
囚人となっているのに、投獄されているのに、パウロがお願いするのは、自分を自由にするための要求ではありません。オネシモを奴隷ではなく、家族として迎えてほしいという頼みです。囚人が、奴隷の解放と受け入れを要求し、それこそが自分の心を元気づける応答だと言うんです。
そう、パウロは、今の自分を捕らえている状況が、不自由な状況だとは言いません。伝道が、牧会が、宣教が、邪魔されている状況だとは言いません。むしろ、牢獄でオネシモと出会い、自分の子として彼を養い、洗礼を授けて弟子にした、驚きの出来事が告げられます。監禁されて教会へ行けなくなるどころか、監禁場所が教会へと変えられます。
かつて、負債や損害をもたらした者が、信仰を共有する頼もしい仲間に変えられます。捕らわれの身となっている彼自身も、その仲間も、自分たちの業が封じられ、閉じ込められてしまったとは言えません。ここで喜びが与えられ、ここで希望が与えられ、ここで力が湧いてくるからです。彼らは、慰めの要求ではなく、むしろ励ましを送ります。
「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにありますように」「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にありますように」アーメン。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている兵庫県西宮市の西宮一麦教会のために、中部学院大学のために、済美高校のために、芽含幼稚園のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆兵庫県西宮市の西宮一麦教会のために祈ります。隣接する一麦保育園の子どもたち、保護者、職員が、イエス様との出会いへ導かれますように。教会学校に、新しく子どもたちが招かれますように。
◆中部学院大学のために祈ります。卒業する学生たちの新しい出発が祝福され、それぞれの進路が整えられますように。新しく学生たちを迎える教員、職員が支えられ、招かれる一人一人に、良い出会いが導かれますように。
◆済美高校のために祈ります。生徒一人一人の健康と体調が守られて、受験や就職で悔いなく力を発揮できますように。進路が決まっていない子どもたちにも、新しい希望と安心できる道が備えられますように。また、側で支えている先生がたも支えられますように。
◆芽含幼稚園のために祈ります。雨や雪のため、延期しているお別れ遠足が、無事に行えますように。卒園する子、進級する子、入園してくる子どもたち、それぞれに、あなたの祝福がありますように。特に、ここを必要とする家族との出会いが導かれますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌18番「あの方が独り子を」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『待ち受ける闇』と題して、ユダの手紙1〜7のお話しをします。なお、今度の2月23日の日曜日、午後2時から3時には、華陽教会でピアノ奉献コンサートを予定しています。
コンサートは無料で、予約も必要ありません。受付に献金箱を設置しているので、お越しいただける方は、ご献金くださると嬉しいです。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。