日曜礼拝 2025年3月2日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。(使徒言行録12:8)
讃美歌
旧讃美歌515番「十字架の血に」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆憐れみ深い神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。先週の日曜日には、午後からピアノ奉献コンサートが開かれ、多くの人と、素敵な演奏を味わうことができました。どうか今、ここに訪れた一人一人に、あなたの恵みが豊かにあって、新しい出会いと関係を築いていくことができますように。
◆私たちの神様。長い間、入院している方々や、自宅で療養している方々、身内の介護やケアをしている方に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、助けを必要としている一人一人に、あなたの癒しと回復がもたらされますように。
◆私たちの神様。親しい人との別れや、大切にしていた存在を見送った方々に、あなたの慰めがありますように。どうか今、やがて来たる神の国で、再び会える希望を胸に、新しく生きていくことができるように、残された一人一人を力付けてください。
◆私たちを支え導き起こされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書14:22〜36の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書28頁です。
もう一箇所、マタイによる福音書14:22〜36の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書28頁です。お持ちでない方は新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編107:10〜22、新共同訳交読詩編の124頁です。
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『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の156番「目を上げ、わたしは見る」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
聖書の中には、イエス様の起こした様々な奇跡が描かれますが、その中でも有名な話の一つが、湖の上を歩いて、弟子たちの方までやってくるという奇跡です。それはちょうどイエス様が5つのパンと2匹の魚を5千人以上の人々に分け、全ての人が満腹になったあとのことでした。
本来、大きな奇跡を起こした後は、話を信じてもらいやすく、自分の言うことを聞いてもらえる絶好のチャンスです。不思議な業によって人々を惹きつけ、信者を増やすことができる最高のタイミングです。ところが、イエス様はパンを増やしたり、病人を癒したり、何か奇跡を起こした後、たいてい人里離れたところに退いて、姿を消してしまいます。
この時も、弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行くよう言い、その間に群衆を解散させてしまいました。病人や空腹の者を助ける奇跡を利用して、人集めを行ったり、言うことを聞かせたりはしませんでした。イエス様にとって、困っている人、苦しんでいる人を助ける行為は、信者を増やす手段ではなく、神様の愛が滲み出たものでした。
そのため、湖の上を歩く奇跡も、弟子たちの他は誰も目撃していません。先に向こう岸へ行くよう言われて、舟を漕ぎ出した弟子たちは、たいへん心細かったでしょう。既に日は暮れ、辺りは暗く、群衆が解散した岸辺は、シンっと静まり返っています。イエス様は一緒に舟に乗らないで、祈るために、一人山へと登っていきます。
実は、この少し前、イエス様に洗礼を授けたバプテスマのヨハネが、領主ヘロデによって殺されるという事件がありました。ヨハネの弟子たちがそのことを伝えると、イエス様はすぐ、人里離れたところへ行って祈ろうとします。しかし、群衆がイエス様の後を追いかけてきたため、一人になることができません。
集まってきた病人を癒し、空腹だった人々にパンを与え、ようやく、群衆を解散させたイエス様は、今度こそ、一人になって祈るため、弟子たちを強いて舟に乗せ、自分だけ岸に残って、山の上へと登っていきます。亡くなった洗礼者ヨハネのために、残された遺族や友人のために、神様へ祈っていたんでしょう。
一方、舟に乗せられた弟子たちは、まもなく逆風に悩まされます。日が暮れた湖で強風に遭い、波に揉まれる恐怖と言ったらないでしょう。弟子たちは12人中4人が元漁師でしたが、それでも舟をコントロールすることはできず、明け方まで陸に着くことができません。同じような嵐に遭って、命を落とした人たちのことが頭に思い浮かびます。
そういえば、ここへ来る前、領主ヘロデに捕らえられた、洗礼者ヨハネが亡くなったことを教えられた。イエス様に洗礼を授けたあの人も、守られないで死んでしまった。イエス様についてきた私たちも、このまま波に揉まれて転覆し、死んでしまうんじゃないだろうか? 守ってもらえないんじゃないだろうか?
次々と不安が襲ってきます。すると、夜が明ける頃、湖の上を歩いて、自分たちの方へやってくる人影のようなものが見えました。弟子たちは皆「幽霊だ」と言って怯え、恐怖のあまり叫び声をあげてしまいます。しかし、その方こそ、山の上で祈り終えて、弟子たちの後を追ってきたイエス様でした。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」……イエス様の声を聞いて、弟子たちの一人、ペトロは恐る恐る答えます。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」……もし、あなたが本当に湖の上を歩いてきたなら、私のことも、水の上を歩かせることができるはずです。
なかなか挑戦的な提案です。イエス様を幽霊と勘違いし、すぐには気づけなかった弟子が、本当にイエス様本人なのか、神の子である救い主なのか、試してくるという展開。下手したら、だいぶ失礼ですよね? 「わたしを疑っているのか?」「信じられないのか?」「お前は何様なのか?」と叱責されても不思議ではありません。
ところが、イエス様はあっさりペトロの要求に応え、「来なさい」と命じて、彼に水の上を歩かせます。この時のペトロは、信じたいけど、信じきれずに、疑っている状況です。自分を呼んでくれた方が、イエス様だと信じたい、湖の上を歩ける神の子なんだと信じたい……でも、疑い迷ってしまうから、近くに行かせてもらって確信を得たい。
歩き始めた彼の足は、そのまま沈むことなく、一歩二歩とイエス様の方へ進んでいきます。信仰が強いから、水の上を歩けたわけではありません。疑わずに信じたから、湖の上を進めたわけではありません。信じたいけど信じきれずに、迷っているにもかかわらず、イエス様が「来なさい」と呼んでくれたから、水の上でも進むことができたんです。
ところが、彼は途中で強い風に気がついて怖くなり、結局、沈みかけてしまいました。目の前を死がチラつきます。神様に守ってもらえなかったヨハネの死、湖で溺れてしまった人たちの死、自分にも訪れるかもしれない死……やっぱり、守ってもらえないんじゃないか? このままついていったら、自分も沈んでしまうんじゃないか?
そんな不安に襲われます。恐ろしくなったペトロは「主よ、助けてください」と叫びました。イエス様はすぐ手を伸ばしてペトロを捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言って引き上げます。そうです。彼は信仰の薄い者でした。湖の上を歩いてきた方が、神の子イエス・キリストだと、すぐに気づくことも、信じることもできませんでした。
信じたいけど、信じられずに「本当にあなたでしたら……あなたであると確信させてください」と願った人でした。さらに、願いどおり、イエス様の方へ進むことができてからも、強い風に気を取られ、「やっぱり守ってもらえないんじゃないか?」「沈んでしまうんじゃないか?」と疑ってしまう人間でした。
しかし、イエス様は、信じない者が信じる者となるように「来なさい」と呼びかけることを惜しみません。信仰の薄い者に対し、手を伸ばすことをためらいません。病人を癒す奇跡を見ても、パンを増やす奇跡を見ても、未だ、信じきれない彼らに対し、信じることができるまで、新しく出会い続けます。
やがて、2人が舟に乗り込むと、風は静まり、船の中にいた他の弟子たちは、口々に言いました。「本当に、あなたは神の子です」……それは、イエス様が十字架につけられて、息を引き取り、大きな地震が起こったときに、イエス様を十字架につけた百人隊長が呟く言葉と一緒でした。「本当に、この人は神の子だった」
一見、守ってもらえなかった人の死が、神様に見放されたように見える死が、ただそれだけでは終わらないことを、イエス様自身が示します。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と、信仰を捨てたように見える叫びが、そのまま放置されないことを、十字架にかかった神の子自身が、三日目に復活して証しします。
イエス様は、自分のことを幽霊だと間違え、怯えてしまった者に対しても、自分を神の子と信じられず、十字架につけてしまった者に対しても、救いを期待できなくなって、神様に見捨てられたと叫んでいる者に対しても、「本当にあなたは神の子です」と言えるまで、救いを信じて受け入れるまで、死を超えて働きかけるお方です。
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われたペトロは、疑ったままにはされませんでした。信仰の薄いまま、沈んでいくままにはされませんでした。疑いも、つまずきも、不安も、恐怖も、信仰をなくすどころか、信仰を育む力に変えて、彼を育ててくれました。私たちも同じです。あなたの問いや疑いは、信仰を厚くする一歩になります。
だから、安心してください。信じられないとき、疑ってしまうとき、信仰の薄い者だからと、神様に見捨てられることはありません。むしろ、「来なさい」と両手を広げて待っています。「なぜ疑ったのか」と手を伸ばして助けに来ます。神様は、あなたが信じないまま放っとける方じゃないんです。あなたが滅んでいくことを放置できない方なんです。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」……今まさに、自分の信仰に自信が持てない者、信じたいけど、信じきれずに、揺れ動いている者、これから信じようとしている者は聞きなさい。救い主は、あなたと新しく出会いに来ました。あなたを掴みにやって来ました。この方は今、命じています。「さあ、来なさい」
讃美歌
オンライン賛美歌19番「悲しみながら立ち去るとき」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖 餐[1]
御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。パンとグラスを取る際は、必ず自分の手で触れたものだけを手に取って、他の人の分は触らないようにお願い致します。
讃美歌
最初に、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(ご着席いただいたままで大丈夫です)
主の食卓への招き
兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」
また、福音書は伝えています。主は十字架につけられる夜、残される人々のために杯を取り、彼らと共に飲んで教えました。神の国で、あなたがたと共に、新たに飲むその日が来ると。この食事は、やがて来たる神の国で招かれる、主の食卓の先取りです。
主は、救いを信じて待ち望む者に、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない方、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。
感謝と聖別の祈り
世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。
主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。
私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。
陪 餐
ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。
まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯を配る)
オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。
(パンを手に取る)
これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」
「アーメン」
食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。
(杯を手に取る)
これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」
「アーメン」
飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。
陪餐後の感謝
共に、感謝の祈りをささげましょう。
愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。
あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
ご着席のまま、讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
私たちの主よ。今日の礼拝で受けた恵みに感謝します。今、一人一人がささげてくれた献金を誠実に用いることができますように。あなたの平和が実現し、あなたの栄光が現され、あなたの御名が、ますます豊かにほめたたえられますように。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」1節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。(マタイによる福音書14:29)
祝 福
永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(ヘブライ人への手紙13:20〜21)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった名、同時に視聴された20名、計8名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
来週の日曜礼拝は『試されるキリスト』と題して、マタイによる福音書4:1〜11のお話をします。なお、本日礼拝後、2階集会室と2階礼拝堂で、30分程度の受洗勉強会を行います。
洗礼を受けたい人、洗礼の決心はついてないけれど学んでみたい人、既に洗礼を受けているけれど学びに参加したい人、ご自由に参加できるようにしています。今週6日(木)も2時から受洗の学びを用意しているので、興味のある方はぜひ、ご参加ください。
それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。
[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。