ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『待ち受ける闇』ユダの手紙8〜13

聖書研究祈祷会 2025年3月5日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の54番「聖霊みちびく神のことばは」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆命の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こし、自らの罪を悔い改める「受難節」を迎えました。どうか今、私たちが償いきれない自分の罪を、あなたが負ってくださったことを覚え、一つ一つの過ちと向き合うことができますように。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターまで、残り6週間となりました。どうか今、神と人との和解の日、死が終わりではなくなった日をお祝いするため、一つ一つの準備を進めていくことができますように。

◆私たちの神様。洗礼を受けたいと思っている人、迷いながら考えている人、それぞれに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、神の民に迎えられ、新しく歩み始めることができるように、必要な気づきと変化を一つ一つもたらしてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ユダの手紙8〜13の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書450頁です。

 

同じく、ユダの手紙8〜13の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書438頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Erika VargaによるPixabayからの画像

メッセージ

 ユダの手紙は、ヤコブの手紙を下敷きにして、救い主イエス・キリストの兄弟ヤコブの弟が、同じ信仰を持つ仲間たちへ記した手紙という形で残されています。実際には、ヤコブの手紙もユダの手紙も、本人の手によるものというより、彼らが亡くなってから、残された人たちの手によって、後世の信仰者のために書かれたものと言われています。

 なぜなら、原文のようなギリシア語をヤコブやユダのようなユダヤ人が書き記したとは考えにくく、手紙に出てくる教会の状況も、「使徒」を過去の世代と考えており、第一世代のキリスト教徒の時代より後のものと考えられるからです。つまり、ヤコブやユダを知っている人たちが、その教えに基づいて注意すべきことをまとめた書簡と言えるでしょう。

 実は、この手紙には、旧約偽典と呼ばれるキリスト教の聖典には入らなかったユダヤ教の文書、『モーセの昇天』や『エチオピア語エノク書』の断片が、いくつか言及されています。たとえば、9節には、神に仕えたモーセの遺体の引き渡しをめぐって、大天使ミカエルと悪魔の言い争った話が出てきます。

 モーセとは、神様によって選ばれたイスラエル人の指導者で、奴隷だったイスラエル人をエジプトから脱出させ、約束の地カナンまで、民を率いた人物です。ユダヤ教の伝承によれば、彼が亡くなった後、遺体を埋葬する際、遺体を引き取ろうとした大天使ミカエルに、悪魔から「彼は罪人だから遺体を引き渡すように」と求められた話が出てきます。

 確かに、聖書でも、出エジプト記2章12節に、モーセがエジプト人を殺害した出来事が記されています。同胞のイスラエル人がエジプト人に打たれていたのを見て、止めようとしたのが理由とはいえ、モーセはその場で暴力を止めるのではなく、誰も見ていないのを確かめて、計画的にエジプト人を殺しているので、紛れもない犯罪です。

 悪魔はモーセについて、「殺人者」と罵ったり、天使に守られるような「名誉ある墓に入ることは許されない」と非難したり、様々な罵倒を行いますが、大天使ミカエルは、悪魔の主張に罵り返すことはせず、「主(神)が、あなたを罰されるように」と、神様に裁きを委ねます。

 ユダの手紙では、信仰者を罵り、非難する偽教師や偽預言者も、この悪魔と同様、神の裁きを受けることになると言われています。ちなみに、旧約聖書に出てくるサタンは、人間が神に忠実でいられるかをとことん試し、人間を誹謗する存在でした。ちょっと意外に思うかもしれませんが、神に敵対する存在というより、神に忠実であろうとするあまり、他者に厳しい態度を見せる存在として、ヨブ記などに出てきます。

 特に、神様が人間のことを褒めようとすると、「人間が神様を信じるのは、上手くいっているときだけです」「悪いことが起こったら、すぐ信じなくなるでしょう」「辛いことが続いたら、忠実じゃなくなるに決まっています」などと訴えて、人間は神の愛を受けるのにふさわしくないと主張する存在でした。

 後に、サタンは「悪霊を率いる統率者」と考えられるようになり、人間を神から引き離そうとする存在として、みなされるようになりました。しかし、もともとは今言ったように、神に忠実であるあまり、人間に厳しい態度をとり、どんなことがあっても信仰を捨てずにいるかどうか、試そうとする存在でした。

 ちなみに、悪霊は「汚れた霊」と同じ意味で用いられ、「病気や障害、悪行の要因」としても描かれます。つまり、病気や障害などの困難や悪行を起こしたくなる誘惑を受けても人間が神に忠実でいられるか、とことん試す存在です。なお、悪魔という言葉は新約聖書のマタイによる福音書4章3節で「誘惑する者」「試みる者」「試す者」として出てきます。

 このように、サタン、悪霊、悪魔といった存在は、他者に対して「あなたは神の愛を受けるのにふさわしくない」と誹謗し、「神に忠実なら、私の言うとおりにできるはずだ」というふうに、信仰を試そうとする態度に名前をつけたもの、擬人化したものとして、受け取ることもできるでしょう。

 ユダの手紙で、モーセを誹謗する悪魔に重ねられた「夢想家たち」「ある者たち」も、「本当に、情け深い神様を信じているなら、罪の赦しを信じているなら、道徳やルールに縛られることなく、自由に生きられるはずだ」などというように、道徳的な教えを守ろうとする信仰者を非難していたのかもしれません。

 実際、現代においても、キリスト教を装う反社会的な団体の中には「神様を信じて洗礼を受けた者は、罪を赦された存在だから、何をやっても罪を犯したことにはならない」というふうに主張して、正体や目的を隠した偽装勧誘や法律を軽視した伝道活動などを展開しているところがあります。

 もし、この世の法律を気にして、自分が裁かれるのではないかと心配し、組織の活動を熱心に行わないのなら、それは心から神様を信じていない証である! 職場や家庭や学校や、人間関係に囚われて、なりふりかまわず、伝道できない人間は、本当の意味で神様に従い切れてない、偽物の信仰者だ!

 そんなふうに訴えて、他の教会や信徒を罵り、関係性の破壊をもたらすカルト化教会も現に存在しています。使徒の時代から何世代か後には、既にこのような問題が起こり始めていたんでしょう。手紙の著者は、こういった者たちに惑わされず、罪深い行いを避け、不信心な者たち、偽教師や偽預言者についていかないよう訴えます。

 そして、こういう者たちは、真理を教えるためではなく、金儲けのために教えを語り、教会を養うべき立場でありながら、自分の利益ばかりを考えていると非難して、教会に何の利益ももたらさないことを様々なたとえで記しています。印象的なのは、彼らの結末として、「真っ暗な闇が待ち受けている」と告げられているところです。

 ユダの手紙は、見てのとおり「世の終わり」「終末」に関する表現が度々登場し、ヨハネの黙示録の前に配置されています。おそらく、これを読んだ人たちは、間違えて、偽教師や偽預言者の教えに従ってしまったら、彼らと共に、永遠の暗闇に堕ちることが警告されていると捉えるでしょう。

 なかなか恐ろしい表現です。間違えて悪い人たちについていったら、二度と救いにあずかれない……そんな恐怖を感じさせます。しかし、ここで求められているのは、待ち受ける闇への恐怖を膨らませることではありません。むしろ、人間が闇へ囚われそうになる度に、あるいは、闇に囚われてしまった後でさえ、神様は私たちへ手を伸ばし、ご自分のもとへ引き戻す方であることを聖書は繰り返し語っています。

 神の命令に背いて、神から離れようとした預言者ヨナが、海の底の暗闇へ、引き摺り込まれてしまったときも、神様は陰府へと手を伸ばし、闇から引き上げてくださいました。次々と降りかかる試練を前に、神様を信頼し切れなくなったヨブに対し、神様は彼の潔白を宣言し、再び祝福してくださいました。

 かつて、エジプト人を殺してしまったモーセにも、弟に手をかけてしまったカインにも神様は自分と共に歩み続ける道を用意し、彼らにしるしを与えました。そういえば、この手紙に出てくるヤコブの兄弟ユダ自身も、もともとは、イエス様を信じておらず、その宣教活動をあざけっていた一人でした。

 しかし、彼自身が、キリストの昇天後、弟子たちと共に初代教会の指導者として遣わされていったように、神様は誰一人、闇の中へ取り残す気はありません。闇に囚われてしまった者が闇に囚われたまま、放置されることはありません。信じない者が信じないまま、従わない者が従わないまま、滅ぼされていくことを、この方は放置できません。

 どうか、待ち受ける闇への恐怖ではなく、闇の中まで手を伸ばし、一人一人を救い出される神様への信頼を誠実に、大胆に、証ししていくことができますように。わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている兵庫県神戸市の岡本教会のために、被災した人のために、戦争に巻き込まれた人のために、貧しさに苦しんでいる人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆兵庫県神戸市の岡本教会のために祈ります。日々の宣教の働きの中に、小さな幸せと、大きな恵みを感じつつ、なお大きな希望を抱いて、救いの良い知らせを語っていくことができますように。会衆一同と牧師の上に、あなたの導きがありますように。

◆被災した人のために祈ります。能登半島をはじめ、熊本や東日本で地震に遭い、各地で豪雨や地滑りなどの被害にあった方々へ、あなたの慰めがありますように。復興が滞っているところに、必要な支援とつながりができますように。

◆戦争に巻き込まれた人のために祈ります。パレスチナとイスラエル、ウクライナとロシアをはじめ、ミャンマー、シリア、リビアなど、戦争や紛争に巻き込まれている人たちへあなたのお守りがありますように。一刻も早く、平和が訪れますように。

◆貧しさに苦しんでいる人のために祈ります。飢餓や疫病、失業や自死など、多くの困難を前に、希望が持てない人たちへ、あなたの励ましがありますように。健康で文化的な生活を営む未来ができるように、必要な知恵と力をもたらしてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌12番「信じたくても」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

また、聖書研究祈祷会の終了後、希望者がおられたら、30分程度の「受洗の学び」を行います。洗礼を受けたい人、洗礼の決心はついていないけれど学んでみたい方、既に洗礼を受けているけど学びに参加したい方、それぞれ自由に参加できるようにしています。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。なお、来週の水曜日は、『裁くため、責めるため?』と題して、ユダの手紙14〜16のお話しをします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。