ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『裁くため、責めるため?』ユダの手紙14〜16

聖書研究祈祷会 2025年3月12日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の475番「あめなるよろこび」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆命の造り主である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こし、自らの罪を悔い改める受難節第1週目に入りました。どうか今、私たちの思いと言葉と行動を整え、自分自身の過ちと、傷つけてしまった相手に向き合わせてください。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターまで、残り5週間となりました。どうか今、死によって隔てられた人とも、深い溝ができている相手とも、赦しと和解をもたらされる、あなたへの信頼を強めてください。

◆私たちの神様。病気や怪我、障害や衰え、抑圧や暴力によって、悩み苦しむ人たちに、あなたの慰めがありますように。どうか今、困っている人、傷ついている人に、癒しと回復がもたらされるよう、私たちを互いに送り出してください。

◆信仰と希望と愛をもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ユダの手紙14〜16の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書451頁です。

 

同じく、ユダの手紙14〜16の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書438頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

 聖書の中で、ヨハネの黙示録の直前に置かれているユダの手紙は、黙示録と同様、「世の終わり」「終末」に関する預言について触れられています。14節では、最初に造られた人間アダムから7代目に当たるエノクという人物が、世の終わりに、神様が天から多くの者を引き連れて、神に背いた罪人を裁きにくると預言していたことが記されています。

 現在、私たちの手元にある聖書には、預言活動をした人物にエノクという名前は出てきませんが、創世記5章18節で、確かに、アダムから7代目に生まれた人物として、イエレドの息子が「エノク」と名付けられています。ただし、創世記4章17節では、アダムの長男カインから生まれた息子として、3代目にも同じ名前が出てきます。

 3代目のエノクの父であるカインは、自分の弟アベルを殺し、神様から「土を耕しても作物が実らない呪い」を受け、地上をさすらう者となった人物です。しかし、自分を見つけた者に殺されることを恐れたカインに、神様は、彼が打ち殺されることのないようしるしをつけ、「カインを殺す者は誰であれ、7倍の復讐を受ける」と宣言されます。

 さらに、神様はカインに向かって「あなたは地上をさまよい、さすらう者となる」と告げ、ノド(「さすらい」という意味)の土地へ、追放したにもかかわらず、彼は生涯、地上をさすらう者とされたわけではありません。罪人のしるしがあるにもかかわらず、彼は妻と結ばれて結婚し、子どもをもうけ、その子に「エノク」と名付けます。

 さらに、カインは町を築いて、息子の名にちなんで、その町にも「エノク」と名前をつけました。ちなみに、エノクという名前は「従う」という意味の言葉から来ています。神に背いて弟を殺してしまった罪人カインが、そのまま罪人として放置されず、地上をさすらうままにされず、神に従う者として、新しい生き方を与えられたことが示唆されます。

 そんな「エノク」と同じ名前が、カインが追放されたあと、アダムの7代目の子孫にも付けられます。カインの一族とアダムの一族は、そのまま別れて暮らしますが、単純に、「神に背いた一族」と「神に従う一族」というふうに、切り離されたわけではなく、それぞれ、神に従う生き方ができるように、神様が導き続けたことを思わされます。

 さて、エノクという名前には、このような特別な背景がありますが、7代目のエノクは65歳で初めて息子が生まれたあと、300年間、神と共に歩み、その生涯は合わせて365年であったと言われています。また、エノクは地上で死を迎えたとは記されず、その生涯を終えるとき、「神が取られたのでいなくなった」と書かれています。

 それゆえ、エノクは地上で死ぬことなく、神から直接引き上げられて、天の国、神の国に迎えられたと信じられ、聖書に収められてない様々な逸話も残されました。その一つがエチオピア語で書かれたエノク書という旧約偽典で、ユダの手紙14節に出てくる預言はエノク書1章9節を引用したものと言われています。

 「見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる。それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである」……なお、実際には、この文章が、そのままエノク書に載っているわけではなく、手紙の著者は、いくらか手を加えた上で引用しています。

 新しく翻訳された聖書協会共同訳では、「不信心な行い」を「不敬虔な行い」、「不信心な生き方をした者」を「不敬虔な罪人」と訳していますが、いずれにしても、神様に信頼を置かず、神様に従おうとしない者たちが言及されています。16節では、こういった者たちの「不平や不満を並べ立てる」態度が指摘されていました。

 この表現は、出エジプト記で、奴隷だったイスラエル人が、神の助けによって解放され、エジプトから脱出した後、荒れ野をさまよっているとき、何か困難にぶつかるとすぐ、神に対して不平や不満を言った様子が重ねられています。実は、神の民として選ばれたイスラエル人も、幾度となく神に背き、不信心な生き方、不敬虔な態度をとっていました。

 にもかかわらず、イスラエル人は「神に背いた一族」として、切り捨てられることはありません。神に不平や不満を述べて、神と共に歩む道から外れたあとも、荒れ野をさまようままにされず、地上をさすらうままにされず、約束の地カナンに入るまで、昼も夜も神に守られ、導かれていきました。

 イスラエル人が、神に背いて、神の代わりに金の子牛の像を造って拝んだ後も、不信心なまま、不敬虔なまま放置はされず、改めて「律法」という名の掟を授け、新しい生き方ができるよう、人々を導いていきました。彼らが自ら、「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います」(ヨシュア24:24)と答えるまで、神様は働きかけをやめません。

 このように、ユダの手紙に出てくる警告は、一見すると「神に従わず、神に背いた罪人は、世の終わりに天から連れてこられた聖なる者たち、軍勢によって滅ぼされる」とただただ脅されているように感じます。神様は、全ての人を裁くため、罪を犯した者を責めるため、恐ろしい罰を与えにやって来ると言われているように聞こえます。

 しかし、その警告に用いられている名前や言葉、表現には、これまでの歴史で、神様が自分に背いた者たちを、罪人のまま放置はされなかったこと、不信心なまま、不敬虔なまま、滅びていくままにはされなかったことを、思い起こすエピソードが刻まれています。神様はただ、背いた者を裁くため、責めるためにやって来る方ではありません。

 本来、天の国、神の国から締め出され、滅びてしまう者たちが、滅びることのないように、彼らに変化をもたらしに出会い続けるお方です。神の子であるキリストに、最後まで従うことができず、見捨ててしまった弟子たちに、復活したイエス様と再会させ、食事まで共にさせるお方です。

イエス様も、ただ、彼らを責めるため、裁くために、再会しに行ったわけではありません。自分のことを「知らない」と否定した者へ「平和があるように」と呼びかけ、自分に従わなかった者へ「わたしの羊を飼いなさい」と命じ直し、自分を信じなかった者へ「信じない者ではなく信じる者となりなさい」と促して、彼らに変化をもたらしました。

永遠の火の罰を受けるようにではなく、聖霊の炎を受けるように「約束されたものを待ちなさい」と語りました。復活したイエス様と弟子たちの再会は、世の終わりに再び来られるキリストと私たちの再会を先取りしている出来事です。黙示録やユダの手紙をはじめとする、終末に関する預言を読むとき、これらのメッセージを忘れてはなりません。

ただ、信じない者の裁きを恐れる信仰ではなく、信じない者が信じる者となれるよう、付き合い続けてくださる主、憐れみと平和と愛をもたらす神様への信頼に基づく信仰が、ますます豊かにされますように。恵みが、変わらぬ愛をもって、あなたがたに連なる全ての人と共にあるように。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている兵庫県神戸市の主恩教会のために、卒園生のために、入園児のために、保護者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆兵庫県神戸市の主恩教会のために祈ります。地域の宣教が誠実に進められますように。高齢の方々も、安心して信仰生活を送ることができますように。イザヤ書11章のような平和のために、祈り行動することができますように。

◆卒園生のために祈ります。芽含幼稚園をはじめ、今年度、卒園する子どもたちの上に、あなたの恵みが豊かにありますように。新しく始まる生活が守られ、健やかな人間関係を築くことができますように。

◆入園児のために祈ります。芽含幼稚園をはじめ、来年度、入園する子どもたちの上に、あなたの導きが豊かにありますように。安心できる居場所と、信頼できる人たちに、新しく出会っていくことができますように。

◆保護者のために祈ります。芽含幼稚園をはじめ、在園生と卒園生を見守る保護者たちにあなたの祝福がありますように。悩んでいること、困っていることに、みんなで向き合う関係性が整いますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。なお、来週の水曜日は、『終わりの時には』と題して、ユダの手紙17〜25のお話しをします。その次の26日の水曜日は、中部教区のバイブルキャンプと重なっているためお休みです。

 

なお、華陽教会ではイースター前の6週間、受難節の間に、洗礼を考えている人や受洗に興味のある人に向けて、受洗勉強会を行っています。礼拝後に何もない日曜日や、聖書研究祈祷会後に何もない水曜日、その他、希望者と牧師の都合が合う日程で、随時、開催していますので、参加したい方は気軽にお申し出ください。

 

今のところ、4月2日(水)、4月3日(木)、4月16日(水)の14:30〜15:30に、受洗の学びを開催する予定です。それではまた、日曜日まで皆さん一人一人に神様の平和がありますように。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。