日曜礼拝 2025年3月16日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
消 灯
本日は、受難節第2週目の礼拝なので、光や命の象徴として立てられた蝋燭を2本倒し、キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こします。共に今、あなたの労苦と痛みに寄り添う、イエス様の歩みを覚えましょう。
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」(イザヤ書35:4)
讃美歌
旧讃美歌515番「十字架の血に」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆憐れみ深い神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こし、自らの罪を悔い改める、受難節第2週目を迎えました。どうか今、私たちが和解できなかった人、和解できずにいる人と、新たな関係に入れるよう、あなたが間に入ってください。
◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターまで、残り5週間となりました。どうか今、私たちが期待さえできない変化と回復、赦しと平和に至るために、あなたの大いなる手を伸ばしてください。
◆私たちの神様。自分のことに精一杯で、傷つけることに無自覚なとき、悲しむ人を素通りするとき、あなたの聖霊を送ってください。どうか今、私たちの痛みと悩みと苦しみを共に担ってくださった、あなたの十字架を背負わせてください。
◆信仰と希望と愛をもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書12:22〜32の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書22頁です。
同じく、マタイによる福音書12:22〜32の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書22頁です。お持ちでない方は新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編130:1〜8、新共同訳交読詩編の149頁です。
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『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の392番「主の強い御腕よ」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
誰かに向かって指をさし、「あの人は悪霊につかれている」「悪霊の力で人々を唆している」と言ってしまったことはあるでしょうか? 「病気や障害を抱えているのは、悪霊につかれているからだ」「周りで起きている事故や不幸は、悪霊の力によるものだ」そういうふうに言ってしまったことはあるでしょうか?
カルト問題の相談に関わっていると、このような会話が飛び交っている集団の話をよく聞きます。「自分たちの組織を批判する人は、悪魔に唆されている」「家族が脱会させようとしてくるのは、サタンの力によるものだ」……一例を挙げるとそんな感じです。実は、世間でカルトと認識されてない教会にも、このようなケースは存在します。
「教会を非難する人は、悪霊に惑わされている」「教会を離れた人たちは、悪魔に支配されている」「彼らに関わると、あなたも悪霊の影響を受け、神から引き離されるから、連絡を取ったりしないように」……そのような指導を行って、メンバーの虐待や会計の不正、様々な問題を告発する人が見えないように、信者をコントロールするリーダーもいます。
中には、セクシュアルマイノリティーの人権や、女性の牧師を認めるかどうかを巡り、自分たちが気に入らない、許容できない主張を行う他団体や個人に対し、「あの者たちはサタンの手先だ」「聖霊ではなく悪霊に取りつかれている」と訴え、相手の話を聞かせまいとする人たちもいます。同じキリスト者同士でも、あちこちで内輪もめが起こります。
ちょうど、2千年前のイスラエルでも、同じ神様を信じているイエス様とファリサイ派の人々の間で内輪もめが起こっていました。イエス様のもとに、悪霊に取りつかれ、目が見えず、口の利けない人が連れてこられたときのことです。イエス様によって、その人が癒され、ものが言え、目が見えるようになると、群衆は皆驚いてこう言います。
「この人はダビデの子ではないだろうか」……ダビデの子というのは、苦しんでいる人々のために、神様が遣わすことを約束していた、新しい王を指す表現です。見ることも話すこともできなかった者を、苦しみから解放し、癒してくださったこの方こそ、神様が立てられた新しい王であり、救い主メシアではないか? そのような期待が込められています。
けれども、困っている人、苦しんでいる人に手を伸ばして、群衆の支持が集まっていくイエス様を見て、ファリサイ派の人々は焦ります。彼らも、人々が正しく信仰生活を守れるように、神の言葉について教え、指導する役割を持っていましたが、イエス様の教えには反発していました。
ファリサイ派の人々にとって、ユダヤ人以外の異邦人や徴税人は、接触してはならない「罪人」でしたが、イエス様は「罪人」と呼ばれる人たちにも救いを語り、食事を共にしていたからです。中でも、イスラエルを占領していた異邦人「ローマ帝国」の手先となって、税金を集めていた徴税人は、「罪人」の最たるものと見なされました。
そんな徴税人の一人(マタイあるいはレビ)を弟子にしていたイエス様は、彼らにとって、許しがたい存在だったと思います。ファリサイ派では、罪人に触れたり、関わったりすれば、自分たちにも汚れが移り、神から離れることになる……と考えられたため、罪人と共に居られるイエス様は、まさに、「サタンの手先」に見えたでしょう。
また、ファリサイ派の人々は「安息日に仕事をしてはならない」という掟を文字どおり守っていましたが、イエス様は安息日にも病人を癒し、仕事とみなされる行為を繰り返したため、「神から与えられた掟を蔑ろにしている」とみなされました。これも、律法の遵守にこだわっていたファリサイ派には「悪魔的」に見えたかもしれません。
そこで、ファリサイ派の人々は、イエス様を指してこう言います。「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」……この者が行っているのは、「神の業」ではなく「悪魔の業」だ! この男は「神の霊に選ばれた王」ではなく「悪霊に選ばれた王」なのだ!
そのように訴え、イエス様から目を逸らすよう、イエス様の教えを広めないよう、人々の目を覆い、口を封じようとします。けれども、皮肉なことに、「あの男は悪霊の力で悪霊を追い出している」と訴えている彼らの方が、神の業を行っているイエス様の姿が見えなくなり、神の業をほめたたえる賛美の歌を口にできなくなっていました。
そこで、イエス様は「サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立っていくだろうか」「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」と反論し、彼らの論理が破綻していることを露わにします。
興味深いのは、自分のことを「悪霊の頭に取りつかれている」と訴えてくるファリサイ派を、イエス様は自分の「外側」ではなく「内輪」にいる者として扱うことです。普通、神の子を「サタンやベルゼブルの手先だ!」なんて言ってくる人間には「神の国はあなたたちのところに来ない」と言って、締め出そうとするのが自然でしょう。
けれども、イエス様はこう言います。「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」……自分と対立し、分断をあおるファリサイ派の人たちにも、「神の国はあなたたちのところに来ている」「神の業はあなたたちのために行われる」と言うんです。
一方で、非常に気になる、脅しのような言葉が31節と32節に出てきます。「だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない」「人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」
「霊に対する冒涜」って、いったい何でしょう? 「聖霊に言い逆らう」って、具体的にどういうことでしょう? 残念ながら、牧師をしている私にも、聖霊が語りかけてくる内容や、命じてくる内容を、はっきり聞けたことはありません。そもそも、聖霊がいつ、どのように自分へ働きかけているのか、明確に分かったことはありません。
聖霊に言い逆らうつもりはないけれど、逆らっていたらどうしよう? 知らず知らずのうちに、神の霊を冒涜していたらどうしよう? そんなふうに不安になる人もいるでしょう。聖霊に、神の霊に従うつもりで、悪霊に従ってしまったら、この世でも後の世でも、来るべき神の国でも、神の赦しを得られないんだろうか?
目に見えない聖霊について、悪霊について思いを巡らせ、恐怖に怯えている方は、どうか安心してください。ここで、イエス様が「人の子に言い逆らう者は赦される」と言いつつ、「しかし、聖霊に言い逆らう者は……赦されることがない」と言っているのは、後の世で、信者同士が内輪もめして、「サタンの手先」「悪魔の手先」と傷つけ合ってしまうことから、守ろうとしたためであったと思われるからです。
おそらく、ここで想定されている「霊に対する冒涜」は、「神の霊」に向かって「悪霊」と呼び、「聖霊が降っている者」に「悪霊に取りつかれている」と言ってしまうような行為と思われます。実際、この場面では、イエス様が「悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言われ、冒涜されていました。
残念ながら、現代においても、目に見えない聖霊や悪霊を持ち出して、自分が正しくないと思う相手や、自分と相容れない立場をとる者に、「サタンの手先」「悪魔の手先」と言ってしまう態度が、信仰者の間で見られます。「あんな奴らのところに神の国は来ない」と強烈な言葉で責めたくなるときが、正直、私にもあります。
しかし、イエス様は自分を「サタンの手先」と言った相手に、「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」と言いました。彼らを自分の内輪から、救いの外へ、弾きませんでした。むしろ、内輪もめしている相手にベルゼブルやサタンを持ち出して、攻撃することを戒めます。
加えて、聖霊に言い逆らう者が、聖霊に言い逆らったまま、サタンに従う者たちが、サタンに従っているまま、放置されることもありません。イエス様が全ての人を救うため、十字架にかかると聞かされて、「そんなことがあってはなりません」と神の霊の計画を妨げようとしたペトロは、イエス様から「退け、サタン」と叱られました。しかし彼は、サタンに従った者として、聖霊に言い逆らった者として、追い出されることはありません。
むしろ、ペンテコステに聖霊を受けて、聖霊の言うことに従うことができるよう、どこまでも導かれていきます。もし、あなたが“霊”を冒涜し、聖霊に言い逆らっているのなら、あなたが悪霊に導かれ、サタンに従っているのなら、神様は、あなたが“霊”を受け入れるまで、聖霊に従うことができるまで、どこまでも呼びかけ続けます。
救い主イエス・キリストが、死を越えて弟子たちに再会し、ご自分の息を、ご自分の“霊”を、彼らへ吹き込まれたように、この方は、あなたのもとへ神の国が来ていることを告げ知らせ、あなたの目に、神の業が見えるよう、あなたから、賛美の歌が口にできるよう、聖霊を送り続けます。あなたを「内輪」にいる者として、神の国へと招きます。
さあ言って、あなたが見聞きした良い知らせを、救いの訪れを告げなさい。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌19番「悲しみながら立ち去るとき」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題
御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。
年間聖句
「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。」
年間主題
華陽教会では、「ここをみんなに知らせよう」というテーマで、ヨハネによる福音書17章24節を今年度の年間聖句にしています。
今週は、洗礼を受けたばかりの人、これから洗礼を受ける人、それぞれのために祈りを合わせ、新たに訪れる人たちを、一緒に迎えていきましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
神様、この礼拝で受けた恵みが、ますます豊かに広がるよう、私たちがささげた献金をお使いください。人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」3節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。(マタイによる福音書12:28)
祝 福
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28:19〜20)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された13名、計34名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
来週の日曜日は、信徒立証礼拝として、クリスマスに洗礼を受けられた杉山敦子さんが、『受洗の心』と題して、信仰の証をしてくださいます。ぜひ、次の日曜日も祈りを合わせてご参加ください。
なお、華陽教会ではイースター前の6週間、受難節の間に、洗礼を考えている人や受洗に興味のある人に向けて、受洗勉強会を行っています。礼拝後に何もない日曜日や、聖書研究祈祷会後に何もない水曜日、第3金曜日のキリスト教ABC講座の後、その他、希望者と牧師の都合が合う日程で、随時、開催していますので、参加したい方は気軽にお申し出ください。
今のところ、4月2日(水)、4月3日(木)、4月16日(水)の14:30〜15:30に、受洗の学びを開催する予定です。それではまた、日曜日まで皆さん一人一人に神様の平和がありますように。