ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『終わりの時には』ユダの手紙17〜25

聖書の学びと祈りの会 2025年3月21日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書の学びと祈りの会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の476番「あめなるよろこび」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆赦しと和解をもたらす神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書の学びと祈りのときを与えてくださり、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。

◆私たちの神様。先日の聖書研究祈祷会は、緊急訪問のためお休みし、本日の聖書の学びと祈りの会に合流してYouTube配信を行っています。どうか今、御言葉を必要とする一人一人に、あなたの導きが豊かにありますように。

◆私たちの神様。自宅、病院、施設等で、生死の淵をさまよっている人、身内のケアをしているご家族や医療従事者に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、あなたの癒しの御手が差し伸べられ、安らぎと希望がもたらされますように。

◆私たちの神様。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こす受難節第2週目を迎えています。どうか今、キリストの復活を記念するイースターまで残り5週間、恵みと喜びを分かち合う準備ができるように、私たちみんなを導いてください。

◆死を超えて私たちに出会われるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ユダの手紙17〜25の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書451頁です。

 

同じく、ユダの手紙17〜25の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書439頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

www.bible.or.jp

Michal JarmolukによるPixabayからの画像

メッセージ

 12使徒、イエス・キリストの弟子たちが、前もって語っていたという言葉は、私たちに驚きとショックを与えます。「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう」……新しい翻訳の聖書協会共同訳では、「嘲る者たちが」「自分の不敬虔な欲望のままに振る舞うだろう」と訳されています。

 「終わりの時」は、読んでそのまま「この世の終わり」「終末のとき」を指しています。キリスト教では、世の終わりに救いを完成させるため、神の子であるイエス様が、再びこの世に訪れて、古い世界に終わりをもたらし、憐れみ深い神の支配が行き渡る「神の国」「天の国」を到来させると教えています。

 そして、死んでいた者は復活させられ、朽ちることのない新しい身体が与えられ、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない(黙示録21:4)」「神の国」へと招かれることが約束されています。それゆえ、キリスト教の信仰者は、終わりの時を待ち望み、希望を持って生きることが勧められてきました。

 ところが、ユダの手紙では、待ち望んでいる「神の国」「天の国」が到来するとき、古い世界に終わりがもたらされるとき、信仰者をあざける者たちが現れて、不信心な欲望のままに、不敬虔な欲望のまま振る舞うことが予告されています。正しい信仰が笑われる対象となり、間違った者が好き勝手振る舞い、教会の中に分裂が引き起こされると言うんです。

 いやいや、信仰者が嘲りを受けないよう、あらかじめ、不信心な者たちを懲らしめておいてくださいよ。悪い者たちが欲望のまま、好き勝手振る舞うことのないように、最初から裁きを与えてくださいよ……そういうふうに考えて、文句を言いたくなってしまうのは私だけではないでしょう。

 正しい信仰を持ったら、笑われることも、傷つけられることもなく、神の国に入るまで幸せに人生を全うできると思いたいのに、聖書はしばしば、信仰者が苦難に遭うこと、迫害に遭うことを教えています。より強い信仰を持てば、より正しい信仰があれば、問題にぶつかることなく、穏やかに、平和に過ごせると思いたいのに、そうは問屋が卸しません。

 そういえば、何一つ罪を犯さなかった神の子も、イエス様に従った弟子たちも、祭司長や律法学者と衝突し、人々から嘲りを受け、投獄されたり、鞭打たれたり、殺されたりしていました。キリスト教へ回心し、世界宣教を担った使徒パウロも、宣教のために乗っていた船が転覆したり、病を患って自由に動くことができなくなったりしていました。

 信仰があれば、人間関係がよくなって、悪い人たちと会わずに済み、事故や事件に巻き込まれず、健康に生きることができる……そんな話じゃなさそうです。むしろ、ユダの手紙だけでなく、あちこちの手紙や福音書で、イエス様の弟子たちや、イエス様自ら、色んな警告をしているように、信仰者も、他の人たちと同様に、様々な困難に見舞われます。

 なんなら、信仰を持っているからこそ、襲われてしまう困難も、繰り返し警告されています。実際、ここでは、敬虔であるゆえに、信心があるゆえに、不信心で不敬虔な者から嘲りを受け、そそのかされ、分裂が引き起こされると警告されています。おそらく、教会が分裂したり、信仰を持つことが無意味であるかのように笑われたりしていれば、だんだんと、「もう終わりだ」「救いはないんだ」と希望を失ってしまうでしょう。

 ところが、ユダの手紙は、「もう終わりだ」「救いはないんだ」と思うときこそ、神様による救いの計画は、滞ることなく進んでおり、まさに今、神の国が近づいている、救いの完成が訪れる、終わりの時に入っていることを教えています。もしかしたら、実際に今、信じることに意味を見出せなくなって、辛い思いをしている人がいるかもしれません。

 自分の教会が分裂し、ボロボロになり、祈っても、祈っても解決しない……信仰生活を続けたいのに、家庭や職場に理解されず、教会に行くことが叶わない……せっかく礼拝へ来ているのに、教会の中で関係が悪化し、居づらい状況ができている……自分が不信仰だからだろうか? 敬虔な心を、正しい信仰を、持つことができていないからだろうか?

 もしかしたら、自分は救われないんじゃないか? 笑われたまま、傷ついたまま、終わりを迎えてしまうんじゃないか? 本当は神様に愛されていないんじゃないか? 見捨てられているんじゃないか? そのように疑っている者へ、聖書はこの警告を思い出すよう促します。

 愛する人たちへ語られた警告、神に愛された者への警告に、あなたが今受けている試練と同じことが、その身に降りかかると告げられています。あなたは決して、神に呪われている者でも、神に愛されていない者でもない。あなたが受けている嘲りは、救いが潰えてしまったしるしではない。むしろ、救いの計画は滞ることなく続いている。

 キリスト教における「終わりの時」「終末の時」は、広い意味では、イエス様がこの世に遣わされ、十字架にかかって3日目に復活し、天に昇って見えなくなったときから、既に始まっています。神の国の到来、救いの完成は、イエス様が来たときからずっと、私たちのもとへ近づいているからです。

 確かに、救いが潰えてしまったような、救いのないまま、終わりに向かっていくような様々な出来事が、初代教会から現代に至るまで見られるでしょう。信仰者への迫害も、信仰者同士の衝突も、教会で発生している問題も、世界中で起きている事故や事件や戦争も次々と目の前に現れます。

 信仰があれば、避けられたんだろうか? 信仰が足りないから、招いてしまったんだろうか? 神様にとって私たちは、愛する者じゃなくなったのか? そのような問いを持つ者へ、これらの警告は、励ましを語るんです。見なさい、この警告を前もって語った弟子たちを……使徒がどのような困難に遭い、どのような苦しみに遭ったかを。

 神様が彼らをずっと愛してきたように、あなたも神に愛されている。あなたが救われないまま、苦しんだまま、世の終わりを迎えることはない。だから、聖霊の導きの下に祈りなさい。神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。

 疑いを抱いている人たちを憐れみなさい。ほかの人たちを火の中から、絶望の中から引き出して助けなさい。「あなたが不信仰ゆえに、神に愛されなくなった」と、「信じる意味なんてもうないんだ」とささやく者を、用心しながら憐れみなさい。あなたの信仰生活は意味を失ってはおらず、これからも、最も聖なる信仰をよりどころとし続けなさい。

 あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、喜びの内に栄光の御前に立たせることができる方、わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が、世のはじまる前と同じく、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている兵庫県神戸市の神戸再度筋(こうべふたたびすじ)教会のために、病気の人のために、障害のある人のために、高齢の人のために祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆兵庫県神戸市の兵庫県神戸市の神戸再度筋のために祈ります。教会の会衆一人一人が守られ、新しく訪れる人との出会いが導かれますように。日々の礼拝が豊かにされ、御言葉を受け取る恵みが広がっていきますように。

◆病気の人のために祈ります。病院に入院している人、治療に通っておられる人、自宅で療養している人に、あなたの憐れみがありますように。それぞれの治療が適切に導かれ、希望と回復がもたらされますように。

◆障害のある人のために祈ります。目に見える障害も、目に見えない障害も、社会全体で理解が進み、生きやすい世の中になりますように。二次障害や貧困、無理解に苦しむ人たちへ、信頼できる助けと仲間がもたらされますように。

◆高齢の人のために祈ります。親しい方を亡くした方や、外出が困難になっている人へ、あなたの憐れみがありますように。孤立や孤独から守られ、良いつながりと関係が、あなたによって導かれますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌21番「心騒ぎ不安になる夜に」(©️柳本和良)を歌います。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書の学びと祈りの会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。なお、来週26日(水)の聖書研究祈祷会は、中部教区のバイブルキャンプと重なっているためお休みです。次回の聖書研究祈祷会は4月2日(水)から、新しい年間テーマで聖書研究を行う予定です。

 

なお、華陽教会ではイースター前の6週間、受難節の間に、洗礼を考えている人や受洗に興味のある人に向けて、受洗勉強会を行っています。礼拝後に何もない日曜日や、聖書研究祈祷会後に何もない水曜日、その他、希望者と牧師の都合が合う日程で、随時、開催していますので、参加したい方は気軽にお申し出ください。

 

今のところ、4月2日(水)、4月3日(木)、4月16日(水)の14:30〜15:30に、受洗の学びを開催する予定です。それではまた、日曜日まで皆さん一人一人に神様の平和がありますように。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。