聖書研究祈祷会 2025年4月23日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の15番「みことばにより」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆平和の造り主である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。
◆私たちの神様。先日の日曜日には、キリストの復活を記念するイースターを迎え、共に喜びを分かち合うときを持てました。どうか今、日曜日、教会に集まれなかった人たちにも、あなたの恵みと慈しみが、豊かにもたらされますように。
◆私たちの神様。先週の水曜日には、華陽教会の一員である信徒の一人を天に見送り、やがて来たる神の国で、再び会える希望を分かち合いました。どうか今、悲しんでいる一人一人に、あなたの慰めが豊かにあって、新しく生きる力が与えられますように。
◆私たちの神様。今度の日曜日には、定期教会総会が開かれます。昨年度の振り返りと、今年度の計画について話し合われます。どうか今、華陽教会の働きが、これからも誠実に導かれるよう、この時を豊かに用いてください。
◆復活と希望をもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書1:1〜5の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書163頁です。
同じく、ヨハネによる福音書1:1〜5の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書160頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |

メッセージ
今年度の聖書研究祈祷会は、「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで、聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は、「真理と法則の留意点」というトピックについて、「言(ロゴス)」について言及される、ヨハネによる福音書1:1〜5に焦点を当てて、話していこうと思います。
キリスト教に限らず、「何か宗教について学んでみたい」という人の中には、この世界で幸せに生きていくための「真理」や「法則」を知りたくて、教会の門を叩いたという方が一定数いるでしょう。平和だった地域が、地震や台風に襲われるのはなぜなのか? 普通に暮らしていた人が、怪我や病気を負ってしまうのはなぜなのか? それらの困難を回避したり、防いだりする方法はあるのだろうか?
あるいは、成功する者としない者は何が違うのか? 上手くいく者といかない者の特徴は何なのか? どうすれば、この世界を良く生きることができて、平穏を得ることができるのか? そんな疑問に答えてくれる、「真理」を教えてくれるものがあるとすれば、神様から教えを受けて、それを人々に伝えている、宗教ではないだろうか?
たぶん、そういう期待を持って、聖書の話を聞きにくる人は、少なくないと思います。ところが、キリスト教の教会に来てみると、「こうすれば上手くいく」「こうすれば成功する」というような、便利な「法則」を紹介してもらえることは、あまりありません。「神様を信じれば、悪いことは起こりません」「真剣に祈ったことは叶えられます!」と言われたら分かりやすいのに、そうはならないエピソードが、いくつも聖書から語られます。
たとえば、神様を信じて、世界中にキリスト教を広めていった宣教者パウロは、神様に従って伝道していたにもかかわらず、囚人として捕えられたり、乗っている船が嵐に遭って進めなくなったり、目的地へたどり着く前に船が難破したりしています。蛇に噛まれても平気だったエピソードがある一方、晩年には病を負って、自由に外出できなくなってしまいました。
また、神様を信じて、神様に従って、人々に自分の罪を悔い改めるよう警告していった預言者は、ヨナを除いて誰一人、自分の民を改心させることはできませんでした。実は、聖書に出てくる預言者のほとんどは、神様から与えられた使命を達成できていないんです。神様に従って、成功した預言者というのは皆無に等しく、迫害を受けたり、孤立したり、悲しみと嘆きの歌も残しています。
神の子であるイエス様も「できることなら、この杯(十字架の死)をわたしから過ぎ去らせてください」と熱心に祈りますが、結局、その願いは聞いてもらえず、十字架にかかって死んでしまいます。もちろん、そのあと3日目に復活しますが、復活しても、すぐには信じてもらえません。「死んでから3日目に復活する」と伝えてあった弟子たちにも、疑われてしまいます。なかなか報われない人生ですよね?
さらに、イエス様が復活して、神の子であると明らかになれば、イエス様を信じなかった人たちは罰を受け、イエス様を信じた人たちは褒美を受けるかと思いきや、そういうエピソードは出てきません。イエス様を十字架につけろと叫んだ群衆や、イエス様を陥れた祭司長や律法学者が、酷い目に遭ったという話は語られません。正しかった者が、間違っていた者をやっつける、打ち倒す、というスッキリした展開にはならないんです。
ここから「どういう人が成功し、どういう人が成功しないか」「どのように祈れば叶えられ、どのような願いは実現しないか」というシンプルな法則を見つけることは不可能です。聖書には、神様を信じて、神様に従って、多くの恵みを受けた人もいれば、一生懸命信じても、必死に従っても、願いが叶わず挫折して、苦しみを受けた人たちも、たくさん出てくるからです。
むしろ「病気や障害が治らないこと、社会的・経済的に成功しないこと、多くの困難に見舞われることは、その人の不信仰や、神に拒まれている状態を意味しない」ということが導き出されます。なぜなら、晩年に病を癒やされず、自由に外へ出られなかったパウロも、イスラエルの民を改心させる、という使命を果たせなかった預言者らも、多くの人につまずかれ、十字架の死を免れなかったキリストも、神に愛され、神と共に歩んだ存在であることが、はっきり書かれているからです。
一方で、キリスト教系の破壊的カルトや、キリスト教の教えを一部取り込んだ宗教カルト、カルト化した教会は、どういう人が成功し、どういう人が上手くいき、どういう人が幸せになれるか、シンプルな答えを提供し、自分たちの教えに従っていれば、問題は全て解決すると教えます。
「病気や障害が治らないのは祈りが足りないせいである」「神様に従って歩む人は社会的にも経済的にも成功する」「多くの困難に見舞われるのは、信仰が欠けているからだ」というふうに、「真剣に祈れば/教えに従えば/信仰が強ければ、富と健康が与えられ、成功を収めることができる」と主張して、自分たちが語る「真理」を学び、実践するよう促してきます。世の中の多くの人が理解してない「真理」や「法則」を、自分たちから知ることができるとアピールします。
しかし、その根拠となっているのは、聖書というよりも、マルチ商法や自己啓発セミナーで、メンバーを指導する際に用いている「積極思考」や「成功法則」に近いです。ようするに、「思いは現実になる」「強く願えば実現する」というメソッドは「熱心に祈れば叶えられる」というふうに、「目標を具体的に設定し、宣言すれば成功する」というメソッドは「毎日お祈りするなど、条件を立てて行動すれば叶えられる」というふうに、マルチ商法や自己啓発で教えられていることを、キリスト教的に言い直しているだけなんです。
また、「良い感情は良い現実を、悪い感情は悪い現実を引き寄せる」という「引き寄せの法則」も、「信じて疑わない心は良い結果を、信じないで疑ってしまう心は悪い結果を招いてしまう」というふうに、スピリチュアルビジネスで用いられているメソッドも、キリスト教的に言い直して使われています。
聖書には、神様に対する怒りや嘆き、悲痛な叫びも詩編や哀歌に収められ、祈りとして受けとめられているのに、そういった事実は無視されて、成功している者は特定の法則に従っており、成功しなかった者はその法則に背いている……と単純化してしまうんです。しかし、その根拠となっているのは、聖書における多様なエピソードを都合よく切り取ったもので、聖書全体を通して読むと、通用しない論理になっています。
たとえば、ヨハネによる福音書1章1節の「初めに言があった。言は神と共にあった」という聖句を引いて、神は「真理」という「法則」に基づいてご自分の業を行っている、と説明されることがあるかもしれません。この「言」という単語は、原文ではギリシャ語の「ロゴス」となっており、「真理」や「法則」という意味もあるからです。
また、創世記で、神が言葉を発すると、光や空や海が造られ、7日間でこの世界が創造されたと書かれているため、神は「鉱物界」「物質界」「生物界」「地質界」「宇宙界」「人間界」「霊物界」という7つの段階に分けて世界を造り、それぞれの段階で造られた存在は、段階ごとに、存在し続けるための法則がある、と説明されることもあります。
鉱物界では金や銀などが鉱脈に合わないと存在できず、物質界では原子や分子などが物理法則に合わないと存在できず、生物界では血や肉など生理作用が合わないと存在できず、地質界では海や山が地理に合わないと存在できず、宇宙界では恒星や惑星が宇宙の原理に合わないと存在できず、人間界では人間同士が心理を合わせないと存在できず、霊物界では神と人間が真理に合わせないと存在できない……という感じです。
そして、霊物界における「真理の法則」に従わないと、神と人との関係が破綻し、神様が造ったこの世界で、あらゆることが上手くいかなくなって、成功するチャンスを逃してしまう……と刷り込んで、霊物界における真理の法則を知るためには、自分たちの教会で聖書を学ぶ必要がある、とアピールするんです。
しかし、実際に創世記1章の天地創造の記述を見てみると、このような7つの段階に分けること自体が、不自然なことに気がつきます。聖書では、1日目に光が造られ、2日目に天が造られ、3日目に海と陸と植物が造られ、4日目に太陽と月と星を造られる……という順番になっており、「鉱物、物質、生物、地質……」のような段階や順番には分けられていないことが分かります。
また、人が親しくなっていくのにも、大きく4つの段階があると説明され、「人通」という人と人とが通じ合う第1段階、「霊通」という霊が通じ合う第2段階、「道通」という同じ真理を持って一緒に歩む第3段階、「心通」という心の奥深くが通じ合う第4段階があり、第4段階に至らない関係は、本当の意味で親しい間柄ではないかのように認識させられることがあります。
これは、本当に親しくなりたい相手とは、同じ「真理」や「法則」を信じる信仰を共有しなければならない……と思わせるテクニックで、正体や目的を隠した宗教勧誘の正当化にも利用される話です。聖書の教えというよりは、やはり、自己啓発やスピリチュアルに近い教えで、「真理」を共有できない相手との関係は蔑ろにさせる傾向があります。
このように、「聖書的」「キリスト教的」な言葉で説明されているように思えても、実際には、聖書の言葉を都合よく切り取って、多くの関係性を破壊してきたメソッドを、キリスト教っぽく言い直した教えが語られていることもあります。しかし、聖書全体を通して導き出される教え自体は、そんなに都合よく、私たちが求める「答え」を与えてくれるものではありません。
「どうしたら成功し、上手くいくと言われているのか」よりも「失敗した人、上手くいかなかった人に、どんな慰めが語られているか、どんな希望が語られているか」の方が、聖書全体を通して見えてくるものではないかと思います。神様は、自分の与えた使命を果たせなかった預言者や、思い通りにいかなった宣教者、多くの困難にあった独り子を、真理の法則に従わなかった者として、責める方ではありませんでした。
むしろ、挫折しても、嘆いても、信じることが困難になっても、どこまでも付き合い続け、どこまでも共におられる方として、一人一人に寄り添った姿が描かれます。目の前に出された、安易な答えに飛び付かず、本当の意味で神様を信頼するとはどういうことか、神様と共に歩むとはどういうことか、改めて心に留めたいと思います。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている兵庫県たつの市の播磨新宮教会のために、身内を見送った人のために、変化に戸惑っている人のために、気力を失っている人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆兵庫県たつの市の播磨新宮教会のために祈ります。高齢化で厳しい状況の中にあっても、教会に来られる方々の健康が守られ、キリストの教えと業を伝え続けることができますように。災害や人災からみんなが守られ、神様と共に歩んでいくことができますように。
◆身内を見送った人のために祈ります。親しい人を見送って、悲しみや寂しさが募っている人に、あなたの慰めがありますように。天の国で再び会える希望と、地上での生を全うする力が新しく注がれますように。
◆変化に戸惑っている人のために祈ります。新年度に入って、新しい生活が始まり、環境の変化や人間関係の変化についていけない人たちに、あなたの励ましがありますように。必要な知恵と助けが与えられ、自信が回復されますように。
◆気力を失っている人のために祈ります。様々な出来事によって、疲れを覚え、元気がなくなり、何もする気が起きない人に、あなたの慈しみがありますように。十分な休息と、新しい目標が与えられ、少しずつ起き上がることができますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌9番「たくさん悩んでみたけれど」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『霊を成長させるには?』と題して、テサロニケの信徒への手紙一 5:23のお話しをします。なお、明日の午後2時半〜3時半には、ペンテコステに受洗を考えている方々と受洗勉強会を行います。
洗礼の決心はついていないかれど学びに興味のある方、既に洗礼を受けているけれど参加してみたい方など、自由に出られるようにしています。よかったら、2階集会室へお越しください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。