日曜礼拝 2025年5月11日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。この神はわたしたちの神、救いの御業の神/主、死から解き放つ神。(詩編68:20〜21)
讃美歌
讃美歌二編26番「ちいさなかごに」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。母の日を迎えた今日、それぞれのご家庭、職場、病院、施設で過ごしておられる一人一人のお母さんに、あなたの恵みがありますように。また、子どもを見送ったお母さんや、お母さんを見送った子どもたちに、あなたの慰めが豊かにありますように。
◆私たちの神様。来週には、イースターから延期していた墓前礼拝を計画しています。どうか今、天に召された方々があなたの御許に迎えられ、神の国で再び会える希望を新たにすることができるように、残された方々を励ましてください。
◆私たちの神様。今週も、様々な出来事に傷つき、疲れ、悩んできた方々に、あなたの励ましと助けがありますように。どうか今、必要とされる癒しと回復、気づきと変化がもたらされ、また新しく一週間を生きていく力を与えてください。
◆人と人との間におられるイエス・キリストのお名前によって、祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書11:17〜27の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書189頁です。
同じく、ヨハネによる福音書11:17〜27の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書185頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編136:1〜9、新共同訳交読詩編の153頁です。
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『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の296番「いのちのいのちよ」3〜6節を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
ヨハネによる福音書11章にある病人が出てきます。ベタニアの出身で、名前をラザロと言い、マルタとマリアという2人の姉妹と暮らしていました。マルタとマリアは、ルカによる福音書10章38節〜42節にも出てきた姉妹で、イエス様がある村に入られたとき、自分たちの家へ案内し、迎え入れた人たちです。
しかし、最初にイエス様をお迎えしたとき、姉のマルタは、一生懸命イエス様をもてなそうと忙しく働いていましたが、妹のマリアは彼女を手伝おうとせず、イエス様の足元に座って、じっと話を聞いていました。マルタはイエス様のそばに立ち、「主よ、妹は私だけにおもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか」と言い、「手伝ってくれるようにおっしゃってください」と頼みます。
けれども、イエス様はマルタに対し、「あなたはいろいろなことに気を遣い、思い煩っている。しかし、必要なことは一つだけである」と言って、「マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない」と語ります。ちょっと理不尽に感じますよね? 確かに、イエス様の話を熱心に聞くことは大切ですが、ちょっとくらい、姉を手伝うように言ってくれてもいいような気がします。
2人でイエス様をもてなせば、料理を作るのも、食事を運ぶのも早く終わって、その分ゆっくり、イエス様の話を聞けるはずです。マルタだって、イエス様の話を早く聞きたかったでしょう。にもかかわらず、マルタを手伝わないで、自分だけ話を聞いているマリアが「良い方を選んだ」とイエス様は言い、「それを取り上げてはならない」と語ります。
けっこう強い言葉ですよね? マリアから、妹から、それを取り上げてはならない……一旦話を中断して、姉を手伝うように言っても良さそうなのに、今ここで、妹が話を聞くことを止めてはならないとイエス様は語ります。いったい何が起こっていたんでしょう? マリアが聞いていたイエス様の話とは何だったんでしょう?
もしかしたら、自分たちの兄弟ラザロに関することだったのかもしれません。先ほども言ったように、ヨハネによる福音書では、マルタとマリアの兄弟ラザロが病人であったと書かれていました。ルカによる福音書で、イエス様が姉妹の家に招かれたときも、ベッドから出てくることができなかったのかもしれません。
兄が元気にならないのは、自分たちのせいだろうか? 神様が、今すぐ癒してくれないのはなぜだろうか? このまま兄が死んでしまったら、自分たちはどうなってしまうだろうか?……マリアも色々なことに気を遣い、思い煩っていました。マルタがイエス様をもてなそうと一生懸命だったように、マリアも兄が癒されるために一生懸命だったのかもしれません。
けれども、ルカによる福音書とヨハネによる福音書の両方で、マルタとマリアがラザロを癒してくれるようイエス様に直接頼むシーンは出てきません。イエス様を一生懸命もてなしたマルタからも、イエス様の話を熱心に聞いていたマリアからも、「主よ、私の兄弟を癒してください」「兄のラザロを助けてください」と求める言葉は出てきません。
ラザロの容態が悪くなり、イエス様を呼んでくるように、2人が使いを送ったときも、「主よ、私の兄弟を助けてください」と直接頼まないで「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせていました。姉のマルタは、ラザロが死んでからイエス様が到着すると、「主よ、もしここにいてくださいましたなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言いますが、自分から「兄を助けてください」とは言えませんでした。
また、イエス様に対し「あなたが神にお願いすることは何でも、神はかなえてくださると、私は今でも承知しています」とまで言いますが、マルタ自身が神様に、イエス様に、直接お願いをすることはありませんでした。イエス様が「あなたの兄弟は復活する」と言った後も、「どうかそのとおりにしてください」「ラザロを甦らせてください」とは言えませんでした。
「終わりの日の復活の時に復活することは存じています」「あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています」と言うので精一杯でした。実は、自分から、イエス様に「本当に必要なこと」のために「助けてください」「お願いします」と口にしたことはなかったんです。マルタだけでなく、妹のマリアもそうでした。
彼女も、姉と同様、イエス様に「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言いますが、「わたしの兄弟を助けてください」とは言えません。イエス様を家に迎えて、その話を熱心に聞いていたときも、自分から助けを求めることはできませんでした。
マルタとマリアがイエス様を愛し、イエス様も自分たちを愛してくれていると分かっていたことは、ヨハネによる福音書のあちこちから見てとれますが、それでも、この姉妹はイエス様に、「私たちの願いを聞いてください」「私たちの兄弟を助けてください」とはっきり口にすることができません。
もしかしたら、直接助けを求められないくらい、自分たちのことを「罪深い者」と思っていたのかもしれません。自分たちは、神様に、イエス様に、何かを願う資格はない、何かを求める権利はない、と思っていたのかもしれません。
ルカによる福音書7章の後半で「罪深い女」と呼ばれる者が、食事の席でイエス様の足を涙で濡らし、自分の髪の毛で拭い、その足に接吻して香油を塗ったことが書かれていました。実は、ヨハネによる福音書12章でも、ラザロを甦らせてもらったマリアが、この「罪深い女」と同じ行動を取ったことが記されています。
「その時、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足を拭った」……女性が男性の足に触れて、良い匂いのするオイルを塗って、自分の髪の毛で拭っていく……同じ食卓で、その光景を見ていた人たちには、性産業に従事する女性のように見えたでしょう。
それはかつてのユダヤ社会で、「汚れた者」「罪深い者」を彷彿とさせる姿でした。兄弟が病気で働けず、その面倒も見なければならなかったマルタとマリアが、どうやって生活していたのか、詳しくは聖書に出てきません。もしかしたら、生きていくために、社会で軽蔑されていたことに手を出して「自分は罪深い者だ」と感じていたのかもしれません。
2人はイエス様にも、神様にも、面と向かって「私たちを助けてください」「私の願いを聞いてください」と言えません。「もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と、「(あなたがここにいたら、助けてもらえたと思います)」と……そう言うのが精一杯でした。自分たちから、願いを口にすることはできませんでした。
ところが、イエス様は、願いを口にすることさえもできない2人を憐れんで、その状況に憤り、「どこに葬ったのか」と尋ね、ラザロの墓を案内させます。マルタとマリアが願うことさえできなかった、期待することさえできなかった、兄弟ラザロの復活をもたらし、神様に「私の願いをいつも聞いてくださることを、私は知っています」と祈ります。
皆さんの中にも、自分のような者が、こんなことを神様に願っていいのか分からない……自分自身が、どこまで神様に求めていいのか分からない……と思うことが、度々出てくると思います。信じて願うべきことが、願えないこともあると思います。しかし、私たちが自ら願えないこと、信じて期待できないことも、イエス様が自ら願ってくださいます。
「主よ、あなたがここにいてくれたら」と呟く私たちのために、大胆に、神様へ願いを届けてくださいます。「ラザロ、出て来なさい」姉妹たちが口にできなかった願いをイエス様が大声で叫んだとき、兄弟は墓から出てきて、彼女たちの元へ戻ってきました。最後まで「復活すると信じます」と言えなかった人の元へ、復活した兄弟が帰って来ました。
同じように、信じて、期待して、願うことができない者……願いを口にできない者は、続けてこの方を呼びなさい。あなたができないことを、この方はできます。あなたのために、涙を流して憤り、神様に願いを叫ばれます。あなたの願いが、御心に適うものとなるように、この方があなたの元へやってきます。あなたを愛しておられます。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌3番「閉じこもる私たちに」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題
御着席ください。新年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。
年間聖句
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」
年間主題
華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。
今週は、教会学校の働きと幼稚園の白百合の会のために祈りを合わせ、子どもたちと保護者に神様の愛が伝わるように、一つ一つの行事を準備していきましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
私たちの神様。あなたの恵みに心より感謝して、献金をささげます。集めた献金が必要なことに使われますように。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」1節を歌いましょう。
讃美歌
讃美歌21の92番「主よ、わたしたちの主よ」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。(ヨハネによる福音書11:25)
祝 福
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(ヨハネによる福音書20:21)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった15名、同時に視聴された6名、計21名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
来週の日曜日は『あなたがたは知っている』と題して、ヨハネによる福音書14:1〜11のお話をする予定です。なお、本日役員会で承認されたら、来週礼拝後に、延期していた墓前礼拝をする予定です。
教会から車で10分程度の上加納墓地で行いますので、当日、参加を希望する方は、車に乗り合わせて一緒に行きたいと思います。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。