日曜礼拝 2025年5月18日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
わたしは知っている/わたしを贖う方は生きておられ/ついには塵の上に立たれるであろう。(ヨブ記19:25)
讃美歌
讃美歌二編26番「ちいさなかごに」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆復活と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。先週も、あなたによって支えられ、助けられ、導かれてきたことを感謝致します。一方で、多くの困難や痛みに呻き、今も苦しんでいる人たちがいます。どうか今、一人一人に、あなたの癒しがもたらされ、新しく歩むことができますように。
◆私たちの神様。今週20日(火)から開かれる中部教区の総会が、最初から最後まで導かれ、誠実に協議と決議を行うことができますように。特に、財政的な困難を抱える教区において、教会同士が支え合って歩むことができるよう、私たちを導いてください。
◆私たちの神様。今日は、礼拝後に、イースターから延期していた墓前礼拝も予定しています。天気の優れない中ですが、あなたの身許へ迎えられた人たちを思い起こし、希望と慰めを分かち合う良い機会となりますように。
◆人と人との間におられるイエス・キリストのお名前によって、祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書14:1〜11の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書196頁です。
同じく、ヨハネによる福音書14:1〜11の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書192頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編98:1〜9、新共同訳交読詩編の111頁です。
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『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の208番「主なる神よ、夜は去りぬ」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
イエス様が十字架につけられる前の夜、弟子たちと最後の食事を共にしたとき、皆が心を騒がせることがありました。それは、弟子たちのうちの一人が自分を裏切ろうとしていること、弟子たちの中心的な存在であるペトロが自分を「知らない」と三度否定することになる、とイエス様が予告されたことでした。
裏切りと離反の予告……それを受けて、弟子たちは動揺し、顔を見合わせ、どうしたらいいか分からなくなります。すると、イエス様は「心を騒がせるな。神を信じなさい」と言い、たった今、自分から離れていくだろうと予告した相手に「わたしをも信じなさい」と語ります。
自分を見捨てると分かっている相手に、最後までついてこないと知っている相手に、イエス様は「わたしもあなたを知らない」とは告げず、「わたしを信じなさい」と繰り返します。さらに、自分を三度否定する者、自分の復活を信じない者に、「わたしの父の家には住む所がたくさんある」と、天の国の秘密を打ち明けます。
父の家(神の国)には、あなたたちのための場所が用意されている……聖書協会共同訳では、新共同訳よりも明確に「もしなければ、私はそう言っておいたであろう」と記され、イエス様自身が「あなたがたのために場所を用意しに行く」と告げています。「行って、あなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える」と。
不思議ですよね? もし、神の子が天の国に入れる者の場所を用意するとしたら、それは、最後まで自分についてくる者、最後まで自分を裏切らない者、最後まで自分を否定しない者のためでしょう。自分を見捨て、自分を離れ、自分を信じない者のために、神の国に場所を用意するなんて、普通は考えられません。
「私について来なかったら、父の家に、あなたの場所はなくなるだろう」「私を知らないと否定したら、天の国に、あなたの場所を用意することはないだろう」そう続くのが自然です。けれども、イエス様はなぜか、自分を裏切り、自分から離れていくと予告した相手に、「私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」と語ります。
でも、知るわけありません。弟子たちは、これからイエス様を裏切ります。敵に捕まったとき見捨てて逃げてしまいます。自分も捕まりそうになると「イエスなんて知らない」と否定して呪いの言葉まで吐き始めます。捕えられたイエス様を訪ねに行くことも、その死を見届けようとすることも、遺体を埋葬しに行くこともありません。
彼らはイエス様が行く道を、ついていくことができません。イエス様についていくとはどういうことか分かりません。イエス様が三度にわたって「わたしは十字架につけられて殺され、三日目に復活する」と言っていた言葉も、最後まで理解できません。約束の三日目に、復活するんじゃないかと期待して、迎えに行くこともありません。
弟子たちは、イエス様に何が起こるのか知りませんでした。理解することができませんでした。怖くて尋ねられませんでした。神の子を見ることも聞くこともできたのに、彼らはイエス様の言っていることが理解できず、しようとしていることについていけず、これからどこへ行って何をするつもりなのか、いつも分からずに過ごしていました。
「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道が分かるでしょう」……トマスは正直に尋ねます。「私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」と言いますけれども、これまでも、あなたがどこへ行こうとしているのか、分かった試しがありません。
イエス様が、神殿へ行って両替人や商人たちを追い出したときも、異邦人のいる村へ入って病人を癒したときも、湖の上を歩いて自分たちのところへやってきたときも、死んでから4日も経った兄弟を起こしに行ったときも、弟子たちは、イエス様がどこへ何をしに行くのか、分かってはいませんでした。
「弟子たちがイエス様の行く道を知っていた」と言える場面は、ほとんど出てきませんでした。むしろ、「知らない」場面がほとんどでした。実際、イエス様は弟子たちに「私が行く所にあなたがたは来ることができない」と言いました。ペトロにも「私の行く所に、あなたは今付いて来ることはできない」と言いました。
それなのに、「私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」と言うなんて、矛盾しているように感じます。何も分かっていない弟子たちに、何も気づいていない彼らに、「あなたがたは父(神)を知っており」「すでに父(神)を見たのだ」と語るのも、過大評価に思えます。
実際、「父なる神を見ることができた」という心当たりのないフィリポは、思わずイエス様に「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」とお願いします。「既に見ている」「既に知っている」と言いますけれども、私はこの目で、神を見たことがありません。「神様を知っている」と言うほど、神様のことを理解していません。
すると、イエス様は「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ」「私が父の内におり、父が私の内におられることを信じないのか」「私が父の内におり、父が私の内におられると、私が言うのを信じなさい」と語ります。
神の子である自分を見ても、神を見たことを認められず、救い主の言葉を聞いても、言っていることを理解しない弟子たちに、「認める者」「理解する者」になるまで「わたしが言うのを信じなさい」と呼びかけ続けます。イエス様は、自分のことを認めない弟子、理解しない弟子、信じない弟子を切り捨てて、放り出すことはありません。
弟子たちは結局、イエス様が死ぬまで、イエス様の言っていることを理解せず、イエス様が復活したときも、すぐには認められませんでした。復活して、姿を現したイエス様に、自分たちが見捨てたことについて、信じなかったことについて、すぐ赦しを乞うた者はいませんでした。むしろ、再会してなお、疑っている者もいました。
けれども、イエス様は一貫して、彼らを弟子と呼び続け、「わたしに従いなさい」と声をかけ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と語り続けます。彼らが、自分の行く道を知らないまま、自分の言ったことを理解しないまま、自分から離れたままにならないよう、新しく出会い続けます。
「私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」……確かに、その言葉は真実です。あなたがたが知るまで……見て、聞いて、理解するまで……それどころか、見ないで信じる者となるまで、この方は付き合い続ける方だからです。たとえ、あなたが神の道を、キリストの道を歩んでいるという確信がなくても、あなたが歩いている道は、既にイエス様が並んで歩いている道です。
「主よ、私は聖書を見ていますが、礼拝でメッセージを聞いていますが、あなたのことが分かりません。神様も、イエス様も、見たことがありません。聖霊が降った感覚もありません。それでも、あなたの家に私の場所はあるでしょうか? 天の国に、私の場所は用意されているでしょうか?」
主は言われます。「もしなければ、私はそう言っておいたであろう」「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える」……既に、信仰を告白することなく先立った方も、最後まで疑い続け、神の存在を否定してきた方も、「わたしはあなたを知らない」などと、神の家から閉め出されることはありません。
一人一人がイエス様を見て「わたしの主、わたしの神よ」と信じて告白する日まで、この方は死を越えて、出会い続ける方だからです。神様を知らないまま、キリストを知らないまま、救いの道を知らないまま、滅んでいくことを放置できない方だからです。あなたが「知って」「理解する」ことを、この方はご存知です。あなたが期待できないことさえも実現される方なんです。
この言葉が信じられないなら、イエス様が為さったことを見てください。キリストの業を見てください。どんなに信じなかった者たちを愛されたか、どんなに理解しない者たちを愛されたか、どんなに私たちと付き合い続けてこられたか……イエス様が天に昇って、見えなくなった後でさえ、どんなに人々を変えてきたか。
あなたの内にもキリストがおられ、キリストの内に父がおられ、父なる神の内に私たちがいます。さあ、行って、救いの道を求めなさい。どこへ行ったらいいか分からないあなたに、キリストは自ら出会われます。自分と出会ったことに気づかない者も、そのことを知る日が来るように、パンを裂いて分けられます。味わい見よ、主の恵み深さを。
讃美歌
オンライン賛美歌3番「閉じこもる私たちに」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題
御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。
年間聖句
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」
年間主題
華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。
今週は、花の日こどもの日に向けて、子どもたちを迎えられる準備を進め、ペンテコステに洗礼を受ける方のために、祈りを合わせていきましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
神様、今日も、みんなで御言葉を分かち合えたことに感謝して、献金をおささげします。どうか今、あなたの求めることに使えるよう、私たちを導いてください。私たちの隣に、前に、後ろにおられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」4節を歌いましょう。
讃美歌
讃美歌21の92番「主よ、わたしたちの主よ」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。(ヨハネによる福音書14:3)
祝 福
神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように/あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった19名、同時に視聴された5名、計24名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
来週の日曜日は『願いを聞いてもらうには』と題して、マタイによる福音書6:1〜15のお話をする予定です。ぜひ、次の日曜日も、祈りを合わせてご参加ください。なお、本日はこの後、イースターから延期していた墓前礼拝を予定しています。
教会から車で10分程度の上加納墓地で行いますので、参加される方は、車に乗り合わせて一緒に行きたいと思います。(雨天:残念ながら、雨が降っていますので、本日はこのまま礼拝堂で、天に召された方々を思い起こして、祈りを合わせる時を持とうと思います)
それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。