ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『願いを聞いてもらうには』マタイによる福音書6:1〜15

日曜礼拝 2025年5月25日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。(ヘブライ人への手紙7:25)

 

讃美歌

讃美歌二編26番「ちいさなかごに」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆慈しみ深い神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。怒りや悪意をぶつけられ、苦しんでいる一人一人に、あなたの癒しがありますように。どうか今、痛み、悲しみ、疲れている人に、あなたの慰めが豊かにあって困難から解放される道が整えられますように。

◆私たちの神様。誰かに怒りをぶつけたり、悪意をぶつけてしまった人に、あなたの助けがありますように。どうか今、自らを取り巻く問題が整理され、必要な変化と回復がもたらされ、期待さえできなかった平和が実現されますように。

◆私たちの神様。この礼拝によって、私たちを新しく立たせてください。あなたから受けた恵みと慰め、希望と励ましを、他の人にも分けさせてください。どうか今、身近な人、助けが必要な人のために、私たちを互いに遣わしてください。

◆人と人との間におられるイエス・キリストのお名前によって、祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書6:1〜15の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書9頁です。普段は、聖書協会共同訳も朗読していますが、本日は箇所が長いため、新共同訳のみ朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編95:1〜11、新共同訳交読詩編の109頁です。

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の495番「しずけき祈りの」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

HimsanによるPixabayからの画像

メッセージ

 神様に願いを聞いてもらうには、どうしたらいいか? 毎晩寝る前に、必死に考えていたことがありました。子どもの頃、私は夜中にトイレへ行きたくなるのが嫌でした。廊下が暗くて一人で用を足しに行くのが怖かったからです。だから、寝る前に何度も「今日はトイレに行かなくて済みますように」と祈っていました。

 ですが、その願いが叶えられたことはほとんどありませんでした。結局、夜中にトイレへ行きたくなって、一人で行くのは怖いので、双子の弟を起こして一緒にトイレへ行っていました。でも、毎回起きてくれるとは限らなくて、大きくなるにつれ、一緒に来てくれることが減っていき、一人でビビりながら、廊下を進まなければなりませんでした。

 そこで、今度は「夜中にトイレへ行かなくて済みますように」ではなく「次に、自分が夜にトイレへ行きたくなったとき、弟も行きたくなりますように」という願いをするようになりました。子ども心に、少し譲歩した願いなら、神様に聞いてもらえるだろうと思ったのかもしれません。弟も、いい迷惑です。

 ですが、これもまた、叶えられたことはあまりありませんでした。今となっては笑い話ですが、小さい頃は切実な願いでした。どうしたら願いを聞いてもらえるか、祈りを叶えてもらえるか、牧師の父や、教会学校の先生をしていた母に向かって、聞いたこともあったと思います。

 ところが、私の父も母も「こうすれば、神様に願いを聞いてもらえるよ」と教えてくれたことはありませんでした。「願いが叶わなかったのは、これが原因だ」と言ってくれたこともありませんでした。反対に、父と母が願ったことも神様に叶えてもらえなかったことや祈ったとおりにならなかったことを時々話してくれました。

 父はもともと、牧師ではなく、漁師になりたいと願っていました。けれども、船を運転するための免許を取るには、健康な目を持っていなければなりませんでした。ところが、学校で進路を決めなければならない時期、父は目の病気にかかってしまい、船の免許を取るには、検査の基準を満たせないことが分かってしまいました。

 父が通っていた教会でも、みんなが祈ってくれました。父がなりたい漁師へなれるように、目が治って試験が受けられるように、本人も必死に祈りました。ところが、父の目は治らないまま、受験の時期に入ってしまいました。父は神様に、どうして願いが聞かれないのか、自分の何が悪いのか、苦しみながら訴えて、毎日どうするか悩んでいました。

 そんな中、漁師ではなく、牧師になる道を示されるようになったそうです。不思議なことに、父が牧師になるのを目指して進路を変えると、いつの間にか目の病気は治っていきました。神様って優しいのか、意地悪なのか、よく分からないな……と思いながら聞いていました。

 母は子どもの私たちに「祈りなさい」と言うことが、あまりありませんでした。食事の前や寝る前のお祈りは、小さい頃から習慣になっていたので、一緒に祈っていましたが、子どもの私たちが、何かに困って悩んでいるとき、「祈りなさい」と言ってきたことはありませんでした。

 「何に悩んでいるの?」「どうして困っているの?」と聞いて、学校で嫌なことがあったり、胸やお腹が痛くなったりすることを、同じような話を繰り返すのを、辛抱強く聞いてくれました。私のために祈ってくれることはたくさんありましたが、私に対して「こう祈らなきゃいけないよ」と言ってくることはありませんでした。

 むしろ、私が何か言わなくても、神様は私のしんどさを知っていて、私が色んなことをちゃんとできなくても、神様は私を助けるために手を伸ばすと、一つ一つの祈りを通して聞かせてくれました。頑張って神様にアピールしなくても、自分を「良い子」に見せなくても、神様は、のぶ君のことをちゃんと見ているし、聞いているよと教えてくれました。

 思えば、イエス様も、病気を治したくて来た人たちに、ちゃんと真剣に祈っているか、善い行いをしてきたか、尋ねることはありませんでした。「あなたの病気が治らないのは、あなたのここに問題があるからだ」と言うこともありませんでした。むしろ、「何をしてほしいのか」と一人一人の願いを、希望を、聞いてくれました。

 弟子たちにはこう言いました。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる」……普通は、天の国にいる神様に、願いを聞いてもらうには、褒美を与えてもらうには、どれだけ善い行いをしたか、見てもらわなければならないと思うでしょう。

 ところが、イエス様は、「隠れたことを見ておられるあなたの父が、(神様が)あなたに報いてくださる」と言って、願いを聞いてもらうために、自分を「良い子」に見せる必要はないと教えます。人前で、恥ずかしくない祈りをしようとしなくても、たったひと言の祈りでも、拙い言葉でも、神様はちゃんと聞いてくださることを教えました。

 何時間も徹夜で祈ったり、たくさん条件を立てたりしなくても、神様はあなたが願う前から、あなたに必要なものをご存知で、あなたの訴えを受けとめてくださいます。「隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」とは、神様が、あなたの善行や悪行をチェックして、監視しているという意味ではありません。

 あなたの痛みも、悩みも、苦しみも……努力も、善意も、葛藤も……他の人から隠れていることも全て汲み取って、あなたの願いを聞いてくださるという意味です。それは一見「願いを聞いてもらえなかった」ように見える人たちも同じです。「神様に報いてもらえなかった」と感じている人たちも同じです。

 罪のため、過ちのため、不信仰のため、長年罰を受けて、病に苦しめられていると見なされていた人たちに、イエス様がためらわず手を伸ばし、「あなたの信仰が、あなたを救った」と言われたように、神様に願いを聞かれるタイミングは、信仰の深さや大きさと関係ありません。

 イエス様自身も「できることならこの杯を、十字架の死を過ぎ去らせてください」と願いましたが、その願いは叶いませんでした。イエス様は多くの苦しみを受けて十字架にかかり、嘲りを受けて殺されました。しかし、死んでから3日目に復活し、弟子たちのもとへ姿を現しに行きました。

 復活したイエス様の幻と出会った使徒パウロも、ローマで自由に宣教することを願いましたが、その願いは叶いませんでした。晩年は病気にもなり、行きたい教会へ行くこともできなくなりました。パウロはローマに軟禁され、多くの手紙を書き残し、それらは後世の人にも読み継がれ、新約聖書の4分の1を占める文書となりました。

 まさに今、願いを聞いてもらうにはどうしたらいいか、自分の何が悪いか悩んでいる者は、既に、神様があなたの願いを受けとめて、手を伸ばしていることを知ってください。あなたに報いる神様が、あなたに救いをもたらすため、そばにいることを知ってください。人前で上手く祈れなくても、善い行いを見せられなくても、あなたの願いは届きます。

 どうか、隠れたことを見ておられる、あなたの神が、あなたに報いてくださるように。あなたを癒し、導き、支えられる神が、あなたに新しい息を吹き込んでくださるように。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌3番「閉じこもる私たちに」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」

 

年間主題

華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。

 

今週は、岐阜地区の諸教会を覚えて祈り、それぞれの教会と連携して、信仰の継承、伝道と牧会、会衆の交流ができるように、関係を深めていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

私たちの神様。今日の礼拝で受けた恵みに感謝します。今一人一人がささげてくれた献金を誠実に用いることができますように。あなたの平和が実現し、あなたの栄光が現され、あなたの御名が、ますます豊かにほめたたえられますように。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」3節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の92番「主よ、わたしたちの主よ」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。(マタイによる福音書6:6)

 

祝 福

また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。(マタイによる福音書18:19〜20)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された6名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は『どうして居なくなったのか?』と題して、ルカによる福音書24:44〜53のお話をする予定です。また、一週早く、花の日こどもの日の礼拝として、パンと水をいただいて、神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。

 

ぜひ、礼拝堂に飾るお花を自由に持ち寄っていただけると嬉しいです。その次の週には、ペンテコステの礼拝の中で、洗礼式も行います。新しく神の民へ迎えられる方のために、祈りください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。