ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『どうして居なくなったのか?』ルカによる福音書24:44〜53

花の日こどもの日礼拝 2025年6月1日


www.youtube.com

 

説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

主よ、あなたに並ぶものはありません。あなたは大いなる方/御名には大いなる力があります。(エレミヤ書10:6)

 

讃美歌

讃美歌二編26番「ちいさなかごに」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆恵みと憐れみに富みたもう神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの母なる神様。今日は、一週早く、花の日・こどもの日の礼拝を行っています。礼拝の中で、パンと水をいただいて、神の祝福を分かち合う愛餐式も行います。どうか今、ここに連なる全ての子どもたちの上に、あなたの慈しみが豊かにありますように。

◆私たちの父なる神様。先週は、礼拝後に蘇原教会で岐阜地区会が開かれ、全ての議事が承認・可決されました。どうか今、新たに選出された三役をはじめ、これから選ばれる地区委員の方々に、あなたのお支えが豊かにありますように。

◆私たちの友なる神様。来週は、華陽教会に新しい仲間を迎える洗礼式を行います。この日まで、準備を進めてきた志願者と、受けとめてくださったご家族の上に、あなたの導きが豊かにありますように。これからの信仰生活を共に支え合うことができますように。

◆子どもたちを祝福される、イエス・キリストのお名前によって、祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書24:44〜53の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書161頁です。普段は、聖書協会共同訳も朗読していますが、本日は箇所が長いため、新共同訳のみ朗読します。

 

同じく、ルカによる福音書24:44〜53の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の159頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

www.bible.or.jp

交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編93:1〜5、新共同訳交読詩編の107頁です。

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の401番「しもべらよ、み声きけ」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

giograficheによるPixabayからの画像

メッセージ

 本来は、来週6月8日が、花の日こどもの日の礼拝なのですが、今年度は同じ日に、イエス様の弟子たちが、天から聖霊を受けたことを記念する、ペンテコステの礼拝と洗礼式が重なっています。そのため、華陽教会では一週早く、花の日こどもの日の礼拝を開き、子どもたちと一緒に受けられる「愛餐式」を行うことになりました。

 教会が「花の日」を記念するようになったのは、1856年に、アメリカのマサチューセッツ州で、レオナード牧師という人が、子どもたちに神様の恵みを伝え、教会とのつながりを作って、その成長をみんなで喜び祝うことができるように、特別な礼拝を始めたことがきっかけです。

 毎年6月に、生まれたばかりの子どもたちへ、神様の祝福を宣言する「幼児祝福式」が行われるようになり、たくさんの花が咲き始める時期とも重なっていたことから、「花」に関連する行事も行われるようになりました。1866年には、アメリカのメソジスト教会で6月の第2日曜日を「こどもの日」として定め、正式に教会行事へ加えられました。

 この日には、各家庭から自由に花を持ち寄って、教会堂を飾り付け、礼拝後に花束を作って、子どもたちと一緒に、病院や施設の利用者を訪ねたり、お世話になっている警察署や消防署を訪ねたりして、感謝の気持ちと恵みを分け合う体験ができるよう、様々な機会が作られています。

 1870年には、同じ州のローウェル市の牧師が、「シャロンのバラの日」と名付けて、子どもたちを中心とした礼拝がささげられるようになり、日本でも、子ども中心の教会学校・日曜学校の礼拝と、大人が集まる主日礼拝を合同で行ったり、幼児こども祝福式を行ったりするようになりました。

 華陽教会も、以前は教会に来ることが困難な信徒を訪ねて花束を届けたり、芽含幼稚園で子どもたちと一緒に消防署を訪ねたりしていましたが、感染症の流行や、施設の規則が変わってきた関係で、花束を持って直接訪ねに行くことはなかなかできなくなりました。その代わり、顔を合わせることが困難な人たちへ、花の日のカードをみんなで記入し送り届けるようにしています。

 このように「花の日こどもの日」と言えば、子どもたちとの触れ合いや、みんなで誰かを訪ねに行くという「出会い」や「交流」がイメージされます。一方で、本日、聖書日課で指定された、ルカによる福音書24章44節から53節には、天に昇っていくイエス様と弟子たちとの「別れ」が記されていました。

 ちょうど、今年度に入ってから、華陽教会では2人の姉妹を天に見送り、昨日と一昨日も、教会員ではありませんが、教会で葬儀をあげることを希望してくださったご家族と、召された人を天に見送る、前夜式・葬儀が行われました。たくさんの花が教会に飾られ、故人の棺に添えられて、見送りのときが持たれます。

 もちろん、キリスト教会では、死は終わりではなく、永遠の別れでもないことを信じ、やがて来たる神の国で、甦った人たちと再び会える希望を分かち合います。亡くなった人が神様の身許に迎え入れられ、世の終わりに、朽ちることのない新しい身体を与えられ、神の国の完成を祝う祝宴に、共にあずかる日がやってくることを告げています。

 また、キリストの十字架と復活を記念して、パンと葡萄酒を分かち合う聖餐式は、将来私たちみんなが招かれる「神の国の祝宴」を先取りしたものでもありました。そのため、遺族も友人もキリスト教徒がほとんどの場合は、葬儀で聖餐式を行って、「神の国」「天の国」の祝宴で、再会する希望を新たにし、皆で故人を見送る教会もあります。

 けれども、どれだけ「死が終わりではないこと」「神の国で再会する希望があること」を語られても、喜んで故人を見送ることができるかと言えば、なかなかそうはいきません。私自身、華陽教会に来て8年目となり、皆さんと過ごす期間が長くなるほど、葬儀で信徒を見送る際に、式文を読むとき、言葉が詰まってしまうようになりました。

 「もう泣かなくともよい」そのように言われたイエス様にならい、慰めと希望を語ろうと、言葉を紡ぐ牧師自身が、悲しみを堪え切れずに泣いてしまう。やっぱり別れは悲しいし、寂しくないと言えば嘘になる。まだまだ一緒に居たかった……一緒に色々やりたかった……そういう気持ちが次々と湧いてきて、声が震えてしまいます。

 そんな中、天に挙げられたイエス様を見て、大喜びでエルサレムに戻り、絶えず神をほめたたえたという弟子たちの様子は、自分とのギャップを感じずにはいられません。死んでしまったイエス様が復活し、また一緒に過ごせるようになったのに、40日後に天へ昇って、再び居なくなってしまう……それなのにどうして喜べるんでしょう?

 待ってください、イエス様! 私たちを置いていくんですか? 一緒に居てくれないんですか? 世の終わりに再び来られると言いますが、それまで一緒に居たらダメなんですか?……普通、この先もずっと居てくれると思っていた人が、自分の元から立ち去って、天へ昇って行こうとしたら、パニックになってしまうでしょう。

 私だったら、イエス様が天に昇って見えなくなったあと、どうして居なくなったのか、どうして姿を消したのか、ぐるぐる考え込んでしまいます。今まで居てくれたイエス様がいないと、どこへ行ったらいいのかも、何をしたらいいのかも分からないし、人々に神様のことをどう伝えたらいいかも分かりません。

 弟子たちは、イエス様の言葉が度々理解できず、何度も質問を重ねていました。この日も、「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する」という詩編の言葉が「十字架にかかって殺されたあと、三日目に復活した自分のことである」と、改めてイエス様から教えられていました。

 実は、死んでから三日目に復活したイエス様と再会してからも、弟子たちはまだ、イエス様から聞いてきた聖書の教えを、ちゃんと悟っていませんでした。イエス様が語ったこと、為さったことがどういうことか、理解し切れていませんでした。そばにいて、直接教えてくれた方が、不安も少なかったはずです。

 ところが、イエス様は、自分が居なくなったあとの不安が残る弟子たちに、手を挙げて祝福し、祝福しながら離れていきます。「父(神)が約束されたものをあなたがたに送る」と言って、天へ昇っていかれます。この出来事は、自分と弟子たちとの「別れ」で終わるものではないことを、イエス様自身が天から送る、聖霊との出会いが始まるものであることを伝え、彼らをエルサレムに送り出します。

 実は、亡くなった人との「別れ」を通して、私自身も、新しくイエス様と出会わされる経験をしてきました。遺族から初めて聞く話、残された手紙やメモの類、亡くなる直前に交わした会話や、一緒に歌った賛美歌など、その人を見送るために見聞きする話は、その人と新しく出会う話でもありました。同時に、私が見ていなかったところで、その人を支え導いてきたイエス様と、新しく出会わされる瞬間でもありました。

 目の前で、自分たちを祝福し、天に昇っていくイエス様を見ていた弟子たちも、その場面は、単なる「別れ」ではなく、世の終わりまで、自分たちと共に居てくださる、復活の主イエス・キリストとの「新しい出会い」になっていました。直接、姿を見ることはできなくなっても、聖霊を送って、自分たちと出会い続けてくださるイエス様が、これからもそばにいることを感じるようになりました。

 イエス様が、天に昇って見えなくなったのは、目に見えない自分との出会いを、私たちみんなにもたらすためでもありました。ここにも、あそこにも、あのときも、このときも実はイエス様がいらっしゃった……イエス様が私と共に居てくださった……そのことを繰り返し悟ることができるように、キリストは私たちの心の目を開かれます。

 誰かとの別れを経験し、悲しみに暮れている者へ、神様の憐れみと慈しみがありますように。あなたの目が開かれて、喜びと希望がもたらされますように。泣いている子も、叫んでいる子も、暴れている子も、俯いている子も、その手でギュッと抱きしめられる、私たちの友なる主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌36番「さまよい出たこどもを」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。愛餐式とは、キリストが神の国のしるしとしてなされた5千人の給食を根拠にした「神の祝福を分かち合う食事」です。モラヴィア派の人々やメソジスト教会の各家庭で、かつては盛んに行われていたものでした。

 

信仰を告白した人が、信仰者であり続けるための「聖餐式」と違い、洗礼を受けていない人もあずかることができるので、現在もカトリックとプロテスタントの教派を超えた礼拝や、洗礼を受けていない人が多く集まる地区・教区の新年礼拝などで用いられています。

 

配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。御着席のままで大丈夫です。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

配 餐

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、初めて来た方も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。

 

本日、礼拝に来られているお子さんや学生も、一緒に受け取っていただけます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。係の方は、前へお越しください。(パンと水を配る)

 

分かち合い

ケースの蓋をお取りください。共に、神の恵みを味わいましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2、3節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

私たちの神様。今日の礼拝で受けた恵みに感謝します。今一人一人がささげてくれた献金を誠実に用いることができますように。あなたの平和が実現し、あなたの栄光が現され、あなたの御名が、ますます豊かにほめたたえられますように。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の92番「主よ、わたしたちの主よ」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28:19〜20)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった20名、同時に視聴された9名、計29名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は、イエス様の弟子たちに天から聖霊が降ったことを記念するペンテコステ礼拝です。『バラバラのままで』と題して、使徒言行録2:1〜11のお話をする予定です。また、礼拝の中で、洗礼式と聖餐式も行います。

 

礼拝後は、歓迎の愛餐会(ハレルヤランチ)も予定しています。ぜひ、受洗志願者のためにお祈りください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。