ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『悔い改めればゆるされる?』使徒言行録17:22〜34

日曜礼拝 2025年6月22日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。(エゼキエル書18:32)

 

讃美歌

讃美歌二編26番「ちいさなかごに」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆力の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間も、多くの悩みや苦しみに直面してきた人たちに、あなたの慈しみがありますように。親しい人を見送った人、病に苦しんでいる人、人間関係に悩んでいる人へ、あなたの癒しと励ましが豊かにあって、回復が導かれますように。

◆私たちの神様。この一週間も、誰かを傷つけ、苦しめてきた私たちに、気づきと変化がもたらされますように。聞くべきことを聞き、語るべきことを語り、行うべきことを行うことができるように、私たちの思いと言葉と行動が、新たにされていきますように。

◆私たちの神様。この一週間も、私たちを支え、慰め、共にいてくださったあなたの上に栄光が現されますように。私たちと一緒に傷つき、一緒に悩み、一緒に憤って、共に立ち上がってくださるあなたの御名が、ますます褒め称えられますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって、祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録17:22〜34の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書248頁です。普段は、聖書協会共同訳も朗読していますが、本日も箇所が長いため、新共同訳のみ朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編25:1〜11、新共同訳交読詩編の30頁です。

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の444番「気づかせてください」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

Sandra KapellaによるPixabayからの画像

メッセージ

 自分の思いや行動が、知らない間に神様を怒らせていないだろうか? 悪いことと意識しないまま、神様の気に触ることをして、罪人に定められていないだろうか? 自分が事故に遭ったのは、病気がなかなか治らないのは、家族に不幸が訪れるのは、今なお意識できてない、私の罪が原因ではないか?

 漠然とした不安に襲われることが、皆さんもあるかもしれません。カルト問題の相談を受けていると、こんなふうに、自分が罪を犯してないか、常に監視し、悪いところが見つかると、容赦無く手を挙げ、様々な制限を課してくる、恐ろしい神のイメージが刷り込まれている人と出会います。

 いつ不機嫌になるのか分からない、何に怒り出すのか分からない、自分のどこに問題があるのか、自分で気づかなければならないと、怒りの理由も明かされないため、ひたすら罰を恐れて過ごしている……特に、破壊的カルトから脱会した、団体を追い出された直後の人が、このような恐れを、神様に対して抱いていることが多々あります。

 中には、間違った行動をするのが恐ろしくて、進路や就職や結婚など、日常のあらゆる選択を、牧師や教師に委ねようとする人もいます。「どうするのが正解ですか?」「キリスト教徒として、何が正しい生き方ですか?」と真剣に、切実に問われます。もっと率直に言うなら「神様に怒られない生き方はなんですか?」という問いになるかもしれません。

 実は、このような「常に監視している神」「突然人々に手を上げる神」のイメージは、DVやデートDVの加害者とだいたい重なるようになっています。「お前はダメだ」「何も分かってない」「どうしてこんなこともできないんだ」と自信を失わせる一方で、こんなに愚かで、情けない自分を愛してくれるのは、この方だけだと思わせる……ちょっとドキッとしますよね?

 キリスト教の神って、DVやデートDVの加害者みたいな「神」なんだろか? 常に神様のことを意識してないと、癇癪を起こしてブチ切れたり、育児を放棄したり、物を投げつけたりしてくるような「神」なんだろうか? 「怒られたくなければ、ゆるして欲しければ、とにかく謝れ」と迫るような、脅迫的な「神」なんだろうか?

 キリスト教系のカルトや、キリスト教の教えを一部取り込んだ宗教カルトは、まさに、こういうDV加害者と重なるようなイメージを、「神」のイメージとして刷り込みます。信者の親も子どもに対し、自分に悪いところがないか常に探させ、悪いことが起きたら自分のせいだと反省するように、教祖にならってコントロールするようになってしまいます。

 そのため、破壊的カルトの「宗教二世」は、自分をコントロールする親を「神」と重ねて、逆らうことが困難になり、愛してもらうために、親の信じる宗教を進んで信じる場合もあります。常に、自分の悪いところを反省しないと、悔い改める姿勢を見せないと、愛してもらえると思えないため、自分を肯定することが、なかなかできずに育ちます。

 成人して、親や宗教団体のコントロールに耐えきれなくなり、家から離れて、組織から脱会することができた場合も、小さい頃から刷り込まれてきた「常に監視している神」への恐怖に苛まれ、「ずっと何かにゆるされないまま生きている」という感覚に、苦しめられることがあります。

 そんな中、「悔い改めて、神を信じなさい」というメッセージを聞いてしまうと、自分で考え、自分で選択し、自分で決断する力を取り戻す前に、自分を否定して、あらゆる選択を誰かに委ね、依存先を変えるだけの生き方に、陥ってしまいかねないため、通常、脱会したばかりの相談者には、「教会へ行きなさい」とは勧めません。

 恐怖心でコントロールされたまま信じようとするのではなく、安心して、無償の愛を受け取って信じることができるように、自分が今まで、どのようにコントロールされていたのか、整理できてから「教会へ行ってみたいか」を尋ねます。神様が求める「悔い改め」は、条件に満たない者を滅ぼすための「試験」ではなく、あなたが本当にゆるされていることを知るための「道のり」として与えられていることを知ってほしいからです。

 宣教者パウロは、キリストの教えと業を宣べ伝えるため、アテネの町へ行った際、そこで、多くの神々を祀った祭壇があるのを目にしました。そこには、「知られざる神に」と刻まれている祭壇さえ並んでいました。名前も知らない神からの反感を買わないよう設置したものと思われますが、パウロは、アテネのみんなが知らずに拝んでいる神様こそ、この世界を造られた、イエス・キリストの父なる神だと語ります。

 それは、人間が甲斐甲斐しくお世話しないと、「これが足りない」「あれが足りない」と癇癪を起こすような神ではなく、自分が住むための神殿を用意しないと、怒りが抑えられないような神でもありません。一人一人が過去に犯した悪いことをみんなの前で告白させて「もう二度と罪を犯しません」と叫ばせるような、歪んだ支配を行う方でもありません。

 パウロは、かつて自分がキリスト教徒を迫害し、処刑して回っていた罪人であったことを、度々メッセージの中で語っていますが、悔い改めて洗礼を受けるよう、人々に促す際に、一人一人へ、どんな過ちを犯してきたかを探させて、無理に告白させるようなことはしませんでした。その場で「神に謝りなさい」と頭を下げさせることもしませんでした。

 よく考えると、神の子であるイエス様が、敵に捕まったとき、見捨てて逃げてしまった弟子たちも、復活したイエス様と再会したとき、「主よ、あなたを見捨てて逃げてしまったことをおゆるしください」と謝った者はいませんでした。「死んでから3日目に復活すると聞いていたのに、信じなかったことをゆるしてください」と謝った者もいませんでした。

 パウロ自身も、復活したキリストの幻と出会った際に、「私は、あなたが迫害しているイエスである」と告げられますが、「主よ、あなたを迫害してきた私のことをおゆるしください」と謝ることはできませんでした。最初に神様との約束を破って「食べると必ず死んでしまう」と言われた木の実を食べてしまったアダムとエバも、「約束をやぶった私をおゆるしください」と謝ることは全くできていませんでした。

 「悔い改め」が、単に、自分の罪を認めて、謝ることであるのなら、聖書に出てくる多くの先人たちは、「悔い改め」ができた人とは言えません。しかし、もともと「悔い改め」という言葉は、「向きを変える」「立ち帰る」という意味の言葉で、分かりやすく「反省して謝ること」とはちょっと違います。

 今までの生き方から変えられていく、神様の方を向いて、神様に立ち帰る生き方をしていく、そのプロセス全体が「悔い改め」です。自分が神様を怒らせているのか、悲しませているのか、何か罪を犯しているのか分からない……どういうふうに生き方を変えればいいのか分からない……何を正せばいいのか、何を反省すればいいのか分からない……そんなふうに、焦ったり、情けなく思ったりしている方は、安心してください。

 あなたが歩いている道は、既に「悔い改め」の道なんです。「悔い改め」とは、新しい生き方へ変わっていくための、長い、長いプロセスなんです。自分が悪いと分かっているけど、どうしても認めることができなくて、謝ることができなくて、何とか自分を変えたいと、もがいている人もまた、「悔い改めなさい」という神様の呼びかけに、応えている者の一人なんです。

 復活したイエス様によって、罪をゆるされた弟子たちは、自分の罪を告白し、謝ることができたから、ゆるされたわけではありません。彼らは、自分が見捨てたイエス様に、合わせる顔のないイエス様に、「あなたがたに平和があるように」と呼びかけられたから、またついていくことができたんです。ゆるされようと、謝ることもできなかった彼らに、イエス様は、振り返ってついてくるよう現れて、和解をもたらしてくださいました。

 あなたにも、イエス様は現れています。あなたにも、イエス様は「罪の赦し」をもたらしています。イエス様は、悔い改める一人一人が、新しい生き方に至るまで、神の国に迎えられるその日まで、どこまでも付き合い続けてくださいます。条件に満たない者を切って捨てるような方ではありません。死を超えて、関係の壊れた者へ現れ、ありえない和解をもたらされ、神の国の祝宴へ、あなたを招いてくださいます。

 あなたを見つめる神様の目は、あなたの粗探しをする目ではなく、あなたを慈しむ目なんです。あなたが神の家へと帰れるように、どこまでも見守っている目なんです。どうか裁きに対する恐怖ではなく、救いに対する信頼によって、神様への信仰を育むことができますように。全ての人に、赦しと和解と平和の確証が与えられますように。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌36番「さまよい出たこどもを」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」

 

年間主題

華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。

 

今週は、芽含幼稚園と教会学校のために祈り、子どもたちへ神様の愛と恵みを豊かに分かち合えるように、私たち大人が取り組めることを一緒に考えていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

神様、この礼拝で受けた恵みが、ますます豊かに広がるよう、私たちがささげた献金をお使いください。人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」4節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の92番「主よ、わたしたちの主よ」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使徒言行録1:8)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように/あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった14名、同時に視聴された10名、計24名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は『喜びなさいと言われても』と題して、フィリピの信徒への手紙2:12〜18のお話をする予定です。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。