聖書研究祈祷会 2025年6月25日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の339番「来たれ聖霊よ」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆私たちと共におられる神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。
◆私たちの神様。戦争に巻き込まれ、対立を煽られ、憎しみに突き動かされている人へ、あなたの癒しがありますように。どうか今、怒りを増長する動きが収まり、奪われた余裕が取り戻され、和解と平和の道が新たに築かれていきますように。
◆私たちの神様。地震、津波、台風、噴火、飢饉、疫病、虫害等に悩まされている人たちへ、あなたの助けがありますように。どうか今、復旧と復興が進み、断絶が解消され、明るい未来がもたらされますように。
◆私たちの神様。事故や事件、病気や怪我、障害や衰えに苦しんでいる人たちへ、あなたの励ましがありますように。どうか今、互いに守り、互いに支え、互いに助け合う関係が育まれていきますように。
◆一人一人を新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。ペテロの手紙二3:10~13の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書439頁です。
同じく、ペテロの手紙二3:10~13の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の旧約聖書428頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |

メッセージ
今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「終末とは何なのか?」というトピックについて、世の終わりの描写が出てくる、ペテロの手紙二3:10~13に焦点を当てて、話していこうと思います。
「世の終わり」「終末」という言葉を聞くと、途端に怪しい「カルト」のイメージが湧いてくると思います。まもなく世界の終わりが訪れる……全てのものは滅ぼされる……しかし、助かるため、救われるために、この宗教を信じてメンバーになり、献金をささげて、奉仕に励めば、世界が滅んでも、あなたは救われることができる……そんなふうに、しばしば「終末」が持ち出され、入信の強要と搾取の手段に使われてしまうことがあります。
キリスト教でも、一部のグループでは「世の終わりが来る前に、早く洗礼を受けないと救われない」「信じて洗礼を受けた者だけが、世界が滅ぼされた後、新しい天と地に迎えられる」と強調し、多少強引にでも、不安や恐怖を煽ってでも、洗礼を受けさせようとする人たちがいます。
特に、「聖書に書いてあることは科学的にも歴史的にも皆正しく、間違いがない」と主張して、「聖書の言葉は文字どおり信じ、文字どおり実行しなければならない」と訴える根本主義(原理主義)の人たちに、その傾向がよく見られます。ただし、この捉え方は、同じキリスト教会の間でも、問題が指摘されたり、批判を受けたりしています。
特に、「あと何年で終末の日がやってくる」「何年何月何日に世の終わりがやってくる」といったような『次元付き終末携挙論』や、終末の日がいつやって来るか、具体的には言わないものの、「終末は目の目に迫っており、そのしるしとして、此度の災いや戦争が起きた」「次にこういうことが起きたら、いよいよ世の終わりが近いと言える」などと煽って、切迫感を持たせるグループは、度々、カルト化してしまい、社会問題になっています。
しかし、キリスト教系の破壊的カルトが、皆、終末の恐怖を煽るとは限りません。むしろ、終末の恐怖を煽ることで問題視されているキリスト教会の弱点をついて、自分たちの方が、まともな信仰を持っている……とアピールしてくるカルトもあります。
そういったところでは、「クリスチャンは皆、聖書の言葉を文字どおり捉え、終末に関する預言も、文字どおり現実になると信じている」と訴えて、自分たちの教えは、もっと説得力があると主張します。
一応、繰り返しますが、「聖書の言葉は文字どおりに捉えるべきだ」という姿勢は、全てのクリスチャンに当てはまるわけではなく、クリスチャンのうちの一部です。「終末に関する預言は文字どおり、そのまま現実になる」と捉えている人も、クリスチャンのうちの一部です。キリスト教会全体の認識ではありません。
しかし、ある破壊的カルトでは、「クリスチャンは、終末になると、天変地異が起こって世界中が火で焼き尽くされ、地球は滅びると信じている。そして、キリストを信じている者だけが、空中に引き上げられて助かると考えている。けれども、愛情深い神様が、本当に、地球を滅ぼしてしまうと思いますか?」と問いかけて、その教団独自の「終末」の意味を刷り込んできます。
たとえば、聖書における終末の描写には、しばしば「日・月・星」などの天体が落ちたり、壊れたりするシーンが出てきますが、これに独特の意味を持たせます。マタイによる福音書24章29節には「苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」と記されており、ヨハネの黙示録6章12節から13節では「そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、天の星は地上に落ちた」と記されています。
一般的に、これらの描写は「神の支配」が完成し、新しい世界が訪れる前に、古い世界へ終わりがもたらされる様子を表現しているもの……と捉えられます。しかし、聖書を用いるカルトの中には「日・月・星」の描写は、天体そのものを指しているのではなく「古い時代の太陽として輝いていた指導者が沈み、新しい時代の太陽となる指導者が昇ってくることを指している」と主張して、教祖の権威付けを図ろうとするものがあります。
つまり、新約の時代のメシアであった、イエス・キリストという太陽が沈んで、新しい時代のメシアという太陽が昇ると予言されており、新しい時代のメシアとは、自分たちの「先生」のことである……というわけです。
ようするに、「終末」とは「世界の終わり」ではなく、「新しい時代の転換期」を指していると言って「教祖の時代がやってきた」と主張するわけです。もちろん、神様の遣わす存在が「昇る太陽」にたとえられることはありますが、聖書に出てくる全ての天体が、誰かをたとえるものとして出てくるわけではありません。
前回も話したように、「日・月・星」などの天体は、自然界を動かす神の力、神の支配の大きさを表す際に、繰り返し出てくるモチーフです。終末に関する記述においては、世界が壊れて、全てが終わりに向かっていくように見える、天変地異や災害は、「神の支配が終わってしまう」しるしではなく、新しい世界が訪れる「神の支配の完成に至る」しるしであることを表します。もともと、不安や恐怖を煽るための記述というより、希望を失わないようにするための記述です。
また、マタイによる福音書24章30節には、「そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」と書かれています。いくつかの宗教カルトでは、この記述を、メシアが文字どおり、雲に乗って現れるのではなく、「雲のような多くの証人」に囲まれてやって来ると説明します。
そうして、「雲のように多くの人」「信者」を従えるようになった教祖こそ、再臨のメシア、新しい時代のキリストだ、と主張して、自分たちのリーダーへ従うように促すわけです。ちなみに、「天の雲」という言葉が「多くの人間」を指しているという十分な根拠はありません。
「雲」は、神様が人前に訪れるとき、人々へ語りかけるときに、「神様が来た」と分かるように、一緒に現れるものとして出てきます。また、比喩として出てくる場合は「神の力の大きさ」を表すことが一般的で、信者の群れや、群衆を指している記述はほとんどありません。けれども、「聖書は比喩で書かれている」と過度に強調するカルトは、こういった記述を教祖の権威付けに都合よく利用してしまいます。
このように、「キリスト教系のカルトと言えば、終末の恐ろしいイメージを用いて、不安や恐怖を煽ってくるもの」「世の終わりに滅ぼされたくなければ、自分たちの言うことを聞くようにと脅してくるもの」という認識だけでいると、「終末とは『世界の終わり』ではなく『新しい指導者の時代、新しいメシアの時代がやってきたこと』を示している」というカルトの主張に対し、無防備になってしまうことがあります。
終末に関する記述は、文字どおり、そのまま現実になるとは思えない記事や、象徴的な表現が繰り返される記事が多いため、しばしば、都合の良く、色んなものの比喩として語られ、信者のコントロールに使われてしまいます。
だからこそ、これから終末について、世の終わり、救いの完成について聞く人には、慎重に、誠実に、メッセージを伝えていく必要があります。今一度、そのことを心に留めながら、引き続き、聖書を学んでいきたいと思います。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている大阪府豊中市の豊中教会のために、親しい人を見送った人、心身の調子を崩している人、障害のある人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆大阪府豊中市の豊中教会のために祈ります。幼い子どもから年配の方まで、全ての会衆の心と体の健康が守られますように。誰もが心穏やかに過ごせる教会として、歩んでいくことができますように。
◆親しい人を見送った人のために祈ります。身内を天へ見送った人、お世話になった人や大切な友人との別れを経験した人に、あなたの慰めがありますように。残された人たちに天の国で再会する希望と、生きていく力が与えられますように。
◆心身の調子を崩している人のために祈ります。心を病んだり、体を痛めたり、しんどい思いをしている人に、あなたの助けがありますように。十分な治療と休息がもたらされ、癒しと回復が導かれますように。
◆障害のある人のために祈ります。発達障害、精神障害、身体障害をはじめ、様々なハードルを感じている人に、あなたのお支えがありますように。本人と周囲に適切な理解がもたらされ、環境が整えられ、生きにくさが解消されていきますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌2番「あなたの内なる人を」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『無知の罠?』と題して、歴代誌下 35:20~24のお話しをします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。