ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『喜びなさいと言われても』フィリピの信徒への手紙2:12〜18

日曜礼拝 2025年6月29日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず/月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となり/あなたの神があなたの輝きとなられる。(イザヤ書60:19)

 

讃美歌

讃美歌二編26番「ちいさなかごに」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆慈しみ深い神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先週一週間も、私たちを癒し、守り、導いてくださったことを感謝致します。どうか今、傷つき、弱り、迷っている一人一人に、引き続き、あなたの助けがありますように。あなたから受けた恵みを互いに分かち合うことができますように。

◆私たちの神様。今週一週間も、聞くべきことを聞き、語るべきことを語り、行うべきことを行えるように、私たちを導いてください。どうか今、聞けなくなっていること、見えなくなっていること、語れなくなっていることを受けとめていくことができますように。

◆私たちの神様。争いや災害に巻き込まれた人、怪我や病気に苦しむ人、貧困や人間関係に悩んでいる人へ、あなたの慈しみがありますように。どうか今、それぞれに必要な知恵と力がもたらされ、支え合う仲間が与えられますように。

◆一人一人を新たにされる、イエス・キリストのお名前によって、祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。フィリピの信徒への手紙2:12〜18の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書363頁です。

 

同じく、フィリピの信徒への手紙2:12〜18の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書355頁です。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編67:1〜6、新共同訳交読詩編の74頁です。

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の55番「人となりたる神のことば」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

Volker GlätschによるPixabayからの画像

メッセージ

 フィリピの信徒への手紙は、宣教者パウロが牢獄の中でフィリピの教会の人たちへ書いた手紙と言われています。いわゆる「獄中書簡」と呼ばれる手紙の一つです。この手紙がどこの獄中で書かれたのかは不明ですが、使徒言行録には、パウロがカイサリアで投獄されたことや、ローマで軟禁状態にあったことが書かれています。

 あるいは、他にも投獄された場所があったのかもしれません。パウロをはじめ、イエス様の弟子たちは、しばしばローマ帝国の役人やユダヤ人に捕まって、牢に閉じ込められていました。何か犯罪を犯したからではなく、当時の宗教的指導者や政治的指導者にとって都合の悪い教えや人々の価値観と衝突する話をしていたため、度々騒ぎになったからです。

 そのため、パウロは自分の作った教会を訪問することも、会衆を直接指導することもできなくなってしまいました。フィリピの教会は、パウロが小アジアからヨーロッパの南東に渡ってできた最初の教会でしたが、建てられてすぐ、イエス様の教えと業を語ってくれる宣教者が捕まってしまい、危機的状況を迎えていました。

 もし、自分たちの牧師が出かけている間に捕まって、投獄され、帰って来れなくなってしまったら、皆さんも心穏やかではいられませんよね? 牧師の安否も心配ですが、自分たちもこれからどうすればいいのか分かりません。誰に、聖書のメッセージを語ってもらえばいいだろうか? 会衆の間で起こった問題をどうやって解決すればいいだろうか?

 フィリピの人たちも必死に考え、パウロが帰ってくるよう祈りながら、これまで聴いてきた教えを自分たちで共有し、問題を解決するために悪戦苦闘したはずです。「今日のメッセージは、パウロの話を聞いていた誰々さんに話してもらおう」「来週はこっちへ来てくれる使徒のあの人にお願いしよう」「この問題は、長老(役員)として選ばれた誰々さんに担ってもらおう」そんなふうに、何とか信仰生活を保っていました。

 そんな中、パウロから聞かされていた教えに反対する「異なる教え」を主張する者も出てきました。それは、フィリピの人たちも、ユダヤ人と同じように、細かな食物規定を守り、割礼を受けなければならないという教えでした。割礼とは男性の包皮の一部を切り取る儀式で、ユダヤ人なら、ほとんどの人が幼少期に親から受けているものでした。

 しかし、成人してから神様を信じるようになった異邦人が、割礼を受けようとすると、痛みのため、何日も仕事に就けなくなってしまいます。また、自分の包皮を切り取ってほしいと、誰かにお願いするのも困難なことでした。当然、一人で簡単にできることでもありません。もともと割礼は、神様を信じる共同体の一員になったことを表す重要なしるしでしたが、異邦人にも、同じようにそれを求めるのは酷なことでした。

 また、食物規定は、豚を食べたり、肉と乳製品を一緒に食べたりしてはならない……といった古い掟で、これもまた、異邦人のライフスタイルでは守るのが困難なものでした。既に、「ユダヤ人が守ってきたこれらの掟を異邦人に押し付けてはならない」という決定がイエス様の弟子たちによって為されていたにもかかわらず、あちこちの教会で「やっぱり特別なルールを守るべきではないか」という主張が起こっていました。

 必ずしも、ユダヤ人の信徒だけが、そう主張したわけではなかったと思います。異邦人の信徒の中にも、自らハードルを上げて、異なる教えを守るべきだと考えた人たちがいたと思います。パウロが投獄され、日常的に自分たちの信仰生活を指導してくれる者がいない今、明確に「これを守っていれば大丈夫」「これに気をつけていれば大丈夫」という「信仰者である証」を求めた人たちは、少なくなかったことでしょう。

 「互いに愛し合いなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」「あなたの神である主を愛しなさい」……最も大切な掟である、これらの教えを守ることは、何をもって「守った」「実践できた」とするか、はっきり示すことはできませんが、「身につけるもの」や「食べてはならないもの」を守ることは、何をもって「守った」「実践できた」とするかがはっきりしています。

 献金はどれくらいすればいいのか? 奉仕はどれくらい頑張ればいいのか? 聖書は家でどれくらい読めばいいのか? お祈りは一日何回すればいいのか?……正解となるもの、基準となるものを作ってラインを引き、安心したくなるのが私たちです。「ここまでやっている人は、ちゃんとした信仰者だ」と言いたくなります。

 しかし、パウロはそのような線を引いて、「神に従っているしるし」を作ろうとする私たちに、「それは違う」と訴え続けました。分かりやすい掟や条件を守ることが、神に従っている証ではなく、慈しみや憐れみの心を持って、互いに喜びを満たそうとすることが、神に従う者の道であることを語りました。

 これは、パウロ不在の教会で信仰生活を守ろうとしていた人たちには、厳しく聞こえたかもしれません。「割礼や食物規定を守っていれば、正しい信仰生活を送れている」と単純に言うことができなくなって、何をもって、自分を信仰者と言えるかが分からなくなったかもしれません。

 けれどもパウロは、フィリピの教会の人たちへ「わたしの愛する人たち」と声をかけ、自分が投獄される前、みんなと一緒にいたとき、あなたたちはいつも従順であったと語ります。割礼も食物規定も守っていなかった人々に「わたしが共にいるとき、あなたたちは従順であった」と呼びかけます。

 同じ教会で一緒にいることができない今も、従順でいてほしい……「ここまでしないと救われない」という掟にすがってしまうのではなく、憐れみや慈しみの心を持って、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにしてほしい……自分の頭で考えて、神様に問いかけるのを、生き方を模索するのをやめないでほしい……そのように期待し、命じます。

 実は、パウロがあちこちで投獄され、裁判にかけられた理由の一つに「この人は、神から与えられた掟である律法を蔑ろにさせている」「掟を守らなくてもいいと人々に教えている」という宗教指導者の乱暴な訴えがありました。実際には、他人のことに注意を払わず、掟を守らない者を見下していた彼らの方が、神様の教えを蔑ろにしていました。

 律法が馴染みのない人たちに、ユダヤ人でない人たちに、神様の救いを語り、イエス・キリストの教えと業を宣べ伝えていたパウロにとって、「聖書に書いてあるから」という理由だけで、割礼や食物規定を守らせようとする「異なる教え」との戦いは、たとえ、自らの命を危険にさらすことであっても、避けては通れないものでした。

 「あの教会の人たちは、古くからの掟を守っていない」「世の中に迎合して、神の掟を蔑ろにしている」そのように指をさされながらも、異なる背景の人たちに注意を払いながら信仰生活を支え合うことは、パウロと共に、血を流す覚悟を持って進むのと同じくらい、過酷な道のりでもありました。

 普通は、この道を進むのを「喜びなさい」と言われても、喜ぶことはできません。もっと分かりやすく、「あの人たちは神に忠実で、信仰を貫き通している」「今でもしっかり、掟を守っている」と言われることに憧れて、「世の中に迎合している」とか「掟を蔑ろにして神に背いている」と攻撃されるような道は、進みたくありません。

 しかし、パウロは、この道を一緒に歩いて、共に喜んでほしいと呼びかけます。神に従順でないとみなされて、投獄されるような目に遭っても、周りから見下されるような目に遭っても、本当に、互いのために注意を払い、信仰生活を支え合う道には、喜びがあることを訴えます。

 もしかしたら、私たちも、割礼や食物規定に代わる、自分たちの「掟」を教会に来た人たちへ押し付けていることがあるかもしれません。喜びを奪う態度を取っていることがあるかもしれません。そうではなく、心から、喜びを分かち合う場となるように、もう一度パウロの言葉を胸に刻んで、神様の思いを尋ね求めていきましょう。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌36番「さまよい出たこどもを」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」

 

年間主題

華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。

 

今週は、会衆一人一人の家族や友人を思い起こし、私たちの生き方を通して、神様の慈しみが伝わるように、恵みを分かち合えるように、祈りを合わせていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

私たちの神様。ここにささげた献金を、あなたの心に適う形で用いることができますように。教会の働きと私たち一人一人の良心をこれからも導いてください。そして、あなたの栄光が、ますます豊かに現され、神の国の平和が告げ知らされますように。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の92番「主よ、わたしたちの主よ」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。(フィリピの信徒への手紙2:18)

 

祝 福

わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(フィリピの信徒への手紙1:2)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、会堂のワックス掛けと大掃除を予定しています。お手伝いいただける方は、ワックスを乾かしている間に軽食のパンを用意しています。時間のある方は、無理のない範囲でご協力いただけると嬉しいです。

 

来週の日曜日は『慈善と施し』と題して、コリントの信徒への手紙二8:1〜9のお話をする予定です。どうぞ、次回も祈りを合わせてお集まりください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。