ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『慈善と施し』コリントの信徒への手紙二8:1〜9

日曜礼拝 2025年7月6日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください。(詩編51:12〜14)

 

讃美歌

旧讃美歌519番「わが君イェスよ」(無)を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆慈しみ深い神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。病気や怪我、障害や衰えによって、痛みや不安、苦しみの中で過ごしておられる方々に、あなたの癒しがありますように。どうか今、一人一人に必要な治療と環境が整えられ、平安と回復がもたらされますように。

◆私たちの神様。今週は、先週の礼拝後、ワックス掛けと大掃除をして綺麗になった会堂で、日曜日を迎えることができました。どうか今、ご協力くださった方々と、祈りを合わせてくださった方々に、あなたの恵みが豊かにありますように。

◆私たちの神様。来週は、岐阜地区を覚える月間の交換講壇が行われます。川上侑先生が来られるこの教会と、鈴木重正先生が伺う在日大韓基督教会岐阜教会、柳本伸良牧師の伺う田瀬と付知の教会、それぞれの礼拝が、豊かに導かれますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって、祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。コリントの信徒への手紙二8:1〜9の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書333頁です。

 

同じく、コリントの信徒への手紙二8:1〜9の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書327頁です。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編14:1〜7、新共同訳交読詩編の19頁です。

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の370番「おもいもことばも」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

Myriams-FotosによるPixabayからの画像

メッセージ

 非常に貧しい身であったにもかかわらず、困っている人のために、惜しまず施しを行った……そういう人の話を聞くと、自分はどれだけ施しをすれば、十分だと認められるだろうか? いくら施しをすれば、自分のことしか頭にないケチな人間ではなく、他者を思いやっている人間として認められるだろうか? そんな思いが湧いてくるかもしれません。

 特に、神様への献げ物、「献金」について考えるとき、自分のささげた金額が、神様から見て十分ではなかったら、「もっとささげてもいいはずだ」と怒られちゃったらどうしようという不安が出てくるかもしれません。「だいたいこれくらいささげれば十分です」「ここまで献金できれば大丈夫です」という基準が欲しい人もいるでしょう。

 華陽教会では繰り返し「献金とは神様の恵みに対する感謝の応答で、金額に定めはありません」と言っていますが、それでも、みんなどれくらいささげているのか、どれくらいすれば恥ずかしくないのか、気になってしまうと思います。たくさん献金しすぎて苦しくなるのは避けたいし、少なすぎて「あの人ケチだな」と思われるのも嫌だからです。

 ただ、先ほど読んだコリントの信徒への手紙にも出てきたように、神様への献げ物は、誰かに「これだけささげなさい」と命じられてするものではなく、自分から進んで自発的にするものです。強制的にノルマを設定されてささげるものではなく、自ら喜んでささげるものです。「献金はこれくらいするのが妥当です」という枠組みはありません。

 もちろん、聖書の中に、献げ物の基準が全く出てこないわけではありません。レビ記の27章には、献げ物として男子はいくら、女子はいくら、子どもはいくら、年配者はいくらささげなさい、という規定が出てきますし、「貧しくて相当額が支払えない場合は」「献げ物をささげる資力に応じて祭司が決定する」といった掟も出てきます。

 これを根拠に「クリスチャンは収入の十分の一をささげなければならない」と強制したり、信徒一人一人の収入を聞き出して「あなたはいくらささげなさい」と命じたりする牧師もいますが、健全ではありません。現代でも、それらの規定を守らないと、罪を赦してもらえないとか、罰を受けてしまうとか、そういうものではありません。

 かつての献げ物は、人間が犯してしまった罪を、神様に赦してもらうため、自分たちの代わりに、牛や羊、鳩や穀物などを焼き尽くし、神様への犠牲としてささげていました。しかし、全ての人が罪を赦されて救われるように、イエス様が十字架にかかり、自分自身を完全な犠牲としてささげたことで、神様と人との和解がもたらされました。

 そのため、現代における献げ物は、私たちが、罪を赦してもらうための条件ではありません。いくらささげなければ、罪を赦されないというものではありません。私たちが赦されるための献げ物は、イエス様が既にささげてくださったからです。自らの命をささげたイエス様の献げ物が、足りなくなることはありません。

 現代、私たちがささげる献げ物は、イエス様を遣わして、私たちの罪を赦され、新たな関係を築いてくださる、神様への感謝の応答として行われます。かつて行われた、罪の赦しを得るための「十分の一の献げ物」や「焼き尽くす献げ物」とは性格が少し違います。現代の献げ物は、神様の恵みに対する自由な応答であって、救いの条件ではありません。

 教会の献金は、神様の愛する人間が、互いに愛し合って、支え合って生きていくことができるように、自分自身の生き方を神様にささげるしるしとして行われます。献金はあなたの献げ物の一部であって、全てではありません。あなたの生き方全体が、あなたの慈え善と施しの全てが、神様への献げ物なんです。

 初代教会では、教会に集まった人々が、貧しい人や未亡人、親を失った子どもたちのために、食べ物や飲み物を持ち寄ってささげ、礼拝後、それらをみんなに分けていました。その中の一部を、信仰者が信仰者であり続けるための式「聖餐式」のパンとぶどう酒に用いていました。

 その後、食べ物を持ち寄っていた献げ物が、だんだんと献金を持ち寄る献げ物になっていき、現代では、集まったお金を、教会の管理や牧師の謝儀、諸教会の援助や慈善事業への寄付などに用いるようになりました。つまり、献金はもともと、困っている人と食べ物を分かち合うために、持ち寄ったものから来ています。

 そのため、礼拝でささげる献金に金額の定めはないけれど、どうしても何か目安がほしいという方には、「誰かと一緒にお茶やお菓子を分けられるくらい」あるいは「誰かと一緒にご飯を分けられるくらい」で考えたらいいと説明しています。同時に、皆さんが礼拝に来た人を一緒に迎える姿勢そのものが、恵みを分かち合う生き方のしるしになっています。

 お金がなくて、そんなに献金できないし、体が衰えて、奉仕もほとんどできません……そんな方々が、初めて来た人を席に案内したり、「よく来ましたね」と歓迎したり、互いの病気や障害が良くなるよう慰め合って祈るとき、実は、「聖なる者たちの慈善の業と奉仕」がまさに行われているんです。

 私は知っています。華陽教会に集まっている会衆の多くが、ここにやって来ること自体そう簡単ではなくなっていることを。配信の見方が覚えられず、必死に方法を思い出して家で礼拝にあずかっている人の苦労を。自分も病気で辛いのに、弱っている家族が気がかりなのに、隣人を慰め、とりなして、励ましてくれていることを。

 これが、人に惜しまず施す豊かさでなくて何だろう?……と思うんです。教会に集まって、隣に、前に、後ろにいる人と神様の恵みを分かち合う……互いに祝福し、互いに励まし、互いに日常へと送り出す……祈ってくれたことへの感謝、自分も祈っているという知らせ、そうした一つ一つの思いと言葉と行動を、神様は喜んで見られます。

 来週の日曜日には、岐阜地区を覚える月間の交換講壇が行われます。毎年、この日の礼拝で集まった献金は、自分の教会のためではなく、岐阜地区の諸教会を支えるために用いられます。もしかしたら、「私は自分の教会のために献金したい」「この教会のために使われないなら、ささげたくない」と思われる方が出るかもしれません。

 でも、私たちの教会も、牧師がいなかったとき、地区や教区の諸教会から、惜しまず支えてもらえました。受洗者のことを一緒に祈り、祝福してもらえました。たとえ今、自分の教会に余裕がなくても、惜しまず支え合うことは、この教会をも豊かにします。あなたがたをも豊かにします。

 また、もしかしたら、礼拝における献金をメッセージを語った人への報酬のように考えて、メッセージの出来によって、金額を上げたり下げたりする方もいらっしゃるかもしれません。もちろん、その日に与えられた聖書の言葉に押し出され、喜んで多くの献金をささげることは、間違っているわけじゃありません。

 また、明らかに、誰かを貶める内容が語られて、感謝の応答ができないときも、無理にいつもどおり献金しなければならないわけでもありません。ただ、礼拝における献金は、メッセージの出来に対する報酬ではなく、日々与えられる、神様の恵みに対する応答で、ここに集まった人たちや、離れたところにいる人たちを支え合うための献げ物です。

 メッセージの出来に心を奪われて、あなたの支えを必要としている隣人や諸教会、慈善の業に携わっている人たちを忘れないでください。もちろん牧師も、皆さんと一緒に喜びのうちに自分自身の生き方を神様へささげられるように、精一杯、聖書の言葉を語りますので、拙いメッセージをしてしまったときには、とりなしていただけると幸いです。

 どうか、皆さんのために、惜しみなく自分自身をささげたキリストの業を思い起こしてください。豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられたイエス様の生き方を思い出してください。私たちも、互いに分かち合い、互いに支え合い、互いに愛し合う生き方ができるよう、祈りを合わせていきましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌19番「悲しみながら立ち去るとき」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖 餐[1]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。パンとグラスを取る際は、自分の手で触れたものだけを手に取って、他の人の分は触らないようにお願いします。

 

讃美歌

最初に、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

ようこそいらっしゃいました。今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、食事の席で、主は約束されました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」

 

主は、弱っている者を励まし、閉じこもっている者を力づけ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。アーメン。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯を配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、ここへ招かれた人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命をささげられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この場に連なる全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちがキリストの体の手足であること、神の国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

ご着席のまま、讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

以上で、聖餐式を終わります。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。(コリントの信徒への手紙二8:7)

 

祝 福

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。(コリントの信徒への手紙二13:13)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった26名、同時に視聴された5名、計31名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は岐阜地区を覚える月間の交換講壇です。『賜物を持ち寄る』と題して、各務原教会の川上侑先生がメッセージをしてくださいます。鈴木重正先生は在日大韓基督教会岐阜教会へ、柳本伸良牧師は田瀬教会と付知教会の合同礼拝へメッセージ奉仕に伺います。

 

どうぞ、次回も祈りを合わせてお集まりください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。