ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『王や高官のためにも』テモテへの手紙一2:1〜8

日曜礼拝 2025年7月20日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。(歴代誌下6:19)

 

讃美歌

旧讃美歌519番「わが君イェスよ」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆祝福の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、岐阜地区を覚える月間の交換講壇として、田瀬・付知・坂下・蘇原・飛騨高山・中濃・各務原、在日大韓岐阜教会で礼拝と交流の時を持つことができ感謝致します。どうか今、諸教会との関係がますます豊かなものとなりますように。

◆私たちの神様。昨日は、芽含幼稚園と華陽教会で協力して、子どもたちの同窓会&夏祭りを開くことができ、感謝致します。どうか今、子どもたちや保護者の上に、あなたのお守りが豊かにあって、共に、恵みを受け取っていくことができますように。

◆私たちの神様。暑い日が続く中、体調を崩したり、怪我をしたり、病気に苦しんでいる人へ、あなたの慈しみがありますように。どうか今、痛みが和らぎ、力が回復し、平安がもたらされるように、一人一人に必要な、あなたの癒しを与えてください。

◆全ての者を起こされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。テモテへの手紙一2:1〜8の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書385頁です。

 

同じく、テモテへの手紙一2:1〜8の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書376頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながら、お聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編143:1〜6、新共同訳交読詩編の160頁です。

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の493番「いつくしみ深い」を歌いましょう。最後のアーメンはつけて歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

HimsanによるPixabayからの画像

メッセージ

 テモテへの手紙が、第一に勧めていることとして、こんな教えが出てきました。「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人のために献げなさい」……これだけで終わったらいいのですが、その後に心がザワザワする言葉も続きます。「王たちやすべての高官のためにも(祈りを)ささげなさい」……皆さんの頭には、誰が思い浮かんだでしょう?

 「王」や「位の高い人」……現代の私たちにとっては、各国の首相や国会議員、組織の中で、一定の権力を持った執行部などがイメージされます。奇しくも、今日は参議院選挙当日ですが、連日、選挙カーから鳴り響く声や、議員に関するニュースを見ていると、色んな感情が湧いてきます。

 好感を持って応援している相手もいれば、反感を持って批判している相手もいるでしょう。むしろ、後者の方が多いかもしれません。「その公約、本当に達成する気があるの?」「票集めのために、ポーズだけ取っているんじゃないの?」「政治とカネに関する追求をいつまでかわし続けるの?」「議席を取るためなら、差別感情を煽ることさえ厭わないの?」

 「全ての人のために、願いと祈りと執り成しと感謝をささげなさい」という教えは分かるけど、「王たちや高官のため、権力と権威を持った相手のためにも祈りなさい」というのは抵抗がある。正直、あの政治家、あの官僚、あの議員のためには祈れない。不義や不正、汚職や圧力、弱者を虐げている官職のためには、とりなせない……。

 そういう気持ち、誰もが抱くことがあるんじゃないかと思います。私だって、異なる民族の虐殺を進める政治家や、そういった行為を擁護する大統領のために祈りたいとは思えません。外国人を一括りにして差別を煽り、女性や子どもを物のように考えて、センセーショナルな発言を繰り出す人たちを執り成したいとは思えません。

 ロシアとウクライナの戦争が始まったとき、イスラエルとパレスチナの戦争が激化したとき、政治家が銃撃や襲撃を受けたとき、華陽教会の皆さんをはじめ、色んな人から「本当は、全ての人のために祈るのが、キリスト教徒としてあるべき姿なんでしょうけど、私はこのことに関して、あの人のため、あの国のために祈れません」という気持ちを吐露されました。

 私も同じ気持ちでした。どうしても、その人のために祈るのは、抵抗のある相手がいました。初代教会の人々にとって、それはまさに、自分たちを迫害してきた、ローマ帝国の高官や各地の領主だったでしょう。占領した土地で住民を支配し、徴税人を雇って税金を巻き上げ、反抗する人々は兵を率いて鎮圧する……決して、両手を挙げて応援できる存在ではなかったはずです。

 ユダヤ教の一派として、異端の一つとして見られていた初期のキリスト教会の人々なら王や高官は、尚更恐ろしい存在だったでしょう。これ以上、目をつけられたら宣教活動ができなくなる……信徒というだけで、仕事も財産も没収されてしまう……そんな背景のある時代、第一に勧められたのが、この教えです。

 王たちやすべての高官のためにも、願いと祈りと取り成しと感謝をささげなさい……果たして、手紙を読んだ人たちは、すんなり受け入れられたでしょうか? それとも難色を示したでしょうか? たぶん、抵抗を感じた人も相当多かったんじゃないかと思います。確かに、全ての人が救われるように祈るべきだけど、これを守るのは難しい……と。

 むしろ、イエス様を十字架にかけ、教会を迫害してきたローマ帝国が倒されるよう、王や高官が裁きを受けるよう、願い求める方が自然であって、彼らのために執り成すなんてふさわしくないんじゃないか? そう思う人もいたでしょう。テモテやテトスを派遣したパウロだって、王や高官に理解されず、囚人として見張られ続けた存在です。何でこの人のために祈らなきゃならないのか……と怒りが湧いたことでしょう。

 当然、「その人のために祈れない」というのは、王や高官、政治家相手に限りません。権力者の態度に乗っかって、気に入らない人たちを貶め、虐げようとする者のことも、執り成す気にはなれません。性暴力を受けた被害者が「加害者のためにも祈りなさい」と言われたら、ますます回復から遠のいて、深刻な二次被害を受けるでしょう。

 パワハラをしてくる上司や、生徒のいじめに向き合わない先生、確執のある身内のために、神様へとりなすこと、祈りをささげることも、誰だって難しいはずです。仲の良かった友人でさえ、喧嘩中は、その人のために祈るということが、簡単にはできなくなります。

 「願いと祈りと取り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」……たったひと言の教えなのに、もう私たちはつまずいています。いくらそれが「救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれること」であったとしても、その人を思い浮かべるだけで、ストレスで胃がキリキリなる人にとっては、暴力的な教えです。

 テモテへの手紙を書いた人も、そのことはよく分かっていたはずです。他ならぬパウロが、世界宣教の第一人者が、王や高官に、イエス様の教えと業を証ししても、監禁されたまま、囚人であるまま、解放してもらえなかったわけですから。パウロのために祈ってきた会衆へ「王や高官のためにも祈りなさい」と言ったら、みんなびっくりするでしょう。

 彼らは敵じゃないですか? 裁かれるべき人じゃないですか? どうして、失脚や没落を願うのではなく、執り成しなさいと言うんですか? 私たちは、そんな聖人にはなれません……そうなんです。みんな聖人じゃないんです。どんな人のためにも執り成しができる殊勝な人間じゃないんです。

 実際、キリスト教を迫害していた者が、教会を弾圧していた者が、目が見えなくなって何も飲み食いできなくなったとき、信仰深いイエス様の弟子たちも、その者ために、すぐには祈れませんでした。むしろ、今までの行いの報いを受けたのだから、再び見えるように祈ってあげるなんてとんでもない!……と思っていました。

 実は、そのときの迫害者とは、後に、テモテやテトスを各教会へ派遣していった、宣教者パウロ自身です。ローマ帝国の市民権を持ち、会堂長や祭司長とつながって、キリスト教徒を処刑するため捕まえていた、かつての彼は、本来であれば、誰にも執り成してもらえないはずの人物でした。再び目が見えるように、キリストと共に歩めるように、祈ってもらえないはずでした。

 ところが、イエス様はそんなパウロのために現れて、彼を自分の弟子たちのもとへ送り出し、弟子たちに彼を執り成すようにお願いします。受け入れてもらえないはずのパウロが、仲間たちに受け入れられるよう、アナニアやバルナバが責任を持って、彼のことを執り成します。

 最初に、イエス様によって、弟子たちによって、執り成しを受けて出発したパウロは、自分からも人々へお願いします。「まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」……私を見てください。私もかつて、執り成してもらえるはずのなかった人間でした。それが、このように変えられたんです……パウロと出会った弟子たちは、彼の伝えたことを手紙に残して、後世へ受け継いでいきました。

 もちろん、パウロが信徒のみんなに受け入れられ、教会全体から執り成しを受けられるようになるまで、長い時間がかかりました。誰かがパウロを執り成せないとき、他の誰かが彼を執り成し、少しずつ、その輪が広がっていきました。教会という共同体は、私が執り成せない相手を誰かが執り成し、誰かが執り成せない相手を私が執り成す場所なんです。

 やがて、執り成せない相手が、執り成す相手に変わっていくまで、互いに祈り合う関係になるまで、イエス様が間に入って、導き続けてくださいます。無理やり自分を納得させて、執り成す必要はありません。「今、私に執り成すことができない相手を、あなたが執り成してください」と、神様に祈っていいんです。

 神様は、互いに仲間になろうと思えなかった、仲間になることを期待さえできなかった迫害者パウロと教会の人々を、互いに支え合う、宣教者と信徒の関係へ変えられました。私たち一人一人の関係も、新しく変えられていきます。すべての人々が救われて、真理を知るようになる御業は、今も、止まらないで、進み続けているんです。

 だから、第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。誰かが祈れない相手、執り成せない相手のために、互いに祈り合いなさい。自分を執り成せない相手と、期待さえできなかった、新しい関係になる日を待ちなさい。その日は確かに近づいています。ここに、今ここに……アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌19番「悲しみながら立ち去るとき」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」

 

年間主題

華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。

 

今週は、夏休みに入った子どもたちのことを覚え、教会に訪れる一人一人を一緒に迎え、恵みを分かち合えるように、祈りを合わせていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌います。(A)のところは牧師が、(B)のところは会衆が、(全員)のところは全員で歌います。(差し支えない方は、お立ちください)

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

そこで、わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい。(テモテへの手紙一2:1)

 

祝 福

愛する子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった23名、同時に視聴された14名、計37名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

本日は、礼拝後、ハレルヤランチを挟んで、月毎に何かテーマを決めて学びのときを持ったり、近況を分かち合ったりする「ぶどう園の集い」と「ヒラソルの会」が開かれます。時間のある方は、ぜひ2階集会室へお集まりください。

 

なお、今週の水曜日の聖書研究祈祷会は、牧師の帰省のためお休みです。次回は、7月30日(水)13:30〜14:30に2階礼拝堂で開催する予定です。また、来週の日曜礼拝は『イエスの名前を使ったら』と題して、使徒言行録19:13〜20のお話をする予定です。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。