聖書研究祈祷会 2025年7月30日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の511番「光と闇とが」を歌いしょう。最後の「アーメン」は、つけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆希望の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。
◆私たちの神様。夏休みに入った子どもたちの健康と体調が守られ、たくさん遊んだり、学んだり、楽しむ機会が与えられますように。どうか今、進路や人間関係で悩んでいる子にも、居心地の良い場所と頼れる相手が与えられますように。
◆私たちの神様。新型コロナや風邪などが、再び流行り始めています。どうか今、体を壊して、祈祷会や礼拝に来ることができなくなった人たちに、あなたの癒しと励ましが与えられますように。また、重い病気に苦しむ人も、後遺症から守られますように。
◆私たちの神様。8月は、牧師の帰省と夏期休暇のため、一ヶ月、聖書研究祈祷会と夜間聖研祈祷会とキリスト教ABC講座を休ませていただくことになりました。どうか今、この期間も、あなたからの聖霊が一人一人に注がれますように。
◆全ての者を養われる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。エフェソの信徒への手紙1:3〜12の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書352頁です。
同じく、エフェソの信徒への手紙1:3〜12の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書345頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |

メッセージ
今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「救いの予定と人の努力」というトピックについて、神の計画について言及される、エフェソの信徒への手紙1:3〜12に焦点を当てて、話していこうと思います。
キリスト教系の破壊的カルトや、カルト化したキリスト教会の中には、自分の団体こそ正しい教えを語っているとアピールするため、他のキリスト教会の教えを乱暴に取り上げ、極端化させて、彼らは間違った教えを信じている……と強調するところがあります。特に「他の教会は真のキリスト教とは言えない」「他の教会は9割異端だ」と教えるところはその傾向が顕著です。
その中でも、よく「間違った教え」として乱暴に取り上げられるのが、「予定説」という教理です。ちなみに、「教義」と言った場合は、キリスト論の両性説や、三位一体論など、キリスト教会全体の共通認識を指し、「教理」と言った場合は、改革長老派の「予定説」やメソジスト派の「キリスト者の完全」など、教派によって異なる共通理解を意味します。
ただ、厳密に使い分けがなされているわけではなく、その教派の教理を「教義」と表現していることも多々あります。そして、キリスト教系の破壊的カルトや、カルト化した教会では、キリスト教会全体での共通理解ではないものを「キリスト教の教義」として取り上げ、「他の教会はみんな間違ったことを信じている」と主張することがよくあります。
実は、しばしば批判の対象にされる「予定説」も、キリスト教会全体の教義・共通理解ではなく、改革長老派で教えられている教理です。同じプロテスタントの教会でも、メソジスト教会では受け入れられていませんし、カトリック教会や正教会でも支持されてない考え方です。
けれども、そのことをよく分かってない教祖やリーダー、団体の幹部によって、キリスト教会はどこも予定説を支持しているように語られたり、正確でない予定説の説明が行われたりしています。
たとえば、キリスト教徒が考える予定説には、大きく「絶対予定」と「相対予定」があると説明されることがあります。絶対予定とは「人間の運命は全て神によって定められている」という考え方で、相対予定とは「人間の運命は人間の努力次第で決まってくる」という考え方だと言われます。
しかし、一般的なキリスト教会や通常の「組織神学」「教義学」「教理史」といった分野で「絶対予定」や「相対予定」といった言葉は使われません。一般的な予定説とは「救われる者は、あらかじめ神によって定められている」という教えで、運命論のように捉えられがちですが、そう単純な話ではありません。
「神は、どんな人間も救うことができる、どんな人たちも応答させることができる」という信頼から、「それなのになぜ、信じない者、救いを受け入れない者(洗礼を受けずに死んでいく者)が出てしまうのか?」という問いに答えようとした結果、「彼らはもともと、救いを予定されていなかったのだ」と捉えられるようになった、副次的な教えなんです。
このように、「救いに選ばれる者」と「救いに選ばれない者」が予定されている……という考え方を「二重予定説」と言います。しかし、予定説にも幅があり、本来なら、「救いに選ばれない」はずの人間が受ける断罪を、神ご自身が引き受けて、イエス・キリストが十字架にかかり、全ての人を「救いに選ばれた者」として予定してくださった……という、カール・バルトの予定説もあります。この場合、救いは全人類に予定されています。
いずれの場合も、予定説が重点を置くのは「神様は『ここまでできないと救わない』という条件付きで人間を救う方ではなく、無償の愛によって、無条件で人間を救ってくださる方である」という点で、「あらかじめ『救われない者』『滅びに定められている者』がいる」という点を強調するものではありません。
また、「神に救われるかどうかは、人間の努力や功績によって決まってくる」という考え方は「相対予定」ではなく「ペラギウス主義」と言い、「人間は自分で自分の救いを獲得できる」「自分で自分の罪を償い切れる」という楽観的な側面や、「ここまでしないと救われない」という律法主義的な姿勢に陥りやすい側面から、418年に異端とされた教えです。
けれども、改革長老派によって二重予定説が語られるようになってから、「救われる者と救われない者は、あらかじめ決まっているのだから、クリスチャンが伝道する必要はない」かのように捉えられたり、「人間が自分で考えて、自分の意志で決断する」という自由意志が軽視されたりすることのないように、「救いの備えは万人にもたらされているが、神に忠実な者だけがそれを味わえる」としたアルミニウス主義が出てきます。
この考え方は、メソジスト教会に影響を与え、キリストに徹底して従う「完全」に至ることを目指す「キリスト者の完全」という考え方が生まれていきます。ただし、この教えは、「神は達成不可能なことを命じない」「神が人間に命じたことは、必ず達成できるよう付き合ってくださる」という信頼が根っこにあるもので、「キリスト者の完全に至るまで、私たちが努力できれば救われる」という条件付きの救いとは違います。
むしろ、「私たちがキリスト者の完全に至るまで、神はどこまでも付き合ってくださる」という信仰に基づく教えです。このように、キリスト教会全体で「人間の救いに、人間の努力や行いは、どう関係しているのか?」という点は長い間議論されており、救いの予定についても、幅広い捉え方が存在します。
一方で、一部のキリスト教系のカルトや、カルト化した教会では「人間の救いに関しては、神様が90〜95%の責任を持ち、人間が5〜10%の責任を持っている」と話し、神の責任分担と人間の責任分担の両方が果たされて、救いに至ることができる……というふうに教えるところが存在します。
そして、人間は自分の救いのために、たった5〜10%の責任を負えばいいが、神様にとっての5〜10%は、人間にとっての100%だ!……と語り、救われるために必死に努力しなければならないと教えます。実は、この教えも、複数の破壊的カルトで使いまわされている教えで、信者に特定の役目を与え、その責任を果たすよう、持てる限りの時間と労力を割かなければならないと指導します。
そして、2千年前に、イエス・キリストが十字架にかけられて死んでしまったのは、神様が95%の責任を果たして努力したのに、人間が5%の責任を果たさず、努力できなかったからである……と言い、現在遣わされている教祖・リーダーが、同じように十字架にかけられてしまわないよう、必死に責任を果たしなさい、と教えられます。
ようするに、イエス・キリストの十字架の死を「救いの計画を完遂できなかった失敗」として教え込み、今度こそ、現代のメシアとして遣わされた教祖・リーダーが救いの計画を完遂できるよう、教祖の言うことをしっかり聞いて、教祖を守らなければならない……と刷り込んでしまうんです。
けれども、救われるために、人間の責任分担である5〜10%の努力を100%の力で果たさなければならない……という教えは、献金や奉仕、十字軍への参加に加えて、贖宥状(いわゆる免罪符)を購入する努力によって救われるんだ、と教えた、宗教改革前の世俗化したキリスト教会と、同様の問題を抱えています。
本来、人間の努力や善行は、「神の恵みに対する感謝の応答」として勧められるもので、救いの条件ではありません。これだけ奉仕をしないと、これだけ献金しないと、これだけがんばらないと救われない!……という教えは、霊感商法・霊視商法・高額献金の被害をもたらす破壊的カルトに使われるもので、健全な教会の教えではありません。
改めて、神の恵みと人間の応答について、思いを巡らせながら、誠実に、救いの完成を待ち望みたいと思います。私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。アーメン。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている大阪府富田林(とんだばやし)市の金剛(こんごう)教会のために、岐阜地区の幼稚園のために、岐阜地区の諸学校のために、岐阜地区の各大学のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆大阪府富田林(とんだばやし)市の金剛(こんごう)教会のために祈ります。変動が激しく、何かと不安が漂う時代の中、聖書の御言葉の導きにより、希望の中を歩む群れとして、進んでいくことができますように。それぞれの集会が守られますように。
◆岐阜地区の幼稚園のために祈ります。芽含幼稚園、中部学院大学附属幼稚園、桐が丘幼稚園をはじめ、この地域の幼稚園の子どもたち、保護者、先生がた、そして、それぞれの働きが守られますように。
◆岐阜地区の諸学校のために祈ります。済美高校をはじめ、この地域の小学校、中学校、高校の児童・生徒と先生がた、保護者の心身が守られますように。また、岐阜から金城学院や名古屋学院へ通っている生徒・学生の上にも、あなたの導きがありますように。
◆岐阜地区の各大学のために祈ります。中部学院大学をはじめ、この地域の大学、専門学校の学生、保護者、教職員が守られますように。学業や部活、職場の環境が整えられ、気持ちよく学校生活を送ることができますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌12番「信じたくても」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。8月の聖書研究祈祷会と夜間聖研祈祷会とキリスト教ABC講座は、牧師の帰省・夏期休暇のためお休みです。次回の聖書研究祈祷会は、9月3日(水)の13:30〜14:30に予定しています。
それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。