聖書研究祈祷会 2025年9月24日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の444番「気づかせてください」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけて歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆平和の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。
◆私たちの神様。私たちが、今日までずっと、思いと言葉と行動によって罪を犯し、あなたを悲しませてきたことをゆるしてください。どうか今、私たちが傷つけた人、怒りをぶつけた人を癒し、回復させてください。
◆私たちの神様。私たちも、今日までずっと、自分自身を傷つけられ、痛みと苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの心と体の傷を癒し、休息を与え、変化と回復をもたらしてください。
◆私たちの神様。あなたは心から悔い改め、あなたに立ち返る全ての人を赦してくださいます。どうか今、ここに連なる一人一人をあなたが憐れみ、全ての罪から清め、永遠の命を受け継ぐ者としてください。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。創世記4:1〜12の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書5頁です。本日は箇所が長いので、新共同訳のみ朗読します。
同じく、創世記4:1〜12の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書5頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

メッセージ
今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「悪い性格、良い性格?」というトピックについて、カインとアベルの話が出てくる、創世記4:1〜12に焦点を当てて話していこうと思います。
人間は、心の中で誰が何を思っているか、直接知ることはできませんが、神様は、私が何を考えているか、みんなが何を思っているか、全てをご覧になっている……そのような感覚を多くのクリスチャンが持っています。私が心の中で祈っていることも、願っていることも、全てを分かってもらえている。
誰も知らない私の努力も、誰にも気づかれない私の葛藤も、神様は全てご覧になっていて、誰よりも私を理解してくれている……そのような感覚に、励まされることもあるでしょう。一方で、恐ろしく感じてしまうのは、私が心の中で考えている悪いことも、良くない思いや感情も、全て神様に知られてしまうという点です。
私が心の中で、誰かに嫉妬していることも、誰かを呪っていることも、全てを見られてしまっている。誰かに情欲を抱いたり、誰かを貶める妄想をしたり、頭の中でしていることも、神様には一切隠せない……まるで、神様という見えない存在から、常に自分の思考を、感情を、行動を、監視されているような、落ち着かない気分になってきます。
破壊的カルトはこれを利用して、行動だけでなく、思考や感情までコントロールしようとします。どんな些細な行動も、どんな小さな企みも、神様には筒抜けで、わずかな罪も見逃されない。心の中まで、性格そのものまで、清く正しく変えられなければ、その内側の悪を追求されて、裁きを受けることになる……そんなふうに、不安と恐怖を煽ります。
そして、神様に認められる「良い性格」と神様に認められない「悪い性格」を列挙して「悪い性格」をなくして「良い性格」にならなければ、神様に愛してもらえないと、信者に刷り込みを図ります。このとき教えられる「良い性格」は、組織のために惜しむことなく時間と労力をささげてくれる、都合の良い性格です。一方、「悪い性格」は、組織の言うことに疑問を持ち、組織を一番に考えない、都合の悪い性格が挙げられます。
その例として、しばしば使われる聖書箇所が、先ほど読んだ、カインとアベルの物語、創世記4章1節から12節の話です。物語は、最初の人間、アダムとエバから、カインとアベルの兄弟が生まれたところから始まります。カインは土を耕して作物を収穫する仕事を、アベルは羊を飼って毛皮や肉を得る仕事をする者へ成長していきました。
あるとき、2人は神様に献げ物をするため、それぞれ自分が働いて得た収穫物を持ってきました。カインは土の実りを、アベルは羊の群れの中から肥えた子羊を持ってきました。すると、神様はアベルとその献げ物に目を留められますが、カインとその献げ物には目を留められませんでした。
カインは怒って顔を伏せますが、どうして神様が自分の献げ物に目を留めなかったのか、理由は明らかにされません。かつて、よくあった解釈では、アベルは自分が育てた羊の中で最上のものをささげようとしたが、カインは自分が作った作物の中で最上のものをささげようとしなかった、という理由が挙げられました。
新約聖書のヘブライ人への手紙11章でも、「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ」と出てきます。しかし、元のエピソードが書かれた創世記では、アベルの献げ物の方が、カインの献げ物よりも優れていたとは書かれていません。そもそもアベルが育てた家畜が肥えるのは、カインが育てた土の実りのおかげですから、優劣をつけるのも変な話です。
また、神様も「カインの献げ物が悪かった」とか「アベルの献げ物は立派だった」とか優劣は口にしていません。よく考えると、神様がアベルの献げ物を「良い」と思って目を留めたのか、「悪い」と思って目を留めたのかも、創世記からは分かりません。実は、この記事では、献げ物の良し悪しには、関心が払われていないんです。
そのため、神様がカインの献げ物に目を留めなかったのは、献げ物の良し悪しではなくカインの性格が問題だった……と考える解釈も出てきます。アベルの方が、カインよりも信仰的に優れていた、内面や性格が良かったから、神様に目を留められたんだ、と。しかし、創世記には、アベルの信仰や性格について、具体的には出てきません。
また、カインは神様に話しかけられて、神様の声を直接聞きますが、アベルは神様に話しかけられず、神様の声を直接聞きません。アベルが神様の言うことを聞いたり、信じたりする具体的な描写は出てこないため、信仰的に、どっちが優れているのかも、判断しようがありません。
もしかしたら、カインとアベルは、「神様に直接話しかけられる」か「神様に目を留めてもらえる」かの違いがあるだけで、どちらも、神様が出会ってくれた、近づいてくれた存在であることに、変わりはなかったのかもしれません。
私たちの間でも、「祈りが聞かれた」と思う体験をする者もいれば、「祈りが聞かれなかった」と思う体験をする者もいます。しかし、後から振り返ると、「祈りが聞かれなかった」と思っていたときも、実は、神様から支えてもらっていた、導いてもらっていたことを気付かされることが多々あります。
「神様に目を留められた者」「目を留めてもらえなかった者」「神様に直接話しかけられた者」「直接話しかけられなかった者」……これらを単純に、「信仰的に優れているから、神様に目を留められた」「性格が良いから、神様に直接話しかけられた」といった結論に結びつけることはできないと、皆さんも気づかされるでしょう。
けれども、キリスト教系の破壊的カルトは、よくこのエピソードを持ち出して、カインの性格は悪い性格で、アベルの性格は良い性格だったと説明します。実際、カインはアベルを殺しているので、良い性格だったと思う人はいないでしょうから、一見、説得力があります。初代教会の人々も、素朴に、そのように捉えていました。
しかし、聖書を用いる破壊的カルトは、どのような性格が「カインの性格」と共通する悪い性格かを強調し、「カインの性格をなくせば神様に愛される」と主張することで、信者の人格を自分たちに都合よく作り変えてしまいます。本当は、大事にしなければならない思考を手放すように誘導し、都合の悪い人格を捨てさせようとするんです。
たとえば、キリスト教系のカルトの中には、自分を導く直接の上司を「アベル」と呼ばせるところがいくつかあります。そして、自分の上司である「アベル」の言うことに疑問を持ったり、逆らおうとする者を「カインの性格」に陥っていると非難して、下の者が上の者に逆らわないよう指導します。
また、自分の上司である「アベル」には、何でも報告・連絡・相談しなければならないと言って、自分が何をしたか、誰とどんなやりとりをしたか、事細かく共有し、何かを決断する際には、必ずアベルの判断を仰ぐように言い聞かせます。上司である「アベル」に相談しないで、自分で考えて、自分の意志で決断しようとすると「カインの性格」に陥っていると言われ、非難されてしまうんです。
そうやって、上の言うことに疑問を持ったり、自分の頭で考えて、自分で決断することは「悪」だと思わされるようになります。そして、上の言うことを鵜呑みにし、自分で考えることをやめ、何でも組織に決断してもらうよう、人格を変えられてしまうのが、破壊的カルトの怖いところです。
しかし、カインとアベルの話は、カインとアベルの間に優劣があることを伝えるものではありません。アベルには、彼の献げ物に目を留めることで、カインには、直接語りかけることで、神様が2人それぞれに近づいて、出会ってくださったことを伝えるものです。また、カインがアベルを殺して、土から作物を育てられなくなった後も、神様はカインを守り続け、彼を孤独にすることなく、付き合い続けてくださいました。
カインには息子が生まれ、その子にエノクと名前をつけて、自分が建てた町にも、同じエノクという名前をつけていきます。「エノク」という名前は、「私は従う」という意味から来ている名前です。かつて、神様に直接語りかけてもらったにもかかわらず、神様に逆らってしまった自分が、今度こそ、「神に従う」者となって、新しく歩んでいく姿勢を示したものかもしれません。
改めて、聖書を利用して、信者を都合よくコントロールするカルトに巻き込まれないよう、聖書を丁寧に読み直しながら、神の教えと業について、受け取っていきたいと思います。主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。アーメン。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている京都府京都市の京都教会のために、障害のある人のために、病気にかかっている人のために、衰えを感じている人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆京都府京都市の京都教会のために祈ります。25年間、牧会してくださった夫妻の上にあなたの労いがありますように。会衆と共に、代務者、副牧師、担任牧師が支えられ、来年度、新しい牧師を迎えることができますように。
◆障害のある人のために祈ります。発達障害、精神障害、身体障害など、様々な困難やハードルに直面している人たちへ、あなたの助けがありますように。環境が整い、周囲と本人の理解が進み、二次障害から守られて、生きやすい社会ができますように。
◆病気にかかっている人のために祈ります。様々な病気に苦しんでいる人たちへ、あなたの癒しと慰めがありますように。適切な治療が行われ、十分な療養がもたらされ、支えている周囲の人も守られて、回復が進みますように。
◆衰えを感じている人のために祈ります。心身の衰えを感じて、自信を失っている人、苛立ちを覚えている人、孤独になっている人へ、あなたの励ましがありますように。頼れる隣人と、頼れる心がもたらされ、平穏が与えられますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌26番「あなたが共にいること」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は『死後の世界』と題して、ルカによる福音書16:19〜26のお話をする予定です。日曜日の礼拝は、『いずれは裁かれる?』と題して、ヤコブの手紙2:8〜13のお話をする予定です。
それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。