ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『死後の世界』ルカによる福音書16:19〜26

聖書研究祈祷会 2025年10月1日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の484番「愛の主イェスは(口語訳)」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆力の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。

◆私たちの神様。今週も、教会へ来ることを願いながら、来られなかった人たちに、あなたの憐れみがありますように。どうか今、怪我や病気、障害や衰え、仕事や介護のため、ここへ来られない人たちに、あなたの助けと導きが豊かにありますように。

◆私たちの神様。今週も、あなたの助けを求めながら、聖書を開くことができない人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、心と体が癒されて、十分な休息がもたらされ、今必要な環境が整えられますように。

◆私たちの神様。今度の日曜日には、前奏から後奏まで、一つ一つの要素を説明しながら進めるオープン礼拝を行った後、礼拝研修会が開かれます。どうか今、あなたからいただく恵みに感謝して、より豊かな礼拝をささげることができますように。

◆信仰と希望と愛をもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書16:19〜26の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書141頁です。

同じく、ルカによる福音書16:19〜26の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書139頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

 今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「死後の世界」というトピックについて、金持ちとラザロのたとえが出てくる、ルカによる福音書16:19〜26に焦点を当てて話していこうと思います。

 聖書を用いる宗教カルトで、信者をコントロールするために最も利用されるのが、死後の世界に関する教えです。神様を信じて、神の教えに従う人は天国へ行き、神様を疑い、神の教えに背く人は地獄へ行く……そういうイメージが、皆さんの中にもあるでしょう。キリスト教の洗礼を受けたかった理由が、「地獄へ行きたくないから」「天国へ行きたいから」という人も、一定数いるでしょう。

 実際、死んだ後のことが不安だから、宗教団体の門を叩いた……という人は、決して少なくないはずです。逆に言えば、宗教団体が、たくさんの人を集めたいとき、多くの信者を獲得したいとき、自分たちは「死後どうなるのか」を詳しく教えられる!……「死後に後悔しないためどうすればいいか」細かく教えられる!……とアピールすることが、目的を達成する近道になります。

 一方で、死後の世界について知らないまま、生きている間にどうするべきか分からないまま死んでしまったら、天国へ行くことができなくなる、地獄へ行くことが免れなくなる……そのような不安を利用した「人集め」は、そのまま「不安や恐怖をあおったコントロール」につながっていきます。

 死後どうなるのか、教えられた内容が腑に落ちなくても、信じなければ、「神様に疑いを持っている」とみなされて、地獄へ落ちてしまうんじゃないか? 死後に後悔しないよう、勧められている内容が腑に落ちなくても、従わなければ、「神の教えに背いている」とみなされて、天国へ行くことが叶わなくなるんじゃないか?

 そうやって、疑いや問いを持つこと自体避けるように誘導され、とにかく必死に学び、必死に従うことを優先するようになるからです。そのため、カルト団体で語られる「死後の世界」は、一般的な宗教団体で語られる「死後の世界」より、細かく、詳しく、具体的に描写されることが多いです。そして、他の教会や聖職者は、自分たちのように、死後の世界について、はっきり教えることのできない偽物だ……と主張することもあります。

 しかし、一般的な教会が、カルト団体のように、死後の世界について細かく、詳しく、語ろうとしないのは、複数の聖書箇所を抜き出すだけで、死後の世界について、断定的に語ることは、本来、できないからなんです。たとえば、多くの宗教カルトは、死後、裁きを受ける地獄について、細かく、詳しく描写しますが、聖書の4分の3を占める旧約聖書には、「地獄」という言葉は出てきません。

 死んだ者が、神の呼びかけにさえ応えられないところとして、「陰府」という言葉は出てきますが、死んだ人が罰を受けるところとして、「地獄」という言葉が出てくることはありません。新約聖書には、キリストやキリストを信じる人たちが、神の裁きについて語る場面で、「地獄」という言葉が出てきますが、それほど詳しく、細かく描かれているわけではありません。実は「陰府」と「地獄」の描かれ方も、一貫しているわけではないんです。

 たとえば、ルカによる福音書16章19節から31節では、イエス様が「金持ちとラザロ」のたとえ話で、死後の世界について語っていますが、単純に「天国と地獄」のたとえ話かと思えば、そうではありません。死んだ後、金持ちが炎の中で苦しむ様子は、まさに「地獄」で罰を受けているように見えますが、このたとえでは、「地獄」ではなく「陰府」にいることになっています。

 一方、ラザロという貧しい人は、死んだ後、天使たちによって宴席に連れて行かれ、アブラハムのすぐそばに招かれます。宴席にいる天使や、ラザロや、アブラハムは、陰府にいる金持ちと大きな淵で隔てられており、お互いに接触することも近づくこともできないと言われています。このたとえ話だけ見ると、陰府に行ったら、二度と神様のもとには戻れないように感じられます。

 けれども、ヨナ書や詩編といった旧約聖書の記述では、陰府に行って、神の呼びかけに応えられなくなった者にまで、神様が自ら手を伸ばし、救い出す様子が描かれています。このように、「陰府」という言葉一つ取っても、聖書の中で矛盾する、衝突する記事がいくつか見られ、細かく、詳しく、断定的に死後の世界を語ることは難しいことが分かります。

 ところが、キリスト教系の宗教カルトは、「聖書全体で、その言葉がどのように使われているか?」という検証を蔑ろにして、「陰府」を「特定の霊が集まるところ」と説明したり「地獄」の低い段階のように位置付けたりして、どういう人がどういう地獄へ行き、どういう人はどういう天国へ行けるのか、という話にすり替えることがよくあります。

 そうして、自分たちの教えを学び、自分たちに従う人は、より良い霊界へ行くことができる……というふうに、信者をコントロールするわけです。そのため、一般的なキリスト教会では、地獄や天国に細かい段階があるような説明はしませんが、キリスト教系の宗教カルトでは、自分たちの教えをよく学び、よく従った人ほど良い霊界へ行ける……と刷り込むために、しばしば、細かい設定を教えられます。

 地獄の中、天国の中には、どういう段階があり、死んだ人の霊も、どういう段階に分けられるか……という話が出てきたら、警戒するようにしてください。たくさん祈って、掟を守って、霊的に高い段階に至れば、より良い霊界へ行くことができる……というのは、聖書に基づく教えというより、他の宗教や、東洋の思想を都合よく取り入れたものです。なお、「霊界」という言葉自体も、一般的なキリスト教会では、まず使われません。

 そして、残念ながら、複数の聖書箇所を引用して、死後の世界についてもっともらしく説明することは、ある程度センスと慣れがあれば、誰でもできてしまいます。気になること、不安なことに、はっきりした「答え」を与えてくれても、安易に飛びつかないよう注意してください。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている京都府京都市の小栗栖(おぐりす)伝道所のために、貧困で苦しんでいる人、病気で苦しんでいる人、人間関係に苦しんでいる人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆京都府京都市の小栗栖伝道所のために祈ります。今年で創立50周年を迎えるこの教会に、あなたの祝福が豊かにありますように。「地域に根ざす」というモットーが生かされ、月2回の礼拝に多くの人が迎えられますように。

◆貧困で苦しんでいる人のために祈ります。仕事が見つからない人、働ける状況じゃない人、働いても生活が苦しい人たちに、あなたの導きが豊かにありますように。必要な手当てと環境がもたらされ、安心して過ごせる場所が整えられますように。

◆病気で苦しんでいる人のために祈ります。心身の調子を崩し、痛みや不自由さに悩まされている人へ、あなたの癒しがありますように。身内の看護や介護をしている家族の上にも、あなたの支えが豊かにあって、回復がもたらされますように。

◆人間関係に苦しんでいる人のために祈ります。学校や職場、家族や親族、近所やネットでの関係で、トラブルや板挟みが起きている人に、あなたの慰めがありますように。互いに尊重され、大事にされる関係が整えられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌4番「わたしの主がとり去られた」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は『神の啓示を受けるには?』と題して、テモテへの手紙二3:12〜17のお話をする予定です。日曜日の礼拝は、『聖なる者になれません』と題して、エフェソの信徒への手紙5:1〜5のお話をする予定です。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。