ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『血で洗って白くした』ヨハネの黙示録7:9〜17

日曜礼拝 2025年10月19日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

まことに、主は我らを正しく裁かれる方。主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる。(イザヤ書33:22)

 

讃美歌

旧讃美歌503番「はるのあした」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆父・子・聖霊なる三位一体の神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日に至るまで、あなたに背き、あなたを傷つけ、あなたを悲しませてきたことをお赦しください。どうか今、私たちが壊してしまったもの、傷つけてしまったものを癒し、回復させてください。

◆私たちの神様。あなたは心から悔い改め、主に立ち返る全ての人を赦してくださいます。どうか今、ここに連なる一人一人をあなたが憐れみ、全ての罪から清め、永遠の命を受け継ぐ者としてください。

◆私たちの神様。あなたは心に平安をもたらし、大切な言葉を与えてくださいます。どうか今、心を乱す様々な事柄に惑わされず、あなたの声を聞かせてください。これからのち、新しい人として主に仕え、あなたの栄光を現すことができますように。

◆信仰と希望と愛をもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネの黙示録7:9〜17の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書460頁です。

同じく、ヨハネの黙示録7:9〜17の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書448頁です。お持ちでない方は新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編36:2〜10、新共同訳交読詩編の42頁です。

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の574番「雪より真白い」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

メッセージ

 普段の日曜日の礼拝で、ヨハネの黙示録が取り上げられることはなかなかありません。少し読んだら分かるように、この書物は、象徴的な表現や幻の記述が非常に多く、その意味を一つ一つ解き明かすのは、けっこう骨が折れるからです。

 しかし、黙示録は、「世の終わり」「終末」に関する秘密や「神の国」「天の国」の秘密について明らかにする、という重要な役割を持っており、キリストの再臨を待ち望む「アドヴェント」の時期や、天に召された人たちとの再会を待ち望む「召天者記念礼拝」などで、取り上げる機会が出てきます。

 なぜなら、古い世界に終わりがもたらされ、神の支配が行き渡る「新しい天と地」に迎えられるとき、神様の約束された救いが完成すると、私たち教会の民は信じて待ち続けてきたからです。

 実は、4年前の10月の第3日曜日に、今日と同じく、ヨハネの黙示録7章9節から17節が、礼拝で読まれたことがありました。しかし、華陽教会の皆さんは、記憶にないと思います。なぜなら、その日はちょうど、岐阜地区の交換講壇で、私は蘇原教会の礼拝に行って、メッセージを担当していたからです。

 ところが、コロナ禍ど真ん中の10月に、この記事が聖書日課で当たったときは、本当に、この箇所を礼拝で取り上げるか、思わずためらってしまいました。なにせ、黙示録の著者に、神様が見せた天上の礼拝は、あまりにも、その頃の諸教会の礼拝と、ギャップが感じられたからです。

 たとえば、「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆」がいる様子……一方、2021年の諸教会は、県を跨いで集まるどころか、もともと集まっていた信徒同士でさえ、顔を合わせにくくなっていました。天上の礼拝では、集まった人たちが大声で叫んで、神を賛美していますが、その時期の私たちは、感染症対策のため、声を出すこと、賛美することも制限されていました。

 「彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない」……天上の礼拝では、そのように宣言される一方で、私たちは、記録的な猛暑に苦しみ、8月には豪雨で不安な日々を過ごし、感染症の拡大に、未だ怯えながら過ごしていました。教会に来れば不安が消し飛び、心配事もなくなって、喜びあふれた礼拝ができる……とは、お世辞にも言えない時期でした。

 皆さんは覚えているでしょうか? いつになったら、マスクを外せるんだろう? いつになったら、思いっきり歌えるんだろう? いつになったら、大勢で集まれるんだろう?そんな日は、もう来ないんだろうか?……教会が人でいっぱいになる日、会堂が賛美で満たされる日は、私が生きている間に来るんだろうか? そう不安になっていた時期を。

 黙示録に記された、天上の礼拝の様子は、あのとき、皆さんに希望を与えてくれたでしょうか? この言葉を聞かされたら、力が湧いてきたでしょうか? むしろ、現実への諦めを覚えた人の方が、多かったかもしれません。いつか、そういう日が来るといい。神の国で、そんな光景を見れたらいい。だけど、私の教会ではあり得ない。私の体験にはなり得ない……と。

 「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである」……天上の神殿で、声高らかに宣言されるとき、皆さんも、自分がそこにいると思えたでしょうか? 自分も同じことを言えたでしょうか? 「救いは、わたしたちのものです」「わたしたちに与えられています」……と。私たちも、そのように礼拝できる日が来るんだ……と。

 いや、無理だろう……ここに書いてあることは現実味がない。私たちから遠く離れた話に見える。辛くて苦しい今の状況と正反対のことを書いているに過ぎないんじゃないか? そう思う方が自然だったかもしれません。事実、黙示録が書かれた時代の状況も、かつて教会にいた人々にとって、お気楽なものではありませんでした。

 迫害が厳しくなり、伝道は難しく、キリスト教徒は財産を没収されたり、棄教を迫られたりしていました。人々は散り散りになり、目立たないように小さく集まって、恐る恐る聖書を読み、小声で神を賛美しました。いつ、礼拝しているのが見つかって、踏み荒らされるか分からない。いつ、教会が破壊されるか分からない。何なら、まともに礼拝するなんて、ものすごく難しい状況でした。

 どうやら、コロナ禍で経験した、私たちの状況とも重なる部分があったようです。何も気にせず集まって、大声で歌い、毎週喜びに溢れていた……とは、お世辞にも言えない、小さな群れの人々が、黙示録の言葉を受け取りました。そこには、天上で礼拝する人たちについて、とんでもないことが書いてありました。

 「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである」汚れた衣を、小羊の血で洗う。そんなことしたら余計に汚れます。衣は赤く染まります。血によって真っ白になるわけがない!……にもかかわらず、「小羊の血で洗って白くした」と表現される……あり得ない、そんなこと起こらない、何を言っているんでしょう? 

 もし、小羊じゃなかったら、その血で洗うと言われてなかったら、もう少し、納得しやすかったでしょう。石鹸で洗って白くした、洗剤につけて白くした、何なら白く染め直したと言われた方が、イメージしやすかったでしょう。小羊の血が、衣の汚れを落としたり白く染めたりすることなんて、できないんですから。

 でも、できないこと、ありえないことをされた方が、この表現を見る度に思い出されます。死んだのに生き返った方、見捨てられたのに会いに来た方、鍵がかかっていたのに入ってきた方……あの方が、自ら血を流して、贖われた全ての人。その中の一人が、私だという事実を思い出させる。

 天上の礼拝に集まった者たち、その衣を洗った小羊の血とは、まさに、あり得ない和解と平和をもたらした、イエス・キリストの流した血です。自分に従えない者、自分を見捨てた者、自分を裏切った者のために、流した血。その傷跡を見せて、信じるように促して地上にいる者を天の民、神の民へと変えてきた方。

 おそらく、イエス様の血が流れたとき、逃げ出してしまった弟子たちは、衣に付着した血のように、自分たちの罪を、洗い落とすことはもうできない……と思ったでしょう。ついていけなかった、従えなかった、散り散りになってしまった……もはや、イエス様と顔を合わせることも、一緒に歌うことも、同じテーブルに着くことも、できないだろう。

 ところが、イエス様の血は、落とせないシミになったどころか、彼らの衣を、真っ白に輝かせるようになります。鍵をかけた家から飛び出させ、各地に教会を建てさせ、仲間を作って広がっていく、新しい生き方をもたらします。12人しかいなかった、むしろ、数を減らしてしまったあの弟子たちが、あらゆる国民、種族、民族に、信仰の輪を広げました。

 ちょうど、もう以前のように礼拝へ集まることはできないんじゃないか?……と不安になっていた私たちが、再び教会に集まって、初めて来た人と挨拶し、12月には受洗者を迎え、共に、賛美と感謝をささげる今があるように……救いの計画は、終わることなく続いています。

 今、天上で行われている礼拝は、私たちがここで行っている礼拝と、隔てられてはいないんです。この小さな輪が、諸教会の輪が、弟子たちの小さな一室から始まったように、岐阜地区の教会、全国の教会、世界の教会、そして、天上の礼拝と一つになって、全ての人を神の国へと招いていくんです。限られた小さな賛美は、天上の礼拝の大合唱へ重なっていきます。

 言葉にならない祈り、かすれた声の賛美、震える信仰告白が、今、あなた自身と、あなたに触れる人たちの希望と力になりますように。もう終わりだ、救いは潰えてしまったんだと、絶望に襲われてしまう度、私たちへ、希望と励ましを語ってくれる、聖書の言葉を受け取とりましょう。さあ、顔を上げて、聞きなさい。共に恵みを受け取りなさい。賛美と感謝をささげなさい。あなたに平和があるように。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌27番「あなたはわたしの避け所」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」

 

年間主題

華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。

 

今週は、教会学校の生徒やミッションスクールの中高生のために祈り、ここへ来た子どもたちへ神様の愛と恵みを伝えられるように、私たちの言葉と姿勢を整えて行きましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

天の神さま。今日も、あなたからいただいた全てのものを感謝いたします。ここにささげたものを清め、主のわざのために用いてください。今、私自身の生き方も、あなたのご用のためにおささげします。イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」1節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。(差し支えない方は、お立ちください)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。(ヨハネの黙示録7:16)

 

祝 福

主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。(ヨハネの黙示録22:21)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった19名、同時に視聴された5名、計24名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は、宗教改革記念礼拝です。『食べると死ぬ』と題して、創世記2:15〜25のお話をする予定です。礼拝後、ハレルヤランチを挟んで、「キリスト教の終末観」というテーマで、教会研修会を行います。

 

どなたでも自由に参加できます。時間のある方はぜひ、ご参加ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。