聖書研究祈祷会 2025年10月22日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の314番「神の国の命の木よ」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆恵みの源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。
◆私たちの神様。教会で顔を合わせることはできないものの、共に祈って、支えてくださる仲間たちに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、離れている人、直接会うことができない人に、あなたとのつながりが、ますます豊かにされますように。
◆私たちの神様。今度の日曜日には、「キリスト教の終末観」というテーマで、教会研修会が開かれます。どうか今、誠実な伝道と、健全な信仰継承のために、私たちに必要な知識と言葉を整えさせてください。
◆私たちの神様。再来週には、天に召された人々を思い起こし、やがて来たる神の国で、再会する希望を新たにする「召天者記念礼拝」が行われます。どうか今、親しい人を見送った人、地上に残された家族の上に、あなたの慰めが豊かにありますように。
◆全ての者を新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネの黙示録 20:4~6の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書476頁です。
同じく、ヨハネの黙示録 20:4~6の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書463頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
|
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |

メッセージ
今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「千年王国? 地上天国?」というトピックについて、終末における統治について書かれているヨハネの黙示録 20:4~6に焦点を当てて、話していこうと思います。
「千年王国」という言葉は、メインライン(いわゆる主流派)のキリスト教会では、あまり聞かない言葉かもしれません。先ほど読んだヨハネの黙示録20章に出てくる話で、迫害を受けても、最後まで神に忠実だった殉教者が、「世の終わり」「終末」において生き返らされ、「キリストと共に千年の間統治した」という預言が元になっています。
その間、神様は悪魔・サタンを捕えて底なしの淵に放り込み、入り口を封印して、地上に現れること、諸国民を惑わすことを禁じ、千年の間、平和と安息が与えられる……という希望が語られているため、この記事を元にした思想は、「千年至福説」とも呼ばれます。なお、千年が終わると、悪魔は封印を解かれますが、それからまもなく、天から降ってくる火によって、完全に滅ぼされることになっています。
何回か話しているように、ヨハネの黙示録は、福音書の一部や旧約聖書のダニエル書、イザヤ書、ゼカリヤ書、エゼキエル書の一部と同様、「黙示文学」という形式で書かれています。これらには、非常に多くの象徴的表現や幻の記述が出てくるため、どこまで字義どおりに捉えるか、どういった比喩として捉えるかは、多くの議論と解釈が存在します。
プロテスタント教会の中では、聖書を字義どおりに捉える傾向が強い、保守寄りの信仰を持つ人たちを「福音派」と呼んでおり、福音派の中では、「黙示録で預言されていることは書かれてあるとおり現実になる」と受けとめる傾向が強いです。ただし、福音派の中でも、字義どおりに捉える聖書の記述と、比喩として捉える聖書の記述があり、何でも文字どおり捉えるわけではありません。加えて、その解釈には幅があります。
一方、聖書を必ずしも字義どおりには捉えない、中道からリベラル寄りの信仰を持つ人たちを「メインライン(主流派)」と呼んでおり、メインラインの中では、黙示録の預言が全て字義どおり、そのまま現実になるとは捉えません。同じ黙示文学の中でも、「世の終わり」「終末」に起こることの内容や順番には違いがあり、単に、未来に起こることを、そのまま予告するための書物ではないと考えられているからです。
なお、黙示録は、終わりの見えない迫害や、困難に苦しむ信仰者を励ます目的で書かれており、救いのないまま終わっていくように見える現実も、救いの完成に至る途上であることを示すため、一部、過去の歴史(黙示録が書かれた時代の出来事)が反映されている……と受けとめる場合が多いです。もちろん、メインラインの中でも、黙示録の捉え方には幅があります。
そのため、「千年王国」に関する記述も、福音派の中では、文字どおり、神に忠実だった者たちは、世の終わりに千年間の至福と平安が与えられる……と捉える立場が多いですが、メインラインの中では、「千年」という数字は厳密な期間ではなく、「非常に長い期間」を表しており、キリストを中心に教会の働きが広がっていく、現代を含む長い時代を指している……と捉える立場が多いです。
けれども、「迫害されていた者が、至福と平安を与えられ、支配する側に変えられる」という記述は、様々な形で取り上げられ、キリスト教系の破壊的カルトやキリスト教の教えを一部取り込んだ宗教カルトで、度々強調される話となりました。特に「今まで迫害されてきた信者たちが、キリストと共に地上を支配するようになる」ことが「理想世界(地上天国)」の実現と同一視され、複数のカルトで、信者のコントロールに使われています。
たとえば、イザヤ書11章には、狼が小羊と、豹が子山羊と、子牛がライオンと、雌牛が熊と共に住み、共に草を食べ、幼い子どもがコブラや毒蛇の巣で遊んでも、噛まれたり傷つけられたりしない世界が描かれています。この記事は、世の終わりに、救い主が来られるときに訪れる「争いのない平和な世界」が象徴的に描かれている……と捉えられます。
しかし、あるキリスト教系のカルトでは、様々な捉え方を持つキリスト教会を一括りにして、「クリスチャンは文字どおり、肉食動物も草食動物も仲良く暮らす動物天国が来ると考えている」「しかし、この記事は、様々な動物のような個性を持った人間が、キリストを中心にして、一つになることを比喩したものである」というふうに教えます。
そして、クリスチャンが復活して、天に引き上げられるという記述は、その時代に遣わされた、メシアを信じて生きることの比喩であり、「復活した人」の送る生活が、千年王国のような地上天国としてたとえられている……と語られます。確かに、キリストを信じて生きていくことは、復活に至る「永遠の命」の先取りではありますが、聖書全体を通して復活は単なる比喩として描かれているわけではありません。
聖書には、朽ちることのない、新しい体に復活させられた人々が、朽ちることのない、新しい天と地に迎え入れられ、神の支配の行き渡るところで、争いのない、平和な生活を送れるようになることが、「救いの完成」として描かれているからです。
キリストを信じる生き方とは、私にも「永遠の命」「やがて復活させられる命」が既に与えられており、その希望を持って生きていく……ということで、単に、心の持ちようが変わっただけの話ではありません。
また、キリスト教系のカルトの中には、ルカによる福音書17章21節の口語訳「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」という言葉を引用して「天の国は、あなたの心の中にある」「天国は心の中から始まっていく」と強調し、「個人の心の持ちよう」に焦点を当てるところもあります。ようするに、教祖の教えを受け入れた、心の持ち主たちだけが、天国の至福を味わえる、天国のような素晴らしい世界を地上に作ることができる、と刷り込むわけです。
ただし、新共同訳では、同じ箇所を「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」と訳しているように、ここで言う「あなたがたの中に」という言葉は、「神の国は、心の持ちようによって個人に訪れる」というより、「神の国は、特定の個人にではなく、みんなの中に、みんなの間に、訪れるものである」ことが表されていると捉えられます。
実際、イエス様は自分と敵対していたファリサイ派に向かって、「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」「あなたがたの中にあるのだ」と語りました。自分のことをなかなか信じようとしない相手にも、「神の国」「天の国」があることを、訪れることを伝えました。ファリサイ派の人たちは、掟を厳守しないと、一部の人しか「天の国」「神の国」には入れない……と思っていましたが、イエス様は、そういうものではないと話したんです。
つまり、単に、心の持ちようで、天国を味わえるか否かが決まったり、掟を守っているかどうかで、天国に入れるかどうかが決まったりする……と考えがちな私たちへ、天の国は「ここまで来たら、見ることができるようなもの」でも、「ここまでしたら、入ることができるようなもの」でもない……神の国の方から、あなたがたを迎えにやって来るのだ、と教えたんです。
ところが、キリスト教系の破壊的カルトは、天国がこの世に訪れるのも、人間が天国に入るのも、人間の努力が条件であると教えます。「天国は、働く分だけ実現され、働く分だけ得ることができる」……逆に言えば、一生懸命働かないと、教祖の言葉に従わないと、天国を成すことも、天国に入ることもできない……と脅して、ささげられるだけの時間を組織の活動にささげさせます。
さらに、「天国は完璧で理想的なところだから、心も、体も、霊魂も、完璧で理想的にならないと入ることはできない」「病気になっては、天国を成すことはできないから、健康でなければならない」「心が心配し続けたり、悩み続けたり、苦しみ続けているなら、天国を成すこと、天国に入ることはできない」とも教えられることもあります。
これは、病気になった信者や、健康を害したメンバーを組織の外へと追いやって、教祖のために、よく働いてくれるメンバーだけが、残れるようにするためです。しかし、新約聖書の4分の1の手紙を書いた宣教者パウロも、晩年に「病の棘」を与えられたことで、多くの文書を書き残し、「神の国」「天の国」の働きに貢献しました。
イエス様も、目の見えない人々や、手足の不自由な人たちなど、病気になっている者が「神から罰を受けた者」「神の国から遠い者」では決してなく、「神の業が現れる者」「神の国に招かれている者」であることを示すため、彼らに近づき、彼らに呼びかけ、彼らに触れていきました。病気になることを「神の国から遠くなる」と捉えさせるような指導の仕方は、本来のキリスト教の教えとは異なります。
また、「心の中で心配したり、不安になったりしていたら、心の中に神の国、天の国を作ることはできない」と教え、いつも、教祖の言葉を喜んで聞くように、喜んで従うように促す指導は、教祖に対する疑問を封じ込め、不安なことを誰かに相談するのを防ぐための手法です。「地上天国を成すため」という名目で、将来への不安を無視させて、全身全霊で組織の活動に注力させているわけです。
けれども、もともと「千年王国」に関する記述は、そこにどうやって入れるか、どうやって迎えられるかの方法を示すものではなく、迫害を受けて殺されてしまった殉教者や、苦しみのただ中にいる信仰者が、救いのないまま終わるわけではないことを知らせるための預言です。救いの完成する日を信じて待ち望むように、励ますための言葉です。
本来、希望と励ましを与えるための神の言葉を、不安と恐怖で信者をコントロールするために用いてしまわないように、私たち教会も気をつけていきましょう。そして、救いをもたらす神への信頼に基づいて、誠実な信仰継承を、引き続き目指していきましょう。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている滋賀県大津市の石山教会のために、青年の方々のために、壮年の方々ために、年配の方々のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆滋賀県大津市の石山教会のために祈ります。この教会が、子どもの居場所であり続けられますように。教会学校と幼稚園が守られ、その働きが豊かに導かれますように。また、高齢の方々の健康が守られますように。
◆青年の方々のために祈ります。進路や就職、家族や友人との関係で悩んでいる人たちにあなたの助けがありますように。それぞれの困りごとに、頼れる相手と良い知恵がもたらされますように。
◆壮年の方々のために祈ります。家庭や職場、親族や近所との関係で悩んでいる人たちにあなたの助けがありますように。それぞれの困りごとに、向き合えるエネルギーと十分な休息がもたらされますように。
◆年配の方々のために祈ります。病気や障害、衰えや孤独に悩んでいる人たちに、あなたの助けがありますように。それぞれの困りごとに、寄り添ってくれる人たちと適切なサポートが与えられますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌42番「はじめに言があった」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は『キリストの再臨』と題して、ルカによる福音書 1:13~17のお話をする予定です。日曜日の礼拝は、『食べると死ぬ』と題して、創世記2:15〜25のお話をする予定です。
それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。