ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『キリストの再臨?』ルカによる福音書 1:13~17

聖書研究祈祷会 2025年10月29日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の382番「力に満ちたる」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆復活と希望の主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、宗教改革508年目を記念し、「キリスト教の終末観」というテーマで、教会研修会を開くことができました。どうか今、共に学んだことを通して、誠実で、健全な信仰継承と伝道を担っていくことができますように。

◆私たちの神様。教会員一人一人と、それぞれの家族や親族、友人の上に、あなたの導きが豊かにありますように。傷ついている人に癒しを、弱っている人に力を、孤立している人につながりを与え、今必要な変化と回復をもたらしてください。

◆私たちの神様。来週の日曜日は、亡くなった人たちの写真を飾って、天において一緒に礼拝していることを思い起こす召天者記念礼拝が行われます。どうか今、親しい人を見送った人たちに、復活と再会の希望がもたらされ、共に力を受け取ることができますように。

◆一人一人を起こされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書 1:13~17の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書99頁です。

同じく、ルカによる福音書 1:13~17の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書98頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

 今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「キリストの再臨」というトピックについて、ルカによる福音書1章13節から17節に焦点を当てて、話していこうと思います。

 キリスト教では、世の終わり(終末)に、キリストが再びこの世へ訪れる「再臨」の日が来ると信じられています。ここで言う「世の終わり」とは、この世の悪が滅ぼされ、古い世界に終わりがもたらされるときであり、同時に、憐れみ深い神の支配が行き渡る「新しい天と地」「朽ちない世界」の始まりがもたらされるときでもあります。

 この「やがて朽ち果てる古い世界」を終わらせて、「朽ちることのない新しい天と地」を完成させるために、天に昇ったイエス様が、再び地上へ訪れるのが「再臨」「来臨」と呼ばれる出来事です。その日には、神の支配が行き渡る「天の国」「神の国」がイエス様と一緒に地上へ到来し、生きている者も亡くなった者も新しい体に甦らされ、神の国の完成を祝う祝宴に招かれることが預言されています。

 しかし、聖書を利用するカルトの中には、「キリストの再臨」を強引に解釈し、自分たちの教祖「先生」こそが「再臨のキリスト」であると信じさせ、メンバーをコントロールするところがあります。このようなところでは、多くの場合、キリストの「再臨」を「生まれ変わり」のように捉えたり、「特別な霊が宿ること」のように捉えたりします。

 そして、キリストの再臨を「生まれ変わり」や「特別な霊が宿ること」と捉えさせるために、「エリヤの再来」を引き合いに出して、説明されることがあります。たとえば、旧約聖書のマラキ書3章23節から24節には、神様によって天に上げられた預言者エリヤが、世の終わりに、再びこの世へ遣わされることが書かれていました。

 「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように」……ちなみに、旧約聖書に出て来る「主の日」とは、古い世界に終わりがもたらされる「裁きの日」「終わりの日」と同義です。

 そして、新約聖書のルカによる福音書1章13節から17節では、洗礼者ヨハネが「エリヤの霊と力で主(キリスト)に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主(キリスト)のために用意する」ことが天使によって語られていました。

 ここで、「エリヤの霊と力」が、洗礼者ヨハネに降ったことが「将来再び、預言者エリヤが神によって遣わされる」という預言の成就として語られていることから、「エリヤの再臨が、洗礼者ヨハネへの霊と力の降臨であったように、キリストの再臨も、キリストと同じ心情を持つ者への霊と力の降臨である」というふうに説明され、教祖こそキリストの霊と力が宿った存在「再臨のキリスト」であると思うよう、誘導されてしまうんです。

 ただし、預言者エリヤから、預言者エリシャや、洗礼者ヨハネに受け継がれた「霊」というのは、エリヤ自身の霊や魂のことではなく、エリヤに注がれた「神の霊」「聖霊」のことです。洗礼者ヨハネが「預言者エリヤの生まれ変わり」として描かれているわけでも、「エリヤの霊魂が宿っている人」として描かれているわけでもありません。

 キリストの再臨も、キリストが誰かに生まれ変わったり、キリストの霊魂が誰かに宿ったりすることを指しているのではありません。もし、「再臨」がそのような出来事なら、キリストの「復活」も、キリストが誰か別の人に生まれ変わったり、別の人へ霊魂が宿ったりしたように描かれたでしょう。

 しかし、聖書では、キリストが復活したとき、その遺体は残っておらず、ご自身が新しい体に甦って人々の前に姿を現し、十字架で受けた傷跡を見せられたことが書かれています。また、新約聖書に出てくる多くの手紙を読んでいると、信仰者が「神の霊」「キリストの霊」を受ける記述が出てきますが、それらは「キリストの再臨」とは区別されています。

 そもそも、洗礼者ヨハネが「エリヤの霊と力で主に先立って」行ったことも、「キリストの再臨」と同じように「エリヤの再臨」と表現することは普通ありません。ヨハネによる福音書1章21節で、「あなたはエリヤですか?」と尋ねられたヨハネが「違う」とはっきり答えているように、ヨハネも自分を「再臨のエリヤだ」とは言いませんでした。

 キリスト教系の宗教カルトは、こういった部分を全部無視して、教祖を「再臨したキリストだ」と言うために、無理やり説明を作ってしまうんです。また、キリストが再臨する終末の兆候として、「イスラエルの復興」や「地震や噴火などの天変地異」「飢餓や戦争」などが預言されていると語り、それらに現代の出来事が当てはまることを見せ、「今こそ、再臨の時代だ」とアピールするところもあります。

 そうすることで「もう既に、この時代へキリストが再臨しているかもしれない」と思わせ、再臨の時代に起こる「裁き」や「審判」まで、残り時間は僅かしかなく、誰が再臨のキリストか、早く悟らなければならない! 早く信じなければならない! と焦らせて、教祖を「再臨のキリスト」だと受け入れることで、安心できるようにさせるんです。

 しかし、終末の兆候について描かれている「偽メシア・偽預言者の出現」「戦争の騒ぎや噂」「民と民・国と国との対立」「飢饉や地震」「迫害と殉教」「背教と裏切り」「不法の蔓延」「全世界への宣教」は、教祖が生まれた時代に限らず、どの時代を切り出しても、当てはめることができるものです。

 「偽メシア・偽預言者の出現」は初代教会ができて間もなく、あちこちで見られ、「戦争の騒ぎや噂」「民と民・国と国との対立」は紀元70年のユダヤ戦争をはじめ、今に至るまであちこちの地域で勃発しています。「飢饉や地震」などの災害も、「背教と裏切り」も、「不法の蔓延」も、繰り返し起こってきた出来事です。

 これらのことから分かるように、「終末が訪れるときのしるし」「兆候」に、現代の出来事を当てはめて、終末の時期、再臨の時期を予測することはできません。ある種、どの時代、どのタイミングでも、これらのしるしは当てはまり、「今が終末のときだ!」「今が再臨のときだ!」となってしまうからです。

 むしろ、これらの記述は、「悪が力を振るっており、世界が滅びに向かっていく、救いが潰えていくようにしか見えない時代も、神の救いの計画は、完成に向かって進んでいる」「神の国の到来する日は、確かに近づいているんだ」と思い出させるためのもので、苦しんでいる人たちへの励ましに重点を置いた言葉です。

 「再臨したキリストを悟れなければ、裁きに巻き込まれてしまう!」「この時代にキリストが再臨したと受け入れられなければ、滅ぼされてしまう!」と不安や恐怖を抱かせて、信じさせようとすることは、キリスト教本来の終末観からも離れてしまいます。むしろ、イエス様は、復活して再び訪れた自分のことを自分だと気づかない弟子たちへ、自ら気づくまで、名前を呼び、パンを割き、一緒に食事をして、付き合い続けてくださいました。

 自分が復活したことを疑っている弟子たちにも、信じる者となるように、新しく出会い続けてくださいました。本当に、キリストが再臨したときには、あなたがキリストをキリストだと気づかないまま、信じられないまま、疑ったまま放置することはありません。あなたが悟れないまま滅んでいくのを放置する方ではありません。

 改めて、キリストの再臨について学び直しながら、不安や恐怖を利用した信者の獲得やコントロールではなく、救いに対する信頼と喜びに基づく伝道や信仰継承を大事にしていきたいと思います。主の平和が、あなたがた一同と共にあるように。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている滋賀県東近江市の能登川教会のために、天に召された人のために、親しい人を見送った人のために、死を恐れている人のために祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆滋賀県東近江市の能登川教会のために祈ります。それぞれ異なる悩み、苦しみを、共に担ってくださるキリストと共に、これから歩めますように。バリアフリーで段差のない教会が用いられ、多くの人が来られる場所となりますように。

◆天に召された人のために祈ります。地上での生涯を終えて、あなたの身許へ迎えられた人たちに、安息と平安がありますように。痛みや苦しみ、罪悪から解放されて、天において、一緒に神様をほめたたえる恵みを味わえますように。

◆親しい人を見送った人のために祈ります。身内や友人を天に見送り、悲しみや寂しさの中にある人へ、あなたの慰めがありますように。やがて来たる神の国で、再会する希望を新たにし、残された生涯を精一杯歩んでいくことができますように。

◆死を恐れている人のために祈ります。自分自身の死や、親しい人の死を恐れて、前を向くことが困難になっている人へ、あなたの励ましがありますように。救いをもたらすあなたへの信頼が確かにされ、内なる希望が強められ、日々、新たにされていきますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌47番「道を整え」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は『神の使命を失敗する?』と題して、マタイによる福音書 14:1~12のお話をする予定です。日曜日の礼拝は『負いきれない罪』と題して、創世記4:1〜12のお話をする予定です。

 

今度の日曜日は、召天者記念礼拝なので、亡くなった人も天において一緒に礼拝していることを思い起こして、召された方々の写真を飾ります。教会員の方も、久々に来る方も、初めて来る方も、故人の写真を一緒に飾って、希望を受け取りたい方は、自由に飾っていただけます。

 

礼拝後すぐ、車で10分ほどの市営墓地へ伺い、短く墓前礼拝と納骨式を行います。一緒に教会のお墓の前で故人を思い起こしたい方は、ぜひご参加ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。