ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『メシアが来る日?』ダニエル書 12:5~13

聖書研究祈祷会 2025年11月26日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の239番「王なるキリストは」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆恵みの源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、各家庭から野菜や果物を持ち寄って、収穫感謝礼拝を持つことができ、感謝致します。どうか今、与えられた恵みを互いに分け合うことができるように、私たちの思いと言葉と行動が、豊かに用いられますように。

◆私たちの神様。24日には、岐阜地区信徒大会が開かれ、それぞれの教会と音楽交流会を持つことができました。どうか今、諸教会との交流を通して与えられた出会いや気づき、支えと励ましを、ますます豊かに広げていくことができますように。

◆私たちの神様。今度の日曜日には、神学生立証礼拝として、3年前に夏期派遣実習に来られた関西学院大学の坂本子龍神学生が、メッセージをしてくださいます。どうか今、神学生の上に、あなたの導きが豊かにあって、共に恵みを受け取ることができますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ダニエル書 12:5~13の新共同訳を朗読します。会衆席にある旧約聖書1401頁です。

同じく、ダニエル書 12:5~13の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の旧約聖書1382頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

 今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「メシアが来る日?」というトピックについて、ダニエル書 12:5~13に焦点を当てて、話していこうと思います。

 聖書を用いる宗教カルトが「自分たちの教祖こそ、世の終わりに再び来られる救い主であり、私たちが従うべき『再臨のキリスト』である」と主張する際、しばしば利用されるのが、「聖書で預言されている『メシアの来る日』と、教祖が誕生した時代、教祖の現れた時代が、一致している」という論理です。

 もちろん、世の終わりにメシアが再び来られる日は、「何年何月何日」と明確に書かれていないので、預言の記述をそのまま読んでも、再臨のメシアがいつ来るか、私たちには分かりません。しかし、ところどころに、世の終わりがいつ来るか、メシアが再び来る日はいつなのか、ヒントのようなものが書いてあるので、それらに注目が集まります。

 たとえば、マタイによる福音書24章には「終末のしるし」について、戦争の騒ぎや噂、民と民、国と国との対立、飢饉や地震、不正や裏切り、偽預言者の出現など、大きな事件と天体の異常などが予告されていました。しかし、こういった出来事は、探そうと思えばどの時代にも見つけられるため、当てはまる現象があるだけで「世の終わり、終末のときがやってきた」「メシアの再臨する時代がやってきた」と言えるわけではありません。

 実際、大きな戦争や災害が起こる度、人々の不安が高まる度に「まもなく終末がやってくる」と恐怖を煽り「いつまでに教祖を信じてメンバーにならないと世界と共に滅んでしまう」と言い出す団体が現れて、騒ぎになってきました。しかし、そういった団体が主張するタイムリミットまでに、世界が滅びてしまったことはありません。

 一方で、終末のしるしと一致する現象だけでなく、聖書に出てくる数字を使って、世の終わりが来る日を計算し「何年から何年までに、終末の時代がやって来る」「再臨のメシアがやってくる」と主張して、もっともらしく説明する団体やリーダーも後を絶ちません。そこでよく利用されるのが、多くの数字や幻、象徴的な表現が出てくる黙示文学です。

 黙示文学で最も有名なのは、新約聖書のヨハネの黙示録ですが、旧約聖書のダニエル書も黙示文学の一つであり、7章からダニエルの見聞きした預言や幻が続きます。そして、そこに出てくる数字から、終末の時代、再臨のメシアがやってくる時代を計算し「現在がその時である」「この時代に現れた教祖こそ、再臨のキリストだ」と主張してしまうところがあります。

 たとえば、ダニエル書12章には「一時期、二時期、そして半時期たって、聖なる民の力が全く打ち砕かれると、これらの事はすべて成就する」という言葉が出てきました。これは、母国のイスラエルを滅ぼされ、捕虜としてバビロニアに連れて行かれたダニエルが「いつになったら、自分たちの受けている宗教迫害は終わるのか?」と神様に問いかけて与えられた言葉です。

 この「一時期、二時期、そして半時期」あるいは「ひと時とふた時と半時」という言葉は、聖書協会共同訳で訳されているように「一年、二年と、半年の間」という意味で合計3年半を表します。新約聖書のヨハネの黙示録11章でも、同じく3年半である「42ヶ月の間」「1260日の間」異邦人によって神殿を踏み荒らされる期間が続くと出てきます。

 そのため、どちらも「世の終わり」「終末のとき」に訪れる、苦難の期間として考える人もおりますが、ダニエル書で語られている「終わりの時」は、この書が書かれた時代に、ユダヤ人が受けていた宗教迫害の「終わり」を指していると考えられます。彼らもまた、救いのないまま世界が終わっていくような体験をしていた者たちでした。

 紀元前587年、母国のイスラエルを滅ぼされたユダヤ人は、捕虜としてバビロニアへ連れて行かれますが、紀元前538年頃、ベルシア王キュロス二世がバビロニアを占領し、捕虜となっていたユダヤ人に母国への帰還を許可しました。これによって、外国に住んでいた一部のユダヤ人はエルサレムへ帰り、大国の支配から解放されます。

 ところが、それから数百年後、ペルシアは南北に分裂し「北の王」セレウコス朝は、紀元前175年から164年にかけて、ユダヤ人に対する宗教迫害を始めます。この迫害は、捕囚期以上に激しいものとなり、聖書は焼かれ、エルサレム神殿での礼拝は禁止され、律法で食べてはならないとされていた食物を強制的に食べさせられ、律法に忠実だったユダヤ人の多くが殺されました。

 ダニエル書は、そのような驚くべき宗教迫害の最中から、終わりにかけてまとめられたと考えられ、3年半という迫害の期間は、「3年と70日」や「3年と7ヶ月」「3年と8ヶ月と15日」などに、文中で何回か訂正されています。おそらく、当初の予測では3年半だった迫害が、最終的には12章12節の1335日まで続いたのだろうと思われます。

 おそらく、迫害を受けている当時の人々は、この迫害がいつ終わるのか、予想を何度も裏切られ、ダニエルのように「迫害はいつ終わるのか?」と叫ばずにはいられなかったのでしょう。それに対し、ダニエル書は「その日がいつ来るかは秘められているけれども、苦しみの終わりは必ず来る」という励ましを語っていると思われます。

 同時に、この言葉は、かつて迫害を受けていた人々だけでなく、今「自分の受けている苦しみに終わりは来ないのではないか?」と不安になっている全ての人々に、希望と励ましを語る言葉になっています。しかし、一部のキリスト教系の宗教カルトは、ここに出てくる数字を利用して、「終わりの時」とは「終末の新しい時代」のことで、メシアである教祖が現れる年を指している……と教えます。

 たとえば、聖書に出てくる「1日」は「1年」を表しており、3年半である「1260日」は「1260年」が経つことを意味していると言って、ダニエル書9章27節に出てくる「憎むべきものの翼の上に後輩をもたらすものが座す」という出来事は、イスラム教のモスク建設が始まった688年の出来事を指している……と強引な説明が行われることがあります。

 そして、この688年に1260年を足すと、1948年の「イスラエル国の建設の年」となり、同じく688年に1290年を足すと、1978年の「ローマ教皇が交代した年」になり、さらに688年に1335年を足すと、2023年になり、この1978年から2023年までの45年間が「再臨のメシアが登場する時代」であるというような主張につなげられます。

 もちろん、こういった「何年に何年を足したら何年になる」という説明は、適当な年代を選んで、最終的に教祖の誕生する時代につなげるという形で、多くの「再臨のメシア」や「キリストの生まれ変わり」を自称する教祖の団体に使われており、全く説得力がありません。

 加えて、何度も話していることですが、「終わりの日」については、マタイによる福音書24:36で、イエス様自身が「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない」と言っており、終末の時期を特定することはできないと、かなりはっきり明言しています。

 テサロニケの信徒への手紙でも、「その時と時期についてあなたがたに書き記す必要はありません」と書かれており、終末における出来事が、いつ、どのようにやってくるか? という詳細の特定は、そもそも信仰者に求められていないことが語られています。けれども、再臨のメシアを自称する教祖の団体は、これらの記述を都合よく無視して、終わりの時の計算をし、それを使って、教祖がメシアだと言い張るのです。

 だからこそ、改めて、「メシアが来る日」の話には注意をしなければなりません。聖書が語るこの日の希望は、苦しみが終わらないのではないか? という不安を持っている人々に、「苦しみが終わる日は必ず来る」「その日は秘められているけれども、信じて希望を持って待つように」という励ましを語るものであり、特定の教祖に服従させるための言葉ではありません。
 もう一度、そのことを心に刻みつけながら、「終わりの日」についての希望と証を誠実に伝えていきたいと思います。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている福井県福井市の福井神明教会のために、貧しい人のために、病気の人のために、被災した人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆福井県福井市の福井神明教会のために祈ります。礼拝から始まる生活が大切にされ、教会の将来を担う世代が育ち、伝道献身者と隣接する栄冠幼稚園が支えられますように。福井地区におけるつながりが守られ、豊かにされていきますように。

◆貧しい人のために祈ります。食べ物や着る物、生活に困っている人たちへ、あなたの助けと慰めがありますように。生活の回復、再建のために、必要なサポートがもたらされ、支え合う仲間と自立していく力が与えられますように。

◆病気の人のために祈ります。様々な病気で苦しんでいる人に、あなたの癒しがもたらされ、回復が導かれますように。治療中の人、療養中の人、一人一人の家族と治療にあたっている医療従事者が支えられ、守られますように。

◆被災した人のために祈ります。豪雨や台風、地震や噴火、津波や旱魃などによって、被害を受けた人たちに、あなたの励ましがありますように。一日も早く、復旧と復興がもたらされ、孤立している人たちに、新たな関係がもたされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌います。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は『どうして人を造ったか?』と題して、創世記 1:27~28のお話をする予定です。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。