ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『立ち帰るかもしれない』エレミヤ書36:1〜10

日曜礼拝 2025年12月7日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前奏・点灯

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。(テモテへの手紙二4:2)

 

讃美歌

讃美歌二編172番「世界につげよ」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆世界を創造し、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。キリストの誕生を記念するクリスマスを待ち侘びつつ、キリストが再びこの世に来られるときを待ち望むアドヴェント第2週目を迎えました。どうか今、私たちの思いと言葉と行動を導き、隣人と喜びを分かち合う準備をさせてください。

◆私たちの神様。来週の日曜日には、教会学校のクリスマス礼拝・クリスマス祝会が開かれます。どうか今、救い主の訪れを豊かに祝い、子どもたちと楽しく過ごすことができるように、私たち大人を用いてください。

◆私たちの神様。21日のクリスマス礼拝では、洗礼式も行われます。新しく神の民に迎えられる受洗志願者の上に、あなたの導きが豊かにありますように。どうか今、迎える私たちも、一緒にその道を整えていくことができますように。

◆私たち一人一人に訪れる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。エレミヤ書36:1〜10の新共同訳を朗読します。会衆席にある旧約聖書1245頁です。

同じく、エレミヤ書36:1〜10の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の旧約聖書1299頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編19:8〜11、新共同訳交読詩編の25頁です。

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の128番「悪は罪人の」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

メッセージ

 キリストの誕生を記念する、クリスマスを待ち侘びつつ、キリストが再び来られるときを待ち望む、アドヴェント第2週目を迎えました。先週から、教会の玄関にはクリスマスツリーと電飾が飾られ、幼稚園でもアドヴェントカレンダーやリースなど、様々な飾りつけがなされています。

 だんだんクリスマスが近づいてくる、みんなで喜びを分かち合う日がやってくる、その日の訪れをわくわくしながら待っているとき、あまり厳しい言葉は聞きたくありません。けれども、この時期、聖書日課で指定された、旧約聖書の朗読箇所は、期待や喜びをぶち壊す、裁きが語られる話です。

 「わたしはユダの人々をことごとく、バビロンの王の手に渡す。彼は彼らを捕囚としてバビロンに連れ帰り、また剣にかけて殺す」「わたしはこの神殿をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の呪いの的とする」……預言者エレミヤに告げられた、神様による裁きの言葉……それらを書き記し、人々の前で読み上げることが命じられます。

 その頃、イスラエルは北半分がアッシリアによって滅ぼされ、南半分がユダ王国として残っていましたが、エジプトの軍勢によってヨシヤ王が殺されてしまい、エジプトの傀儡であるヨヤキムが王位についていました。ヨヤキムは、自分たちを守ってきた本当の神様を信頼せず、外国から入ってきた偶像の神々を礼拝し、国民にもそれを促していました。

 エレミヤは、王に対しても国中の人々に対しても、自分たちの祖先をエジプトから救い出した本当の神に立ち帰り、偶像礼拝をやめるよう忠告しました。このまま悔い改めず、神様の言葉に耳を傾けないままだったら、イスラエルはバビロニアに滅ぼされ、多くの者が捕虜として連行され、神殿も破壊されてしまうことを告げました。

 それは、イスラエルの王にとっても、国民にとっても、受け入れ難い言葉でした。自分たちの行いゆえに、今よりさらに悪いことが起きるなんて、聞きたくないことでした。エレミヤは、この国へ攻め入ろうとしているバビロニアの王ネブカドネツァルに貢物を送って、滅びを免れるよう進言しますが、王と国民のプライドが、それを許しません。

 今の日本で言うなら、中国に貢物を送るよう進言されて、政治家や国民が怒り出す感覚と似ているかもしれません。エレミヤは捕えられ、閉じ込められ、神殿での出入りを禁じられてしまいます。自分の国が勝利することを信じないで、自分の国の批判を行い、他の国々に滅ぼされると言い出すなんて、裏切り者だ、非国民だ……というように、彼の口は封じられます。これ以上語っても、聞いてくれるようには思えません。

 ところが、神様はそれでもエレミヤに、王と人々へ忠告を続けるように命じます。自分が告げた言葉を文書に書き記し、友人のバルクに渡して、それを人々に読み聞かせるよう命じます。「わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す」と言って……。

 すると、エレミヤの書き記した言葉をバルクが読み聞かせるのを聞いて、人々の間に変化が現れます。このままじゃいけない、神様に立ち帰って、現実を見つめ直さなければ! バビロニアによる侵攻を止めなければ!……王に対しても、エレミヤの進言を受けとめるよう懇願する家臣が出てきます。

 けれども、ヨヤキムは、やはり聞く耳持たず、人々がバルクから受け取ったエレミヤの文書を暖炉に投げ入れ、燃やしてしまいます。悔い改めることを、神様に立ち帰ることを完全に拒否する姿勢です。もはや、これ以上言い聞かせても、態度を変えることはないでしょう。

 ところが、捕えられ、閉じ込められ、文書を燃やされたエレミヤに、神様は再び命じます。「改めて、別の巻物を取れ。ユダの王ヨヤキムが燃やした初めの巻物に記されていたすべての言葉を、元どおりに書き記せ」……自分に対して、明確に拒絶する姿を見せられても、神様はなお、「悪の道から立ち帰るかもしれない」と、言葉を送り続けます。

 エレミヤ書を読んでいると、人々が神に背いた姿とそれに対する裁きの知らせがひたすら続くため、もっと優しい言葉が聞きたいと感じてきます。もっと、自分たちを力付け、鼓舞してくれる、暖かい言葉を求めたくなります。「恐れなくていい」「悩まないでいい」「信じていれば大丈夫」……そんなメッセージが欲しくなります。

 しかし、「神様が私に語ること」と「私が神様に語らせたいこと」は違います。エレミヤは、聞きたくない言葉を聞き、語りたくない言葉を語った、代表的な預言者です。彼だって、自分の国が異教の国に滅ぼされるとか、神様を礼拝してきた神殿が破壊されるとか、これからたくさん困難な目に遭うなんて、口にしたくはなかったでしょう。

 エレミヤの嘆きがつづられる『哀歌』にも、いかに、神の言葉を語るのがしんどかったか記されています。しかし彼は、自分が「聞きたくなかった」言葉の先に、神による回復が待っていることに気づいていきます。人々に対して、厳しい裁きを語りながら、滅びを免れるように、救いを得られるように、どこまでも付き合おうとする神様の姿と出会っていきます。

 もはや、聞く耳があるようには思えない者たちに、それでも、「聞く耳のある者は聞きなさい」と語り続ける神がいます。あなたが立ち帰ること、罪を赦されること、回復されることを望んでいる神がいます。神の言葉を閉じ込め、投げ捨て、拒絶してしまう私たちに今なお、「悪の道から立ち帰るかもしれない」と期待を捨てず、信じ続ける方がいます。

 2千年前、救い主誕生の知らせをエルサレムの人たちが聞いたのは、彼らが敵対していた東の国(まさにバビロンがあったところ)から来た祭司からでした。それは、自分たちを苦しめてきた宿敵さえ、神の国の仲間に、救いの業に加えられたという知らせでした。律法を守るか守らないかで、どこに所属しているかいないかで、神の救いは隔てられないという知らせでした。

 エルサレムの人々にとっては、聞きたくない知らせだったかもしれません。日本だけでなく中国も、イスラエルだけでなくパレスチナも、ロシアだけでなくウクライナも、神の民に加えられる……彼らを通して神の教えが示される……互いに耳を傾けなさい……そう言われたら、耳を塞ぐクリスチャンもいるかもしれません。

 婚約中に、身の覚えのない妊娠を知らされたマリアも、天使の言葉は、聞きたくない知らせだったかもしれません。マリアの妊娠が、聖霊によるものだと知らされたヨセフも、父親は自分じゃないという、聞きたくない言葉だったかもしれません。事実、これらの知らせを聞いた人は、みんな最初は拒んでいました。受け入れようとしませんでした。しかし、受け入れないまま、拒絶したまま、救いが遠のいていくことはありませんでした。

 今、クリスマスに近づいていく中、私たちにも、聞きたくない言葉が入ってきます。自分を振り返るように、良くないところを見るように、注意し、警告する言葉は、良い知らせには思えないかもしれません。しかし、これらの言葉の先に、私たちは回復の知らせを見つけるでしょう。

 異邦人にもたらされた救いが、世界中に広がったように、マリアとヨセフに生まれた子どもが、この世に救いをもたらしたように、恐れや拒絶を生み出す知らせも、神が計画されている、全ての者の回復へとつながります。どうか今、聞きたくない言葉の先を見つめましょう。かつて拒絶されてしまった知らせが、良い知らせとなった現実を思い出しましょう。平和が、あなたがた一同と共にあるように。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌42番「はじめに言があった」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖 餐[1]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。聖餐式は、神の恵みに感謝して、信仰が新たにされるよう、キリストの十字架と復活を思い起こし、パンと葡萄液を分かち合う式です。

 

信仰を告白した人が、信仰者であり続けるための式であり、やがて来たる神の国で、イエス様と一緒に着く食卓を先取りしたものでもあります。洗礼を受けていない人が、誤ってパンと杯を取ってしまった場合には、非難するのではなく、この食事の意味を伝えます。

 

聖餐式は「神の言葉の見えるしるし」であり、ここに集まった全ての者、あなたの隣に、前に、後ろにいる人へ、あなたの信仰を証しする時間です。パンと杯を受けとる方は、パンと杯を受けない方へ、神様の愛と祝福を祈ってください。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

ようこそいらっしゃいました。今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、福音書は伝えています。主は十字架につけられる夜、残される人々のために杯を取り、彼らと共に飲んで教えました。神の国で、あなたがたと共に、新たに飲むその日が来ると。この食事は、やがて来たる神の国で招かれる、主の食卓の先取りです。

 

主は、迎えに来ない者を訪れ、必要な準備を整えさせ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない方、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。アーメン。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯を配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、ここへ招かれた人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命をささげられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この場に連なる全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちがキリストの体の手足であること、神の国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

ご着席のまま、讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

以上で、聖餐式を終わります。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

天の神さま。今日も、あなたからいただいた全てのものを感謝いたします。ここにささげたものを清め、主のわざのために用いてください。今、私自身の生き方も、あなたのご用のためにおささげします。イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の29番「天のみ民も」を歌いましょう。(差し支えない方は、お立ちください)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28:19〜20)

 

祝 福

父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2より)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった20名、同時に視聴された10名、計30名の方が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週は、『何と呼びかけたらよいか?』と題して、イザヤ書40:1〜11のお話をする予定です。また、礼拝後、13:30〜15:00に教会学校こども会のクリスマス礼拝・祝会を行います。

 

2階礼拝堂に集まって、礼拝、絵本の読み聞かせ、ゲームなどを行う予定です。ぜひ、子どもたちのためにお祈りください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。

 

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。