聖書研究祈祷会 2025年12月10日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の235番「久しく待ちにし」を歌いしょう。最後の「アーメン」は、つけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆世界を創造し、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。
◆私たちの神様。キリストの誕生を記念するクリスマスを待ち侘びつつ、キリストが再び来られる時を待ち望むアドヴェント第2週目を迎えています。どうか今、私たちの心に、救い主を迎えることができるよう、引き続き、必要な準備をさせてください。
◆私たちの神様。今度の日曜日には、午後から教会学校のクリスマス礼拝・祝会が開かれます。どうか今、初めて来る子も、久しぶりに来る子も、一緒に、キリストの誕生をお祝いし、喜びを分かち合えますように。
◆私たちの神様。疲れている者、重荷を負っている者に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、様々なしがらみや、わだかまりがほぐされて、キリストと共に荷物を背負い、歩んでいくことができますように。
◆私たちと共におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。創世記3:1〜24の新共同訳を朗読します。会衆席にある旧約聖書3頁です。普段は新共同訳と聖書協会共同訳を朗読していますが、今回は箇所が長いので、新共同訳のみ朗読します。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |

メッセージ
今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「性と堕落」というトピックについて、蛇の誘惑の話が出てくる、創世記3章1節から24節に焦点を当てて、話していこうと思います。
聖書を用いる宗教カルトでは、しばしば「性と堕落」の話が出てきます。もちろん、一般的な多くの宗教でも「清い関係」や「誠実さ」というものが求められますが、一部のカルトでは、より強く「性的な罪」が強調され、自然に抱く恋愛感情まで「罪」として糾弾されるところがあります。
なぜなら、「性的な罪」を強調し、恋愛感情を否定することで、教祖が決めたパートナーとの婚姻だけが正しいとされ、メンバー以外と結婚して組織を抜けていくことや、教祖に従わなくなることを防ぐ狙いがあるからです。このような婚姻コントロールは、宗教カルトの組織体制を維持するだけでなく、広げることにも利用されています。
たとえば、ある宗教カルトでは、個人から家庭、家庭から民族、民族から世界へと、教祖の教えに従う人を増やすことで、堕落した人類が清められ、地上天国を広げていくことができると教えられます。そこでは、「堕落とは、自分たちが神様に造られた本来の目的を果たさないことで、堕落すると天国へ入れなくなる」と説明されます。
そして、人間の堕落については、創世記3章に描かれており、ここに出てくる「禁断の果実」は、ある特別な事柄を指していると教えられます。禁断の果実とは、神様が天地を創造した後、人間に対して「取って食べるな」と命じた、園の中央に生えている木の果実のことです。
創世記2章9節では、神様が「命の木」と「善悪の知識の木」を、園の中央に生え出させた……と書かれてあり、17節では、「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と言われていました。
よく見ると、「命の木」からは「取って食べるな」と言われていないのですが、アダムの妻エバは、3章で「園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから」と神様がおっしゃったと言っていました。3章22節では、神様も、人間が命の木から取って食べることを防ごうとする記述が出てきます。
いずれにしても、園の中央に生えている木の果実は、取ってはならないようでした。ここまで見ると、いったいこれら「命の木」や「善悪の知識の木」の正体は何だったのか、気になってしまいますよね? ただし、創世記では、これらの木が何だったのか、その正体について明らかにすることは、関心が払われていませんでした。
あるキリスト教系のカルトでは、「命の木」という言葉が、箴言の中で「知恵」や「正しい者が結ぶ実」と表されていることから、「木」は「人間」を指していると説明されます。また、雅歌の中では、女性の体の一部が「木の実」にたとえられていることから、「実」は「身体」を表していると説明されます。
つまり、「命の木」とはアダムのこと、「善悪の知識の木」とはエバのことで、「実を取って食べるな」という命令は、アダムとエバに「互いの身体を食べるなと命じたもの」であると語られます。そして、「食べる」という行為も、文字どおりの意味ではなく、「性的に食べる」「肉体関係を持つ」という意味だ、と説明されます。
なぜなら、神様との約束を破って、木の実を食べたアダムとエバは、木の実を食べた口ではなく、腰の部分をいちじくの葉で覆い隠しており、これは木の実を口で食べたことを恥ずかしがっているのではなく、2人が肉体関係を持ってしまったことを恥ずかしがったためだと教えられるわけです。
つまり、創世記3章の「蛇の誘惑」のエピソードは、霊肉共に成長しきっていない人間が、成長する前、結婚する前に、肉体関係を持ってしまったことで、堕落してしまった話であると説明されます。そして、堕落した人類が清められ、地上天国を実現するためには神様が決めたタイミングで、神様が決めたパートナーと結婚し、その子どもたちが増えていく必要があると教えられるんです。
そうして、組織の中でメンバー同士が結婚させられ、生まれてくる子も組織に従うよう育てられ、教祖に従順な人間が増えていくようにコントロールされます。その団体の教祖は、メンバーが組織のコントロールから外れないよう、霊肉共に成長してから(教祖に従順になってから)、神様が決めたパートナーと(教祖が定めたメンバーと)、神様が決めたタイミングで(教祖に都合の良いタイミングで)、結婚して、子どもを作るという順番を大事にするよう教えていきます。
そのため、教祖が決めた相手でない、メンバー以外の人に恋愛感情を抱くことや、組織が認めることない、信仰を持たない相手と結婚することは、サタン(悪魔)と肉体関係を持つくらい、恐ろしい罪を犯していると刷り込まれてしまいます。
いわゆる「宗教二世」の中には、成人して組織を脱会した後も、幼少期から刷り込まれてきたこの教えのせいで、恋愛感情を持つことを恐れたり、好きになった人と一緒になったら地獄に落ちるのではないかと怖がったりして、まともな人間関係を築くことが困難にされている人たちがいます。カルトは、そういった負の遺産を継承してしまうんです。
ただし、創世記3章の「蛇の誘惑」のエピソードを「人間が肉体関係を持って堕落した話」と解釈する教えは、いくつものキリスト教系の破壊的カルトで使い回されてきた教えでもあります。禁断の果実の話は、神様の奥義で、自分たちの教祖しか教えていない、とアピールする信者もいますが、実は、多くのカルトで似たような教えを語っているんです。
カルトによっては、エバが蛇に扮するサタン(悪魔)と肉体関係を持ち、そのエバとアダムが肉体関係を持ったことで、人類全体に罪が及んだ……と教えるところもあります。そして、教祖と性行為をすることで、サタンの血を引いている人間が浄化されるとささやいて、信者に対する性暴力が行われてきたところもあります。
けれども、アダムとエバが「禁断の果実」を食べた話は「2人が肉体関係を持ったことの比喩である」という解釈は、現代では無理のある、間違った解釈とみなされています。確かに、「命の木」は、箴言の中で「知恵」や「正しい者が結ぶ実」を表していますが、それは「人間から出た知恵」ではなく「神様から出た知恵」「神様にもたらされた知恵」を指しており、「木」がそのまま「人間」を指すわけではありません。
また、「木」という言葉は、聖書の中で様々なものを指しており、どこかで「人」を指していても、他の箇所で、同様に「人」を指すとは限りません。もちろん、「木」が、常に何かをたとえているとも限りません。これは「木」という言葉に限りませんが、聖書の中である言葉があるものをたとえていても、全ての箇所でそれが当てはまるわけではないんです。ただし、カルトはその点を考慮せず、単語と比喩を恣意的に、都合よく結びつけます。
そして、聖書の中で「肉体関係を持つ」という表現には、一般的に「食べる」ではなく「知る」という言葉が使われます。実際、創世記4章1節にも「アダムは妻エバを知った」という言葉が使われており、この後の記述でも「誰かと誰かが肉体関係を持った」という表現には「知る」が使われ続けます。この点を考えても、「禁断の果実を食べる」行為が、「肉体関係を持つ」ことの比喩であるという教えは、飛躍と言わざるを得ないでしょう。
このように、「性と堕落」の話は、人類が最初に犯した罪と結びつけられ、教祖に従順なメンバーを増やしていく構造に利用されることが多いですが、創世記3章の記述は、「性的な罪」の話ではなく、「約束を破り、それを隠し、責任を誰かになすりつける」という、契約関係における不誠実な態度を示したものです。
「食べたら必ず死ぬことになる」「処刑されることになる」と言った相手に、約束を破ってもそのとおりにしなかった、生きていくように園から出された、神様の憐れみが示されたエピソードです。信仰を継承するために、組織を維持するために、恋愛感情を否定させ、信者以外との結婚を禁じるようなコントロールに、用いていいものではありません。
あらためて、神と人、人と人との関係における誠実さに、私たち自身も立てているか問い直しながら、聖書の言葉を読み直していきたいと思います。「平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟(姉妹)たちにあるように」(エフェソ6:23)アーメン。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている愛知県豊田市の在日大韓基督教会豊田めぐみ伝道所のために、困っている人のために、悩んでいる人のために、苦しんでいる人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆愛知県豊田市の在日大韓基督教会豊田めぐみ伝道所のために祈ります。信徒、会衆、一人一人の体と心と霊が守られ、健康が導かれますように。聖霊に満たされる生活と、信仰を分かち合う力がもたらされますように。
◆困っている人のために祈ります。子育てや教育、介護や看病、経済的事情で困っている人に、あなたの恵みがありますように。それぞれに必要な助けと協力がもたらされ、新しい気づきと発見が与えられますように。
◆悩んでいる人のために祈ります。人間関係や家庭、学校、職場の環境に悩んでいる人へあなたの慈しみがありますように。それぞれに必要な知恵と力がもたらされ、新しい変化と回復が与えられますように。
◆苦しんでいる人のために祈ります。病気や怪我、障害や衰えで苦しんでいる人に、あなたの癒しがありますように。それぞれに必要なケアとサポートがもたらされ、共に支え合う仲間が与えられますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌14番「奮い立て貧しい民よ」を歌いましょう。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は『救いとは何か?』と題して、フィリピの信徒への手紙2:12〜18のお話をする予定です。今度の日曜日には、午後1時半から教会学校クリスマス礼拝・クリスマス祝会も予定しています。
初めてのご家族も、久しぶりのご家族も、ぜひぜひお待ちしています。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。