クリスマス聖夜礼拝 2025年12月24日
案 内
メリー・クリスマス! ようこそ、いらっしゃいました。キリスト教では、12月24日の夕方から、1月6日の公現日までをキリストの誕生を記念するクリスマスとしてお祝いしています。今年度も、教会の有志による演奏と、会衆による賛美をささげて、クリスマス聖夜礼拝を行います。
いわゆるコンサートではなく、自分にできる精一杯の音楽をささげて、喜びを分かち合う礼拝なので、どうぞ皆さんもご一緒に、賛美と演奏を味わいながら、祈りをささげていただけると嬉しいです。それでは、招きの言葉に耳を傾けましょう。
招 詞
ヨハネによる福音書1:1〜4
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
説 明
最初に、ピアノの連弾による “O Holy Night” (さやかに星はきらめき)の演奏を味わい、喜びを分かち合う準備をしましょう。
*前奏の間に、アドヴェントクランツの蝋燭を4本つける。
前 奏
O Holy Night
祈 祷
共に、祈りを合わせましょう。最後に唱える「アーメン」という言葉は、「本当にそうです」「本当にそうなりますように」という意味のヘブライ語です。祈りを合わせる言葉として一緒にご唱和ください。
司 会:光を創造し、希望をもたらす神様。救い主イエス・キリストの誕生を記念するクリスマスの夕べ、教会に集まって、また、配信を通して、賛美と祈りを合わせるときが与えられ、感謝致します。どうか今、ここにいる人、離れている人、天上で礼拝している人たちと、あなたの恵みを豊かに分かち合えるように、見えないつながりを強めてください。全ての人に、あなたとの、新しい出会いがありますように。飼い葉桶に眠る御子イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一 同:アーメン。
説 明
共に、ピアノの連弾による旧讃美歌111番「神の御子は今宵しも」の演奏に耳を傾け、聖書の言葉を聞く準備をしましょう。
演 奏
(旧)111番「神の御子は今宵しも」
聖 書
マタイによる福音書1:1〜16 <身内になった者>
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
説 明
かつて、イスラエルの人々は、戦争に敗れ、母国を失い、外国の支配を受けながら、辛く苦しい生活を続けていました。自分たちが正義と公正を蔑ろにし、神でないものを神のように扱って、神様との関係を壊してしまったことを悔い改め、神様に救いを求めていました。
そこで、神様は、自分と人々との関係を回復させる神の子を、新しい王としてこの世に遣わし、人々を苦しみから解放することを約束しました。やがて、神の子は聖霊によって、マリアのお腹に宿り、マリアが結婚した夫、ヨセフの身内として生まれてきました。
しかし、ヨセフの家系は、決して清く正しい人たちの血筋とは言えませんでした。神様の約束を信じられずに笑った人、外国の遊女であった人、異教の民と結婚した人、人妻との不倫によって生まれてきた人、イスラエルが滅ぼされるきっかけを作った人もいました。
神の子である救い主は、そんな人たちの身内として生まれてきました。様々なやましさや後ろめたさがある人と関係のない者ではなく、むしろ、その人の身内として、葛藤や痛みを共に担って、この世に生まれてきてくださいました。
共に、清くも正しくもなれずにいる、私たちの身内になってくださった救い主を思い起こし、華陽教会の信徒・客員・求道者による賛美を味わいましょう。教会員の方はお立ちください。讃美歌第二編121番「こよい鳴りわたる」。
賛 美
(Ⅱ)121番「こよい鳴りわたる」
聖 書
マタイによる福音書1:18〜25 <家族になった者>
説 明
かつて、神様の約束した救い主が、誕生することになった家は、破局の危機を迎えていました。天使から、聖霊によって神の子を身ごもったと伝えられたマリアは、まだ結婚しておらず、ヨセフと婚約中でした。当時のイスラエルでは、婚約中に浮気をしたと見なされると死刑に値する罪となりました。
マリアの妊娠を知ったヨセフは、彼女が死刑になることを望まず、ひそかに縁を切ろうとしていました。マリアから、聖霊によって身ごもったことを聞いても、信じられなかったか、マリア自身、信じてもらえると思えず、ヨセフに天使の言葉を話せなかったのかもしれません。
2人は正面から話し合うこと、信頼することができずにいました。救い主を自分の家に迎えるどころか、婚約者と家族になることもできないくらい、恐れ、戸惑い、臆病になっていました。しかし、救い主はそんな2人を家族として、必要な存在として頼り、訪れてくださいました。
共に、強くも頼もしくも聡くもない、私たちの家族になってくださった、救い主を思い起こし、ヴァイオリンとピアノによるAve Mariaの演奏を味わいましょう。
*Ave Mariaは、「こんにちは、マリア」あるいは、「おめでとう、マリア」という意味で、カトリックの教会で、救い主へのとりなしを母マリアに願う祈りとなっています。ここでは天使の言葉を受けとめるマリアと、マリアの受胎を受けとめるヨセフの気持ちを思い起こす曲として、一緒に味わいたいと思います。
演 奏
Ave Maria
聖 書
マタイによる福音書2:1〜12 <仲間になった者>
説 明
かつて、イスラエルの国に、新しい王が生まれるという知らせを見て、東の方から占星術の学者たちがお祝いをしにやって来ました。しかし、エルサレムの人々は、それを見て不安になりました。エルサレムから見て東の方は、ペルシア、バビロニア、アッシリアがあった地域です。
それは、イスラエルの国を滅ぼし、支配し、属国にしてきた異教の民が再び訪ねて来たことを表していました。しかも、占星術は、神の掟である律法で禁じられた異教の慣習で、学者たち「博士」という職業は、「マギ」外国の異教の祭司を表すものでもありました。
たとえるなら、パキスタンやイラクから、イスラームの聖職者が、クリスマスのお祝いをしに、教会へやって来たようなものです。「神の民」である、イスラエルと敵対していた「異教の民」が、救い主の誕生を、最初に知らされ、お祝いするよう招かれていました。
共に、歓迎されるはずのなかった、警戒されていた私たちの仲間になってくださった、救い主を思い起こし、讃美歌21の261番「もろびてこぞりて」を歌いましょう。
会衆賛美
(21)261番「もろびとこぞりて」
聖 書
マタイによる福音書2:13〜18 <味方になった者>
説 明
かつて、ローマ帝国の傀儡であったヘロデ王は、神様に遣わされた真の王によって地位を失うのを恐れ、救い主の居場所を聞き出し、殺す計略を立てていました。しかし、夢で天使からお告げを受けた博士たちは、ヘロデに居場所を教えないまま、自分の国へ帰っていきました。
すると、怒ったヘロデは、ベツレヘム一帯に生まれた2歳以下の男の子を一人残らず殺させて、救い主を始末しようとします。そのとき、救い主を匿う避難場所として用意されたのは、かつて、イスラエルを奴隷にしていたエジプトの国でした。
エジプトの国は、奴隷だったイスラエル人を解放しなかったため、神様から十の災いを受け、最後には、エジプト人の家に生まれた最初の子どもたちが、一人残らず死んでしまったところでもありました。長い間、神に背き、神に敵対し、神から罰を受けた国と見なされていました。
しかし、救い主は、かつて神様と敵対した国に、自分を守る味方として訪れます。自分を狙う王に殺された、ベツレヘムの子どもたちと同様、頑ななファラオのために亡くなった、エジプトの子どもたちも、神の国に入るのを、妨げてはならない存在として記憶されます。
共に、見放されたと思われていた、私たちの味方になってくださった、救い主のことを思い起こし、ピアノと、ギターと、デゥエットによる演奏を味わいましょう。讃美歌21の272番「おやすみなさい」
演 奏
(21)272番「おやすみなさい」
消 灯
会堂の明かりを消して、お手元のキャンドルに光を灯し、暗闇に光が照らされた、あの日の夜に思いを馳せて、沈黙の時を持ちましょう。
沈 黙

メッセージ
クリスマスは、神の子イエス・キリストの誕生を記念して、みんなで救いの訪れを祝い、喜びを分かち合う日です。しかし、神様が約束していた救い主の誕生と、現代を生きる自分自身は、何の関係もないかのように感じる人もいるでしょう。
私は、神様のお告げを受けたことはないし、天使を目にしたこともない。信心深い生活を送っているわけでもないし、「清く正しい生き方」もしていない。むしろ、嘘をついたり、誤魔化したり、人を信じられずに傷つけたり、悪いことを放置したまま生きている。
そんな自分が、神の子の誕生を、救い主の訪れを、自分事として捉えるのは、かえっておこがましいかもしれない……もっと信心深い人で、清く正しい生き方をしていて、嘘もつかず、取り繕わず、間違いを避けて生きている、善人のような人でないと「私のために救い主がお生まれになった!」と喜ぶことは、ふさわしくないと言われるんじゃないか?
本当に、クリスマスをお祝いする資格があるのは、神様から見てちゃんとしている、いい加減でない人間で、私のような人間は、遠くから、そっと眺めているくらいがちょうどいいかもしれない……直接、教会に来るのを遠慮され、配信を通して、この礼拝を視聴してくださっている方の中にも、そういう人が、いるかもしれません。
しかし、クリスマスは、あなたのために、救い主がお生まれになったことをお祝いする日です。あなたも「神の子の関係者」であることを、「救い主の身内」になっていることを、知らされる日です。救い主は、あなたと無関係ではないんです。
思い出してください。神の子イエス・キリストが生まれたのは、清廉潔白な、非のうちどころのない人々の家系ではなく、外国の遊女や婚外子、国を傾ける大きな過ちを犯した人の家系でした。救い主の赤ちゃんを迎えたのは、天使の言葉に疑いを挟まず、パートナーへの信頼を貫いた夫婦ではなく、恐れ、戸惑い、破局の危機に陥った夫婦でした。
さらに、神の子の誕生を一緒に祝うよう、最初に招かれたのは、神殿の祭司でも、会堂の教師でもなく、神の民と敵対していた、異教の神に仕える「マギ」博士たちでした。神様を信じている人たちからは、むしろ、神の救いから遠く離れた、いつか滅ぼされると思われていた人たちでした。
それだけでなく、生まれて間もない救い主が、家族に連れられて訪れた場所も、神の民を奴隷として苦しめた、エジプトの国でした。神様に従わず、十の災いを受けた国、神様の怒りを受けて、見放されてしまった国……そのように思われていた国の人が、神の子を敵から匿い、助けてくれる味方として、用いられていきました。
同時に、救い主の誕生は、つながり得ない人々を、仲間になり得ない人々を、一つにしていく出来事でもありました。最初に読んだ、イエス・キリストの系図では、神の子の生まれた家が、純粋なイスラエル人の家系ではなく、パレスチナの先住民である「ラハブ」の名前や、異教の民であるモアブ人「ルツ」の名前も入っていました。
現在、イスラエルとパレスチナの間で、攻撃と報復が続いていますが、イエス様は、イスラエル人だけでなく、パレスチナ人の身内としても、遣わされた方でした。両者を分断させ、どちらかを滅ぼすためではなく互いに和解をもたらすために「平和の君」として来られました。
2つ目に読んだ、受胎告知の話では、天使の言葉を正面から夫に伝えられない妻、妻のことを正面から信じることのできない夫が出てきました。しかし、そのまま破局を迎えるはずだった2人に、改めて救い主の誕生が告げ知らされ、ヨセフはマリアを迎えて一つになります。
3つ目に読んだ、東方の博士たちの話では、イスラエルと敵対していた異教の国の祭司たちが、神の子イエス・キリストの誕生を、一緒にお祝いしていました。それは、先ほども言ったように、イスラームの国の人たちが、教会の人たちと一緒に、クリスマスをお祝いするような驚くべき出来事でした。
4つ目に読んだ、エジプトへ避難する話では、かつてイスラエルを奴隷にしていたエジプトが、救い主を匿う国になりました。ヘロデ王によって殺されたベツレヘムの子どもたちも、頑ななファラオによって死んでしまったエジプトの子どもたちも、敵味方関係なく、救い主が自分事としてとりなされる、神の国へ招かれる存在となりました。
クリスマスは、私のために「神の子が身内になってくださった日」であり、同時に「身内になり得ない者同士が、新しく、神の民として結び合わされた日」でもあります。この日、告げ知らされた救いに、関係ない人はいないんです。救い主はあなたの身内であり、あなたは救い主の身内です。
そう、この方は、あなたと共におられます。あなたのもとに訪れます。時を越え、場所を越え、死を越えて、あなたと、あなたの身内の人たちに、和解と救いをもたらします。「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」
この言葉は真実です。だから、あなたも救いの良い知らせを受け取って、共に喜びにあずかりなさい。アーメン。
点 灯
会堂の明かりをつけましょう。式次第の12頁をご覧ください。讃美歌21の267番「ああベツレヘムよ」を歌いましょう。
会衆賛美
(21)267番「ああベツレヘムよ」
主の祈り
共に、イエス様が教えてくださった祈り方の基本である『主の祈り』を祈りましょう。式次第の13頁をご覧ください。

献 金
共に、感謝の献金をささげましょう。献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の運営や地区・教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。ご準備のない方は、式次第に挟まれた献金袋を空のまま、献金箱へお入れください。
献金を集めている間、ピアノによる演奏で、讃美歌21の258番「まきびとひつじを」を共に味わいたいと思います。
演 奏
(21)258番「まきびとひつじを」
会衆賛美
差し支えない方はお立ちください。讃美歌21の265番「天なる神には」を、共に賛美致しましょう。
(21)265番「天なる神には」
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。一同で「アーメン」と唱和した後、私が手を合わせたら、皆さんもどうぞご着席ください。
派 遣
いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。(イザヤ書52:7より)
祝 福
神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)
一 同:アーメン。
後 奏
(21)261番「もろびとこぞりて」
報 告
以上で、クリスマス聖夜礼拝を終わります。演奏や賛美をささげてくださった方、共に祈りをささげてくださった皆さんに、心から感謝を申し上げます。
なお、先日の日曜日と、本日の聖夜礼拝に出られなかった人のために、明日25日の午後1時半から、神の祝福を分かち合う、パンと水を分け合う式「愛餐式」を中心としたクリスマス祈祷会を行います。
配信を見られている方で、明日なら出られるかな、出てみたいな、という方は、どうぞ気軽にお越しください。本日は寒い中、教会にお越しくださり、改めて感謝致します。
どうぞ、礼拝堂の左右から、外へ出られる階段につながっているので、混み合わないよう、左右両方からお帰りください。賛美歌の拡大コピーが挟まれた式次第の冊子は、お帰りの際、受付へお返しください。それでは皆さん、良いお年を!