ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『ベツレヘムのこどもたち』クリスマス祈祷会 2025年12月25日

クリスマス祈祷会 2025年12月25日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の278番「暗き闇に星光り」を歌いしょう。最後の「アーメン」は、つけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆光と希望をもたらす、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られてクリスマス祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。今日は、21日と24日のクリスマスの礼拝に出られなかった人のため、聖書を開き、メッセージを聞き、賛美と祈りをささげつつ、神の祝福を分かち合う、愛餐式を行います。どうか今、ここに連なる一人一人に、あなたの恵みを与えてください。

◆私たちの神様。日曜日に続き、昨日も、クリスマスの礼拝を最初から最後まであなたが導いてくださったことを感謝致します。どうか今、この祈祷会も最初から最後まであなたが導き、参加した人に新しい力をもたらしてください。

◆私たちの神様。キリストの誕生を記念するクリスマスを迎え、一年の終わりも近づいて来ました。教会の新しい一年は、既にアドヴェントから始まっていますが、来年も健やかな信仰生活を送ることができるように、私たちのことを助けてください。

◆全ての者を新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書2:13〜23の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書2頁です。

同じく、マタイによる福音書2:13〜23の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の3頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

 ついに、12月25日のクリスマスを迎えました。キリスト教の聖書では、日没から一日が始まることになっているため、12月24日の夕べから25日の日没までが、キリストの誕生を記念する日となっています。ただ、厳密には、クリスマスを祝う期間は1月6日の公現日まで続きます。

 なぜなら、救い主イエス・キリストの誕生を知って、東の方から来た占星術の学者たちが、最初に神の子を礼拝したことを記念する日が、1月6日の公現日だからです。皆さんも、クリスマスの絵本や紙芝居、幼稚園のページェントなどで、星を研究する博士たちが、救い主の赤ちゃんに、贈り物を持ってきた様子を見せられたことがあるでしょう。

 イスラエルから遠く離れた東の国で、ユダヤ人の新しい王が生まれるしるしとして、星が輝くのを見た博士たちは、「こんなことは今までなかった」「きっと特別な王が生まれたに違いない」と思い、黄金、乳香、没薬という高価な宝を携えて、救い主の誕生をお祝いするため、イスラエルへ向かいます。

 しかし、イスラエルという国は、大国に囲まれた小さな国で、かつては博士たちの出身である東の国々、ペルシア、バビロニア、アッシリアという大国が、支配していた地域でした。何ならこの時も、イスラエルはローマ帝国に支配され、ユダヤ人たちは弱く貧しい生活を送っていました。

 にもかかわらず、東方の博士たちは、大国に支配された小さな国の王を拝もうと、はるばるイスラエルまでやってきます。きっと、新しく生まれたユダヤ人の王は、イスラエルという小さな国を越えて、東方の自分たちの国に至るまで、全世界の将来に関係する存在だと、強く信じていたんでしょう。

 実は、博士たち「マギ」と呼ばれる職業は、外国の祭司を表す言葉でもあり、占星術、いわゆる星占いによって、国の政治や軍事について、助言を行う高官のような立ち位置でもありました。しかし、本来、博士たち、異教の国の祭司階級は、イスラエルから見て、本当の神ではないものを神として信じ、拝ませている存在です。また、星占いは、異教の国の慣習として、神の掟である律法で禁じられたものでもありました。

 にもかかわらず、異教の国の慣習である占星術を通して、異教の国の祭司階級である博士たちに、かつてイスラエルを滅ぼし、支配し、苦しめていた外国の高官に、ユダヤ人の新しい王の誕生が知らされたんです。東の国には、イスラエルが滅ぼされた際、多くのユダヤ人が捕虜として連れて来られ、そのまま母国へ帰らずに留まった人も多くいました。

 博士たちも、ユダヤ人は自分たちと異なる宗教を信じ、自分たちのような占星術を生業にしている人間は忌み嫌われていることを知っていたでしょう。それなのに、イスラエルの神は、かつてイスラエルを苦しめた自分たちのために、自ら禁じていた占星術を通して、新しい王の誕生を告げ知らせ、一緒に祝うよう招いたんですから、一大事です。

 「こんなことは今までなかった」「きっと特別な王が生まれたに違いない」と考えるに足る出来事でした。彼らは、星に導かれてイスラエルまで辿り着き、夜が明けて星が見えなくなると、首都であるエルサレムに行って、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか?」と尋ねに行きます。

 きっと、自分たちの新しい王を待ち望んでいるユダヤ人に聞けば、彼らがたくさんいる首都に行けば、誰かが、神様に遣わされた新しい王の居場所を教えてくれるに違いないと思ったんでしょう。けれども、エルサレムの人々は、異教の民の祭司であり、東の国の高官である占星術の学者たちが、自分たちの新しい王を探していると聞いて不安になります。

 そりゃそうです。かつて、イスラエルを滅ぼし、支配していた東の方から来た外国人……しかも、高価な宝を携えた要職の人間です。たくさんの警護や召使もいたでしょう。一見すると、外国の軍隊が攻めてきたようにも見えるでしょう。その上、異教の民の祭司がなぜか、イスラエルの神様が約束した救い主メシアを拝みたいと訪ねている。エルサレムの住民は混乱したに違いありません。

 王宮にいたヘロデ王もその一人でした。彼は、占星術の学者たちが、新しい王として生まれた方を探していると聞いて、神様が約束していた真の王が誕生したのだと悟りました。ヘロデはローマ帝国の傀儡の王で、このままでは、神様が遣わした本当の王に、自分の地位を奪われるかもしれないと不安になりました。

 そこで、彼は祭司長や律法学者たちをかき集め、神様の約束した救い主メシアはどこに生まれることになっているかを聞き出して、博士たちにベツレヘムへ行くよう勧めました。そして「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と博士たちを送り出します。もちろん、口ではそう言いながら、博士たちから居場所を聞き出したあと、新しい王として生まれた赤子を殺す手筈を整えていました。

 ところが、博士たちが救い主の赤ちゃんが生まれた家を見つけて、贈り物を届けた後、今度は、夢で神の天使が直接現れ、「ヘロデのところへ帰るな」と警告します。傀儡の王とはいえ、ローマ帝国がバックについているイスラエルの王に背いて約束を破るのは、外交問題に発展しかねないことでしたが、博士たちは天使の言うとおり、別の道を遠って帰って行きました。

 よかった、救い主は殺されず、博士たちから贈り物ももらって、一件落着だ! と喜びたいところですが、この話には続きがあります。そう、先ほど読んだ悲惨な事件……博士たちに騙されたと知ったヘロデ王が、怒って、ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を一人残らず殺させた、というジェノサイド、大虐殺です。

 幸い、新しい王として生まれたばかりのイエス様は、夢でお告げを受けたヨセフによって、母マリアと共にエジプトへ避難し、難を逃れることができました。しかし、ベツレヘム周辺一帯にいた同世代の他の子どもたちは、みんな殺されてしまいます。実は、似たような事件が二度、エジプトでも起こっていました。

 一度目は、エジプトで数を増していくイスラエルの民ユダヤ人が、自分の国を乗っ取ってしまうことを恐れ、エジプトの王ファラオが「ユダヤ人の男の子が生まれてきたら、一人残らずナイル川に放り込め」と命じたときです。このときは、両親が隠して育てたモーセを除き、同世代のユダヤ人の男の子はみんな殺されてしまいました。

 二度目は、奴隷が居なくなることを恐れ、ファラオが頑なにイスラエル人を解放しなかったときです。神様は、エジプトに十の災いを下し、最後に「エジプト人の家に生まれた最初の子どもが、人も家畜もみんな死んでしまう」という災いをもたらします。このときはファラオの子どもも含め、エジプト人の家に生まれた最初の子どもがみんな死んでしまいました。

 エジブトのいたユダヤ人の子どもたちも、エジプト人の子どもたちも、ベツレヘムの子どもたちも、罪のない命が、王やファラオの保身によって殺されました。もちろん、王だけのせいではありません。王を止めなかった家臣や命令に従った兵士、罪のない子どもたちが助かるように、エジプト人へ助言したり、神様にとりなしたりしなかったユダヤ人も責任がないとは言えないでしょう。

 ベツレヘムの子どもたちをはじめとする、大量虐殺に巻き込まれた小さな子たちの話を聞くと、この子たちに救いはなかったのか? 殺されて終わりなんてあんまりじゃないか? と、私たちの心に暗い影が落とされます。神様は、この子たちのためには、救いを用意してくださらなかったんだろうか? この子たちのためには、何もしてくださらなかったんだろうか? そんな疑問が、私の中にも繰り返し浮かんできます。

 マタイによる福音書2章18節では、一見、無慈悲に聞こえる言葉も続いています。「こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。』」

 これは、預言者エレミヤが、ラケルの子孫、ヨセフとベニヤミンの一族が、東の大国、アッシリアの占領によって滅ぼされ、外国へ連れて行かれることを預言した言葉から来ています。しかし、エレミヤの預言は、嘆きの言葉だけで終わっておらず、「泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい」「あなたの未来には希望がある、と主は言われる」という慰めの言葉も続いています。

 実は、聖書に出てくる預言者の嘆きは、たいてい、その後に続く回復の希望とセットになっています。エレミヤの言葉を引用して語られた、子どもたちの死を嘆く表現も、神様による回復が暗示されています。

 最初に、東方の博士たちが、生まれたばかりのイエス様を拝んだ際、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげたことを話しました。実は、これら効果な宝物のうち、乳香と没薬は、死者を埋葬する際に使われた香料と防腐剤でもありました。ヘロデ王から逃れるため、幼子イエスとマリアを連れて、ヨセフがエジプトへ避難した際、博士たちから贈られた、これらの宝物は、その旅に必要な旅費や物資と交換されたでしょう。

 エジプトへ出発しようとするヨセフたちから、乳香や没薬を買い取った、あるいは、食べ物や着る物と交換したベツレヘムの人たちは、救い主にささげられた香料や防腐剤を、殺された子どもたちのために使うことになったでしょう。本来、ベツレヘムという田舎の貧しい人たちには、手の届かないものでしたが、急いで出発するヨセフたちから、乳香や没薬を受け取った人々は、イエス様が死ぬ前に、香油をかけられたときのように、子どもたちのために、埋葬の準備をすることができたでしょう。

 それは、死から甦ったイエス様と共に、この子どもたちも、やがて一緒に起き上がらされることを暗示しています。神様は、幼くして亡くなった子どもたちにも、イエス様に直接出会えず死んでしまった子どもたちにも、救いを用意されたんです。共に、現在も死と隣り合わせで苦しんでいる、戦場や被災地、困窮地にいる子どもたちに、神様の救いがあるように、回復がもたらされるように祈りを合わせ、希望を分かち合いましょう。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

愛 餐

本日は、共に教会へ集まった方々と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

配 餐

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、初めて来た方も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。

 

初めて来た方も、お子さんも、どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。(パンと水を配る)

 

分かち合い

ケースの蓋をお取りください。共に、神の恵みを味わいましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2、3節を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイによる福音書1:23)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。なお、12月31日(水)、1月7日(水)の聖書研究祈祷会は、牧師の冬季休暇のため、お休みです。次回の聖書研究祈祷会は、1月14日(水)午後1時半〜2時半に2階礼拝堂で予定しています。

 

また、1月1日(木)には、午後2時〜3時に元旦礼拝を行います。今日と同じように、礼拝の中で愛餐式を行うので、ご家族が帰省されている方も、よかったらぜひ、ご参加ください。元旦礼拝後、2階集会室で、牧師のぜんざいを振る舞う予定です。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の祝福がありますように。良いお年を。