ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『救いは近づいている』ローマの信徒への手紙13:11〜14

日曜礼拝 2026年1月1日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。(ヨハネの黙示録21:5)

 

讃美歌

旧讃美歌234のB「むかし主イェスの」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆救いの源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、1月1日の元日礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。昨年も、最初から最後まで、あなたが守り導いてくださったことを感謝致します。どうか今、一年を通して、培われたもの、与えられた気づきを活かし、残された課題と新しい挑戦に取り組めるよう、今年も私たちを送り出してください。

◆私たちの神様。新しい年を迎えさせてくださり、感謝致します。どうか今、この一年もあなたに信頼し、あなたのもたらす喜びと希望を胸に、歩み続けることができるよう、私たちを導いてください。

◆私たちの神様。病気や障害、怪我や衰え、事故や事件に遭って苦しんでいる人たちに、あなたの慈しみがありますように。特に、震災から2年目を迎えた能登半島の方々に、あなたの慰めと励ましが豊かにあって、変化と回復がもたらされますように。

◆一人一人を新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ローマの信徒への手紙13:11〜14の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書293頁です。

同じく、ローマの信徒への手紙13:11〜14の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書287頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編96:1〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の367番「偉大なみ神の」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

メッセージ

 ローマの信徒への手紙に出てきた「救いは近づいている」という言葉は、それだけ取り出して聞くと、ちょっと警戒心が湧いてくるかもしれません。なぜなら、「こっちへ来たら救われますよ」「ここで待っていれば大丈夫」という甘い言葉に誘われて、ノコノコついていったところで、期待していた救いがなかったら、騙されて破滅してしまったらどうしよう? という懸念が出てくる時代だからです。

 実際、1970年代前後から「こっちへ来れば救われる」と言って信者を搾取し、多くの金銭的被害や性暴力、精神的支配を行う破壊的カルトの問題が、徐々に認知されていきました。「救いは近づいている」という一方で、「ただし、我々の言うとおりにしないと救われない」という恐怖を煽り、信者をコントロールする団体は、今もたくさん存在します。

 特に、地震や台風、噴火や津波、疫病や戦争などといった、大きな事件や災害が起きると、「世界はどうなってしまうんだろう?」という不安に駆られた人たちが、このまま悪いことが続いて滅びるんじゃないかと心配し、救われるためのヒントを探して、極端な言説に飛びついてしまうことが増えてきます。

 最近でも、2023年に、終末論を説くカルト団体が「餓死すればキリストに会える」と謳って、子ども191人を含む429人をケニアで死亡させた事件がありました。被害者の多くは、コロナ禍で生活が打撃を受けた貧困層で、教団は生活不安につけ込んで、勢力を拡大していました。

 そういった話が耳に入ってくる度に、希望をもたらすために語られた「救いは近づいている」という聖書の言葉が、だんだん語りづらくなってきます。これを聞いた人たちからかえって警戒されるんじゃないか? 救いを期待する心を利用して、人集めや搾取を行うところじゃないか、疑われてしまうんじゃないか?

 加えて、聖書に出てくる「眠りから覚める時」「覚めるべき時」がすでに来ている……という言葉も、何だか怪しげな響きに聞こえてきます。コロナ禍以降、世界中で様々な陰謀論が急速に広がっていきました。「ワクチンは人口削減の手段に使われている」「多くの災害は人工地震によるものだ」「世界はディープステート(闇の政府)に操られている」

 そんなカッコ付きの『真実』に「目覚めた」人たちから「あなたも目を覚まして」「メディアの言うことは全部嘘」「調べたら分かるからこれを見て」と、膨大な量の記事や動画、SNSのリンクを送られてきた人もいるかもしれません。残念ながら、一部のキリスト教会でも「真実に目覚めた」と言って、根拠の怪しい言説を広めてしまうところがあります。

 特に、この1、2年の間、教祖を「再臨のキリスト」と信じさせ、若い人たちの時間と労力を奪う団体や、「終末の危機感」を煽って、地獄の恐怖による支配を行っている団体、様々な陰謀論に、身内が囚われてしまった人の相談が、かなり増えてきました。そういう人たちの相談を受けていると、終末に関する聖書の言葉は読みづらくなります。

 「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています」「あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています」「今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです」……やっぱり、ここだけ取り出して読むと、カルトや陰謀論の匂いがする、怪しげな言葉に聞こえてきますよね?

 他の人は今がどんな時かを分かってないけど、私たちは分かっている……みんなと話が通じないのは、私たちと違って、眠りから覚めてないからだ……目覚めていない人たちの話を聞いても意味がない……そんなふうに、選民思想を強化して、周りの言葉に耳を閉ざさせ、どんどん孤立させ、自分たちのコミュニティーだけに依存させる……そんな言葉に聞こえてきます。

 けれども、ローマの信徒への手紙に出てくる「終末の日」「世の終わり」に関するメッセージは、信徒を教会以外のコミュニティーから切り離したり、日常生活を蔑ろにするほど教会活動を熱心にさせたり、周りの言葉に耳を閉ざして、独りよがりな信仰を貫かせたりするような、そんなメッセージではありません。

 むしろ、周りの人との関係や日常生活を蔑ろにしないよう、「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか」と続きます。終末の危機感を煽って、自暴自棄になったり、活動で熱狂的になって、激しい対立を引き起こさないよう、「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい」と語られます。

 実は、宣教者パウロが手紙を送ったローマの教会では、救いに至るため、どうすれば人は神に受け入れられるのか? 信仰者はどのように生きるべきなのか? ユダヤ人とそうでない人たちとの間で、論争が起きていました。なぜなら、ユダヤ人のキリスト教徒は、神から与えられた掟である、旧約の律法を遵守して生活していましたが、ユダヤ人でないキリスト教徒は、細かな祭日や食物規定を守らずに生活していたからです。

 もともと、律法を守って生活していたユダヤ人の中には、神様の約束した救いの完成する日、新しい天と地の到来する日が近づいている今、もっと一生懸命、掟を守って生活しなければ、神の国に迎えてもらえない、救いにあずかれないんじゃないか? という不安を抱えている人が一定数いました。

 一方、最近、神様を信じるようになったユダヤ人でない人の中には、もうすぐ、天からイエス様が降りてきて、やがて朽ち果てる古い世界に終わりをもたらし、新しい天と地に自分たちを迎えてくださるのだから、この世でどのように生きるべきかなんて、そんなに考えなくていい、神の国のことだけ一生懸命信じればいい……と考えて、この世の生活を蔑ろにする人が一定数いました。

 というのも、この時代のローマ市内は、信仰の違いを理由に、ユダヤ人同士が対立し、ローマ皇帝クラウディウスから、全ユダヤ人が退去を命じられた事件があり、一度追放されたユダヤ人が戻ってきてからも、色々なゴタゴタが続いていました。教会内も教会外も、安定しない日々が続いていました。

 そのため、「この先どうなってしまうんだろう?」「もっと悪いことが続いたらどうしよう?」という不安に安心を与えてくれる……「悪いことはこれが原因で、このようにすれば大丈夫」というシンプルな解決策を与えてくれる……極端な言説に飛びつきやすくなっていました。

 ローマの信徒への手紙は、そんな不安定な人々に「掟を守ればいいというものでも、掟を守らなければ救われないというものでもない」「神の国のことだけ考えて、この世の生活を蔑ろにしていいものでもない」と戒めながら、救いは確かに近づいているから、落ち着いて待ちなさいと希望を語るものでした。

 さて、新しく2026年を迎えた今日、私たちの間でも、色んな不安や懸念が横たわっています。このまま全国の教会から、人が少なくなっていったら……このまま災害が続いて世界が滅茶苦茶になっていったら……このまま戦争が終わらずに各国が巻き込まれていったら……そうならないために、何か熱心にするべきこと、これさえやれば安心できるというものに、飛びつきたくなるかもしれません。

 しかし、私たちは眠りから覚めるとき、夜が明けるときを迎えています。このままどんどん悪くなっていく、救われないまま終わっていくという、恐怖に満ちた日没ではなく、苦しみから解放され、救われる日がやって来るという、希望に満ちた夜明けがもたらされています。

 危機感を煽られ、暗闇を無我夢中で進むのではなく、日中を歩むように落ち着いて前を見なさいと促されています。「だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう」「今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです」さあ、新しい歌を主に向かって歌いましょう。救いをもたらす神様に賛美と祈りをささげましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌8番「何もかわらないと(B)」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。愛餐式とは、キリストが神の国のしるしとしてなされた5千人の給食を根拠にした「神の祝福を分かち合う食事」です。モラヴィア派の人々やメソジスト教会の各家庭で、かつては盛んに行われていたものでした。

 

信仰を告白した人が、信仰者であり続けるための「聖餐式」と違い、洗礼を受けていない人もあずかることができるので、現在もカトリックとプロテスタントの教派を超えた礼拝や、洗礼を受けていない人が多く集まる地区・教区の新年礼拝などで用いられています。

 

配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。式次第の12頁です。御着席のままで大丈夫です。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

配 餐

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、初めて来た方も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。

 

本日、礼拝に来られているお子さんや学生も、一緒に受け取っていただけます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。係の方は、前へお越しください。(パンと水を配る)

 

分かち合い

ケースの蓋をお取りください。共に、神の恵みを味わいましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」

私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」

私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2、3節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

私たちの神様。ここにささげた献金を、あなたの心に適う形で用いることができますように。教会の働きと私たち一人一人の良心をこれからも導いてください。そして、あなたの栄光が、ますます豊かに現され、神の国の平和が告げ知らされますように。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」3節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。一同で「アーメン」と唱和した後、私が手を合わせたら、皆さんもどうぞご着席ください。

 

派 遣

更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。(ローマの信徒への手紙13:11)

 

祝 福

平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。(ローマの信徒への手紙15:33)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先日の日曜礼拝は、教会に集まった12名、同時に視聴された11名、計23名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

本日礼拝後、2階集会室で、牧師の作ったぜんざいを振る舞う予定です。よかったらぜひ、お召し上がりください。なお、来週の聖書研究祈祷会は、牧師の冬季休暇のため、お休みです。

 

次回の水曜日の聖書研究祈祷会は、1月14日の午後1時半から2時半に予定しています。今度の日曜日の新年礼拝は、いつもどおり、1月4日の10時半から11時半に行います。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。