ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『ユダの補欠になった人』 使徒言行録1:12〜26

聖書研究祈祷会 2022年4月20日


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案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、会堂に集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の495番「しずけき祈りの」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方はそのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆復活と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここにいる配信奉仕者と、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日には、在宅礼拝という形でしたが、みんなで共にキリストの復活を記念することができました。どうか今、それぞれのもとへ訪れるイエス様との出会いを導き、新しく生きる力を得させてください。

◆私たちの神様。感染症の拡大がいよいよ勢いを増しています。自宅療養者の数も三千人を超え、子どもたちや高齢者の生活が脅かされています。どうか今、家庭も、学校も、仕事も、交友も、極端に損なわれない形で安全が守れるように、助けてください。

◆私たちの神様。来週の日曜日には、定期教会総会が行われます。感染症対策のため、配信奉仕者と集まれない人たちの議決権行使書による書面決議を行います。どうか今、会衆一人一人の意見が蔑ろにされないよう、運営の私たちと総会の前後を導いてください。

◆愛と平和の源であるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録1:12〜26の新共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Alexander Fox | PlaNet FoxによるPixabayからの画像

メッセージ

日曜日にイースターを迎えて、最初の水曜日がやって来ました。聖書の記述によれば、イエス様は十字架にかかって3日目に復活した後、40日間人々の前に姿を現し、弟子たちに向かって、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」と言い残し、天へ昇っていかれました。

 

イエス様が待つよう言われた「約束されたもの」とは、父なる神から送られてくる聖霊のことでした。この聖霊によって力を受けて、集まった弟子たちが世界各地に教会を建てていく宣教を始めたのが、それから10日後のペンテコステでした。先ほど読んだ聖書の箇所は、そのちょっと前、弟子たちが聖霊を待っているときの出来事です。

 

弟子たちは、イエス様に言われたとおり、自分たちが泊まっていたエルサレムの家に戻って、約束された聖霊が与えられるのを待ち、イエス様の母マリアや他の女性たちと一緒に、心を合わせて熱心に祈っていました。しかし、イエス様の最も近くでお仕えしていた使徒たちは、イスカリオテのユダが抜けて、12人から11人に欠けていました。

 

ご存じのとおり、イスカリオテのユダは、イエス様を裏切って、祭司長や律法学者たちに捕えられるよう、手引きをしていた人間です。彼は、イエス様が捕まって裁判にかけられ、あれよあれよという間に十字架につけられ、殺されたあと、自分も死んでしまったようでした。使徒言行録では、彼の死に様が非常に手厳しく書かれています。

 

「このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました」……どうやら、救い主を裏切った報いを受けて、彼も事故死してしまったと言われているようです。ところが、マタイによる福音書27章では、別の死因が書かれています。

 

ユダはイエス様が有罪になったことを知って激しく後悔し、祭司長や長老たちにもらった金を返そうとします。自らが偽証罪に問われて処刑されることも覚悟して、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と告白します。しかし、「我々の知ったことではない」と返されたユダは、絶望して金を神殿に放り投げ、首を吊ってしまうんです。

 

マタイによる福音書では、このとき神殿に投げ込まれた銀貨を使って、祭司長たちが「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にしたことが書かれています。使徒言行録で、ユダが不正を働いて買ったと言われている土地も、おそらくこの墓地のことでしょう。もしかしたら、後に宣教の対象となる外国人の亡骸と一緒に、ユダも埋葬されたのかもしれません。

 

ちなみに、使徒言行録に出てくる「体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまう」とは、悪人や迫害者にふりかかる悲惨な死を描くときの文学的表現の一つでした。2つの記事で、だいぶ死に方が違いましたが、いずれにせよ、イエス様が復活する前に、ユダが死んでしまったことだけは確かなようです。

 

そこで、聖霊を待っている間、弟子たちの中心的人物であったペトロが立ち上がり、ユダが亡くなって、12人の使徒が11人に欠けてしまったから、誰か1人を選んで補充しよう……と言い始めます。詩編にも「その務めはほかの人が引き受けるがよい」と書かれているから……と言われるので、自然な流れに見えるかもしれません。

 

しかし、実際の詩編に出てくる言葉は、「その務めはほかの人が引き受けるがよい」ではなく「(彼の)地位は他人に取り上げられ(る)」という言葉で、補欠選挙を勧めているわけではありません。また、後にヤコブが殉教して欠けてしまったときも、改めて12使徒の補欠選挙が行われることはありませんでした。使徒の補欠宣教はこの一回限りです。

 

たぶん、詩編に書いてあるからという理由でも、イエス様にそう言われたからという理由でもなく、ペトロがそうしたかったから、ユダの補欠選挙が行われたんだと思います。もともと、12という数字にはイスラエルの部族全体を表すイメージもあったので、自分たちが「完全でない」「欠けたまま」聖霊を待つという状態が嫌だったのかもしれません。

 

現在、教会につらなる私たちも、自分たちが「欠けたまま」礼拝し、祈り続けることに居心地の悪さを感じます。中部教区では、専任の牧師が欠けている教会がいくつもあります。岐阜地区でも、一つの教会に一人の牧師ではなく、複数の教会を兼任してもらっているところがあります。華陽教会も、教会学校を再開しているとき、出席する子どもが欠けたまま、大人だけで礼拝している週があります。

 

自分たちが「完全じゃない」と思っている状態で、待ち続けること、祈り続けることはなかなか困難です。コロナ禍を耐え抜くには、信徒の減少を克服するには、会堂建築を乗り越えるには、牧師や役員が欠けていない、子どもたちや保護者、会衆みんなが揃っている、完全な教会であることが必須だと思われるかもしれません。

 

でも、祈って、待って、欠けたところへ何かが加えられたとき、私たちの思い描く満たされ方とは、ちょっと違うかもしれません……さて、ユダの補欠となったのは、マティアと呼ばれる、聖書の中ではここにしか名前が出てこない人物です。バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフも候補に挙がりますが、祈ってクジを引いた結果、マティアの方が選ばれました。

 

一見、ギリシャ語とラテン語とヘブライ語の名前で呼ばれている、多くの人脈をカバーしているヨセフの方が、欠けている使徒の働きにふさわしく思えます。ところが、神様に祈って選ばれたのは、ほとんど何の言及もされていない、活躍も全く描かれてない、名前だけが載っているマティアの方でした。

 

彼は、その後も何一つ行動を記されませんが、他の弟子たちと一緒に待って、ペンテコステに聖霊を受け、みんなと共に宣教へ送り出されていきます。欠けてしまった12使徒を完全にする、ポテンシャルの高い人間にも、強いリーダーシップを持った者にも見えませんが、確かに、彼が揃ったことで、新しい教会が作られていくんです。

 

教会は、最初から、どこかが欠けている集まりでした。神の業のために選ばれた12人は、裏切る者、見捨てる者、信じない者を含む人間の集まりでした。メンバーが欠け、新たに補充された12使徒も、ほとんどは名前が載っているだけで、その行動や活躍がほとんど忘れ去られるメンバーでした。

 

にもかかわらず、イエス様は、この集まりを神の国のはじまりとして、完全な教会として遣わし、2千年以上にわたって送り出してきました。私たちは繰り返し、欠けたり、壊れたり、失ったりしながらも、そのとき必要なもので揃えられ、一緒に歩む力を与えられます。

 

活躍するような力はない、不足を補うような者じゃない、本来の在り方を取り戻せないと思っていても、イエス様はかまうことなく、あなたを、私たちを、神の業で満たす者として遣わされます。共に、神様から満たされたものを受けとめて、新たに送り出されていきましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(静岡県浜松市の浜北教会)のために、戦場にいる人のために、災害に遭った人のために、病気にかかった人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆静岡県浜松市の浜北教会のために祈ります。教会につながる子どもたちへ、あなたの愛が伝わりますように。青年から年長者まで、あなたの言葉に養われ、与えられた恵みに応える生活が続けられますように。

◆戦場にいる人のために祈ります。戦禍に巻き込まれた市民や、駆り出されてしまった兵士、人命救助に駆けつけた支援者たちが、死と暴力から守られますように。これ以上、被害が重ならないように、平和的な解決につながる一歩を踏み出させてください。

◆災害に遭った人のために祈ります。地震、台風、豪雨、飢餓、噴火、津波、疫病など、自然災害に巻き込まれた人たちに、あなたの支えがありますように。事故や事件による人災によって傷ついた人たちも、あなたの癒しと回復を得られますように。

◆病気にかかった人のために祈ります。感染症や難病にかかって苦しんでいる人たちに、あなたの憐れみがありますように。必要な休息と治療を得て、痛みやしんどさが和らぎ、順調に回復が進むよう、一人一人を導いてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌2番「あなたの内なる人を」(©️柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。来週の日曜礼拝も、引き続き、配信等による在宅礼拝を行います。5月以降の礼拝と集会については、毎週水曜日に病床使用率の推移を見て役員会で検討します。

 

決定次第、教会員への連絡網とホームページ、各種SNSの公式アカウントでお知らせするので、各自ご確認ください。また、教会員の方は、総会資料と議決権行使書を郵送させていただいたので、こちらもご確認ください。

 

24日に、教会に集まった配信奉仕者と、自宅から礼拝に参加している方々の議決権行使書による書面決議で総会を開催します。報告や議案について、ご意見のある方は、教会か私の方までお問い合わせください。メールでも、電話でも、文書でも大丈夫です。

 

それぞれの心と体と魂が満たされ、守られるように祈っています。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。