ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『酔っ払っているんじゃない』 使徒言行録2:14〜24

聖書研究祈祷会 2022年5月11日


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案 内

華陽教会では、今週からマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も、配信と並行して開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の350番「来たれよ、聖霊」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆復活と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここにいる配信奉仕者と、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。母の日に、寂しさや苦しさ、複雑な思いを抱いていた人たちに、あなたの慰めがありますように。どうか今、大切な人を亡くした者や、身内に傷つけられてしまった人、関係が壊れてしまった人たちにも、あなたの癒しと祝福がありますように。

◆私たちの神様。岐阜県の病床使用率も20%未満が続くようになり、来週の日曜日から三密を避けた会衆礼拝を再開します。どうか今、久しぶりに教会へ集まる人たちの健康と安全が守られ、恵みをみんなで分かち合うことができますように。

◆私たちの神様。集会を再開してすぐ、参加できない人たちに、あなたの励ましがありますように。感染リスクの高い人や心身の衰え、様々な事情で集まれない人たちにも、あなたからの恵みと希望がもたらされますように。

◆愛と平和の源であるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録2:14〜24の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Michal JarmolukによるPixabayからの画像

メッセージ

さて、使徒言行録2章には、私たちキリスト教徒の宣教の始まり、各地へ教会が作られていく歴史の始まり、教会の誕生について記した劇的な出来事が描かれています。そう、先週とりあげさせてもらったペンテコステ……イエス様の弟子たちに、聖霊が降った日の出来事です。

 

この日の出来事は、現在まで続く教会の始まりとして、毎年、世界中の教会で祝われています。ここから始まった、ここから私たちは生まれてきた……華々しい出発です。私たちが改めて、教会のあり方を考えるとき、伝道の再出発を考えるとき、いつもこの日に立ち返ります。「あの時のように、あの日のように、もう一度ここから出発しよう」と……。

 

けれども、聖霊が降った弟子たちによって、あらゆる言語で神の業が語られるようになったとき、人々が示した反応は、感動や喜びというより、驚きや戸惑いでした。その出来事に打ち震えるよりも、怪しさを感じていました。すぐに何が起こったのか分かった者はいませんでした。「いったい、これはどういうことか」と互いに言い合っていました。

 

また、ある者たちはこう言いました。「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」……聖霊を受けて、神様から特別な力を受けて、話せないはずの言葉で語り出したわけじゃない。酔っ払って、めちゃくちゃなことを言って、そんなふうに見えるだけだ……ようするに「あんなのまやかしだ」と言われたわけです。こんなの変だ、普通じゃないと。

 

つまり、私たちキリスト教会の出発は、あざけりから始まりました。あんな奴らの言うことなんて聞いても意味がない、あの人たちに付き合っていても仕方がない……みんなに感動されて、受け入れられて、始まったのがキリスト教会ではありません。むしろ、みんなに「よく分からない」という反応をされたのが、キリスト教会のスタートです。

 

イエス様が天に昇って、残された弟子たちが初めて語り出すメッセージも、弁明から始まりました。ペトロは11人と共に立ち上がってこう言います。「知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません……」

 

すごいですよね? 教会における最初の説教、宣教、メッセージは「別に俺たちは酔ってない」という弁明から始まるんです。しかも、朝の9時から……酔っ払っている人たちでも、酒を飲むような時間じゃない朝っぱらから、こんなことを言わなきゃならなかった。にもかかわらず、ペトロに悲観的な様子はありません。

 

彼は、自分たちが酔っ払っているのではなく、神様に送られた聖霊が、この不思議な出来事を起こしているんだと説明します。イエス様が自分たちへ待つように言われていた、預言者によって語られていた、神様の約束していた聖霊が、今ここに降ったから、私たちは語り始めたと言うんです。

 

けれども、彼がこのとき語った言葉は、かえって人々を戸惑わせたことでしょう。なぜなら、もう既にいなくなった人、自分たちの目には見えない人が、神から遣わされた救い主だと言うからです。この前殺された、処刑された、ナザレのイエスは、神様によって死の苦しみから解放され、復活させられたと。もう姿を消したけど。

 

証拠がありません。だって、もういないから……「私たちは酔っ払っているんじゃない」と言いながら、次の瞬間、酔っ払って出てきた言葉としか思えないような、突拍子もないことを語り始める。もう少し、みんなが納得してくれそうな、理解を示してくれそうな、説明の仕方はないものか?……と思わされつつ、ペトロはまっすぐ語ります。

 

あなたたちが十字架につけて殺してしまったあの方が、神の子であり、この世に遣わされた救い主です。私たちはその人を死へ引き渡してしまったんです。でも、イエス様は死に支配されたままの方ではありません。復活して、あそこで見捨てた私のもとへ、あそこで偽ってしまった私のもとへ、あそこで信じなかった私のもとへ、会いにきたんです。

 

だから、あなたにも言います。イエス様を十字架に、死に引き渡してしまったあなたにも言います。この方は、あなたのことも、死に支配されたまま、死んでいくままにしておかれません。見捨ててしまった、偽ってしまった、信じられなかった、あなたのことを、そのまま放っておきません。

 

神様は、戸惑い、驚き、怪しみ、あざける人々を、そのままにしておけません。自分の言葉が分からない者、受け入れられない者たちを、そのままにしておけません。今ここでしゃべっている私自身も、ペトロ自身も、イエス様の言葉に戸惑い、驚き、つまずいてきました。でも、受け入れるまで、今日この日まで、イエス様が付き合ってくださいました。

 

一度のメッセージで3000人ほどが仲間に加わったと言われるペトロの最初の説教は、今から見ても、そんなに誰もが納得できる、誰もが受け入れられる言葉ではないと思います。その辺の路上で誰かがこう語り始めたら、私も酔っ払っていると思うでしょう。まともな弁明に、説明に、なっていないと思うでしょう。

 

でも、繰り返し読んでいて思うんです。こんなに無防備なまま、こんなに不器用なまま、真っ直ぐ語らされて、仲間を作っていったペトロには、やっぱりイエス様が付き合ってくれていた、聖霊が一緒にいてくれたんだと。パッと見、受け入れられない言葉を、戸惑いしかない言葉を、受け入れられるように、人々の間にも聖霊が働いていたんだなと。

 

コロナ禍に振り回される私たちも、そんなに誰もが納得できる形で、信仰を伝えられてはいないと思います。信じて何になるの? 聖書を読んでどうするの? あなたたちだって、今まで教会に集まらないで、家に閉じこもっていたじゃない? 感染症に対して、どうすることもできなかったじゃない?

 

イエス様が、神様が、と語り出してどうするの? 聖書の話をして何になるの? めちゃくちゃなことを言い出す酔っ払いと何が違うの? 色んな言葉とぶつかるでしょう。戸惑いに、驚きに、あざけりに晒されるでしょう。どうしたらいいのか分からなくなります。でも、既にペトロが答えています。無防備に、不器用に、語り続ける自分の姿で。

 

上手く説明できなくても、説得力を持てなくても、自分が受けたこと、信じたことを、私たちは伝えます。祈りによって、賛美によって、言葉によって、生き方によって、私たちは戸惑われたり、理解されなかったり、笑われたりしながら、心に語りかけていきます。そのうち、私たちは出会っていきます。

 

自分と同じように、つまずいていたけど、受け入れられなかったけど、イエス様の仲間に加わる人と……なぜか、ある日、受け入れる人と……もし、信仰生活を新しくスタートしようとして、新しいつまずきに出会ったら、新しい葛藤が出てきたら、あなたにも聖霊が訪れています。あなたにもイエス様は出会っています。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(横浜市金沢区の金沢八景教会)のために、治療中の人のために、療養中の人のために、障害のある人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆横浜市金沢区の金沢八景教会のために祈ります。創立65周年を迎えたこの教会に、あなたの祝福がありますように。コロナ禍の中でも、あなたの愛と平和をみんなで伝え広げていけますように。

◆治療中の人のために祈ります。様々な病気や怪我を治すために、手術や投薬をしている人たちに、あなたの励ましがありますように。順調に治療が進み、しんどさや痛みが和らいで、回復へと導かれますように。

◆療養中の人のために祈ります。自宅や施設で休養し、心や体を癒している人に、あなたの慰めがありますように。十分な休息と平安がもたらされ、あなたの癒しと力を受けられますように。

◆障害のある人のために祈ります。精神障害や身体障害、発達障害に悩んでいる人たちにあなたの慈しみがありますように。本人と周りに適切な理解と助けがもたらされ、生きにくさが改善し、喜びがもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌3番「閉じこもるわたしたちに」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。岐阜県の病床使用率が20%を切ったため、来週の日曜日から、「三密を避けた会衆礼拝」を再開します。

 

教会学校こども礼拝やキリスト教ABC講座も同様に、感染症対策をした上で、教会に集まって行います。引き続き、配信を通して参加することも可能です。顔と顔を合わせるのを楽しみにしています。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。