ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『持っているもの?』 使徒言行録3:1〜10

聖書研究祈祷会 2022年6月1日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、3回目のワクチン接種を受けた人たちで、聖書研究祈祷会に集まっています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の458番「信仰こそ旅路を」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆復活と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先日は、芽含幼稚園の理事会を最初から最後まで導いてくださり、感謝致します。長い間、幼稚園のために心を砕いて働いてくださった理事長に、あなたの祝福がありますように。新たに選出された理事の方に、あなたのお支えがありますように。

◆私たちの神様。岐阜地区の総会も、最初から最後まで導いてくださり、感謝致します。昨年度、転任された2人の教師に、これからもあなたの導きがありますように。再び就任された教師と、三役に選出された方に、あなたのお支えがありますように。

◆私たちの神様。来週は、聖霊を送られた弟子たちによって、教会が始まったことを記念するペンテコステを迎えます。未だ、新型コロナの収束には至っていませんが、どうか、みんなで心を一つにして、新しい風を受けて、出発することができますように。

◆愛と平和の源であるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録3:1〜10の新共同訳、聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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ZlaťákyによるPixabayからの画像

メッセージ

イエス様が天へ昇って姿を消し、弟子たちが聖霊を受けた後、最初に記された具体的な奇跡が、先ほど読んだ「足の不自由な男をいやす」という話でした。4章22節によると、癒やされた男は40歳を過ぎていたそうなので、人生のうちで、かなり長い期間、歩けなかったことが分かります。

 

生まれてからずっと40年間、誰にも癒してもらえなかった……誰にも治すことができなかった……そう聞くと、何だか非常に可哀想な男に感じられるかもしれません。ですが一方で、彼には助けてくれる身内か友人がいたようです。午後3時、みんなが「夕べの祈り」をささげるため、神殿へやって来るタイミングで、誰かが彼を運んできます。

 

歩くことができず、働けないため、施しが必要な男のために、毎日「美しい門」という神殿の門の前まで、誰かが運んでくれていた、誰かが連れ帰ってくれた……週に一回、二回の話ではありません。毎日です。毎日、彼のために、神殿の門の前まで往復してくれる人がいた。一人なのか、数人で交互に運んだのかは分かりませんが、すごいですよね。

 

古代イスラエル社会において、目や足の不自由な人たちが、どんなふうに扱われたかを見ていると、この事実は軽く無視することができません。なぜなら、体に障害のある人は神殿の中へ入ること、聖所に近づくことさえ許されず、他の人々のように献げ物をささげたり、建物の中で祈ったりすることができなかったからです。

 

目や足が不自由なのは、本人か、本人の両親が、神に対して罪を犯したからではないか? 治らないのは、自由にならないのは、信仰が足りないからではないか? そんな状態で、神様に献げ物をするのはふさわしくない、神様にささげられるものなんて、持ちようがない……そう思われてしまうことが多かったのかもしれません。

 

ところが、この男に対して人々が向けた眼差しは、そう単純ではないようです。毎日、神殿の門の前まで運ばれた。それも「美しい門」と呼ばれる門の前に、わざわざ連れて来られていた。彼が、聖所に近づくべきではない、境内の入り口にいるべきではない、汚れた者、罪人だと、声高に主張する者はいなかった。むしろ、祈りに来た人は、彼がそこにいることに協力していた。

 

思い返すと、イエス様が目の見えない人や足の不自由な人を癒した話には、一人で動けない人間を、山の上や湖のそばまで、必死に運んでくる大勢の人の存在がありました。病人や障害のある人を、苦労して連れてきた人たちがいまました。反対に、イエス様のもとまで運んでくれる人のいない者には、イエス様自ら、周りの人へ呼びかけました。

 

「あの人を連れてきなさい」「私に触れた人を連れてきなさい」……そうして2人、または3人が集まったところで、イエス様は神様の業を現しました。欠けた者、足りない者と思われている人を真ん中にして、神の子が現れます。「何をしてほしいのか」と聞き、神への祈りをささげさせ、その人の献げ物が、受け取られたしるしを見せられます。

 

聖霊を受けたペトロとヨハネも、自分たちに施しを乞うた足の不自由な男に対し、言いました。「わたしたちを見なさい」……いったい何を見せたかったんでしょう? 2人とも正直に言うとおり、金や銀は持っていません。神殿の境内へやってきたのに、神様へささげられる動物の犠牲や献金も持っていません。

 

男に施すものも、神殿でささげられるものも、何も持ってないのに、何かを見せようとします。それはまさに、自分たちを通して現れる、イエス様の姿を見せようとしていたんだと思います。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」

 

「イエス・キリストの名」というのは、イエス様自身が、そこに現れていること、一緒にいることを示す言葉です。見なさい、あなたのもとへイエス様がやってきた。私には金や銀はないが、イエス様が一緒にいる。あなたのために自らをささげた、イエス様が一緒にいる。見なさい、この方があなたを立ち上がらせる。この方があなたに現れる。

 

男は、ペトロに右手を取られて立ち上がると、たちまち足やくるぶしがしっかりして、跳んだり、踊ったり、歩いたりすることができるようになりました。男もまた、神を賛美し始めました。金も銀も、神殿でささげられる動物の犠牲も持っていませんでしたが、境内の中へ入り、踊りながら神への賛美をささげます。

 

自分のもとへ神様が現れた! 神の子が自分に現れた! 運んでもらわないと何もできない私のもとへ、イエス様が現れた! 私の祈りを、私の賛美を、私自身を、献げ物として受け取ってくださる方が現れた! 見てくれ、ここにキリストがいる。弟子たちを通して、私を通して、ここにイエス様が現れている!

 

礼拝を再開してからも、自由に教会へ来られない人たちがいます。一人で家から出られない、誰かに送ってもらわないと、誰かに捕まらせてもらわないと、誰かに押してもらわないと、教会の中に入れない人たちが存在します。いつか、私もその一人になります。あなた自身も、あなたの子どもや友人も、いつか、その一人になります。

 

教会に行っても迷惑になるから、教会に行ってもできることがないから、みんなに来てもらっても、私には何もないから……そう思って、一人で、自分だけで、祈りをささげようとする人が、たくさん出てくると思います。私も、いずれそうなってしまうかもしれません。でも、そのときはどうか、私を教会へ運んでください。私のもとへ来てください。

 

そこに、イエス様がいるからです。不思議なことに、金も、銀も、献げ物になりそうなものを、何一つ持っていない私自身を、イエス様は献げ物として受け取って、現れてくださるからです。私があなたに会いにいくのは、あなたという存在を献げ物として受け取ったイエス様が、そこにいるからです。私たちがあなたを教会へ運ぶのは、既にイエス様があなたを背負っているからです。

 

だから、私たちの右手をとってください。私がいつか、自分を連れていく、運ぼうとする人の右手を取るように、その日に、あなたのことを思い出すように、私たちの手をとってください。共に、ここを教会にしてください。ここをイエス様の体に、神の国にしてください。あなたがキリストの体なんです。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(神奈川県横浜市の川和教会)のために、岐阜地区のために、学校関係者のために、病院にいる人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆神奈川県横浜市の川和教会のために祈ります。一人一人が大切にされる、隔てのない教会を目指す人たちに、あなたのお支えがありますように。平和と希望を世に証しする教会として、ますます豊かに用いられますように。

◆岐阜地区のために祈ります。日本基督教団、在日大韓基督教会、フィリピン合同教会の信徒と教師一人一人の交流が豊かにされ、支え合い、あなたの道を一緒に作っていくことができますように。特に今年、顔の見えなかった人たちとの再会が導かれますように。

◆学校関係者のために祈ります。岐阜地区の小学校、中学校、高校、大学、専門学校、フリースクールの生徒と教師、職員に、あなたの慈しみがありますように。進路や環境、人間関係で悩む一人一人に、必要な助けとつながりがもたらされますように。

◆病院にいる人のために祈ります。病気や怪我、障害や衰えのため、療養やリハビリをしている人たちに、あなたの励ましがありますように。治療にあたる医療従事者やケアをしている身内や友人も、あなたの恵みがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌26番「あなたが共にいること」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった3名、同時に視聴された2名、計5名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

華陽教会では感染症対策をした上で、聖書研究、日曜礼拝、キリスト教ABC講座に、3回目のワクチン接種を終えた人たちで集まっています。引き続き、配信を通して参加することも可能です。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。