ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『どうしたらいいだろう?』 使徒言行録4:15〜22

聖書研究祈祷会 2022年6月29日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会に集まっています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の141番「主よ、わが助けよ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。日曜日には、礼拝、理事会に続いて、2年ぶりに教会のワックスがけを行うことができました。どうか今、見えないところで掃除や手入れをしてくださっている人たちにも、あなたの祝福と恵みが豊かにもたらされますように。

◆私たちの神様。熱中症にかかった人や、心身の治療を続けている人たちに、あなたの癒しがありますように。特に、みんなと顔を合わせたくても、なかなか出てくることのできない人に、あなたの励ましがありますように。

◆私たちの神様。今月もたくさんの人の悩みをあなたが受けとめてくださったことを感謝致します。どうか今、一人で負いきれない痛みを抱える人たちに、あなたから隣人が与えられますように。また、一緒に痛みを受ける人たちにも、あなたの癒しがありますように。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録4:15〜22の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

イエス様の弟子であるペトロとヨハネが、40歳まで足の不自由だった男を癒し、その奇跡を目の当たりにした人々は、この出来事について、神を賛美し始めます。一方では、手放しで喜んでいるエルサレムの住民が、もう一方では、イエスの名が民衆の間に広まることを恐れている人たちがいます。

 

恐れているのは、民に対して、政治的にも宗教的にも、非常に責任のある人たちです。議員、長老、律法学者、大祭司一族に神殿守衛長……彼らも、昨日まで歩くことのできなかったあの人が、ペトロとヨハネに起こされて、踊りながら神を賛美しているのを見て、これが、神による奇跡であることを否定できません。

 

問題は、それが神によって起こされた奇跡であると同時に、イエス・キリストの名によって起こされた奇跡だということです。自分たちのいる神殿で、神による癒しの業が行われた。それ自体は、長老にとっても、祭司にとっても、派閥の違う律法学者にとっても、等しく喜べる出来事です。人々の信仰が支えられ、より強くされる出来事です。

 

しかし、今回の奇跡を起こしたのは、祭司でも律法学者でもなく、民の議員や長老でもなく、ユダヤ人の中で異端視されていた、イエス・キリストの弟子たちです。自分たちが「神の子」「救い主」だと認めてこなかった人の名です。つい先日、群衆を扇動して、裁判にかけ、十字架につけ、処刑してしまった相手です。

 

その人が復活し、弟子たちに聖霊を送り、足の不自由な男を癒された。神様によって、甦らされた方の名で、癒しの業が行われた……これはもう一大事です。自分たちが否定してきた、攻撃してきた存在が、自分たちの職場で、生活圏で、自由に力を奮っている。民衆を味方につけている。自分たちに間違いを突きつけている。

 

いやいや、そんなはずが……と疑おうにも、何か仕掛けやトリックがあるとは思えません。なにせ、自分たちもよく知っている、毎日のように見てきた男、何なら、癒されてほしいと思っていた、施しをしたこともある、隣人に起きた出来事です。イエスの名さえ出てこなければ、自分たちも一緒に喜んで、神様を賛美していた出来事です。

 

「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない」……この後、どうしたらいいだろう? 自分たちが逮捕させた、処刑させた、ナザレのイエスが、神の子だったと認めるのか? 復活して、弟子たちに聖霊を送ったと受け入れるのか?

 

いいや、私は認めない。私は決して信じない。直接その姿を見るまでは、この手で触れてみるまでは、周りが、民衆が、その名をどんなにたたようと、私は決して信じない……とはいえ、結局のところ、議員や長老や祭司たちは、何もできずに留まります。イエスの名が広まって、神を賛美する群れの中、じっとしていることしかできません。

 

その様子は、ちょうど、復活したキリストに、自分だけ直接出会えなかった、トマスの姿を思い出させます。みんなが神を賛美している。みんながイエス様の復活を喜んでいる。そんな中、自分一人だけ喜べない。自分一人だけ認められない……イエス様を見捨てて逃げた、裏切った自分が、一人だけ許されてないような、そんな空間で待っている。

 

しかしその後、彼のもとに、甦ったイエス様が訪れるのを私たちは知っています。他の弟子たちが、他の民衆が、イエスの名を口にして、神を賛美している中、自分一人苦しんでいるところへ、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい」「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と呼びかけて、イエス様が現れてくださることを。

 

人々が集まる神殿で、みんなが賛美しているとき、どうしたらいいか分からなかった、頭の硬い人々は、弟子たちが集まる家の中で、復活を信じられなかった、いつかの頑固なトマスのように、変えられる日がやって来ます。自分を見捨てた者のところへ、再び訪れるイエス様は、自分を攻撃し、十字架につけた者のところへ、再び訪れにやって来ます。

 

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」……既に、彼らの心には、変化の灯火が立っています。否定できない神の御業に照らされています。神を賛美する多くの人に囲まれています。イエス様はここにもやって来ました。この人たちにも訪れました。弟子たちを脅し、揺さぶり、恐れる人たちのところにも、この方は和解と平和を持って来ます。

 

もし、あなたが祈りをささげる横で、祈ることのない人がいたら……もし、あなたが聖書を開いているとき、その言葉を受け入れない人がいたら……あなたの家の真ん中には、イエス様が訪れています。イエスの名を呼べない者へ、この方は出会いにやって来ます。あなたの家は、弟子たちが遣わされた神殿に、会堂に、イエス様が訪れた教会になります。

 

そこは見捨てられた家ではなく、祈りの家です。そこにいるのは裁かれる者ではなく、救われる者です。「どうしたらいいだろう?」……自分の家で、隣人の家で、そんな呟きが漏れるとき、神を賛美する声に、耳を傾けましょう。その声は、あなたの内からも、あなたの外からも聞こえてきます。既にそこは、イエス様が訪れた場所だからです。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(神奈川県藤沢市の藤沢ベテル教会)のために、戦争の被害者のために、災害の被害者のために、カルトの被害者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆神奈川県藤沢市の藤沢ベテル教会のために祈ります。「捨てられた主」と共にある「捨てられた者」のための教会に、あなたの慈しみがありますように。慰めと励ましが一人一人にもたらされ、あなたの希望をみんなで分かち合えますように。

◆戦争の被害者のために祈ります。ミャンマー、シリア、アフガニスタン、ウクライナなど、世界各国で起こっている争いから、人々が守られますように。特に、小さい子どもや家族とバラバラになってしまった人が、速やかに回復されますように。

◆災害の被害者のために祈ります。地震、台風、津波、噴火、干魃、豪雨、土砂崩れなど自然の猛威を受けて苦しんでいる人たちに、あなたの憐れみがありますように。復旧、復興に向かって取り組んでいる人たちが支えられますように。

◆カルト被害者のために祈ります。中高生や大学生から、母親、父親、高齢者の世代まで生活を破壊されている人たちに、あなたの癒しがありますように。精神的経済的支配から解放され、少しでも早い回復が導かれますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌2番「あなたの内なる人を」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった4名、同時に視聴された3名、計7名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は、飛沫防止用のパーテーションをつけた2階集会室で、自由に質問や感想が言える第二部「分かち合い」のときを持とうと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。