ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『責任を負わせようとする』 使徒言行録5:27〜32

聖書研究祈祷会 2022年8月24日


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案 内

華陽教会では、感染症拡大を防ぐため、初めて参加する方のみ、お問合せいただき、10〜15名以内になるよう人数を調整して、少人数で配信と並行した聖書研究祈祷会を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の306番「あなたもそこにいたのか」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先週一週間、牧師の夏期休暇中も教会員一人一人を守り、礼拝を導き、新来者を招いてくださり、感謝致します。どうか今、ご奉仕してくださった方々や、新しく出会えた人たちに、あなたの祝福がありますように。

◆私たちの神様。岐阜県の新型コロナウイルス感染症の新規感染者数は、過去最多の5千人を超え、亡くなった人の発表も25日連続となり、今なお60%近くの病床使用率が続いています。どうか今、一刻も早い収束が訪れるように、私たちを導いてください。

◆私たちの神様。経済的に困窮している人たち、生活が苦しくなっている人たちに、あなたの助けがありますように。どうか今、それぞれに必要な仲間と支援につながれますように。特に、孤立している人たちを救ってください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録5:27〜32の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

メッセージ

キリスト教はすぐ「あなたは罪人だ」と言ってくるから好きになれない……そんな言葉をよく聞きます。実際、キリスト教会では、一人一人に対して、神の赦しを宣言しつつ、罪を悔い改めるよう促します。「私は犯罪を犯したり、悪人と言われるような生き方はしていない」という人にも「あなたも罪人の一人です」と教えます。

 

そして、神の前では「潔白」とは言えない生き方をしてきたこと、自分も罪人であるという自覚を持つことを求めます。神様を忘れて離れてしまったら、すぐ自己保身へ走って嘘をついたり、困っている人を無視したり、仲間と争ってしまうことを思い出させ、悔い改めて、新しく生きるように命じます。

 

その過程で、洗礼を勧められることもあります。悔い改めて、罪を赦していただきなさい。そして、洗礼を受けなさい……と、キリスト教の信者になることを求められます。「あなたは悪いことをしたでしょう?」「責任を取らなきゃいけないでしょう?」「そのまま洗礼を受けなくていいの?」と、迫られる気分になってきます。

 

ちょうど、神殿の境内で、民衆に教えていたイエス様の弟子たちも、自らの罪を悔い改めて、洗礼を受けるように、人々へ語りかけていました。「あなたたちは神に背いて生きてきた」「神から心が離れてしまった」「その罪を赦すため、遣わされた救い主も、十字架につけて殺してしまった」「あなたも罪人の一人である」

 

それを耳にした大祭司は、弟子たちに向かって非難します。「お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている」……我々が悪人だと言うのか? 我々の罪を訴えるのか? 我々が過ちを犯したと指摘して、自分たちの正しさを主張するのか? そうやって、自分たちを悪者にするなと訴えます。

 

確かに、弟子たちの言葉は手厳しく、容赦なく響きます。「わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました」……あなたたちが訴えて、鞭打って、十字架につけたイエス様こそ、神の子である救い主で、三日目に復活させられた方です。今なお、悔い改めないまま、信じないままでいいんですか?

 

罪を犯した責任がある、信じなかった責任がある、そのことを自覚して、悔い改めるべきではないか?……このように言われたら、大祭司たちも怒ります。対立は免れないでしょう。このシーンは、弟子たちが彼らを悪者と責めているところに思えます。しかし、そう単純に言い切ることもできません。

 

なぜなら、弟子たちの語った言葉は、彼ら自身の責任の追求も免れなくなるものだったからです。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」……そう言った弟子たちは、「わたしについてきなさい」というイエス様の命令に従えず、イエス様が捕まったとき、一目散に逃げ出した者たちでした。

 

「わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました」……そう言った弟子たちは、イエス様が木につけられたとき、そばにいたわけでも、近くで見ていたわけでもありませんでした。「わたしたちはこのことの証人です」と言いながら、イエス様の死に目にあえませんでした。

 

「お前たちも、最後までイエスに従えていなかったじゃないか?」「イエスを裏切った人間は、お前たちの中から出たじゃないか?」「我々を悪く言うお前たちも、イエスを裏切って、イエスを見捨てて、イエスから離れた罪人じゃないか?」「神の子と信じていなかった者じゃないか?」「お前たちの言う正しい生き方なんて、できていなかったじゃないか?」

 

そうなんです。弟子たちが人々に語る言葉は、全部自分に刺さってきました。彼らが、イエス様を見捨てて逃げてしまったことを、復活したイエス様に直接謝るシーンは、福音書のどこにも出てきません。「悔い改めて、罪をゆるしていただきなさい」というとき、彼らも、本当に悔い改めたのか、罪を告白したのか問われます。

 

否応なしに、人々の前で語らなければなりません。「そうです、私も罪人なんです」「正しく生きてこられなかった者なんです」「あなたと同じ、キリストを十字架につけた人間なんです」「あなたと同じ、神に背いた者なんです」……でも、そんな私にイエス様は言うんです。

 

わたしに従いなさいと……わたしの証人になりなさいと……わたしの弟子として、神の子として生きなさいと……自分が赦されたように、みんなが赦されるように、わたしの言葉を伝えなさいと……今日、わたしが来たのは、あなたたちを裁くためではなく、悪者だと言うためではなく、あなたたちが赦され、救われ、正しい者として受け入れられるために、キリストに出会ってもらうためです。

 

だから、弟子たちは神殿の境内から離れた場所で、エルサレムの人々や大祭司たちの過ちを人々に言って回ろうとはしませんでした。彼らのど真ん中へ出て行って、自分たちと同じ「信じない者」から「信じる者」へなるようにと呼びかけました。悪人だ、間違った者だと言い広めるためではなく、共に信じて救われるために語りました。

 

キリスト者が、人々に「悔い改め」と「罪の赦し」を語るとき、単に「あなたも罪人だ」「あなたも悪いことをした」と訴えることが、正しいわけではありません。むしろ、自分がどんな人間で、イエス様とどんな出会い方をして、新しい生き方をもたらされているのか、問いから逃げず、証ししていくことなんです。

 

誰かに罪の自覚を強制させるのが伝道ではなく、あなたがどう生かされ、どう変えられてきたかを、示していくことが伝道なんです。そのことをもう一度振り返りながらこれからの教会の歩みについて、みんなで模索していけたらと思います。主の平和があなたがた一人一人にありますように。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(東京都三鷹市の三鷹教会)のために、傷ついた人の回復のために、差別の解消のために、平和の実現のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆東京都三鷹市の三鷹教会のために祈ります。いつの時代も、あなたの意志を問いながら隣人と共に歩み続ける教会となれますように。また、未来の世代に開かれた教会でありますように。

◆傷ついた人の回復のために祈ります。戦争や迫害や弾圧によって、苦しんでいる人たちに、あなたの慈しみがありますように。理不尽な支配や暴力から解放され、自由と平和がもたらされますように。

◆差別の解消のために祈ります。多くの偏見や誤った認識から、私たちが解放されますように。悪や犯罪に紐づけられた人たちが、切り取られた属性ではなく、自分自身を見てもらえますように。

◆平和の実現のために祈ります。恐怖や不安から、臆病になっている私たちへ、あなたから勇気がもたらされますように。いたずらに怒りや分断を煽るのでなく、誠実に意見や感情を伝えることができますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌21番「心騒ぎ不安になる夜に」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。来週の聖書研究祈祷会も、初めて参加する方のみ、お問合せいただき、10〜15名以内になるよう人数を調整して、配信と並行した聖書研究祈祷会を行います。

 

日曜礼拝も、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名の計10〜15名で集まる『調整型小規模礼拝』を行っています。教会員の方は、礼拝出席希望表や牧師とのメール、電話で、出席する日を調整していきます。

 

新来者の方も、毎週一家族分、出席できるように枠を用意しています。始めて教会に来る方は、日曜日は問い合わせなしで参加できるので、ぜひお越しください。一回目の参加以降は、他の教会員と同様、ご希望を聞きながら、出席する日を調整させていただきます。

 

また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。