ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『神に逆らう者となる?』 使徒言行録5:33〜42

聖書研究祈祷会 2022年8月31日


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案 内

華陽教会では、感染症拡大を防ぐため、初めて参加する方のみ、お問合せいただき、10〜15名以内になるよう人数を調整して、少人数で配信と並行した聖書研究祈祷会を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の444番「気づかせてください」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。豪雨や台風や洪水のために、深刻な被害を被った人たちへ、あなたの憐れみがありますように。どうか今、あなたからの励ましと慰めを受け、必要な支えと回復を得られるように、一人一人を導いてください。

◆私たちの神様。病気や怪我や障害のために、困難が生じている人たちへ、あなたの慈しみがありますように。どうか今、適切なケアと治療がもたらされ、生きにくさが緩和されますように、一人一人を助けてください。

◆私たちの神様。虐待や差別や暴力のために、深く傷ついている人たちへ、あなたの癒しがありますように。どうか今、安心できる居場所と支え合う仲間がもたらされ、苦しみから解放されますように、一人一人を動かしてください。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録5:33〜42の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Niek VerlaanによるPixabayからの画像

メッセージ

「もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ」……神様を信じる人にとって、なかなかドキッとする言葉が出てきました。場面は、神の子イエス・キリストの弟子たちが、ユダヤ教の大祭司とサドカイ派、ファリサイ派の人々から怒りを買って、まさに今、殺されかけているところです。

 

なんでそんな怒りを買ったかと言えば、ペトロをはじめとする弟子たちが、彼らにこう言ったからでした。「わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました」「神は……この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました」

 

ようするに、「あなたたちが群衆を扇動して、死刑にさせたイエス様こそ、あなたたちが待ち望んでいた救い主であり、神の子だ」「あなたたちはその方を信じないで拒んでしまった」「あなたたちは間違いを犯した」「あなたたちは罪を犯してしまったんだ」と、神に仕える聖職者が、教師たちが、公衆の面前で諭されてしまったところです。

 

大祭司や長老たちは、自分たちこそ、正統な信仰を持つ、神に忠実な人間だと思っていました。旧約聖書の掟を守り、間違いを犯さないように生きていると思っていました。民衆にも、ちゃんと正しい教えを語っていると思っていました。そんな中、自分たちに従わない、自分たちを批判する者たちが、民衆の支持を集めています。

 

おそらく、非常に危機感を覚えたでしょう。このままでは、他の民衆も彼らについて、私たちの言うことを聞かなくなってしまう。間違った教えが広まって、イスラエルの伝統を破壊してしまう。イエスを十字架につけろと扇動した自分たちが非難され、責任を問われてしまう。あれは正しかったはずだ、間違っているのはあっちのはずだ。

 

焦った人々は、使徒たちを殺そうと考えました。ところが、そこでファリサイ派に属するガマリエルという人物が、議場に立って訴えます。「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい」「あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない」

 

そう言って、テウダの事件やユダの反乱について思い出させます。テウダは預言者と称して、「自分が命じれば、モーセのようにヨルダン川が2つに分かれて、簡単に通ることができる」と訴え、群衆を扇動した人物です。結果的に、彼に扇動された群衆の多くは、シリア総督の派遣した騎兵隊に殺されて、テウダ自身も処刑されてしまいました。

 

また、ガリラヤのユダも、民衆を率いて反乱を起こしましたが、彼自身も、彼が率いた人々も皆、捕まったり、処刑されてしまいました。いずれの出来事も、神から出た計画だと思い込んで、人間の計画を実行した結果、自滅してしまった話です。今回も、神から出た計画でないなら、弟子たちは自滅するだろうということになります。

 

しかし、だからと言って、普通は「あの者たちから手を引きなさい」とか「ほおっておくがよい」とか、思い切ったことは言えないはずです。テウダの事件では、400名近くの者が反乱に加わって一緒に殺され、ユダの事件でも、相応の被害者が出たはずです。自滅するからほっておこうと、簡単に言える数ではありませんでした。

 

ガマリエル自身も、キリストの弟子たちが、いずれ自滅する程度のグループだと、鷹を括っていたわけでも、楽観視していたわけでもないでしょう。一度に3千人近い群衆が、仲間に加わっていく彼らについて、わざわざ400名近くの人が犠牲になった例を出すんですから、緊張感ある言葉です。決して、弟子たちを侮っていたわけではありません。

 

加えて、ガマリエルが使徒たちに共感し、加勢したのかと言えば、そうとも言いにくいでしょう。彼は、ファリサイ派に属する律法の教師と書かれています。後に、使徒言行録22章3節で、キリスト教を迫害する者から宣教する者になったパウロの師であったことが明らかになります。

 

そこでは、ガマリエルが、先祖の律法について厳しく教える先生で、多くのファリサイ派と同様、旧約聖書の掟を守ることに強いこだわりがあったと分かります。イエス様の弟子たちが、日曜日に仕事とみなされる行為をしたり、罪人と呼ばれる人たちと付き合うことにも、強い抵抗を感じたでしょう。

 

それなのに、先ほどの事件を例に出しつつ、ガマリエルは言うんです。「あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい」「あの者たちから手を引きなさい」……ガマリエルほど、神様に従うこと、旧約聖書の掟を守ることにこだわった人物が、自分たちの価値観と、相反する行動を取った弟子たちに、なぜ、そのような態度を見せたんでしょう?

 

確かに、使徒たちの行動が、人間から出たものなら自滅し、神から出たものであれば自滅しないとしても、自分たちの価値観に揺さぶりをかける弟子たちを、すぐ叩き潰さなかったのはなぜでしょう? その理由は、次の一言に凝縮されています。「もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ」

 

実は、先ほど例に挙げた2つの事件は、単に、敵対する使徒たちが自滅する可能性を示唆しているだけではないんです。むしろ、諸君、イスラエルの人たち、私たち自身も、神から出た計画だと思い込んで、行動したことにより、自滅を招くかもしれないことを語っているんです。

 

ガマリエルは律法の教師です。大衆の側に立って、どのように生活するべきかを教える敬虔な信徒です。正しさを追求し、誠実な生き方を求め、民衆全体から尊敬されている人物です。しかし、そんな彼自身、自分が神の計画だと思っていることが、違うかもしれないことを恐れています。私たちは間違っているかもしれないと告白します。

 

私たちが腹立たしく思っている使徒たちが間違っているかもしれない。反対に、そんな私たちの方こそ間違っているかもしれない。どちらの考えていることが、神の計画なのか究極のところ、私たちには分からない。だから、怒りに任せて、あの者たちを叩き潰すのではなく、今一度、自分たち自身も問い直しながら、神様に尋ね求めよう。

 

ファリサイ派で、律法の教師で、キリスト者を迫害していた、パウロの教育係だったガマリエルから、そんな言葉が出てきたことは、正直とても意外です。イエス様と対立するシーンが数多く描かれるファリサイ派の人間から、私たちの方が学ばされ、問い直されるシーンでもあります。

 

実は、神の計画だと思っているものが、神様の意志だと思っているものが、自分の思いに、人間の思いに過ぎないかもしれないこと……自分が正しいと思い込んでいるものを、神の正しさにすり替えているかもしれないこと……本当は正しい人を叩き潰そうとしているのかもしれないこと……そのことを、聖書は私たちに問うています。

 

神の計画を伝える教会も、このような謙虚な思いを捨て去れば、自滅する道をたどるでしょう。ともすれば、私たちの信仰的なアイデンティティも、揺さぶられかねない「正しさ」への疑問と恐れ……この2つを、誠実に持ち続けたいと思います。どうか今、自らを問い直す勇気と力が、私たちみんなへ注がれますように。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(東京都清瀬市の清瀬旭ヶ丘教会)のために、新来者のために、神学生のために、教会員のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆東京都清瀬市の清瀬旭ヶ丘教会のために祈ります。教会の子ども食堂と幼稚園の働きから、神様と出会い、あなたの愛を知る人が起こされますように。魂への配慮が行き届いた伝道と牧会ができますように。

◆新来者のために祈ります。初めて聖書研究祈祷会や日曜礼拝に参加した方々へ、あなたの祝福が豊かにありますように。これからも、あなたとつながって、聖書の言葉に触れて新しく生きていく力が豊かに得られますように。

◆神学生のために祈ります。夏期派遣実習として、金曜日から華陽教会へ招かれる大仁田空神学生に、あなたの導きとお支えがありますように。小牧教会、華陽教会、名古屋中央教会で、それぞれ学びと成長がもたらされますように。

◆教会員のために祈ります。9月も引き続き、少人数で少しずつ順番に集まる人たちへ、あなたの励ましがありますように。なかなか教会へ来ることが困難な人、体調が整わない人に、あなたの癒しと回復が与えられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌9番「たくさん悩んできたけれど」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。来週の聖書研究祈祷会も、初めて参加する方のみ、お問合せいただき、10〜15名以内になるよう人数を調整して、配信と並行した聖書研究祈祷会を行います。

 

日曜礼拝も、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名の計10〜15名で集まる『調整型小規模礼拝』を行っています。教会員の方は、礼拝出席希望表や牧師とのメール、電話で、出席する日を調整していきます。

 

新来者の方も、毎週一家族分、出席できるように枠を用意しています。始めて教会に来る方は、日曜日は問い合わせなしで参加できるので、ぜひお越しください。一回目の参加以降は、他の教会員と同様、ご希望を聞きながら、出席する日を調整させていただきます。

 

来週の日曜日の礼拝と水曜日の聖書研究祈祷会は、関西学院大学神学部から夏期派遣実習に来ている、大仁田空神学生にメッセージをしていただく予定です。また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。