日曜礼拝 2022年4月24日
案 内
華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださるとわたしたちは知っています。(コリントの信徒への手紙二4:14)
讃美歌
マスクをしたままで、旧讃美歌526番「主よ、わが主よ、あいの主よ」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆復活と希望の主である私たちの神様。今日もまた、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここにいる配信奉仕者と、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。先週は、キリストの復活を記念するイースターをそれぞれの自宅から配信を通して祝うことができ、感謝致します。どうか今、顔を合わせられない全国の人たちにあなたが訪れ、力と変化をもたらしてください。
◆私たちの神様。今日は、礼拝後、書面決議による定期教会総会が行われます。直接、話し合うことが困難になった現状でも、一人一人の意志や思いが新しい実を結ぶように、総会後も私たちを導いてください。
◆私たちの神様。戦争や弾圧、災害や疫病に苦しむ人たちを癒し、守り、回復させ、平和を手にすることができますように、導いてください。どうか今、現実を無視せず、理想を蔑ろにしない、誠実な選択と協力ができるように、私たちを助けてください。
◆愛と平和の源であるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書20:19〜29(新共同訳より抜粋)
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編145:1〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の329番「目覚めよ、歌えよ」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。
メッセージ
神様を信じたい気持ちがあるけど、本当に信じることができるのか、自分でもよく分からない……聖書の言葉を信じているけど、どこまで信じているのか聞かれたら、だんだん自信がなくなってくる……洗礼を受けたけど、礼拝に出ているけど、お祈りするけれど、自分はクリスチャンなのか、「信じている」と言っていいのか、不安になる。
コロナ禍で一年の半分以上、教会へ集まることができなくなり、自宅で礼拝しているとき、配信を見逃したり、メッセージ以外は飛ばしたり、お祈りや賛美はただ聞いているだけだったり……となったことも、たぶんあったと思います。ふと振り返って、自分がやっていることは礼拝なのか、信仰的と言えるのか、分からなくなった方もいるでしょう。
もしかしたら、私は「信じているつもり」で「信じている」とは言えない生き方、「礼拝のつもり」で「礼拝している」とは言えない日曜日を過ごしているんじゃないだろうか? どこまで神様を向いていて、どこまでイエス様を信じているのか、問い詰められたら恐ろしい……もはや、信じなくなった、つまずいた者として、振り分けられるかもしれない。
イースターの直後に、こんな暗い話を始めるのもどうかと思いますが、イースターを迎えたからこそ、そういう気分になる人もけっこういると思います。なぜなら、「キリストの復活」「死者の復活」という出来事こそ、私たちが最も受け入れにくい、信じることが難しい出来事だからです。
実際、「イエス様が復活したと信じている」と言えないために、洗礼を受ける決心がつかない人も、私の知り合いに何人かいます。それどころか、もう洗礼を受けているけど、キリストの復活については、どう信じたらいいか分からなくて、自分の中でごまかしている……という人も、そんなに珍しくありません。
他の信仰者から、どう思われるか怖いから、なかなか口にできないだけで、イエス様が死んでから復活したという話を「信じている」と言いにくい人は、クリスチャンの中にも身近にいます。それは誠実な「迷い」であって、「過程」であって、安易にかき消していい揺らぎなんかじゃありません。
イエス様が復活して、弟子たちに現れるまで、先に墓場へ行った女性たちから「わたしは主を見ました」と告げられて、それを信じた人間は誰一人いませんでした。イエス様の遺体を納めた墓穴が空になっている!……と聞いて、確かめに行ったペトロともう一人の弟子でさえ、イエス様が復活したとは理解できず、ほとんど無反応でした。
どう受けとめたらいいか、分からなかったんだと思います。確かに、イエス様は自分が十字架につけられて殺され、3日目に復活すると、3回にわたって、弟子たちへ予告していました。ガリラヤで、エルサレムで、再び会おうと話していました。でも、イエス様が死んだ後、その通りになると思って行動した人はいませんでした。
最初に、復活したイエス様と再会する女性たちも、探しに行ったのは放置された遺体であって、生き返った方ではありませんでした。墓穴が空になっていると知ったペトロたちも、イエス様が自分たちのもとへ帰ってくるとは思えませんでした。家に帰って戸に鍵をかけ、イエス様を締め出してしまいます。
鍵を開けて、待っていることはできませんでした。彼らがイエス様の復活を信じたのは実際に生き返った姿を見て、声を聞いてからでした。誰一人、見ないで信じた者はいませんでした。マグダラのマリアをはじめとする女性たちも、家に閉じこもっていた弟子たちも、復活したイエス様を見て、信じました。
当然です。見ないで信じられるものじゃありません。その場に一人だけいなかったトマスも、自分だけ、復活したイエス様を見ることができなかったために、こう言います。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
疑り深い、不信仰な姿だと思われるかもしれませんが、これって自然な反応です。みんな見たから信じたのであって、自分は見ていない。みんなはイエス様と出会えたから信じたのであって、自分は再会できていない。私だって会いたい……見て、触れて、確かめたい……本当にイエス様が復活したなら、私にだって会いに来てくれるはず!
8日間、トマスは他の弟子たちと一緒の家に居ました。復活したイエス様に会えた人、信じている人たちの中で、一人だけ確信を持てずに、でも信じたくて、待っていました。私はこの姿を、頑固で、疑り深い、不信仰者とは呼べません。みんなが信じている中で、信じきれない人間が、揺れ動きながら待つ姿は、むしろ尊いものだと思います。
8日後、そんな彼のもとへ、ついにイエス様はやって来ました。この日も、戸にはみな鍵がかけてありました。不思議なことに、トマス以外は、イエス様が復活したのを知っているのに、誰もまだ、安心してはいませんでした。未だ、イエス様を処刑した人たちに捕まることを恐れていました。大丈夫だとは信じられずに、イエス様が再び来るかもしれないのに、戸に鍵をかけて締め出していました。
にもかかわらず、イエス様は部屋の真ん中に現れて、「あなたがたに平和があるように」と言われます。自分と出会って、未だ恐れている弟子たちに、未だ信じきれない弟子たちに、平和を願い、呼びかけます。そして、8日間、自分を待っていたトマスに向かって告げられます。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」……イエス様は、自分が復活したことを「信じている」と言えないトマスに、「信じる者になりなさい」と姿を現し、傷を見せ、その手で触れるよう命じました。
信じなかった、つまずいた者として、振り分けてしまうのではなく、今から信じる者となるように、彼のもとへ会いに来ました。トマスは8日前、自分の指でイエス様の傷口に触れてみるまで、決して信じない……と言っていたのに、再会した瞬間に答えます。「わたしの主、わたしの神よ」
それは、紛れもなく、イエス様を神の子として信じる信仰告白でした。弟子たちの中でも、イエス様に対してはっきりと「わたしの神よ」と告白したのは、このときのトマスが初めてです。イエス様が求めたとおり、彼は「信じない者」ではなく「信じる者」になりました。
よく見ると、他の福音書でも、イエス様と再会するまで信じなかった弟子たち、何なら再会しても、まだ疑っていた弟子たちが度々登場します。自分を見捨てて逃げ帰り、再会してもなお、気づかない、信じられない、疑ってしまう弟子たちを、イエス様は切り捨てたり、放っておいたりすることができません。
復活したイエス様は、あなたが気づくまで、あなたと共に道を行き、あなたのためにパンを割き、あなたのために自分の傷口を示します。あなたを信じない者、つまずいた者として振り分けるどころか、平和があるように宣言し、自分の弟子と呼んで、世界へ遣わそうとします。
もし、信じている人たちの間で、信じていると言えない自分、揺れ動いている自分に気づいたら、安心してください。イエス様は、あなたから遠のくどころか、あなたのためにやって来ます。あなたを家から追い出して、遠ざけるどころか、復活の主の証人として、聖霊を送り、外へと遣わされていきます。
「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように」……アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌4番「わたしの主が取り去られた」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の裏面をご覧ください)
使徒信条93-4A
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
使徒信条93-4B
わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。
紹 介
本日も、初めて配信を見に来た方、久しぶりに配信を見られた方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。互いに顔を合わせることはできませんが、礼拝を通してつながっている一人一人に、神様の祝福がありますように。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
主の祈り93-5A
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。
献金の祈り(例)
愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(ヨハネによる福音書20:21)
祝 福
願わくは主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。願わくは主がみ顔をもって/あなた(がた)を照らし、あなた(がた)を恵まれるように。願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。(民数記6:24〜26)
報 告
本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり、感謝いたします。先週の在宅礼拝は、配信奉仕者と納骨式のご遺族15名、同時に視聴された26名、計41名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
本日、礼拝後に予定している定期教会総会は、ここに集まった配信奉仕者と、在宅礼拝に参加された信徒の皆さんの議決権行使書による書面決議で行い、役員選挙は三密を避けた会衆礼拝が再開されるまで延期します。
教会に集まる礼拝の再開は、毎週水曜日に役員会で検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ、各SNSの公式アカウントでお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。