ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『それって良い羊飼い?』 ヨハネによる福音書10:7〜18

日曜礼拝 2022年5月1日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。(エゼキエル書34:12)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌519番「わがきみイェスよ」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆復活と希望をもたらす、私たちの神様。今日もまた、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここにいる配信奉仕者と、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先週は、書面決議による教会総会が行われ、無事に今年度の予算や方針について決定することができました。どうか今、直接意見を言い合うことが困難な時期も一人一人の思いが置いていかれることのないように、私たちを互いに導いてください。

◆私たちの神様。幼稚園や学校で子どもたちの感染が広がり、高齢者施設でもなかなか感染が防げません。どうか今、私たちの身近で感染した人たちを癒し、守り、回復させ、またみんなで集まることができるように、助けてください。

◆私たちの神様。5月には、地区会や教区総会が控えています。様々な信徒や教師が準備を進めています。どうか今、教会総会に続いて、連帯している諸教会との歩みも、丁寧に議論できますように、互いに支え合わせてください。

◆愛と平和の源であるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書10:7〜18(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編23:1〜6(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の459番「飼い主わが主よ」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

Quang Nguyen vinhによるPixabayからの画像

メッセージ

キリスト教において、私たち人間は、度々、羊にたとえられます。狼や盗人に狙われやすく、群れからはぐれると、簡単に悪いものの餌食になってしまう。安全な場所で草を食べ、水を飲み、自分たちの身を守っていくには、群れから離れないように、飼い主についていく必要がある。

 

ところが、飼い主の中には、自分の飼っている羊たちを大事にしない者もいます。羊の様子を気に留めず、群れから離れても気が付かず、盗人を警戒せず、狼が襲って来たら置き去りにして逃げてしまう。飼い主を失った羊たちは、盗人に奪われ、狼の犠牲になり、残ったものも追い散らされ、途方に暮れてしまいます。

 

かつて、民のことを考えず、自分のことばかり優先する指導者が、そのような悪い羊飼いにたとえられてきました。王や権力者だけでなく、神様に仕えて人々を導くはずの祭司や預言者の中にも、そういう悪い牧者がいました。エゼキエル書にも、自分が養うべき羊の群れを養わず、自分のことばかりを養う牧者のことが書かれています。

 

皆さんも、自分を導いてくれるはずの者から蔑ろにされ、誰についていったらいいか分からなくなった経験が、何かしらあると思います。ある人にとっては、自分を捨てた親がそれに当たるかもしれません。ある人にとっては、いじめを無視した教師、部下を庇わない上司、信徒と向き合わない牧師が、それに当たるかもしれません。

 

誰かに見捨てられ、見放され、放っておかれてしまう者……置き去りにされ、奪い取られ、犠牲にされてしまう者……飼い主を失った羊のような人間は、この世の中に溢れています。その中には、「この世界を造られた神様からも見捨てられた」「神様も私を放っておかれた」「私を養い導くことをしなかった」と感じている人がいるでしょう。

 

そう、盗人が来ても奪われるまま、狼が来ても襲われるまま、群れからはぐれても捜さないまま、私を放置したのは、神よ、あなたも同じじゃないですか? あなたに導かれていると思えない、あなたに牧されていると思えない、あなたの声を知らない者が、たくさんいるんじゃないですか?

 

果たして、神様は、良い羊飼いなのか?……人生で一度は、そんな問いかけがあってもおかしくありません。だって、良い羊飼いは「自分の羊の名を呼んで連れ出す」と言うけれど、私たちは神様の声を聞いているでしょうか? 羊は「良い羊飼いの声を聞き分ける」と言うけれど、神様の声は聞き分けられていると言えるでしょうか?

 

これだけ、世界中に多くの宗教が分かれていて、どれが本当の神なのか、迷っている人がたくさんいて、「神様の声が知られている」「聞き分けられている」とは、正直ちょっと思えません。むしろ、自ら神を自称したり、神はいないと言う人の声に、ついていく者、従う者も少なくありません。神様と人間、羊飼いと羊の関係は、破綻している。

 

そんな中、神の子であるイエス様はこう言います。「わたしは良い羊飼いである」「私は自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」……かなり大胆な発言です。ここまで聖書を読み進めてきた人なら分かります。イエス様の声を聞いても、ついてこなかった人がどれだけいたか……イエス様が誰か分かっていない人がどれだけいたか。

 

イエス様は、あちこちの町や村へ行きましたが、度々受け入れられず、追い出され、殺されかけたこともありました。自分の声を聞いて、教えを聞いて、つまずいた者から激しく敵対されることもありました。イエス様を良い羊飼いだと知っている羊には見えない人が大勢いました。

 

最初は、イエス様を良い牧者だと思って歓迎していた群衆も、後から手のひらを返して「十字架につけろ」と叫んだりしました。良い羊飼いなら、羊たちが声を聞き分け、すすんでついてくるはずなのに、そうとは言い切れない描写が続きます。神様も、神様が遣わした独り子も、良い羊飼いじゃなかったんでしょうか?

 

それとも、ついてこなかった者たちは、もともと神様の羊じゃなかったんでしょうか? イエス様が救い主だと聞き分けられなかった人は、イエス様の羊じゃなかったんでしょうか? 未だに自分が守られている、導かれているという実感の薄い私自身は、神よ、あなたの羊じゃないんでしょうか?

 

そう思っていると、イエス様はこう言ってきます。「わたしは羊のために命を捨てる」……自分を受け入れられず、神の子と信じられず、ついてこなくなった人のため……自分を裏切り、見捨て、逃げ出した人のため、十字架にかかって命を捨てる。わたしを知らないと言う者のために、わたしは十字架にかかった。あなたはわたしの羊であり、わたしはあなたの羊飼いだと語るんです。

 

さらに、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる」と言います。「その羊をも導かなければならない」と続けます。ようするに、自分についてきて、囲いに入らなかった羊たちも、わたしの羊だと言うんです。わたしの声を聞き分けず、わたしが連れ出すときに、ついてこなかった羊たちも、群れへ回復するために、導きに行くと言うんです。

 

なぜ、羊は良い羊飼いの声を聞き分けることができるのか、私は知っています。それは飼い主が自分についてくるまで、その羊を呼び続けるからです。はぐれた羊を捜し出し、群れへ帰ってくるまで名前を呼ぶからです。良い羊飼いの声を知らない羊は、良い羊飼いの声を聞き分けるまで、呼ばれ続けるからです。

 

信じない者が信じる者となるように、知らない者が知る者となるように、この方は名前を呼び続けます。イエス様を三度知らないと言ったペトロが、「主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたが知っています」と答えるまで、イエス様の復活を信じないと言ったトマスが、「わたしの主、わたしの神よ」と答えるまで、この方は死の隔たりさえものともせず、迷った者と再び出会い、自分が誰かを知らせます。

 

「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」……そう、この方はあなたの羊飼いです。あなたを自分の羊と呼び続け、群れから離れてようが、囲いから出ていようが、連れ戻して回復しに来ます。良い羊飼いを知らない者にも、その声を分かる日が来ます。

 

だから、あなたもよく聞いてください。自分を呼ぶ声の主を、自分を取り戻し、回復し、連れ戻す羊飼いを知ってください。誰が自分の羊飼いか、本当の牧者か分からなくても、その声を聞き分ける日が来ます。あなたを諦めない方が、今、あなたを呼んでいます。だから、知ってください。聞いてください。あなたもこの方を呼んでください。

 

讃美歌

オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©︎柳本和良)を3回繰り返して歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の裏面をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて配信を見に来た方、久しぶりに配信を見られた方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。互いに顔を合わせることはできませんが、礼拝を通してつながっている一人一人に、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

最初にマスクをしたままで、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(ヨハネによる福音書20:21)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり、感謝いたします。先週の在宅礼拝は、配信奉仕者6名、同時に視聴された11名、計17名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

また、24日の礼拝後、定期教会総会を配信奉仕者6名の出席、議決権行使書10名の提出、委任状8名の提出によって、計24名による書面決議で開催しました。全ての報告・議案は、全員賛成により承認、可決されました。また、事前にお知らせしていたとおり、役員と責任役員の選挙は、会衆が集まる礼拝を再開するまで延期し、その時点まで現役員が任期継続することになりました。お祈りくださり、ありがとうございます。

 

教会に集まる礼拝の再開は、毎週水曜日に役員会で検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ、各SNSの公式アカウントでお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。